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昼休み。詞種和紀は昼食のあとオカルト研究会の部室にいた。
「それで伊藤くん、俺に話っていうのは?」
部室には和紀以外に友人の伊藤がきていた。
「……実は彼女のことなんだ」
「彼女って付きあっている?」
和紀は彼の彼女だろう此方奈緒子の顔を思い浮かべた。和紀には地味な印象の少女で、それは伊藤に関しても同じ事が言えるかもしれない。
「ああ。ちょっと今朝から様子がおかしい――いや、正確には昨日の夜からかもしれないんだけど」
「どういうことだ?」
「彼女、犬の散歩行くときは俺にいつも行ってきますって送ってくるんだけど、帰ってきたときもただいまって帰ってくるんだけど、昨日は返ってこなかったんだよ」
それがどうだというのかという表情をしていると伊藤は付け足してくる。
「それで今日、出会ったらさ。昨日はどうしたんだって聞いたんだよ。そしたら、何にもないよって顔で飼い犬が死んだって言うんだぜ」
「その犬のことは可愛がっていたのか?」
「ああ。ヨウタって名前だったかな。犬の話はよくしてれてたんだけどな」
「そこまで犬好きだったら、もう少し落ちこんでるもんじゃないかって思うわけだな」
伊藤はこくりと頷く。
「それ以外に変わったこととかないのか?」
「いや。いつも通りすぎて拍子抜けするくらいだよ」
伊藤はお手上げとばかりに困った表情を浮かべる。和紀としてもそれでは返答のしようがない。
たしかに不思議なことだとは思うが、それについて特別な何かを感じるわけでもない。
結局、犬の件に関しても得られる情報が少なすぎて答えを出しようがない。というわけで、本人に直接事情を聞いてみるしかないという身も蓋もない結論が出た。
その結論が出たところで伊藤のスマホから着信音が鳴った。
「あ、悪い。これから部活のミーティングなんだ。今日はここで失礼するよ」
「ああ」
伊藤はそう言ってそそくさと部室をあとにした。
それから和紀はどうしようかとしばらく考えていると、部室をノックして蓮那が名織を連れて入ってくる。彼女たちも同じくオカルト研究会の部員なのだ。
「二人で揃ってどうしたんですか?」
「あら。男二人で立ち入った話をしていたようだから待っていただけなんだけど?」
「それは失礼しました」
蓮那は意地悪い笑みを浮かべている。からかい半分と言ったところか。これには謝罪で返しておく。対して名織は眉一つ動かさずに近くの席に座るだけだった。
「和紀くんが昼休みに部室なんて珍しいわね」
「それはお互い様でしょ」
蓮那は「それもそうね」と言ってクスリと笑う。
「差し支えなければだけど、友達と何の話をしていたの?」
そう訊ねられて、どう答えたものかと逡巡するも、よくよく考えてみれば隠すようなことはない。むしろ蓮那たちの意見を聞いてみたかった。
「ええ。実はさっき出ていった彼の彼女の話でして――」
和紀は蓮那と名織に此方の飼っていた犬の話をした。その犬が昨日死んだらしいということ。そしてヨウタという名前まで。
「ヨウタ……」
その名前に名織が反応する。
「どうかしたの、名織ちゃん?」
「昨日、幽鬼に取り憑かれた犬を殺したんだが、その犬がつけていた首輪にその名前が彫ってあった」
「え?」
和紀は名織のお役目のことは知っている。それで何度か助けてもらったこともあるからだ。
「そいつの彼女は誰なんだ?」
和紀は言い淀む。幽鬼となった犬の名前がヨウタで、その飼い主は此方奈緒子である。
「昨晩に牛丼屋で起こった事件は知っているだろう? 犯人はその犬じゃない。となれば幽鬼はあの犬も含めて二体はいる。だが、もう一体は見つかっていない」
「幽鬼の杜に犬と飼い主でくぐったということですか?」
幽鬼の杜の入り口はふとした瞬間に突然現れる。そして誰もが気づかぬうちにくぐってしまい、知らない間に外へ出てしまう。その境界は曖昧で誰にも感知できない。気がつけば幽鬼となり、人を喰らいはじめる。
