1-6 遭遇
人生そう都合良くはいかないもので、予想よりも早くバス停についた久徳は、予想外に早く出発したバスを見送っていた。
(なんで今日に限って早いんだよ……つうかいくら早く着いたからって出発すんのはおかしいだろ。時間通りにしろよなぁ)
久徳はぶつけるところのない怒りを収め、落胆しながら長い帰り道をとぼとぼと歩く。
夜とはいえ夏の暑さは収まることはなく、歩く久徳の顔を汗が滴る。買溜めたタンパク源がずっしりとその手に重く、足取りはさらに重くなる。
帰路を行く久徳は豪邸の立ち並ぶ住宅街を歩いていた。
閑静な住宅街は誰も住んでいないかのように静まり返り、夜の闇に沈み、街灯の下だけが煌煌と照らされている。
住宅街を歩く久徳は大きな十字路ヘと差し掛かった。
その時、前方の十字路を照らす街灯の下に忽然と人影が現れた。その人影は今まで全力疾走してきたかのように膝を折り胸に手を当てて荒い呼吸を整えている。
「なん、だ……?」
久徳は驚いた。
少女は横道から現れたわけではない。目の前の街灯の下にまるで瞬間移動してきたかのように突然現れたのだ。
(テレポート……? あいつ能力者だったのか)
久徳が驚いたのは、目の前に起きた超現象にではない。
そんなことは久徳にとっては驚くことではない。超能力なんて珍しくない。久徳にとっては小さい頃から身近にあるものだったし、そんな能力者にも幾人も会ったことがある。そんなことではなく──
「彩里?」
久徳は目の前に現れた少女――天花寺彩里に声をかける。
「!?」
彩里はその声に驚き、ゆっくりと顔を上げ、そして硬直した。
他人に見られてしまったということが相当なショックだったのだろう。そしてさらに驚かせたのは声の主が自分の知り合いだったということだ。
久徳に自分が超能力者という超能力者ということを知られてしまっては、今までのように顔を合わせられないかもしれない。
超能力者とは珍しくはなくとも、異質であることには他ならない。人とは、未知であること、自分が理解できないことを忌避するものなのだ。
「慶兄ぃ……」
彩里の胸は重圧がかかったように苦しくなる。切実に普通の日常を願った少女はそれが壊れていくことに平静を保てない。
しかし、彩里が今考えるべきことは別にあった。
──ドシャン。
突然静寂に包まれた住宅街に衝突音と炸裂音の混ざり合った衝撃音が鳴り響く。
久徳から十メートル離れた場所、道路中央に小隕石が落ちたような衝撃波と共に一人の人物が現れた。
黒いライダースーツにスモーク入りの黒いフルフェイスメット。全身黒ずくめのその人物は、輪郭だけがぼやけるように赤い光をまとって夜闇に浮かび上がっている。
彩里はようやく今危惧すべき問題に思い至る。それは、自身が追われていることでもなく、日常が壊れていくことでもなく、自分の引き連れた危機が久徳の日常を壊してしまうという危惧だ。
黒い能力者は、一〇メートル離れた位置から新たな登場人物を観察するように動かない。
その能力も、顔もわからないが、ひとつだけ彩里に分かることがあった。黒い能力者も彩里も、他の超能力者がそうであるように自分が能力者だと人に知られないように生きている。
万が一知られた場合、そのままで良し、とはしない。彩里ならその土地から離れ新たな生活を始めるだろう。しかしそんな平穏な選択肢を持たない者もいる。
そして彼らは自身が目撃者の前から消えるではなく、目撃者を自身の前から消すことを選択する。彩里には目の前の黒い能力者がそういう類の人間だと直感的にわかる。
──自分の敬愛する久徳が狩られてしまう。
そんな恐怖が彩里の頭を埋め尽くす。
久徳を連れてテレポートできればこの窮地は脱っせられる。すぐにまた追いかけられるだろうが、追いつかれるまでの数秒のタイムラグで安全なところへ、戦場から逃すことはできるかもしれない。
だが、彩里にその選択肢はなかった。
彩里は他の人と一緒にテレポートできるほど、その能力を使いこなせないのだ。全力時で小さな子供を連れることが出来る程度だ。
おそらくは今この時にでも瞬間的に人を殺せるだろう人物を前に為すすべもなく、彩里はただ声も出せずに愕然と見守るしかなかった。
「なんだ? あいつ。こんな真夏にライダースーツってバカじゃ──」
愕然と動けない彩里を尻目に、暢気に感想をもらそうとした久徳だったが、その言葉を言い終わる前にその言葉は狩り取られた。
一瞬にして久徳の姿は消え、代わりにその場を占領するのは、熱気を放つ黒ずくめの襲撃者だった。