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序章

 その光景を、俺は生涯忘れないだろう。


 帰り道だった。踏切で時計を確認しながら、今日の晩御飯について考えていた。特にメニューは決めずに買った適当な食材をどうするか。一人暮らしを始めて一年ぐらい。自炊歴もほぼ同じぐらいで、まだまだ人に振る舞えるほど出来た腕ではないが、それなりに自分の分は用意できている。

 過去の事故で、俺には左腕がない。そのせいで料理にも苦労するが、案外片手でもどうにかなる。卵は何度潰したかわからないが、今ではちゃんと割れる。たまに殻が入ってジャリッとするが。

 ふと目線を上げると、向かい側に一人の女子が立っていた。鞄と制服を見るに、同じ頸城高校の生徒だろうか。膝丈で学校指定のスカートから、真面目そうな印象を受ける。

「…………」

 何とは無しにその様子を眺めている自分に、罪悪感が湧く。僕はよく、人の顔や服をまじまじと観察してしまう癖がある。見られる側は嫌でしかないだろうから、止めようとは思っているのだが、癖というのは自分の意思とは裏腹に働くもので。

 意識的にふっと視線を外し、電車が来るだろう方向に目を向ける。赤い車体の、古めかしい電車がやって来るところだった。それをじっと見つめる。

 目線で追いかけるままに、目の前を通過していく電車。風が前髪を巻き上げる。

 通過し切った電車を横目に見送りながら正面を向く。その瞬間、俺の時間は減速した。


 純白だった。


 細かく刺繍の入ったそれは、花のようで、草冠のような、不規則的な曲線で描かれている。

 そこから伸びる、白くも健康的な肉感は、魅惑としか表現できぬ艶かしさで視線を誘う。

 美しい。そう思った。そして同時に思うーーこの光景は、今後一生忘れることはないだろうと。

 一瞬でしかなかった、しかし永遠にも感じたその光景を脳裏に刻み込んでいると、いつの間にかその少女はいなくなっていた。振り向くもそこにはいない。

 カンカンカンカンーー

 不思議の思いながらも、再び降り出した踏切を急いで渡る。そうして家路を進み出してからは、すっかり意識から離れて、晩御飯のことを考えていた。


 ***


 ものすんごいエロい夢を見た気がするが、まるで内容を覚えてない。朝から無駄に損した気分を味わいながら身支度を済ませ、家を出る。一人暮らしだから、「行ってきます」なんて言わない。最初の頃は言っていた気もするが、虚しいだけだろ。そんなの。

