幻想世界と近代戦争
・竜歴二九一二年六月四日
「魔法警報! 魔法警報!」
突如、全戦線に警報が発せられた。
無線、電信、野戦電話、伝令。近くへの直接の声がけ。果ては伝書鳩。その手段は様々。
しかし不思議と言うべきか、魔法と言いつつ魔法による命令伝達は、科学技術と魔法技術の双方を利用した無線通信以外には見られない。少なくとも、魔法の呪文を唱えるような姿はどこにもない。
だから塹壕の底にいた男達も、総司令部から全てに対する無線通信による通達でその警報を受けとった。
「総司令部より各位に伝達。魔法警報発令。敵戦線後方で大規模な魔力反応を確認。急速に拡大中。これに対して我が方は、対魔法防御で対抗中。各部隊は奮闘されたし。繰り返す。総司令部より伝達。魔法警報発令……」
塹壕の横に掘られた小さな空間に置かれた小さな木製の机の上の最新鋭の魔力型無線装置から、彼らの司令部からの簡潔かつ無情な命令。
それを受けたのは当直将校で、慌てて駆けつけ途中から傍で聞いていたその場の指揮官、少佐の階級章をつけた将校が諦観の表情を浮かべつつ大きく頷く。
将校が飛び起きて駆けつけたように、時間は夜明け前。高緯度の夏季なので日の出はまだだか、すでに周囲は明るくなり始めていた。
「軍曹、魔法警報発令だ。野戦電話が寸断したままのところがある。各所に伝令も走らせろ」
「了解しました大隊長。伝令集合!」
叫びつつ、集められた伝令の兵士達が情報を伝えられるとすぐにも各所へ散らばっていく。
「……魔法警報か。魔王の軍勢相手にどれだけ出来るんだ? 前の時は一瞬で戦線が崩壊したのに」
恐らく通じないのであろう受話器を置いた当直将校の中尉が、空を仰ぎ見つつ呟く。
「文句は後だ。予備隊にありったけの火力、それに兵力を集めておけ! 指揮は貴官に任せる」
「突破される前提ですか?」
命令を受けたのに、部下の中尉はやや不満げだ。
それもその筈、『普通の戦闘』なら最初の段階でこんな命令はない。あったとするなら、相当危険な状態だ。しかし現状の戦線は、考えうる限りの備えをしてあった。
だが、命令を発した少佐、この大隊を預かる指揮官は、当たり前と言いたげな表情で言葉を返す。
「奴らの精鋭の突撃を機関銃程度で防げると思っているのか? それに塹壕に多少分厚く兵を並べても、無駄に死なせるだけだ。対魔法防御はアテにするな」
「そうですね。了解です!」
そうして命令を受けた塹壕の各所では、恐怖を誤魔化す為にあえて話す兵士たちが少なくなかった。
「来るぞ、悪魔の軍勢が」
「ぐ、軍曹殿、前の敵は新タルタリア軍じゃないんですか?」
近くの熟練兵に問いかけるまだ顔立ちの幼い兵士は、顔面蒼白ながらも声はまだ十分出ていた。
「あの警報が出たって事は、悪魔どもがここにも本格的に出張ってきたって事だ」
「でも、なんで連中が攻めて来るんですか?」
「ここは敵の領内だ。そして、戦争を吹っかけたのはこっちだ。忘れたか?」
「それは隣の連中に対してでしょう」
「隣の連中、新タルタリアは、今や魔王の属領も同然だ。窮地にあれば、親分の魔王の軍勢が出て来るのは当然だろう」
「だからって、僕達の前に来なくても」
「心配するな、悪魔の軍団は1つや2つじゃない。俺たちと同じような連中は、そこかしこにいるさ」
「そ、そんなに沢山いたら、戦線は? 戦争は?」
「さあな。お偉いさんが考える事だ。俺たちは、やれる事をやっとけばいい。あとは、敵が無視してくれることを何でもいいから祈っておけ。さあ、前の景色が変になってきた。そろそろ来るぞ」
熟練の軍曹がそう言った眼の前では、確かに通常の景色とは言い難い何かの変化があるように見えた。
だが、それが何なのか、若い兵士には理解できなかった。
「じ、自分には何も分かりません!」
「分からなくて良い。号令が出たら銃を撃ち続けろ。そして10数えたら壕内の前側に伏せてじっとしてろ。それが生き延びるコツだ。俺はそれで前回生き残った」
「隠れて良いんですか?!」
「隠れるんじゃない。やり過ごすんだ。後続の連中は、まだマシな筈だ。それに降伏も認めてくれる。運が悪ければ、俺みたいに味方のいる所まで逃げ帰る事もできる」
「う、運が悪ければ、ですか?」
「そうだ。運が悪いから、こうしてまた悪魔どもの攻撃を受ける羽目になった」
「じ、じゃあ、運が良ければ?」
僅かな期待を込めた声に、熟練兵はニヤリと笑みを浮かべる。
「全く気付かないうちにヤられっちまうか、両手を上げるか。どっちにしろ、そいつの戦争は終いだ」
「そ、そんなぁ」
若い兵士が情けない声を上げたところで、今度は敵の砲弾の落下が連続して起きる。しかも延々と続く。
だが魔法など超常的なものではない。普通の砲弾だ。
