お母様は幸せな方だ。
お母様は幸せな方だ。美しい金髪、白磁の肌に空色の瞳。その美しさは国中の女性達の憧れだ。
お母様は幸せな方だ。その生まれ持った地位と素質で、国中の女性の中で最も高い地位にいる。
お母様は幸せな方だ。幼い頃から恋していた、王であるお父様と結婚できたのだから。
お母様は幸せな方だ。生まれた時から公爵家の姫として、蝶よ花よと育てられたお母様は、おっとりとしたご気性で。みんなに好かれている。
お母様は幸せな方だ。結婚して早々に、僕という子供を得られたのだから。お祖母様は中々お子が出来ず、お祖父様は側室を二人とっている。けれど、お父様は正妃であるお母様だけだ。
「結婚する時に、妻は君一人だ、って言ってくれたの」
そう頬を染めて、恋する少女のような表情で僕に打ち明け話をしたお母様は本当に幸せな方だ。
僕は知っている。僕はお父様にとても似ている。見た目も、その性質も。
だからきっと、僕はお父様のように王たる資質があるのだろう。
お父様に似た、僕は知っている。僕の部屋の本棚の隠し棚が宝箱になっているように。
お父様の執務室の袖机は、二重天板になっており、その空間がお父様の宝箱なのだ。
そこにお父様がたまに大事そうに持って無表情で眺めている、花の刺繍が入ったハンカチが入っているのも知っている。その他には、小さい女の子が好みそうな艶やかな宝石付きのリボン、若い女性に贈るのに丁度良さそうなアクセサリー。一番奥にはおもちゃみたいな指輪とたくさんの手紙が入っている。
僕にとって重要なのは。
僕がそこを見つけた三歳の時から、或いはそれよりも随分と前から。その宝箱に、お父様の宝物は増えていないということだ。
お父様に似た、僕は知っている。感情を乗せない、幸せそうな顔というものは作れる。
お母様と接する時のお父様は、いつも他の人に見せる顔とは違う。いつも、柔らかく笑っている。まるで愛おしいものを見るかのように、|そう周りに見せるように《・・・・・・・・・・・》、笑っている。
その目の奥が無機質なのにはきっと、僕以外も気付いている。お母様は幸せな方なので、きっと考えもしないけれど。
お父様に似た、僕は知っている。僕らは好きなものにはとても執着する。
それ以外は全てどうでも良いのだ。
だから、お母様が幸せそうに語ってくれた言葉の真意は。「あの子が手に入らないなら、君でも他の誰でも変わらない。だから側室は必要ない」だと思うのだ。
誰だかは知らないけれど、きっとその子の物が宝箱に詰められているのだろう。あの中のどれもが、お母様の気配を感じさせない物だったから。
お父様も、僕がご自分に似ているということを僕以上に感じているようで。
「大切な者には、大切であることを伝えなくてはいけない」
「相手が察してくれていると勝手に思ってはいけない」
「機というのは儘ならない。だからこそ、伝えられる時には好意を示すことだ」
折に触れてこのような事を繰り返した。
お父様に似た気性の僕は、好意を伝えるのが苦手だ。
一目惚れした侯爵家のご令嬢を婚約者にしてもらったのに、会えば表情が凍ってしまう。彼女以外にはどうとでも振る舞えるのに、彼女にだけ、一番嫌われたくない彼女にだけ、緊張のあまりに表情は凍ってしまうし口も縫いつけられてしまう。
それでも、彼女は僕を慕ってくれた。何度傷つけてしまったか分からない位だけど、彼女はいつも僕に歩み寄ってくれた。嬉しかった。彼女に愛されているのだと。
だから、どうやら僕達が不仲だとか貴族達は囁いたけれど、そんなことで僕達は揺らがないと思えた。
「愛というものは永遠ではない」
僕に似たお父様が恋や愛について重々しく語るのを、驚きつつ耳を傾ける。
「男女間の愛というものは一方通行ではいつか枯れる。真実、両想いだとしても、それが分からないのであれば、枯れてしまうのだ」
まだ声変わりをしていない僕とは全く違うお父様の声に、微かに後悔が滲む。
「私に似ているお前には、話しておこう」
そう言って聞かされたお父様の話は、背筋の凍るものだった。
お父様には、幼い頃から婚約者がいた。僕と同じように一目惚れして婚約者に据えてもらった、伯爵家の御令嬢だったのだとか。
とても可愛く、控えめで、厳しい妃教育にも一生懸命な婚約者。けれど、お父様も僕と同じように本当に好きな子に対してはとっても不器用で。笑いかけることはおろか、まともに目を合わせることすらできなかったらしい。
彼女の髪に映えると思って買ったリボンも、妃教育で講師に褒められたと聞いて用意したブローチも。学園入学前に彼女に身につけて欲しくて制服に似合うデザインにしたペンダントも、彼女を思って書いた手紙も。
渡せずに、お父様の宝箱の中にしまってあるのだとか。
ご自分の制御できない感情が煩わしく、彼女が好きなのに遠ざけてしまって。