 昨日の絶景が拝めた踏切を越え、坂を登る。

 そうして歩くこと十五分。校門が見えてきた。

 その頃には周囲にも同じ制服が増え、談笑の声も聞こえてきた。

 そんな中を一人歩く。別に友達がいないというわけじゃない、と思いたい。少なくとも会話をする奴は何人かいるし、仲が良いとも言えるはずだ。

 あれ?なんか凄い不安になってきた。こっちが一方的にってのは、なんかすげぇ惨めで嫌なんだよぉ。

 と、一人泣きそうになっていると、それを察した神が遣わしたのかと思えるタイミングで、後ろからポンと背中が叩かれた。

「やはー!おーはよっ!」

 甲高いアニメ声に振り向く。すると予想通りの人物がそこにいた。

「灰原か……朝から耳キンキンするから黙っててくんない?」

「シッツレイな奴だ!折角の挨拶だぞ。受け取れ!」

「………………」

「耳 を 塞 ぐ な!」

 耳を押さえる手をどかそうと、背伸びしてくる。しかし声の通り低身長なこいつでは、指を引っ掛けるのが関の山。ズンズンと歩き続ける。

 側から見れば、妹に戯れつかれてる兄のようだろう。だがどっこい、こいつは同級生だ。

 灰原千鳥。クラス内での立ち位置はマスコット兼ムードメーカー。幼い顔立ちと低い身長、ぴょんと一房立った不可思議な髪型といい、人に好かれる要素に溢れた奴だ。

「お前にしては遅いじゃん」

「いや会話するんかい」

「別に無視してるわけじゃないって。うるさいだけで」

「そっちのが酷い気がするんだけどー」

「しゃーないじゃん。耳弱いんだよ。性感帯なんだよ」

「聞きたくないよ!」

 流石は歴戦のいじられキャラ(おもちゃ)。ツッコミが鋭い。

「で?いつもはもっと早いだろ。俺初めて見たぞ」

「あれそうだっけ。んー、今日は弟に忘れ物届けに行っててね」

「小学生だっけ」

「うん。調理実習で使う野菜忘れたって」

「そりゃ大変だ」

 こんなナリでもお姉ちゃんやってんだから、人は見た目によらねぇなぁ。

「うちらもでしょ。来月だよ?どうすんの」

「いやどうするもこうするも、頑張るしかなくね?」

「どう頑張るかって聞いてんの」

「そーねー」

 悩む素振りしつつ、胸ポケットにしまっていたそれを取り出し、渡す。教室で渡そうと思っていたが、丁度いい。

「なんだちゃんと考えてるんじゃん」

「当たり前だろ。俺もお前も、余裕がたっぷりあるわけじゃない」

 正直これもかなり悩んだ。情報収集含め、費やしたのは二週間。待たせた彼らには、ほんと悪い。

「放課後に集まるぞ。小隊のみんなを集めといてくれ」

「……たまには自分で集めたら?」

「俺じゃあ今日中には無理だ」

「…………」

「頼む」

 ムッとした目で見てくる灰原に手刀を切る。鞄が肩からずり落ちた。地味に重い。

「ま、いつものことだし。いいよ。でも部屋は借りといてよ」

「勿論」

 連れ立ったまま下駄箱までついた。朝から話し込んでしまったな。

「じゃ、また後でね」

「あぁ」

 早速声をかけに行くのだろう。そそくさと靴を履き替えると、すたたと廊下を走り去っていく灰原。

 頼りになるよ、うちの副官は。


 ***


 放課後。

 着装訓練を終え、未だ重さの残る身体で教室を出る。小隊のみんなが集まれる部屋ーー談話室を借りるためだ。別棟にある事務局で手続きをしなきゃいけないのだが、これが地味に面倒。何故デジタル化の進んだ現代で、こうもアナログな手続きをせにゃならんのか。

 新しく入ったという若い女性事務員から用紙をもらい、待合の椅子で必要事項を記入していく。ちらりと周囲を見ると、何人か他の生徒もいた。同じく談話室を借りに来たのか。

「お願いします」

「はい。…………はい、OKです。鍵はこちらですね」

 用紙と交換に、205と書かれた鍵を受け取る。これで部屋の確保は完了だ。

 早速、うちの副官に連絡するとしよう。

『部屋はとった。205』

 すぐに既読がつき、了解のスタンプが送られてくる。猫らしき、若干シュールな絵柄のそれに睨まれながらアプリを閉じた。

 談話室は、全学年の教室が集められた教室棟に隣接した、多目的棟の中にある。番号から分かる通り、そこの2階が目指すべき場所だ。

「おっ」

 多目的棟の玄関には、既に小隊メンバーが揃っていた。

「遅ぇ」

「先入ってりゃいいだろ」

「鍵ねぇのにどうすんだよ」

「あ、そっか」

 真っ先に話しかけてきたのは、金髪角刈りで目つきの悪い少年。低く腹の底から響くような声は威圧感たっぷりで、いかにも怒ってますという体だが、こいつはいつもこうだ。

 鬼灯虎徹。俺はチンピラと呼んでいる。

「そういうことじゃないと思う。虎徹が言ってるのは」

「チッ」

「いやマジですんません」

 雨森雫。黒髪ロングに猫背気味な少女。身長は175cmの俺と遜色なく、俗に言うタッパとケツがデカい女。ちなみに胸もデカい。

「まーいいじゃない。早く行きましょ」

「へい」

「ん」

「……」

 灰原の鶴の一声で、ようやく歩き出す。副官の方が統率力あるの何ででしょうねぇ。やっぱ人徳かな。

 後ろをついて行きながら、さりげなくスマホを操作した。

『ついてきて』


 ***


「まずはこれを見てくれ」

 談話室の大型モニターに、スマホの画面をミラーリング。そして即座にスライドアプリを立ち上げた。

 今日のために、簡素ではあるがプレゼン資料みたいなものを作ってきたのだ。

「ブハッ!」

「は?」

「…………」

 モニターに映し出されたものを見た途端、鬼灯が吹き出した。何かおかしいかと振り向くと、

「あ」

 右手を抜刀の如く動かし、スマホの画面をロックした。途端にモニターから光が消える。

 咄嗟に身体が動いたが、脳は未だ処理しきれていなかった。

 今……何が起きた?

