追憶
ちゃぷちゃぷと水面が波を立てる。掬い上げた先から零れてくお湯を見て、言いようのない感傷が胸を引っ張る。
俺は自分で選んでここに来た。グールをこの手で滅ぼすために。……でもそれは、自分だけじゃあ到底無理な話で。色んな人を巻き込まないと、一体のグールにさえ苦戦する。
あと二年の修練で、独力で複数グールの殲滅が出来るようになるのか。
「こいつがありゃ……」
すっかり傷が塞がり、傷跡だけが残る左肩を握り締める。
「……いや」
あったとしても、俺は鬼灯にすら勝てない。その鬼灯にだって勝てない伊藤教官でさえ、グール相手に癒えない怪我を負った。
独力で出来る範疇は、余りにも狭い。
「はぁ〜あ」
溜息が大きく零れる。こうしてゆっくり湯に浸かっていると、らしくもない感傷に浸ってしまう。
目を閉じると、瞼の裏に景色が浮かんでは消えていく。思い出に浸るのには、ぴったりの湯加減だーー。
***
冬になると、そこは雪ばかり降った。
俺の生まれ育った街は、所謂田舎というやつで、コンビニに行くにもチャリで十五分。登校には片道一時間を歩くような所だ。
車で送ってくれと頼むことも少なくなかったが、大抵は聞いてもらえずに歩いていた。
当時小学生だった俺は、そんな両親が少しだけ嫌いだった。いつも仕事で家には殆どおらず、祖母が専ら家事をしていた。そんな祖母も、遊び相手になるほど元気ではなく、家では退屈ばかりしていた。
それは、腕を失ってからもだった。
グールの中規模災害により、俺の住む街は火の海に包まれた。その火はグールが生み出したものでは無かったが、グールを滅ぼすために放たれたその火は、破壊の象徴と呼べるものだった。
両親はその日も仕事で、災害が起こった時も職場にいた。どういった経緯があったのかは知らないが、後に、グール化していたことを知らされた。祖母は逃げ遅れて、火の海に沈んだ。
現実感が湧かなかった。
俺も一歩遅ければグールになっていたこと。そして俺が、天涯孤独になったこと。どれも現実だとは思えなくて、涙は出なかった。
中学二年の夏。そろそろ進路なんかを考える、気の早いやつも出てきた頃だったか。
俺は隣の席の女子に話しかけられた。
「高校どうすんの?」
「高校?あー……」
どうしてその話になったのかは覚えていない。だが、その後の会話ははっきりと思い出せる。
「私は頸城に行く」
「頸城ってあの、特殊消防官の?」
頸城高校は俺の住む県の一つ上、新潟県上越市にある高校だ。
幾つもの訓練場を備え、一流の教員が揃う、異質極まる学校。偏差値は50後半と、中の上から上の下辺り。面接と体力試験はかなり厳しいらしく、容赦のない圧迫面接と、十種目にも及ぶ専門的な体力テストは、志望者の精神を積極的に折にいく姿勢だ。
そんなハードルの高さにも関わらず、この学校には全国から志望者が集まる。それは偏に、特殊消防官を育成する学校だからだ。
「あ〜、頑張れ」
「ありがと」
ふいっと視線が外れる。会話はそこで途切れた。いきなりなんなんだよ、と内心で悪態をつく。自分の話下手は棚に上げて。
わざわざ特殊消防官を目指すと宣言されて、俺にどうしろというのか。それも、普段はそこまで話すわけでもないやつに。
その日は、なんだかモヤモヤしたまま床についた。言葉にはうまく出来ない、そういうものを抱えたまま。
今思えば、その会話がきっかけだったのだろう。頸城高校を意識したのは。
***
ポタリと、鼻頭に雫が当たり弾けた。
「うぇっ」
その冷たさに、一気に意識が引き戻される。
「あっぶぁ……」
心地よさに流され、つい風呂の中で寝るという暴挙に陥りかけた。こんなところで溺れ死んだら、家族に申し訳が立たない。
「…………出るか」
ザバッとやや大袈裟に湯船を出る。飛沫を膝裏に感じながら、一歩、二歩と踏み出す。
明日のことを考えよう。過去のことは、もういい。
過去の話でした。