でも、お父様は彼女が自分から離れることはないと思っていた。
実際、彼女はどんなに傍目から見て冷遇されてもお父様の婚約者として立ち続けた。学園に入学してもお二人の関係は変わらず。
お父様の目には、お二人の前途は明るく映っていた。
雲行きが変わったのは、最終学年のこと。
お二人と同学年に編入してきた、聖属性に強い特性を持つ平民の少女。聖女候補として神殿の後ろ盾を持つ彼女が入学する前に、王太子だったお父様は、王であるお祖父様の密命を受けた。
当時、神殿は王家と対立関係にあり、聖女の威光で神殿の権威を高めることを目論んであるようだった。
少女自身も、神殿に利用されているだけでなく、現在も敵対関係にある隣国と通じているかもしれない。
少女の尻尾を掴み、国の憂いを晴らすこと。これは王太子の課題であり、また婚約者のご令嬢の王太子妃としての資質を問われる試験でもあった。
少女が編入して暫く経つと、少女は次々と有力貴族の子息達を籠絡していった。初めは反感を覚えていた女子生徒達も、徐々に少女の信奉者となっていく。
お父様はそれを不気味に思い、少女と直接接することを避け、少女を信奉する中で最も力のある家の者に近付いた。
つまりはお母様だ。お母様の好意を利用し、お二人は傍目からはどんどん距離を縮めていく。
心にも無い愛を囁けば、お母様から情報を得るのは容易かった。お父様に婚約者のご令嬢が冷遇されている、お二人には愛は無いという噂も、調査の過程では追い風となった。
あと少し、卒業式前には漸く聖女を騙る愚か者を断罪し、悪事に与する者達を一網打尽にできる。そして卒業すれば、婚約者と婚姻できる。お父様がお祖父様から密命を受けた時に提示した条件が、卒業後すぐの婚姻だったらしい。
この時期のお父様は、側近候補が少女に籠絡され仕事量が倍増し、婚約者の御令嬢とはろくに会えないのに毎日お母様の機嫌を取り、執拗に迫ってくる聖女もどきを避け続け、大変お疲れだった。
だからこそ、婚約者の御令嬢との定例のお茶会は癒しだったそうだ。お母様と関係を深めれば深めるほど、お父様の婚約者はお母様に代わるという噂が広まれば広まるほど、婚約者のご令嬢の顔は憂いを帯びた。
困難な状況でも王太子を支えること、それが王太子妃になる者の勤めだ。
そのためご令嬢には密命のことは知らされていなかった。その時のお父様は知らせる必要すら感じていなかったのだとか。
だってその方は、お父様を愛していたから。二人の間の愛をずっと信じてくれると思っていたから。
ご令嬢が憂うほど、お父様は嫉妬してくれているのだと安心した。お母様に情なんてかけらもないけれど、ご令嬢の好意を量るのに、お母様はいい指標だったらしい。
聖女を騙る少女は、魔障を帯びた石の粉末から魅了薬のような物を作り、それを摂取させることで信奉者を増やして言ったらしい。少女と薬物作りに加担していた神殿関係者と貴族達は捕縛したが、隣国との関係を窺わせていた者共は消されてしまったため、隣国には外交ルートで遠回しに抗議するに留めたのだとか。
多幸感が得られ、中毒性も併せ持つというその薬物の影響は、学園全体に広がっており、学園は一時休校となった。
一息つく前に、お父様は婚約者のご令嬢の屋敷に行く。卒業後すぐに婚姻することを漸く伝えられるからだ。
彼女は喜んでくれるだろう。そう思って訪ねたご令嬢の家で、義理の父となるはずだった者から聞かされたのは思いがけない言葉だった。
「『娘はここにはおりません。昨日陛下に婚約解消の旨伝え、ご了承いただきました』……それを聞いた時、全身の血液が冷えた後沸騰するような怒りを感じた。けれど何を言っても、あの娘への愛をいくら叫んでも、伯爵は『娘は今まで殿下に全てを尽くしてきました。それを無下にし続けてきたのは殿下です。もう、娘を解放してください』と頭を下げるばかりでな」
お父様は昏い目をして呟いた。
学園での窮状を嘆いた婚約者、いやその時点で元婚約者のご令嬢は。心を壊し、しかしお父様とお母様のことを思い、身を引こうとしていた。
けれどこのままではあらぬ疑いをかけられて、家族にも害が及ぶ。実際、学園では彼女をこき下ろすような、ありもしない罪で彼女をとがめるような噂ばかり流れていたらしい。なんでも、お母様に対する嫉妬で身を焦がして嫌がらせをしているとか命を狙っているとか。
家族や領民を想ったご令嬢は、世を儚もうとした。
それを止めたのが、ご令嬢が幼い時に街で拾ってきた元奴隷のエルフ。彼はご令嬢を連れて失踪した。
消えてしまうくらいなら自分と一緒に幻と言われるエルフの里を探して欲しい。この地から消えるという意味では一緒なのだから。
元奴隷のその願いを聞き届け、ご令嬢は彼と共に生きることにした。