 先程映っていたのは、俺の好きな絵師が最近SNSにアップしたイラストだ。控え目な胸を挑発的に突き出し、誘惑するような仕草でこちらを見上げる、至高の幼女。涎が出るほど可愛いそれが、何故今モニターに!?誰がやったんだ!

「…………」

「アハハハハハハッ!」

「うわぁ……」

 爆笑してるのは鬼灯だけだった。女性陣は完全に引いている。何より灰原が、自分の身体をかき抱いているのがやばい。こちらを性犯罪者を見る目で見てくる。違うんだ。いや、確かに幼女は好きだが違うんだ。お前も割とストライクゾーンだが違うんだ。

 言葉はいくつも浮かぶが、全てアウトラインの向こう側。何も言えねぇ。

 鬼灯が笑ってくれてるのが、唯一の救いだ。

「お前ロリコンだったのかよ!」

「違うし。たまたま好きなのがロリなだけだし」

「その方がもっとやばいよ!」

「うん」

 雨森がこちらに中指を立ててきた。いや唐突だし酷くね?あと灰原、安心してほしい。俺は現実の幼女には恋したことないんだ。お前ならセーフじゃね?とか思ったことあるけどそれは違うんだ。ーー何が違うんだ?適当言うな!

「なんか腹立つ」

 その後も一頻り笑われ蔑まれ、若干これはこれで楽しくなってきたところで、またも灰原が手を叩いた。

「もう!頼りない隊長のせいで全然進まないじゃない!早く進める!」

「あっ、はい」

 もう隊長変わってくんない?と内心思いながら、スマホのロックを解除。再び現れる幼女は無視して、改めてスライドアプリを立ち上げた。間違えてSNSアプリを起動してしまってたようだ。クソっ!こんなん消してやる!

「ーーまずはこれを見てくれ」

「あいつ一言一句同じこと言ったぞ」

「無かったことにしたいんでしょ」

「だっせ」

「とにかく見てくれ!」

 仕切り直す雰囲気だっただろうが!察しろよ!

 マジギレ一歩手前な俺にようやく静かになったところで、話を再開した。

「早速だが、この小隊の弱点はなんだと思う?」

 雨森がサッと手を上げた。

「バカしかいない」

「確かにそうだがお前も含むぞ?」

「遺憾」

 睨んでくるが、残念ながら視線で人は殺せない。距離があれば怖くないのよフハハ。

「弱ぇ」

「確かにお前は弱い。それは俺も重々承知だ」

「ぶっ殺すぞゴラァ!」

「やってみろやチンピラ風情が!」

 詰め寄ってきた鬼灯と、額をゴツンゴツンとぶつけ合う。その無駄に硬ぇ頭かち割ったろか?おぉん?

「こらっ!二人とも喧嘩しない!賢一も煽らないの!」

 スパコン!とどこから出したのかわからん扇子で頭を叩かれた。一瞬怒りが灰原に向くものの、振り上げた状態で二撃目を構えている彼女には逆らえなかった。話が進まないのは事実だし。

「あ、はいすんません」

「チッ」

 どちらともなく離れ、鬼灯が座ったところで、灰原が言葉を続けた。

「うちの弱点。それって人数でしょ?」

「正解」

 スライドを捲る。そこにはキラキラしたフォントで、でかでかと『人数』とだけ書かれている。……あれ?こんなしょぼかったっけ。作ってるときはめっちゃ凝ってた気がしたのに。