「幽鬼が喰らうのは臓物ではなく縁よ。縁とはその人が築いてきた絆とも言うべきもの」
そもそも幽鬼とは常世の入り口で死者の縁を喰らう化物である。その常世の入り口を幽鬼の杜と呼ぶのだ。
本来であれば死者の通る杜をたまに生者が通ることがある。生者が杜をくぐると魂は喰われて幽鬼と入れ替わってしまう。すると、肉体だけが存在し続けて永久に幽鬼の杜をさまようことになる。だが、たまに常世と現世が繋がって、その幽鬼が現世に出てしまうことがある。
幽鬼はあらゆる縁を喰らうが、死者はすべての縁を絶たれているため幽鬼が喰らえるのはその死者の魂だけだ。
しかし、生者の肉体をもって幽鬼となったものが現世に現れると自分のまわりにあるありとあらゆる縁を喰らいはじめる。現世ではその死者が多くの者と縁で繋がっているからだ。
自我もなく、ただ縁を喰らうだけの化物となった幽鬼は殺戮のかぎりを尽くすのだ。
己の存在肯定のためと存在消滅のために。
「最初は近しい人から。最終的にはどんどん無差別になっていくのよ」
だから幽鬼が生まれた時点で討伐の必要がある。袖すり合うも多生の縁という言葉もあるようにただ人と人がすれ違うだけでも縁というものは生じてしまう。それを完全に消滅させるには現世に生きる人間をすべて殺しても足りないだろう。だから殺戮者として現世に君臨することになる。
その幽鬼を鎮める方法は一つ。討伐することだ。
「何だか悲しい存在なんですね。存在自体に悪意はないはずなのに」
存在が矛盾しているからといって現世にいるからには存在の肯定が必要になる。ただ、そのための手段があまりに途方もなく切ない。そして、その肯定の仕方もまた矛盾に満ちている。
「だからといって野放ししていい道理はない。そいつの名前を言え」
「たぶん、名織さんもよく知っている人だよ。此方奈緒子さん、君と同じクラスのはずだけど?」
「それなら知っている。私の隣の席だ」
名織は淡々と答える。
「こういうのって相手が幽鬼だとか察知できたりしないんですか?」
「日中はそういう気配を消していることが多いのよ。夜になったら気配を出してくるんだけどね」
「そんなものですか……」
「それより和紀くん、さっきの子はまずいかもしれないわ」
「どういうことですか?」
「これから家のほうを調べるつもりだけど、その此方さんが幽鬼になっていたら彼女の家族はもう殺されているわ。そうなると次に彼女が狙うのは家族の次に縁の強い人」
つまり、狙われるのは伊藤の可能性が高い。
「何とかしないと!」
和紀は興奮した様子で立ちあがる。
「それで和紀くんはどうするつもり?」
蓮那に指摘され和紀は冷静になる。言われてみれば伊藤にこんな話をしたところで荒唐無稽に思われるだけだろう。それに何より和紀には幽鬼に対抗手段など持っていない。
「俺はどうすればいいんでしょうか?」
「まずは彼女が幽鬼になっているかたしかめること。それまでは大人しくするのよ。犠牲者が出るのは仕方ないけど、無駄な犠牲者を出す必要はないわ」
それは和紀に妙な正義感を発揮するなという忠告である。この件はすべて自分たちに任せろということだ。
「わかりました。……でも!」
やれることはしたいと和紀は思っていた。それに対して二人は反対しようとはしない。彼女たちはただ忠告をしただけなのだ。
「私はそろそろ教室に戻る」
「まだ授業まで時間があるわよ?」
「次は移動教室なんだ」
そう言って名織は部室をあとにした。
「彼女、普段は愛想いいのに俺には無愛想なんですか?」
「それはあれが名織ちゃんの本来の姿だからよ。あんな性格じゃまわりに溶けこめないでしょ。だから、処世術として愛想よくすることも必要なの」
そんなものなのか。そういえばいつか聞かされた気がする。
『自分はただ幽鬼を狩るための存在なのだと。あくまでそのために存在しているのだと』
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