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鬼光圀 -唸れ必殺・印籠ぱんち-  作者: ニベオカシンヤス
序章 煙都大激突!倒せ、朱色の巨人
1/13

「世直し、始めます!!!!」


挿絵(By みてみん)


 蝋燭の赤橙色の火が、戒められた彼女の肌を昏く照らす。

 男が乱暴に引くと、鎖はくぐもった音を立てた。


「太夫、全て貴様の自業自得だ。老いた父上を誑かし、この〈煙都〉を我が物にしようとした報いだ」

「……」

「全て俺のものになるはずだったんだ。俺は、貴様からこの街を取り戻してやる」


 彼女は目を伏せ、一言も発しない。


「だから、いい加減に話せ! 〈紫蛇香〉の調合方法を! 父上が貴様に話していたことは分かっているんだ! ただの煙草じゃない。一度煙を吸えば、猛り狂う猛獣でさえもあまりの心地よさに一瞬で夢見心地になる……〈紫蛇香〉の煙草を作れることこそが〈煙都〉の長たる証。貴様のような阿婆擦れにその資格があるなんてこと、許すわけにはいかない!」


 男は手に持った鞭を床に叩きつける。威嚇のつもりであっただろうが、使い慣れていないのか、石畳にぶつけても、ぺし、と気の抜けた音しか響かなかった。

 その音があまりに可笑しかったのか、彼女はくすくすと笑い声を漏らした。長身で、見た目の年恰好はとっくに成人していそうなものだが、しかしその声色はあどけなく、童女のようにも聞こえた。その不均衡さが、彼女〈紅蛾太夫〉の纏う妖艶な気配を、より一層禁忌的なものにしていた。


「うふふふ、アア、可っ笑しい。こんな女の口一つ割らせられないようなお手前では、この〈煙都〉を牛耳るなんてことは到底無理でしょうなァ。ねえ、楽太郎坊ちゃん?」

「なんだと……!」


 もう四十手前にもなる楽太郎は〈坊ちゃん〉と呼ばれ口元を歪める。しかしそんな様も可笑しそうに眺めながら、鎖で両腕を戒められたままの太夫は尚も続けた。


「モタモタしてるんじゃァないって言ってるんですよ。長男が急死して傷心の貴方のお父上を誑かして〈紫蛇香〉を掠め取った毒婦だって、街の大店じゅうから嫌われてるわたしをせっかく捕まえたってのに、えらい手間取るじゃァないですか。お分かりですか? 今のこの状況は、この上なく腕の見せ所なんですよ、楽太郎さん。先代と付き合いのあった大店達に、わたしの悪い噂を流して味方につけたところまではよかった。何だっけ? 後妻の座に収まって悪行ざんまい、私腹を肥やして邪魔者は全て街から追放、しまいにゃあ、楽太郎さんを亡き者にしようとしてる、だっけ。良くもまあ。そこまでお膳立てしたんだから、とっととわたしをとっちめて見せしめにでもすれば、〈七星屋〉の跡取りに相応しい器量を簡単に示せる。だのに、それをこんなにモタモタ、鞭をもてばしょぼくれた音を鳴らしちゃって、笑えるったらありゃしない」


 太夫が台詞を言い終わるより早く、楽太郎の我慢の限界が来た。


「あまり舐めるなよ、阿婆擦れが!」


 振り下ろした鞭は、偶々であろうが、太夫の頬に跡を付けた。しかし太夫は痛がるでもなく、むしろその赤みがかった瞳で楽太郎を睨みつけた。


「そんなにわたしが気に入らないんだったら、とっとと身ぐるみ剥がして、ぶちのめすなり犯し尽くすなり、なんだってやりゃァよかったんだって言ってんだよ。ンなことも思いきれねえ手前なんぞに、この街はおろか、路地裏の野良猫一匹従えることなんかできやしねえ! 」