「だっさ」

 うるせぇ。俺もそう思う。

「現場も含めて、普通の小隊は六人編成だ。前衛2、後衛2、遊撃1、機関1。これが一番オーソドックスな型だろうな」

「今も一応揃ってんだろ」

「一応よ。実際は穴だらけじゃない」

 今この小隊の編成は、前衛に俺。後衛に灰原。遊撃が雫に、機関が鬼灯となっている。だが実際動くときは、鬼灯は後衛を守るためにもほぼ前衛におり、雫が遊撃とは名ばかりの後衛兼機関になっている。(機関は他小隊との連絡や、一般人の避難。小隊内で使う道具や武器のメンテナンスや補充と、やるべきことが多い)

「圧倒的に人手が足りてないんだ。特に雫の負担が大きい」

 鬼灯が雫を振り向く。彼女はコクリと頷いた。

 後期になって数回、対人演習を行なっているが、そこでも雫の消耗は目に見えて大きかった。

 対人の、それも演習のため、ミスをしたとて命は落とさない。だが本番でミスをすれば、それは致命的なものとなる。

「特殊消防はスポーツじゃない。命懸けだ」

「んなこたわかってーー」

「わかるかよ!」

 いつもの調子で返そうとした鬼灯が口を噤む。お前は本当にわかってるんだろう。でもな。安易にその言葉が吐ける程、俺らは現実を知らない。

「ーー俺達はまだ学生だ。現場を知らない。本当に命を懸けたことなんて無い。そうだろ?」

 特殊消防官が相手にするのは、火災ではない。むしろ火を扱う仕事だ。

 俺が生まれるよりもずっと前。およそ四十年前に存在が確認された、人類の敵ーーグール。

 御伽噺に出てくるアンデッドのようなものではなく、その正体は植物に寄生された人間だ。植物のため思考能力はなく、養分を求めて徘徊し、人間を襲っては取り込んでいく。

 植物自体の生命力も高く、現状は焼却するしか対処法が無い。

 俺達は、そのグールを殲滅し、街や市民を守る術を学んでいる。

「賢一」

 知らず、左肩を握り締めていた。この腕は、小学生の頃にグールによって失った。ーー失っただけで済んだ。

 あの時、一瞬でも対処が遅ければ……。

「しっかりして」

 ぎゅっと、頬を挟まれた。目の前には灰原がいて、じっと覗き込まれる。

「っ……すまん」

 うわぁ……ひたすらに恥ずかしい。灰原はふっと微笑むと、ポンと肩を叩いて戻っていく。泣きそうになった。

「すまん。本題に入ろうか」

「やっぱこいつらデキてるよな」

「母と息子のが近い」

「あーそっち?」

「おいそこ聞こえてるぞ」

 隙あらば茶化すのやめてくんない?シリアス持たないじゃん。

「あー、なんか話進まないんで結論だけ言うわ」

「最初からそうすりゃよかっただろ」

「俺の十時間の努力を全否定しないで」

 悲しくなるだろ。あっ、涙が……。指でぐっと拭い、そのままの勢いでドアをガラッと開ける。

「ということで、新入りです」

「は?」

「え」

 驚きの声が二つ。ドアの向こうには、一人の少女。黒髪をおさげにした、顔立ちは少し幼げな少女。身長は俺の胸から肩ぐらいと、女性の中では若干高め。

「ごめんね〜待たせちゃって」

 灰原が彼女に手を振る。と、無表情のまま振り返した。可愛いな。

「千鳥?」

「お前知ってたのかよ!」

 雨森と鬼灯に詰め寄られる灰原。彼女が知ったのも今朝のことだ。俺が渡したUSBには、入隊申請に使うデータが丸ごと入っていた。そこには勿論、彼女の個人情報が含まれている。不備がないかのチェックと、教務課への提出を頼んでいたのだ。

