新入生の皆さん、今年だけの新ルールです
学園終業の夏のパーティーで男爵令嬢を虐めていたと断罪された公爵令嬢が夏休みの間に修道院に送られた。第一王子の婚約者でもあった公爵令嬢は最後まで『恥じるようなことはしておりません』と凛とした姿を見せていた。
夏休み中にある建国記念日で第一王子の立太式が行われるはずだったが中止され、王太子選定からやり直されることになった。
長い夏休みが終わり、第一王子の最後の学園生活が始まった。
中庭の芝生の上。垣根の側で目の保養になる者たちが座り寛いでいた。
「第一王子のぉ~、立太式がぁ~、なくなるぅなんてぇ~」
ピンクがかった金髪を揺らし可愛らしい容姿の女性キセラが容姿端麗な男性の腕に胸を押し付けながら不満そうに呟いた。
「仕方がない。婚約者を止められなかった責が私にはある」
第一王子であるフィラルムドイ、フィルは腕に抱きつく女性を愛しそうに見つめながら苦笑いを浮かべた。
「退場したくせにまだ殿下の足を引っ張るなど」
忌々しく言いはなったのは騎士団副団長の次男ルーマだ。
「まったく、あれで令嬢の中の令嬢と云われていたのですから」
下がってもいなかった眼鏡をクイっと押し上げて、宰相の長男ヤンダが呟いた。
「最後に詫びていたのなら可愛げもあったでしょうに」
祭司の息子イハテははあとため息を吐いた。
「今年一年、成果を出して認めさせるさ」
フィルは熱く語った。もう一度皆に認めさせすぐに王太子になってみせる、と。
「選択、どれにする?」
「決めんのまだ再来週だろ」
まだ幼さの残る声。昨日入学したばかりの新入生たちだ。
区切るようにある垣根の反対側に新入生たちがいるようだ。
フィルたちは顔を合わせ頷きあった。新入生たちの見本になろう、と。
「ところでさ、知ってるか? この学園の新ルール」
「あぁ、あの方々にまともなことを言ってはいけない、だろ」
フィルたちは首を傾げた。そんなバカなルール、聞いたことがない。誰かが新入生たちに嘘を吹き込んだのか?
間違いは正さねばならない。上級生として下級生をしっかり導いていかなければ。
フィルがキセラから体を離し、立ち上がろうとしたが動きを止めてしまう。
「まともなことを言うと断罪されて処罰されるんだろ」
「そうそう、マルタ様のように」
フィルたちは再び顔を見合わせた。意味が分からない。
マルタが断罪されたのはちゃんと理由があってのことだ。決してまともなことを言ったからではない。そもそもまともなことを言ったら断罪され処罰になるとは秩序も何もない無法国となってしまう。この国は断じて違う。
「今でも婚約者でもないのにべったりとくっつきあってるんだってさ」
「えー、それ、婚約者とでも(周りから)引かれるやつじゃん。それにそれ、浮気だろ。公然としてたの? みっともねー」
「そう。それを注意したら嫉妬でみっともない、女の方からは虐められたと騒いだらしい」
「当たり前のことじゃん。俺、そんなことしてたら浮気者って婚約者や親からメッチャ叱られそう」
フィルはキセラが抱きついていた腕を見た。キセラの弾力のある二つの膨らみの間についさっきまで自分の腕があった。
今、フィルには婚約者はいない。けれど、婚約者がいた時からキセラは誰にでもこんな親しげな態度だった。それをマルタから何度か注意されたが…、平民としての生活が長かったキセラだから仕方がないと思っている。確かに貴族として暮らしていくならキセラももうそろそろ直さねばならない態度ではある。
キセラは誰のことを言っているのか分からないようで動きを止めたフィルを不思議そうに見ている。
「でな、マナーもなってなくて注意したら」
「知ってる、知ってる。貴族になって間もないからって庇うんだろ。けどさー、生まれた時から貴族じゃなかったからって、幼児よりマナーが出来てないのも恥じゃねぇ」
フィルたちは心当たりのある言葉に目を游がせた。けれど貴族のマナーは複雑ですぐに覚えられるものではない。それにキセラは幼児よりはマナーが出来ているはずだ。
キセラはまだ自分のことを言われていると分からずに周りの反応にキョトンとしている。
「そうそう、覚えられないんなら、貴族、止めたらいいのに」
「覚える気ないんじゃない? 幼児じゃないんだから覚えようとしたらすぐだろ」
「バカにされたら必死で頑張るけどなー」
「負けたくないヤツに言われたら特にな」
「やっぱ覚える気、ないんじゃねぇ」
幼児じゃないんだから…
覚えようとしたらすぐに…?
