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ナンバ

「おはようございます」

「あ、あぁ。おはよう」

 掠れ気味の声でなんとか返した俺を、速水は訝しげに見つめてくる。その常に半開きの目がこちらに向くのが、なんだか腹立たしく感じてしまうのは今日だけであろう。

 結論から言おう。睡眠不足だ。

 昨晩、俺は朝から女子に会うということで、柄にもなく緊張したりなんかして、あまり寝つけなかった挙句、身支度等考慮して午前4時起床という、農家の老人も思わず感心しちゃうぐらいな時間に起きることになった。

 その結果、睡眠時間が4時間を切り、いっそ寝なかった方が楽説が出るような眼球バキバキ状態で朝を迎えることとなったのだ。

「それにしてもーー」

 俺は自分の体調をわざと無視するように、視線を校門の中へ向ける。

「もう誰かかいるな」

「そうですね」

 速水の同意の通り、まだ朝の5時だというのに、校内からは活発な人の声がする。数人が集まっているのだろう声の量に、俺は驚きと劣等感に顔を歪ませた。

「はえぇよ……」

「そうでしょうか」

 さもこれが普通とばかりにーーいや、これが普通なんだろう。努力するというのは、「人よりも」どれだけ積むかが価値になる。俺はどれだけ積んできただろうか。

 清々しい朝の空気とは裏腹に、吐く息は深く、重いものとなった。


 訓練が始まると、自己嫌悪なんてしてる暇はなかった。まず手始めにランニングを行うことになったのだが、この時点でいつも通りとはいかなかった。

「足は地を這い、踏み込みは鋭く」

 前を行くその背中は、走るというには異様な姿勢で疾駆する。それを追いかける俺も、その姿を見よう見まねでやってみる。自分の方が歩幅も広いというのに、その背中に追いつくことはおろか、離されないようにするだけで精一杯だった。

「体重を移す。前に、前に」

 その姿は、右足が前に出ると右手が前に、左足が前に出ると左手が前に出る、俗に言うナンバ走り。緊張すると脳がバグって出てしまうような、側から見れば間抜けな姿の筈だが、これを意識的にやってみると、そんな人の目など気にする余裕は無かった。

 ただ手と足を一緒に出せばいいわけじゃない。後ろ足で蹴り出しつつ、摺り足で前足を出す。そこに体重移動も加えて加速しつつ、足を入れ替える。これを走る速度に合わせてやるというのが、速水の言う「ランニング」だった。

「ハァ、ハァ」

 まだ200mもいってないのに、呼吸が荒く激しい。

 ただ走るだけなら、この程度の距離で疲れることはない。全力疾走でももうちょい保つ筈だ。

 それがこのナンバ走りでは、100mの時点で既に息が切れ始めていた。

「止まって」

「っ……!ハァ、ハァ、っ……はぁ」

 500mは走っただろうか。たった五分程度の運動なのに、まるで数十分動き続けたかのような疲労感に襲われていた。

 息も絶え絶えな俺を、その色の薄い見下ろし、速水は言った。

「難しいですか?」

「ハァ……っ、あぁ。そうだな」

 身体を意図的に動かすことの、なんと難しいことか。走る動作なんて、今まで意識したこともなかった。身体は自然と動いたし、足りなければ鍛えるだけだった。

 でも、それじゃあ足りないのだ。欠損という大きなハンデを補うには、ただ無闇に鍛えるだけでは追いつけない。

 ーーあの敗北は、現実を突きつけるには充分過ぎた。

「あぁ……」

 思い出して、また何度目かの自己嫌悪に苛まれる。消化はしたとはいえ、あの味は記憶にこべり付いて暫く消えないだろう。

「あの、えっと」

 そんな俺を見てどう思ったか、彼女はつっかえながらも話し出した。

「速く動くと、強いです」

 瞬発力の増強、体重移動による斬撃の強化。そして肉体の意識的操作の習熟。訓練の意図について、滔々と説明してくれた。俺でもある程度予想は出来てた内容だったが、こちらの顔色を伺いながら話す速水は何処かあどけなく、止めるでもなく語るに任せた。

 呼吸も落ち着き、そろそろ再開だと立ち上がると、速水も気づいたのか顔を上げた。少しだけ表情が柔らかくなってる気がする。

 俺はそんな彼女に何気なさを装って訊いた。

「やっぱ俺は遅いか」

 速水は否定も肯定もせず、ただ繰り返した。

「速ければ強いです」

 言外に肯定した言葉に、わかってはいながら苦笑が漏れた。が、そんな笑みも、続いた言葉に凍りついた。

「ーー殺すには、それで充分です」

 背筋にゾクリと、冷たいものが走った。


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