そしてこれが通常の砲撃なら、地面に深く掘られた塹壕の底でやり過ごせば大抵は何とかなる。直撃を受けない限り、塹壕は大砲に対して意外という以上に耐えられるし、普通なら砲撃の間は敵は突撃してこない。
だが、既に魔法警報が出た後。つまり敵の突撃の前兆であり、これは通常の砲撃ではないという事だ。
「頭を下げ過ぎるな! こっちの頭を下げさせるのが目的だ! 連中は多少の砲撃の破片や爆風は気にしない!」
声の限り軍曹は付近の兵士達に向けて叫んだ直後「攻撃開始!」の号令が各所で響き、塹壕の兵士達は一斉に射撃を開始する。
加えて、守りの要の機関銃陣地が火を吹き始めた。据えられた重機関銃が銃弾を放つ連続音が響いてくる。
そしてそれは、普通の軍隊相手ならとても心強い音だった。
だがすぐにも悲痛な声が起きる。
機関銃の弾幕が薙ぎ払った何もない筈の場所、もしくは小銃弾が放たれた辺りで、銃弾が分厚い鉄板にでも当たったような情景が展開されたからだ。
火花が飛び散ったり、銃弾が明後日の方向に跳弾したり、その状況は様々。しかし多くの銃弾は、そのまま進む。つまり壁などが進んで来るのではなく、銃弾に変化のあった場所に何かがいて、それが銃弾を弾いたのだ。
そしてそれらが、急速に接近しつつあった。
よく見れば、弾いた時に何かが見えたかもしれない。
だが、そこまで気付ける者は、この場にはごく僅かしかいなかった。
しかし状況を奇妙がった兵士もいた。
(弾くのも妙だが、機関銃が火を吹いたという事は有刺鉄線に差し掛かった筈なのに、全く勢いが落ちていないのは何故だ?)
ただその兵士がそう思ったのは一瞬の事で、それ以上の思考は許されなかった。
敵、彼らが悪魔や魔王の軍勢と呼んだ者達が、騎兵が全力突撃して来るよりも速く、砲弾で穴だらけで凸凹になった大地を駆け抜けてきたからだ。
モヤのようなものと謎の跳弾と土煙が、彼らが進んでくる証だった。
そして魔王の軍勢が塹壕に差し掛かったところで、彼らの姿が露わになる。
陣地と連動した対抗魔術が、ようやく彼らの姿を隠す幻影の魔術を破ったからだ。
しかし姿が見えたことが良いとは限らない。
「黒母衣衆!」
その黒く禍々しい姿を見た兵士が絶叫した。
そしてその言葉は恐怖の代名詞、そのうちの一つだった。
たった数十名で1個師団を半時間で蹂躙、殲滅したと噂される、魔王の軍勢の一翼を担う最精鋭の戦闘集団だ。
その姿は、まさに魔王の軍勢。奇妙な黒光りする板金をつなぎ合わせたような、後ろに何か丸いものを背負ったような見た事もない大きな全身鎧に包まれていた。
よく見れば、全身が何か淡く発光しているのも見てとれただろう。
ただし同じ金属の恐ろしい仮面を付けているので、その中の者が本当に悪魔なのか判別はつかない。
その化け物と言える黒い鎧は、見える限りは数にしてごく僅か。
その手には淡く赤い光を放つ大きすぎる刃か、同じく光を放つ大きな槍を携えていた。
銃を持つ者はいない。手にした前近代的な武器を素早く縦横に振るい、薪割りや草刈りでもするように次々と兵士を縦に横にと両断していった。
文字通り両断であり、この戦争の途中から導入が始まった鉄兜や身を守ろうと咄嗟に掲げた小銃ごと、その肉体を真っ二つに断ち切っていた。
通常の武器では有り得ない切れ味と威力。重砲弾の大きな破片を受けたかのような砕け具合、斬られ具合だった。
そうして、一方的な殺戮を欲しいままにしているが、目的は明らかだ。
常人にはありえない動きで必要なだけの混乱を作り出すと、すぐにも通り過ぎる。そして幾何学的で複雑に張り巡らされた塹壕の陣地の奥へと素早く進んでいく。
三重に構築された塹壕線を、手に持った刃同様に一刀両断していったからだ。
彼らが意図的に攻撃したのは、機関銃陣地と迫撃砲陣地。それにこの場の大隊司令部くらい。そこで血の霧が吹き荒れたが、それも彼らにとっては単なる作業に過ぎない。
彼らの進撃速度は衰える事はなく、数分も経たないうちに1キロほど後方に備えられた2線目の塹壕陣地へと突進していった。
その様は、まるで近代戦をあざ笑うかのようだった。
もしくは逆に、近代戦に抗う姿のようでもあった。
そして殺戮が行われた小さな司令部では、皮肉にも魔の力によって動く無線機からは悲鳴に似た言葉が伝えられ続けていた。ただしそれを聞く者はもういない。近代技術の産物である有線電話を持ち続けている、途中で切られた腕があるだけだった。
「軍団司令部より各部隊へ。『黒母衣衆』を視認との未確認情報あり。また、隣の戦区にて『赤備え』を確認せりとの報告あり。各部隊は奮闘せよ! 繰り返す。軍団司令部より各部隊……ブツッ!」
こういう話を読みたかったのですが、見かけないので自分で書くことにしました(笑)
気が向いたら長編にします。