「じゃ、自己紹介」

 このまま驚くばっかで放置しておいては話が進まないので、先を進める。手招きすると、足音もなくスッとこちらに近寄ってきた。

「元一年四班、速水静香(はやみしずか)です」

 ぺこりと礼をする速水。膝丈のスカートが微かに揺れる。膝さえ容易に見せないその姿勢は、淑やかと称して過言ではないだろう。

「四班っていやぁ、この前素行不良で退学になったやつがいたな」

 特殊消防官は職業の性質上、肉体派が集う。その中には、所謂不良と呼ばれる人種がいることもあり、度々退学者が出る。

「最初はお前かと思ったわ」

「俺も」

「いやそこは否定しろよ……」

 変なところで素直な鬼灯に、力が抜ける。そんな馬鹿な会話をしている男達を放って、女子連中が早速コミュニケーションを図っている。

「来てくれてありがとね。私は灰原千鳥。こっちがーー」

「雨森雫」

「そ。で聞きたいんだけどーー」

 灰原を中心に会話が始まる。出身地から好きな食べ物、休日の過ごし方まで、話題をポンポン投げていく。やはりコミュニケーション能力の差か、手綱を握るのは灰原だ。

 対して速水は、相槌や返答を返すものの、自分から聞き返したりはしない。雫に至っては、そこにはいるものの、ただ頷いたりするだけで、全然会話が出来ていない。あいつコミュ障だからなぁ……。この小隊でも、まともに会話出来る相手って、幼馴染の鬼灯だけじゃねぇか?

「灰原。そろそろいいか?」

「うん。大体わかった」

 俺が声をかけると、会話の輪があっさりとバラけた。談話室も使用時間が決まっている。時計を見ると、あと一時間ぐらいしかない。

「じゃ、速水はそこに座って」

 灰原と一個挟んだ椅子に座らせる。俺は再びミラーリングを始め、スライドを表示した。

「新メンバーが来たことで、五人編成が組めるようになった。これを見てくれ」

 スライドを捲る。そこには速水を含んだ、新しい編成が図示されていた。これが一番悩んだところだ。

「前衛は俺、鬼灯。遊撃が速水。後衛が雨森と灰原だ。雨森には正式に機関を兼任してもらう。勿論鬼灯もだ。二人で機関の仕事を分担する形だな」

「つまりいつも通りってことか」

「そうなる」

 前から自然と分担する形になっていたのを、今回明確にしただけだ。だがこれをするしないで、現場での動きは変わってくる。

 ーー特に、不測の事態への対応が。

「うちの装備は鬼灯が見てくれてる。速水も頼むといい」

「うん」

「雨森がやるのはそれ以外。運転とか通信だな」

「よろしく」

「よろしくお願いします」

 おっ、雨森から挨拶したぞ。一応自分から関わろうと言う意思はあるみたいだ。速水は丁寧にお辞儀を返す。

「で、その他諸々は灰原に聞いてくれ。人生相談から恋愛相談まで、何でもこなせる」

「わかった」

 灰原にもペコリと会釈をする。やはり何処か浮世離れした雰囲気。この子も変わった子だなぁ……。

 一先ず、今日の目的はここまで。校内模擬戦まであと一月しかないが、精神的な疲れもあるだろう。今日はゆっくり身体と心を休め、そして受け入れてもらおう。

 パンパンと手拍子を打つ。

「じゃあ今日はここまで。解散!」

 解散宣言と同時に、鬼灯が猛ダッシュで走り去っていった。時々妙に背筋が伸びたりしてたし、小便でも我慢してたのか?小学生かよ。

 その後に、猫背の雨森が出て行く。さてあとの二人はまだかと見ると、彼女らは小声で何やら話していた。なんだろう、悪口かな。

「二人とも。鍵閉めるから」

「あっ、ごめん。ーー静香ちゃん、また後で」

「うん」

 灰原はそそくさと出ていく。一緒に行かないのか?速水もスタスタと何も言わず出て行った。

「後で、か……」

 いや友達作る天才かよ。流石灰原だな。


 ***


「ダァッ!」

 裂帛の気合いと共に踏み込む。

「ふんっ!」

 肩口へ向けて放った渾身の袈裟斬りは、しかし下から強引に打ち上げられて逸される。

「っらぁ!」

 腰が浮き、死に体になるところを、爪先で地面を蹴り上げることで勢いそのままに倒れ込み、打ち下ろしの反撃を避ける。受け身を取り、間合いから逃れるべく更に飛び込み前転。立ち上がりに合わせ踵を返し、追撃を警戒して足元を刈る。

 空を斬る一閃。

「はっ!」

 頭上から笑い声。受けるか避けるか一瞬迷う。

「りゃぁ!」

 迫る一閃。

 刀身で防御しようとするも、踵が地につき、振り切った腕を引き戻すのが間に合わない。

 ドッッッッ

 後頭部に痛烈な一撃。防火ヘルメットの上からでも防ぎ切れない衝撃に、意識が飛びそうになる。

「ぶっ」

 地面に崩れ落ちる。勝負あった。

「おーい、生きてっか?」

 強引に脇から抱え上げられ、起こされる。あの、もうちょっと休ませて?こちとら意識飛びかけたんよ?

