自尊心
来週に迫った学内戦。
我ら試験小隊十三班も、戦いに向けての準備を進めている。対人を想定した陣形訓練に、射線や間合いの確認。そして何よりコミュニケーションの量を増やすことで、小隊練度を上げていった。
あの夕方以来、速水との距離は少しだけ縮んだようで。
「おはようございます」
「っ!……あぁ、おはよう」
すれ違えば挨拶してくれる、程度にはなっていた。今までは存在に気づくことさえなかったので、こうして話しかけてくれるのはとても有難い。有難いのだが……。
なまじ気配がないので、毎度声をかけられる度に心臓が止まりそうになる。もし彼女が害意を持っていれば、既に俺の命はないだろう。
そんなこんなで、今日も訓練に勤しむ。毎度のことながらどうして教官達は笑顔で苦境に陥れてくるのか。着装した状態での救助訓練なんて地獄でしかない上に、ペアを作ってそいつを背負っていけというではないか。
「ばぁっ」はぁっ、ーーはぁぁぁぁ」
呼吸するたびに肺が軋む。脇腹がギュッと縮こまり、バランスを保つために使った肩と背筋が悲鳴を上げている。
言い訳にしかならないが、片腕で人を運ぶのは途轍もなく難しい。背負うので背中さえあれば良いと感じるが、脱力した相手を支えるには、どうしても肩や腕、そして手が必要だ。
しかし俺には、それが一つずつしかない。
自然、落とさぬようにと、腰は余計に曲げざるを得ず、右腕にも大きな負担がかかる。
その結果がこれだ。他の同級生も疲れてはいるが、俺程の満身創痍ではない。
ーーまだまだ、鍛えねぇと。
持久力、特に筋持久力は一朝一夕で身につくものじゃない。トレーニングは続けているが、筋断裂の危険もあるため、単純な量の増加が出来ないためだ。
もどかしい。こんなことならもっと早く……。
「小隊長がこの程度か?」
「ふっぐ」
不意に聞き取ったその声が、内心を深く抉った。
一瞬、自分の心の声かと錯覚するぐらいには、情けない自分の思考と、ぴったりマッチしていた。
自分の声じゃないことに気づくと、では誰のものだろうと考える。
考えるまでもなく、そいつは俺の視界に入った。
ヘルメットと防火服で人相が分かりにくいが、小隊の誰かではないことは確かだった。お前はーー。
「起きろよ」
そいつは断りもなく俺の手を掴むと、強引に引っ張り上げた。不意のことに対応出来ず、次は前のめりに転けそうになる。
気合いで踏み留まり、そいつを睨みつけた。いきなり何しやがんだと、意外に垂れ気味のその目を覗き込む。
「感謝もなしか」
「ありがとな」
声質からして、真面目そうな印象を受ける。だがその口から出る言葉は敵対的だ。真面目とは言い難い。
顔は……見覚えはある。だが名前までは覚えていない。
「いきなり何よ」
俺の問いは当然だろう。しかしそいつはクルッと踵を返した。聞こえなかったのだろうかと、再び同じ台詞を用意していた俺に、そいつは背中を向けたまま告げてきた。
「荷物まとめて出てけ。お前じゃ無理だ」
「…………あ?」
「死にたくないだろ?」
そいつは至極当然とばかりに言い放つ。憐れみさえ含んだその言葉は、酷く不愉快で、しかし何処か納得してしまうものでもあった。
ーー言われっ放しでいいのか?
普段は顔を見せない自尊心が、この時ばかりは火を吹いた。俺にだって、ささやかながらプライドがある。いつもはそれを無視しているが……。
今回は、それに従った。
「待てよ」
重い右手を気合いで伸ばし、その肩を掴む。防火服の上からわかる、鍛えられた肩だ。
「そもそもお前誰だよ」
グッと力を入れる。全快ではないが、相応の力は込めた。
だがその手はすぐに振り払われた。
「名前ぐらい覚えておけーーひびきだ。八代響」
音とかで戦いそうな名前のそいつは、ようやく目を合わせた。同時に俺も思い出す。
八代響ーー俺と同じ前衛で、俺と同じく小隊長を務める、若きホープだ。
「じゃあ響。お前俺に喧嘩売ってんのか?」
「忠告だ」
「はぁ?ふざ……っ!」
咄嗟に腕を引いた。するとさっきまで肘があった箇所を裏拳が通り過ぎる。躊躇いなく殴ろうとするとは流石この学校の生徒だなと感心しつつ、警戒度を一段階上げる。
「逃げるのは得意か」
「煽るのは上手いなぁ」
やり取りしながらも、未だはっきりしない彼の心理を紐解こうとする。何故今になって突っかかる?キッカケが何かあるのか?
「お前達、何をしている」
緊張感のある空気の中、その二人さえ気付かぬうちに、両者の間に彼はいた。
「伊藤教官……」
思わず息を呑む。冷や汗が流れるのを感じた。
その手には、あの鬼灯さえ沈めた杖が握られている。
ここはもう、間合いの中。
いつ斬られてもおかしくないのだ。
「今は何の時間だ。休憩の時間など、ここには無いぞ」
そんなの初耳なんですが。
とか返したら殺されるんだろうな〜とか思いながら、しかし口には出せずただ黙る。響も同じく黙っていた。
「誤魔化すのならそれでいい。だが私は見て、聞いていた。……下らん」
些細な諍いを、彼はバッサリ切り捨てる。他の教官とは一線を画すその態度はしかし、不快感は感じなかった。
こちらを見るその目は、鋭い。ひたすらに。
「決着をつけろ。次回の近接教練、場を作ってやる」
「っ!?」
「マジか」
場を作るーーそれは俺達に、戦えということだ。
文句があるなら実力を示せ。それが彼の主義だ。そこに善悪は介在せず、ただ事実だと、彼は言う。
狼狽える俺達を置いて、伊藤はいつの間にか消えていた。
「…………マジか」
「ふん。丁度いい」
本音か強がりかわからない台詞を吐きつつ、響も離れていく。
それを見送り、ようやく気分が追いついてきた。
ーーもしかして、これチャンスでは?
未だ学内戦の組み合わせは発表されてないが、この一線は、俺の脅威度を上げるアピールの場になる筈。
「ーーいやいや」
って、そもそもそのチャンスを生かすなら勝たなきゃいけないだろ。取らぬ狸の皮算用。余計なことは考えるな。とりあえず今はーー。
「いけすかねぇあいつを叩き潰す」
喧嘩売ったこと後悔させてやる。俺はそう決めた。