 打って変わって、太夫が響かせるドスの効いた大音声に、楽太郎はたじろぐ。


「そんなにお望みなら、その通りにしてやるよ。残念だったな、お前はもう、この部屋から五体満足には出られねえ……!」

「やってみな。この紅蛾太夫、手前みてえな三下にくれてやるもんは、血糊一滴、指の皮ひと欠けだって持ち合わせちゃいねえよ!」


 と、啖呵を切ったものの。

 実のところ、太夫にこの窮地を脱する策はなかった。

 捕まった時点で、本来なら詰んでいた。

 両腕は天井から伸びた鎖でしっかりと縛られ、両足首も丁寧に革のベルトで固定されているため、本当に身じろぎすらできない。


「お前らの好きにしろ。ただし、殺すなよ。〈紫蛇〉の作り方を吐かせる前に死なれちゃかなわん」


 楽太郎が告げると、背後から十人ほどの男たちが現れた。歳のころはまちまちだが、全員共通して、恐ろしく身なりが汚い。

 〈煙都〉の浮浪者か。太夫が先代の愛人になってからこちら、煙草造りや倉庫での在庫管理、他の都への物流などを整えるよう進言、時には自ら指示を出して雇用を増やしてきたつもりだったが、それでもまだ、このような者たちが街にいる。自らの力不足に歯噛みするが、それ以上に、これだけ街に尽くしてきたこの自分が、その労力の一割も想像すらしないような下衆に好き勝手されるという理不尽に、耐え難いほどの怒りを覚える。


「へへ、一番はおれが頂くぜ」「ふざけんな、首を絞めてからじゃないと勃たねえ変態に先に使われちゃあ、俺たちの楽しみが無くなるだろうが」「どっちでも構わねえから早くしろよ」


 醜い口から、聴くに耐えない言葉が吐き出される。太夫は流石に身構えた。じり、と男たちが距離を詰める。へらへらと、意思のないような笑みを浮かべ、けだものたちが迫る。見たところ一番年上の、もはや老人と言ってもいいような背格好の男のふしくれだった手が、太夫の艶やかな長い黒髪に触れた、

 その時。


 大鐘のような音と共に、この部屋を閉ざしていたはずの鉄の扉が飛んできた。吹っ飛んだ鉄塊は、綺麗に水平の軌道を描き、反対側の土壁にめり込んだ。


「やめな……さああああああああいっっ!!!!」


 大音声が響く。

 その場にいた全員が、声のした方を見ていた。

 土埃が立ち込める中、逆光に照らされたその身体が、部屋に大きな影をつくった。

 それは、少女のように見えたし、別の何かのようにも見えた。

 逆光の中にあっても、桜色の大きな瞳が爛と輝く。

 しろがねの絹のような豊かな髪と、それを飾る銀の髪飾りに乱反射する光が、薄暗い地下室を照らす。

 大の大人の男ですら見上げる、六尺六寸はあろうほどの長身を超えた巨躯。

 きらきらとした笑みを口元に浮かべながら、少女はきりっと眉を吊り上げると、勢いよく太夫を指さした。


「〈煙都〉を治めた先代七星屋に取り入り、後妻の席に収まって悪行ざんまい。私腹を肥やし、邪魔者は全て〈煙都〉から追放。しまいには本来の跡取りである二代目を暗殺しようと謀る始末。そんな横暴、お天道様が許しても、このわたしが許しません!!」


