1-7 首狩り
先ほどまで暢気に感想をもらしていた久徳の姿は消え、代わりに十メートルは離れて立っていたはずの黒い能力者が立っていた。
右腕を軽く肘のところで曲げ、真横に伸ばし、ラリアットを放ったかのような体勢で立っている。
初めて黒い能力者の至近距離にいることで、彩里はその赤くぼやける能力者がとてつもない熱を放っていることを知った。触れずともヒリヒリと皮膚をあぶる熱気が、黒い能力者が人が耐えられる熱を遥かに超える高熱を身に纏っていることを物語る。そして──。
「首狩り……加速能力者……」
自分が追い回されていた数刻の経験から、一瞬にして久徳をおそらくは腕を首に当てることで吹き飛ばした現状から、その二つの憶測が合致する。
加速能力者──その名の通り加速に特化した超能力だ。拳はショットガンよりも鋭く、蹴りは居合切りよりも速く、跳べども走れども常人はこれを目にすることもできない。黒い能力者に至ってはその速度は音速を遥かに超えていた。
しかし黒い能力者の加速能力は不完全であった。
高速で大気中を進めば、相対的に吹き抜ける風によってその表面温度が奪われていく。そしてさらに速度を高めると空気との摩擦により表面に熱を帯びていく。
隕石が熱を持って飛来し、流星が燃え尽き塵となって消えゆく様に。音速を遥かに超える加速能力による摩擦熱は隕石の比ではない。
本来、加速能力者はそんな能力の副作用から身を守るために、超能力そのものとも遜色ない特異なスキルを身につけている。
発火能力者が自身を燃やすことなく、発電能力者が自身を感電させることがないように。加速能力者は加速による温度変化や抵抗摩擦や圧力による身体負荷を受けないのだ。
それは体が強化されているからではなく、能力者が能力と共に知らず併発している物理現象への干渉だ。通常副作用として併発しうる弊害を、物理現象を捻じ曲げることで回避している。
黒い能力者にはそのスキルが欠落していた。圧力に関する物理干渉は働いているが空気摩擦に対する物理干渉は働かない。
加速能力を使えば使うほど空気摩擦によって高熱を纏っていく。それは害でしかない副作用だったが、黒い能力者はその身に対摩擦、耐熱仕様の装具を纏うことで副作用を高熱能力へと昇華させていた。
そうして黒い能力者はその高熱を帯びた高速の腕で、ビニールテープを焼き切るように首を刈り取る。そんな一撃を不意に食らっては、いや例え構えていたとしてもそれを食らうことは直結して死を意味する。
目の前で起きた出来事に彩里は絶句する。
自分が巻き込んでしまった。単なる偶然だったとしても、自分がここにテレポートしたことが原因になってしまった。
もう彩里に逃げる気力は無かった。
自分のせいで久徳を巻き込んでしまった、死なせてしまった。そんな自分だけが生き残ろうと藻掻くことなど出来るはずもない。
彩里は自分の死を覚悟し、黒い能力者をまっすぐ見据える。
夜闇の住宅街、先ほどの衝撃でセミも全て飛んで逃げてしまったのか、辺りを静寂が包む。
そんな中、彩里が見据えた先の黒い能力者は依然として、彩里に背を向けたまま立ちすくんでいた。
黒い能力者は、彩里以上にこの現状に驚いていた。
軽く腕を動かして調子を確認する。それは超加速した高速の腕だ。それは高熱に発熱した腕だ。高速不可避の攻撃に偶然居合わせただけの久徳が対処できるはずもない。
当然、防ぐことも躱すこともできない久徳はなすすべもなくハンドボールの様に打ち飛ばされた。そこが黒い能力者には引っ掛かる。
打ち飛ばされる?
そんなことは今までなかった。
黒い能力者の振るう高熱高速の腕は、ハンダゴテを当てられたビニールテープのように相手の首を焼き切る。
正確には消し飛ばす。高熱によって融点も沸点も発火点をも超えて灰と化した首は、高速によって生じる衝撃波で吹き飛ぶ。
残るのは首との接合面が焼き焦げた体と頭。だるま落としのように間にある首だけがそこから消し飛ぶのだ。
――なのにどうして。
久徳はその場にいないのか、首どころか、頭も、体も影も形も消えていた。
そのありえない状況に黒い能力者は驚いていた。そして久徳が吹き飛んだ方向へと視線を向ける。
そこは三〇メートルは離れているT字路になり、コンクリート塀が住居を守っている。
しかしその清閑と立ち並ぶ住宅を取り囲んでいるはずのコンクリート塀には、砲丸をぶつけたように大きなヒビが入っていた。ヒビだけではなく一部分は大きく欠けて、数個のソフトボール程度の大きさのコンクリート片が堕ちている。
周囲を砂煙が取り囲む中、砲丸のように塀に衝突した久徳がゆっくりと立ち上がった。