必死で頑張る…?
キセラは幼児ではない。昨日から最上級生になった。
キセラは無理だとすぐ泣く。難しい、出来ない、と。
マルタに馬鹿にされたと泣いて縋ってきた。負けないように頑張るのではなく…。それがか弱く見えて守ってあげていたが…、違うのか?
フィルが視線を彷徨わせると同じように三人も困惑の表情をしている。
「かもねー。でもさー、マナーが出来てないのを連れて歩く方もどうかよ」
「だよねー、恥をくっつけるようなもんじゃん。自分もカッコ悪いよなー」
フィルは最近人が周りに来なくなったのを感じていた。いや、他の三人も同じ状態だ。パーティーとかに出ても挨拶に大勢の人は来る。だが、挨拶が済んだらすぐに立ち去ってしまう。マルタが隣にいた頃は誰もが少しでも長く話をしたがっていたのに。マルタと婚約を破棄したから気を使ってと思っていたが違うのか?
「そうそう、マルタ様が修道院に入ったのって」
「ああ、求婚が凄いんだってな」
「熟考するために修道院に避難させたんだってな」
その言葉にフィルは目が点になった。
マルタが修道院に入ったのは罪を償うためと思っていた。それが婚姻相手を決めるまでの避難だったとは…。
「そりゃそうだよな」
「主だった国の要人が挙って名乗りを上げているそうだぜ」
「血筋はいいわ、美人だわ、才女だわ、引く手数多になるわ」
フィルは手をグッと握りしめた。
確かにマルタは公爵令嬢で、美人であり、妃教育も終了している。妻にするには申し分のない者だろう。
だが、性格に問題があった。下位貴族の令嬢を虐める性悪だったのだ。
「反対にそんなマルタ様を棄てた…」
「ああ、評判、ガタ落ち」
「ねーちゃん、例のパーティーに出ててさー」
「片方の言い分しか聞いていなくて、裏付けも取ってなかったって話だろ」
フィルは自分の評判が悪いなど信じるわけにはいかなかった。
確かにキセラの言い分しか聞いていない。マルタの言い分など聞く必要ないと思ったし今もそう思っている。
「片方の言い分しか信じないヤツが上になったら怖いよな」
「ああ、地獄。気に入ったヤツの言葉しか聞かないってことだろ。気に入られなかったらどうなることやら。まぁ、閑職で残れたらいい方かな」
「だから、建国記念日…」
「無くなって良かったよー」
「贔屓しかしない頭なんかいらないよな」
フィルは固まった。新入生たちの言っていることが分からない。弱きを助けたはずなのにまったく評価されていない。それどころかフィルが王太子にならなくて良かったと喜んでいる。
「でもさー、昨日、見た?」
「見た見た。俺の妹よりマナーなってなかった」
「お前の妹って何歳だよ」
「この前五歳になった」
「五歳児より出来てないって…」
「そんなヤツを連れ歩いているって…」
「「冒険だよな」」
昨日の入学式にもキセラを伴った。マナーが不十分なキセラを上手にフォローしながら、上々の新入生歓迎の挨拶が出来たと思ったのに…。
五歳児の子供よりもマナーが出来ていない? そんなはずは無いだろう。五歳児のマナーならキセラでも出来ているはずだ。出来ているはずだよな?
「けどさー」
「なになに?」
「マルタ様を悪質な虐めをしたって断罪したんだろ」
「あー、そうみたいだな」
「あれを公然と連れ歩くのもそうなんじゃない?」
「言える、言える。どこに行っても何しても嗤われるだけだもんな」
「必要なマナーを覚えようとさせないというのも」
「「立派な虐めだよな」」
フィルはヤンダたちを見た。ヤンダたちも顔色を悪くしながらフィルを見ていた。
新入生たちの言うことも分かる。貴族社会で生きていくには礼儀作法も重要だということが。礼儀作法が出来ていないキセラ(それが新鮮で可愛いのだが)。難しい・出来ない・無理と言うから、強制して覚えるように言っていないが、貴族として生きるのならそれは…。
キセラは飛んで行く蝶々をじっと見ていて話を全然聞いていなかった。
「中止、だったよなー」
「ああ、延期じゃなくて中止!」
「じゃあ、先ないってこと?」
「あるわけないじゃん。筆頭公爵、怒らせたんだぜ」
「だよなー。昨日、元気だったけど本人気づいてない?」
「さあ、正義は勝つ! て酔いしれてんのじゃない? 負け組決定なのにさ」
「そうそう。強い後ろ楯ないんだし、余程の実績出さないと」
「で、今の様子じゃマイナスは増えてもプラスはなー」
「そうだよなー」
フィルの浮かしかけていた腰は完全に落ちた。ショックで力が抜けてしまったのだ。
マルタを諌められなかった失態で立太式が中止になったと思っていた。それが間違っている? 確かにマルタの実家である公爵の後ろ楯はなくしてしまった。けれど、それくらいで王太子になれないはずはないと思っていた。それが違う?