 びしっ! と、音がしそうなほどの勢いで真っ直ぐ伸ばされた指は、しかし空を切ったように見えた。


 ……。


「えっと、え、わたし?」


 あまりの出来事に、太夫の顔から表情が消える。思わず楽太郎と目を見合わせてしまった。楽太郎は気まずそうに、ぼそぼそと説明する。


「いや、それ、俺が流した噂なんだけど」

「そうだよ! わたし、被害者! こいつが悪者!」

「え、そうなんですか」

「そう……って、何言わすんだよ! 悪いのはこの女だ!」

「はああ?」

「え、ちょ、ちょっと待って、混乱してきました」

「こっちのセリフだ、馬鹿野郎! 邪魔しやがって!」


 楽太郎は混乱と苛立ちの中、足元に転がしていた刀を抜くと、眉間に指を当てて悩ましげにしている巨躯の少女に斬りかかった。

 が、その直後、刀を取り落とした。

 楽太郎の右手首には、深々と短刀が突き刺さっている。悲鳴をあげ、うずくまると、短刀が飛んできた方向を睨みつける。


「だ、誰だ……!」


 先ほどまで扉があった出入り口に、三人の人影が見える。逆光で顔がよく見えないが、


「お嬢、やはりさっき聞いた情報は作り話だったようです。慎重になってくださいと、あれほど言ったのに」

「みっちゃん、早とちりして走って行っちゃうからさあ。まあ、そこが可愛いんだけどねえ」


 そのうち二人は、声から女だということがわかる。


「助さん、格さん! もう、遅いよお!」


 少女に助さん、と呼ばれた青い着物の女は、長い前髪から覗く切長の左目で男たちを睨みつけながら。

 格さん、と呼ばれた赤い着物の女は、刺青だらけの両腕を大儀そうに伸ばしながら。

 それぞれ、少女の両隣に陣取った。


「お前ら、何もんだ……何しにきやがった!」


 問われて、少女は微笑む。きらきらと音が聞こえてきそうな笑顔。


「わたしは〈光圀〉。光もて、この国を照らすために旅をするもの! なんだかよく分かんなくなってきましたが、そこのお姉さんを捕まえて、何かひどいことをしようとする悪い人は、あれです! 許せません!」


「ふわっとしてんなあ……」


 楽太郎は手首から血を流しながらも、あまりの言われように呟いた。

 それを見てか、〈助さん〉が一歩踏み出す。


「この街〈煙都〉を、元の豊かで自由な街に戻すため……」


 〈格さん〉が太夫を一瞥し、にいっと笑う。


「あたしは街がどーなろうとどっちでもいいんだけどさ、あー、そこのイカしたお姉ちゃんを助けるため?」


 〈光圀〉が、再び指をさす。ただし、今度は楽太郎に向かって。


「世直し、始めます!!!!」


 光圀の号令で、助さんと格さんが構えた。

 と同時に、男達が武器を持ち、踊りかかった。


「相手は全員女だ! 手足切り落として、おもちゃにしてやれ!」

「なんだァ? もうお前、左腕が無ぇじゃねえか」

「切り落とす手間が少しだけ省けたな!」

 

 そのうち二人が、助さんとすれ違いざまに倒れ伏した。

 ちん、と鍔鳴り。

 目にも止まらぬ居合の一閃が、男たちの下半身を、具体的には、下半身のとある一点を捉えていた。

 地下室を男たちの濁った悲鳴がめちゃくちゃに暴れ回る。


「これであなた達は文字通りの再起不能。もうこれ以上、女人を弄ばなくて良いように、手間を省いて差し上げました」


 腕も一本、眼も一つ。しかし、剣の腕もまた、天下無双である。

 その様に恐れ慄いた三人ほどの男達が慌てて走り去ろうとするが、何かにぶつかった。そこには歯を剥き出しにして笑う格さんがいた。満面の笑みではあったが、橙の髪、真っ赤な装束という威圧的な風貌に男達は踵を返す、


「まあまあ、待ちなって」


 ところを、格さんが制した。何だよ、と混乱する男たちに柔和な笑顔を見せ、手招きする。訝しそうに寄ってくる男達にそっと耳打ちした。


「いやあ、実はね? 正直あたしもさ、荒事は好きじゃないのよ。だからさ、ほれ」

「あ、な、何……?」

「何、じゃねえっつの。ほれ、有り金全部置いてきな。そうすりゃあっちの刀の怖〜いお姉さんにバレないように逃げていいから」

「は、はあ……?」

「お、おい! とっとと逃げようぜ? 下手打つと、俺ら死んじまうぞ!」

「だ、だな……命あっての物種よ」


 男達の間で合意が取れたようで、三人の筆頭格と思しき波打った長髪の男がおそらく三人の手持ち全額であろう現金をまとめて持ってきた。にこにこと目を細めて笑顔の格さんが広げる手のひらに、おずおずとその全てを預ける。