ご令嬢の家族も、学園でのことのあらましを聞き絶句する。婚約解消しても、彼女はこの国では生き辛いだろう。そう悟った家族は、二人が旅立つのを許した。
お父様が屋敷に行った、まさにその日のことだったらしい。
怒り狂ったお父様は、お祖父様に猛抗議する。密命は果たした。それなのに約束が果たされないではないか。
言い募るお父様に、お祖父様は冷たく言い放つ。
「『この程度で心を壊すようでは王太子妃の器はない。それに、お前はあの伯爵令嬢ではなく、例の公爵令嬢と懇意ではないか。城まで伝わってきているぞ』……父上には彼女と懇意にする理由も報告していた。父上は、私にとって彼女が路傍の石であることも理解していた。……公爵家と縁を得た方が、私の治世に利するとも、勿論」
そう言うお父様の口調は苦々しい。
元婚約者のご令嬢と婚約を解消しても、お父様は何かと理由を付けてお母様との婚約を仮のものとした。時間を稼いで、秘密裏にご令嬢を探させていたのだ。
そして幾月か経った時、お母様との通信で偽りの愛を囁いていたお父様の元に、突如ご令嬢が現れる。遠隔地を水鏡で繋ぐことができるエルフの秘術なのだとか。唖然とするお父様の眼前で、ご令嬢は珊瑚のような唇を開いた。
『殿下がわたくしをお探しと聞き参りましたが、どうやらお邪魔のようですね。ですが最後にご挨拶を。殿下、お慕いしておりました。殿下のお心がわたくしに無いと分かっていながら、その座に長らく居座り続けてしまったこと、お詫び申し上げます。殿下の婚約者として隣に立てた十余年、幸せでございました。わたくしは、わたくしの幸せを見つけられそうです。それでは、ご婚約者様と素晴らしい御代を創られますよう、陰ながらお祈りいたしますわ』
見事なカーテシーを見せ、ご令嬢の体が光を帯び揺らぎ始める。
お母様と通信中だと言うことも忘れ、お父様は「待て!」と声を張り上げご令嬢に手を伸ばしたが、ついぞ届くことはなかった。元婚約者の姿は光の粒のように霧散し、最後に身につけていたのだろう指輪だけが残された。
震える手で、指輪に手を伸ばす。それは、お父様が元婚約者のご令嬢に唯一できた贈り物。
式典などの都度、ドレスや装身具の贈り物は欠かさなかったが、儀礼的でない贈り物はこれだけなのだとか。一度だけ行ったお忍びの城下散策で、露天で彼女が熱心に見つめているからと与えた、安物の指輪。
彼女が旅立った時、検分した部屋には王太子の婚約者として贈ってきた数々の物が残されていたが、この指輪だけが見当たらなかった。だからこそ、お父様はご令嬢の気持ちがまだ自分にあると信じていた。
けれど、その指輪すら、手元に戻ってきてしまった。それにご令嬢のあの言葉。『お慕いしておりました』。
過去形となった愛の言葉は、彼女がもう自身に心を残していないのだという事実を突きつけた。
「最後の瞬間まで、私は自分の愛をあの娘に伝えることができなかった。好意も、婚約に対する熱量も、渇望も、あの娘には何一つ伝わっていなかった。傲慢にも私は、言葉にせずとも、行動に移さずとも、あの娘は私を愛し、理解し、共に生きてくれるものだと信じきっていた。幼き頃、あの娘の目には私への愛が確かに宿っていた。けれど最後に見た彼女の瞳には、まるで熱量が無かった。そこで漸く私は理解したのだ。愛というものは、永遠では無いのだと」
言葉を発せないでいる僕に、お父様は続けた。
「私とあの娘との間には、きっと愛があった。だが私はその愛の花の上に胡座をかき、水を与えなかった。私の花は枯れてしまった」
お前の花は大丈夫か。お父様の目がそう言っている。
「……お前は私によく似ている。きっと、それなりに善政を敷くだろう。このまま婚約を続け、学園を卒業した翌年には婚姻するつもりだな?」
話の展開に戸惑いながら頷く。
「お前が婚姻し、落ち着いたらすぐにでも王位を譲ろうと思っている」
まだ宰相にも伝えていないというその発言に、驚いて目を見開く。お父様の在位は未だ10年足らずなのに。あまりな内容に、表情が動いてしまった。
「……私はまだ、あの娘を諦めてはいない」
だから私のためにも、お前の花を枯らすなよ。こぼれ落ちた小さな呟きが全てだろう。
目の前のこの人は、きっと最愛を失った時の僕の未来だ。
僕を見ているようで虚空を見つめる仄暗い瞳に、執着の炎がゆらゆら揺れていた。
過日の愛と執着を取り戻すために、お父様は身分と契約を切り捨てたいらしい。何も知らないお母様は病に伏すこととなるのか、馬車の事故が起きることになるのか。
未来のことなど露ほども悲観していないお母様は今日もゆったりと微笑んでいる。
やはり、お母様は幸せな方だ。
初投稿です。
ジャンルが異世界恋愛なのかヒューマンドラマなのかその他のその他なのか分からないのです...。