「公爵が手を引いたおかげで」
「色んなもん、ストップしたよなー」
「だってさー、あんな婚約破棄する方と契約したいか?」
「むーりー。いつ反故にされるか分かんねぇ」
「で、こっちが悪いと責められそう」
「そうそう、まともなこと通じないから」
「で、さ、ストップした事業を当てにしてた人たちが」
「「むっちゃ怒ってるらしいなー」」
フィルの背中に冷たいものが走る。公爵の采配で国のために様々な事業を立ち上げることになっていた。けれど、公爵が手を引いたためほとんどの事業が頓挫した。すでに動き出していた事業もあり、その負債は予測だけで侮れない額となっている。フィルにとっては頭の痛い問題であった。
「けど、あの川の…」
「治水のやつ? あれだけは何故か続行されてるな」
「あれ、頭下げて頼んだらしいぜ。それがなかったら、あの中途半端な工事の状態で中止されてた」
「えっ、正義に酔ってるあの方が?」
「違う、違う。マルタ様が命に関わる事業ですのでどうかって父親の公爵や関係者に頭を下げて回ったらしい」
「さ、さすが!」
「酔ってるあの方は続いて当たり前と思ってんじゃねぇの?」
「言えてるー。だって、あの方々にはまともなこと言えないからさー」
毎年氾濫を繰り返している川。あの川の治水工事をフィルが王太子になる足掛かりにする予定だった。公爵が関わっているのにあの工事だけが続いていることに何も疑問に思わなかった。自分の名で行われているからだとさえ思っていた。
工事が今も進んでいるのはフィルの力ではなく、新入生の言う通りだったら? その功績はフィルではなく…。
「周りにいる人たちも」
「婚約者が完全に見限ったって聞いたぜ」
「有能株が一気にお荷物か?」
「しゃーないじゃん、諌めることしなくて一緒に笑い者になってるんだから」
「まあ、まともなこと言ってもあの方と一緒で聞かなかったから」
「そうそう、マルタ様たちはまともなことしか言ってなかったのに」
「なんも考えずに断罪なんてするから」
フィルは三人を見た。三人は真っ青な顔をして固まっていた。寝耳に水の話だったようだ。
「なぁ、なんであの方々は廃嫡になんなかったんだ?」
その言葉に四人はビクッと体を揺らせた。廃嫡になっても仕方がなかったと知って背筋に冷たいものが走る。
キセラは新しい遊び? と思って四人が説明してくれるのをワクワクしながら待っていた。
「まだ何か使い道があるからじゃねぇ?」
「お手本にはなっているよなー」
「ああ、真似しちゃいけない見本にな」
「たぶん…」
ごくり、と喉を鳴らしたのは誰だったか。
「失敗する事業の責任取らせるためじゃねぇーの」
「あーあ、凄い損害になりそうだもんな」
「で、責任感じてるならこんなトコにいないで少しでもって奔走してるだろ」
「あの方々、断罪のせいでそうなった自覚ないからなー」
「(有閑夫人や富豪に)高値で売られるんだろうなー」
「だろうなー、見た目だけは特上だからなー」
「だろ、で、値を釣り上げるために」
「「学園は卒業させる」」
「底上げしないと買い叩かれるしなー」
「どうせすぐ剥がれるんだろうけど、メッキしとかなきゃなー」
「で、選択、なんにする?」
「やっぱまともなことが言える授業かな」
「だよな」
昼休み終了のチャイムがなり、新入生たちの声が遠ざかっていく。
「フィル、ルーマ、ヤンダ、イハテ、チャイム~、なったよぉ~」
キセラが屍と化したフィルたちに声をかけていた。
「じゅぎょぉ~、おくれるよ~」
誤字脱字報告、ありがとうございますm(__)m