「よし、毎度あり」

「じゃ、じゃあ、失礼しやす」

「おう。それじゃあ……なっ!!!」


 走り去ろうとする長髪の男の後頭部を、格さんの飛び蹴りが鐘撞きのように叩き飛ばした。


「が……っ!」

「ひでえ! 有り金全部渡したら逃げていいっつったじゃねえか!」


 格さんはけだものじみた笑みを浮かべ、嘲った。


「逃げていいとは言ったが、追いかけねえとは言ってねえ」

「だ、騙しやがったな!」

「そうだぜ? あたしは嘘つきなんだよ」


 もう逃げることは不可能、と本能で察した男達はやぶれかぶれで格さんに襲いかかる。格さんは破顔すると、部屋に鎮座していた石でできた腰掛けを両手で掴んだ。


「めんどくせえ、まとめて掃除してやんよ」


 雄叫びを上げながら、ひと抱えでは足りないほどの大きさの腰掛けをぶんぶんと振り回し投げ飛ばすと、固まっていた男たちがそれをまともに喰らい、倒れた。

 飄々と構え、騙し謀りにも躊躇のない無頼。しかし、向かう所に敵の無い、怪力無双であった。


「バケモンかよ……!」


 ざわつく男達の言葉を受け、光圀が眉を顰める。


「戦う女性に向かって〈ばけもの〉などとの暴言、絶対に許せません!」


 左胸の辺りに付けた革の入れ物から、何かの小箱を取り出す。それを見た助さんは細い目を見開きギョッとした。


「お嬢、印籠は……!」

「だいじょうぶ、手加減はするよ! まだここの〈要石〉も浄化してないし!」


 光圀は手にした小箱〈印籠〉を握り込む。

 漆塗りのような黒い光沢を持った小箱がわずかに紫色の光を帯び、ぐにゃりと形を変えた。光圀の拳を包む、後の世に言うナックルガードの形状。

 構える。拳の正面には、金色の家紋が光る。三つ並べた葵葉を、まとめて斜めに切り裂いた、禁忌の紋章〈割れ葵〉。

 そこを中心に、ばち、と紫電が奔った。

 その威容に、五人ばかりの男達は怯み、逃げ出そうとするが、光圀の正義に燃える瞳は、それを逃さなかった。


「必殺……印籠ぱんち!!!」


 雄叫び、とともに、衝撃。

 インパクトそのものが光を帯びたかのように、辺りに紫色の稲妻が奔る。男達はまとめて吹っ飛び、奥の壁にめり込んだ。


「な、なんなんだよ、お前達……」


 十人の手勢を一瞬で失った楽太郎は、動揺と怒りに震える。

 倒れ伏した手下の男達はいずれも、果たして本当に生きているのか、ぴくりとさえ動かない。次は、俺か。

 あまりの恐怖に楽太郎は背後の壁を何度も叩く。

 しかしそれは、狂乱ゆえの行動ではなかった。何かのスイッチに触れたようで、背後の壁はわずかに震えると横にスライドし、奥へ続く通路が現れた。扉が開き切るよりも早く、楽太郎はその中へ走り去っていった。

 呆気に取られていた紅蛾太夫は、その様子に何かに思い至ったように顔色を変える。


「! ……お嬢ちゃん達、逃げて! あいつ、とんでもないことをするつもりだよ」

「とんでもないこと……?」

「この奥にあるのは〈大煙石〉ってやつだ。願いを叶える力を持つって言われてる、大きな霊石」


 そう言われて、光圀たちは目を見合わせる。


「お嬢、これはきっと……」

「うん、だね!」

「んじゃあ、行くか」


 三人は頷くと、逃げるどころか通路の奥へ走っていった。


「いや、人の話聞いてた!? 逃げろっつってんの! っていうか、これ解いてよ!」


 叫んだ瞬間、太夫の両手足が戒めから解かれた。急に自由を取り戻した身体が、がくん、と倒れそうになるのを、誰かが抱き止めた。


「だ、大丈夫……?」


 見ると、子供かと見まごうほどの矮躯の少年だった。こんな子いたっけ、と太夫は一瞬面食らったが、あの時大きなお嬢ちゃんの後に部屋に入ってきた人影は、確かに三人だった。大立ち回りをしてみせた女傑二人に、残る一人が、この。少年は目を泳がせて、怯えたように微笑んでいる。手に持った小刀で鎖をどうにかしてくれたようだった。


「ありがと……あんた、さっきのお嬢ちゃん達の連れ?」

「ま、まあ、そんなとこ。て言っても、荷物持ちみたいなもんだけど」


 そう自嘲するように笑う少年の両肩を、太夫は強く叩いて言った。


「だったら、あの子達を追いかけて、絶対に伝えて。とっとと逃げろって。この街は、もうダメかもしれない」



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