「殺しじゃないです! 世直しです!」
※※※
隠し扉からの通路を進むと、道は程なく延々と続く降り階段になった。所々にある蝋燭がわずかに照らすだけの暗い道だったが、慣れているのか、楽太郎の足は存外早く、その姿は奥の暗闇に呑まれて見えない。しかし、
「 逃げちゃダメです! ちゃんと世直しさせてくださーい!」
「ふざけんな! とっ捕まったら、俺を殺す気だろうが!」
「殺しじゃないです! 世直しです!」
「どうちげえんだよ、畜生!!」
光圀は暗闇を全く恐れず、その健脚で駿馬のように駆けていく。
「お嬢、あまり……先に行かないでください……」
「みっちゃーん、転ぶと危ないから、気をつけなよ〜」
助さんは息を切らしながら、格さんは緊張感なく声を発しながらその後を追っていた。ふたりは目を見合わせると、わずかに頷く。この通路、古いもののようだが、照明の蝋燭に長いものが混じっているのを見るに、定期的に誰かがここを通っていることは間違いない。そして壁面を伝う、独特の編まれ方をした注連縄は、この通路の先にあるものが何なのか、一つの答えを示していた。それは。
ずるっ。
「おあーーっ!!」
暗闇の奥から光圀の悲鳴が響いた。どうやら足を滑らせて転んだらしい。地下通路にしては湿り気がほとんどなかったが、乾いた砂が却って足元を滑りやすくさせていたようだ。
「だーから言ったのに……」
格さんが失笑しながら階段を十段ほど急いで降りると、すぐにその笑みは消えた。
そこには、天井まで10メートルはあろうかというほどの広大な空間が広がっていた。異様な空間が。
「いたた……え、何これ……? 鳥居……?」
光圀が身を起こしながら辺りを見回し驚きの声をあげる。
天井から壁から、夥しい量の鳥居が屹立していた。大きい鳥居から小さな鳥居が何重にも〈生え〉、何かの菌類のように狂った増殖を重ね、しかし、群体としてのそれは、悍ましいほどに正確な幾何学的な形状をしていた。人工物としか説明ができないが、人の手が及ばないほどに精緻に並ぶ様は人工物にはおよそ見えない。
「願いの結晶化現象……こんなに大きな」
助さんが口中で呟くが、光圀と格さんはそれに気づかなかった。二人が見据える鳥居の群体。その中心部には、青紫色に光る何かがあった。
そこに声が響く。
「〈大煙石〉は願いを叶えると言われている。だから俺は神様に祈った。何度も何度も。その度に、ちょっとした願いが現実になっていったんだ。失せ物がでてきたり、博打で勝てたりな」
青紫色の石の前に、楽太郎が立っていた。
「次第に、叶う願いは大きくなっていった。気に入らねえ商売敵の店が急に火事になった。家督を継ぐのに邪魔だった兄貴も死んだ。そんで、親父もピンピンしてたのに、いきなり大病を患った。本気で願ってた訳じゃねえ。でも、心のどこかで思ってたことには違いない。でけえ願いが叶うたび、この部屋に、わけのわからねえ鳥居が増えていった」
助さんは眉を顰める。
「〈要石〉の暴走……」
きょとんとした顔を向ける光圀に、助さんは続ける。
「あの男の暗い思いを浴び続けたせいで、石が人の苛烈な願いを自ら求め始めているようです。早く、〈印籠〉で浄化しないと」
頷くと、光圀は拳に装着した〈印籠〉を再び強く握る。構えを取ったその時、
「〈大煙石〉! また俺の願いを叶えろ! この化け物女どもをぶっ殺して、〈煙都〉の全てを手に入れる力を……俺によこせ!!」
楽太郎の大音声が響く。それに呼応するかのように石は光を強くしていった。辺りに青紫色の光が広がる。
「いけない、これは……!」
光に包まれた楽太郎の身体が石と共に宙に浮かびあがる。と同時に、整然と並んでいた大小様々な鳥居達がその隊列を変え、辺りをめちゃくちゃに飛び回り始めた。鳥居どうしがぶつかり合う重い金属音が、地下空間を暴れ回る。光圀は慌てて身を屈めた。助さん、格さんも、近くの岩の陰に身を潜める。
やがて音が止んだ。
光圀が自分の腕の隙間から様子を伺うと、そこには想像だにしないものが在った。
朱色の巨人。
夥しい数の鳥居を分解して、無理やり人の形に組み上げたかのような、無機質の異形。
その胸に当たる位置には、紫に光る巨大な石と、そこから上半身だけを覗かせた楽太郎の姿があった。
「あれ……石にめり込んでない? 下半身」
「石が人の願いに飽きたらず、人体そのものを欲し始めたのでしょう。願いを食わせすぎた代償です」
「おっかねえ」
格さんは肩をすくめるが、その笑みは引き攣っている。
願いを叶えるという〈大煙石〉。それに願い続けた者は、代償としてその身を食われる。その恐ろしさもあるが、
「実際、どうすんだよ、これ」
思わず口から弱音がこぼれる。それが耳に入ったかのようなタイミングで、巨人の胸に埋まった楽太郎が目を開いた。朱色の巨躯の挙動を確かめるかのように、手足を動かしてみる。程なく要領を得たのか、力任せに右腕を岩壁に叩きつけた。硬い岩肌が、豆腐か何かのように、容易に抉れ崩れた。
[[ははは、すげえ。これが石の力か]]
楽太郎は高揚を隠そうともせず、破顔した。哄笑しながら、あたりの壁をめちゃくちゃに殴りつける。大地震のように地下空洞全体が震える。岩壁や天井が次々と崩れ、大小様々の岩石があたり一面に降り注いだ。光圀達はそれを必死でかわし続ける。
「おいおいおい、マジで洒落になんねえって!」
「格さん、弱音はダメだよ!」
「つってもよお……!」
避ける。迎撃する。降り続ける岩石に翻弄される光圀と格さんとは打って変わり、助さんただ一人は、前髪から覗く左目を鋭く光らせ、あたりを観察していた。
退路を。
目の前の巨人相手に戦闘手段がない訳ではない。が、この狭い空間では極めて困難。なんとか地上に戻り、広い場所で迎撃を試みたかった。
が。通ってきた通路はとうに崩れ去っている。しかし、音の反響や、どこからともなく風を感じることから、どこかに地上へ続いている穴があるはず。それを探す。
「……?」
視界の端に、何かがちらりと映った。素早く動く、何かの影。
それは人のようで、何かを叫びながら、降り注ぐ岩の雨を潜り抜けている。
先にその影の正体を判別したのは、光圀だった。
大きな目を見開いて、恐怖の表情で逃げ惑う、小柄な少年。
光圀はその名を呼んだ。
「はちべえ!」