1-5 買い物
久徳慶守は悩んでいた。
学校帰りに訪れた全国にチェーン展開する大型量販店は、平日にもかかわらず多くの人で賑わっている。
五階建ての巨大な直方体は何も知らなければ立体駐車場にでも見えるかもしれない。そうは見せないのは建物に収用される店舗の看板が所狭しと壁面に飾られているためだ。
建物の屋上には全方向から見えるようにと、六面の広告塔が備えつけられている。五角柱の看板に、上空からでも見えるようにと真上をむいた一面が設置されている。
そのどれもに寸分の狂いもなく、世界有数の大企業、縫条グループのロゴマークが刻まれている。
そんな大型量販店の一階半分を占めている食料品エリア──久徳はその精肉コーナーの前にいる。
(久しぶりのタンパク源だもんな~)
久徳は真剣に悩んでいた。
一人暮らし、仕送りも微小である久徳にとって特売日に買溜めができるかは死活問題なのだ。タンパク質自体は格安の大豆醗酵食品で賄っていたが、肉を食するというのはそんな生化学を超える力が沸き起こるものだ。肉を前にして久徳の口にはすでに唾液が溢れかえっている。
時刻は八時を回っていた。そして──。
(あと三〇分か……)
夜の八時三〇分、この店ではいつもその時刻に見切り品として割引シールが貼られる。しかもこの日は量販店、月に1度の感謝デー。普段二割、三割の割引が半額になるという特別な日であった。
久徳は何としてもこの日に肉を買溜めなくてはならなかった。冷凍すればひと月はもつだろうと憶測し、毎月買溜めている。
しかしながら、この日は違った。久徳にはひとつの懸念があったのだ。
(まさか、既に夏休み時間になっているとは思わなかった)
久徳は高校へバス通学である。
そしてそのバス路線は、利用者の大半を中高生が占めていることもあって時刻表も利用者に合わせた時間を意識して作られている。登校時間と通常下校時間、更に部活動で遅くなる生徒のための下校時間。そこに焦点を合わせて時間と台数が決められている。
久徳の通う高校は、本人の学力とは相反して進学校に分類される。
そしてその進学校は、「夏休み? なにそれ美味しいの?」とでもいうかのように、世間が夏休みに入る七月終盤でも、お構いなしに補修授業という名の日常を提供していた。
いつものように当校し、いつものように黒板に向かう日々を送れば、日付感覚も多少狂うというものだ。
とは言っても多くの学校は七月二十日ごろから夏休みに入る。
よって、学生利用者を利益とするこのバス路線は、二〇日より急激にその本数を減らし、あまつさえ終バスが八時四〇分というスケジュールになっている。
(八時半ちょうどに半額シールが貼られるとして、それを獲得してレジへ──並んでいる人、買っている物の量、店員の熟練度を見極め会計を済ませる。これで7、8分はかかるか……それから全速力でバス停に迎えばギリギリ……無理か……。いや、あのバス停へはいつも遅れぎみにバスが来ている──良し、行ける!)
そんな概算をしつつ運命の時を久徳は待つ。
最短かつスムーズに通れるレジへのルートも確認済み。財布の中はつり銭が要らないようにと硬貨がきれいに並べられている。
死角はない。そう思わせる久徳の確信を得たような顔は、目の前で始まった信じられない光景に希望に輝いた。
8時半からと思っていたのだが、なぜかこの日、数分早くにシールを張り出したのだ。久徳の概算が確信へと変わる。
全てに貼り終わる前に、先に貼られた一〇品程度をひっつかみ、あらかじめ考えられていたルートを迷う事無く走っていく。
一目で空いていて尚且つ熟練の店員のいるレジを見極めそこへ猛進する。
途中子供が飛び出してきたが、これも華麗に体を一回転させて躱した。用意してあった硬貨を釣り銭がいらぬよう渡し、レシートを受け取る間も惜しんでレジを通過する。
走りながら商品をマイバックへと入れ替え、完璧に計画を遂行したことに笑みを浮かべつつ、久徳は大型量販店を後にした。