「……死んでたまるかよ」

 足に力を込め、身を捩り振り払う。

「そーかい」

 肩に担いだ棍棒を弄びながら、鬼灯がヘルメットを取った。俺もよろめきながらヘルメットを脱ぐ。

「クソッ!」

 地面に木刀をぶっ刺す。反動が手を痺れさせるが、それさえ自分の弱さを際立たせるようで苛ついた。

 一年後期になって始まった、近接戦教練。前期までの一般消防訓練とは異なり、より特殊消防らしい訓練となっている。使うのは木刀や棍棒、棍といった非殺傷武器だが、身に纏うのは防火服とヘルメット。一歩動くのさえ一苦労するそれで大立ち回りするのだから、疲労は通常訓練の比ではない。筋肉が軋みを上げるのを深呼吸で押し込め、同時に湧き上がる悔しさも飲み込む。

「なんでそれでジャンプできるんだ?」

 少なくとも、俺の足刈りが当たらない高さ、四〇センチぐらいを跳んでいた。助走があったとはいえ、防火服でその跳躍は俺では無理だ。

「ンなもんやろうと思えばできんだろ」

 鬼灯は当然とばかりに言う。恵まれた体格とその運動神経から、こと前衛としては類い稀な才能を持つ男だ。

「どうする。今日はもう終わりか?」

 こちらを心配するフリをしているが、目の奥は笑っている。煽っているのだ、こいつは。

「は?今のは準備運動だバカタレ」

 ヘルメットを被り直し、構える。今日をこいつの命日にしてやる。

「そうこなくっちゃなぁ!」

 俺達は時間が来るまで、ひたすらに剣を振り合った。

 そして俺は、医務室に運ばれた。


 ***


「身体は平気?」

 昼休み。いつも通り手製のおにぎりを頬張る俺に、灰原が近づいてきた。手にはサンドイッチが握られている。俺が医務室送りになった時、こいつも同じ場で授業を受けていたのだ。

「平気じゃねぇよ」

「そこは強がりなさいよ」

 そんなこと言われても痛いもんは痛い。訓練なので当然とはいえ、対人それも同じ小隊メンバーに、容赦なく急所攻撃が出来る鬼灯がおかしいのだ。

「あいつに躊躇いは無いのか?」

「無いから強いんじゃない」

 それを言われたらぐうの音も出ない。

 俺はまだ迷いが出る。一瞬が明暗を分ける近接戦で、その迷いは隙でしかない。考えて動いてちゃ遅いのだ。目で捉えた瞬間、音が聞こえたその時に動き出さなければ、敵を倒すことも、守ることも出来ない。

「そういやこの前」

「ん?」

 ふと気になっていたことを思い出した。

「打ち合わせの後さ。速水と何話してたんだ?」

 二人はあの場がほぼ初対面だった筈。様子からして人付き合いが苦手そうな彼女が、灰原と何をしていたのか。気になって夜しか眠れなかった。

「ただの雑談だよ。虎徹と雫のこととか、賢一のこととか」

「……変なこと言ってないだろうな」

「どんな?」

「いやどんなって言われても」

 改めて考えると、聞かれて困ることはほぼ無い気がする。性癖は昨日大開示しちゃったし。

「あの子も不安なんだよ。前の小隊は空中分解。新しく入ったはいいけど、うまくやってけるか」

「まぁ、そりゃそうだろうな」

 新しい環境には、誰しも少なからずの不安がある。急に行き場が無くなったことで、やむなく入ったところもあるだろう。

「まぁ、俺じゃあその辺無理なんで頼むわ」

「協力はしてよ?」

「勿論」

 話のネタにされたり弄られたりなんてのは日常茶飯事だ。それで小隊が纏まるなら安いもんよ。

「じゃあ次集まるとき女装してきて」

「絶っ対やだ!」

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