1-3 噂
「バカ兄ぃも、慶兄ぃを見習って人助けの一つもして欲しいの」
天花寺彩里が抑揚のない声で兄である天花寺瞭祐を罵倒する。
「まあ人助けもいいけどね。お久が折角人命を助けても、同じ分だけ首刈り事件で死んでる人がいるし、本当にお久は目の前の人しか助けないよね」
妹の罵倒にやや狼狽えながらも、瞭祐は話題をそらそうとする。
「嫌な言い方するなよ」
首刈り事件は最近巷を騒がせている変死事件だ。
今も久徳の知らないところで変死している人がいるかもしれない。そんな人を助けられるならそれに越したことはない。
瞭祐の言っていることも事実ではあるが、実際一高校生に遠く離れた場所のよく知りもしない変死事件から誰かを救うなんて物理的にも不可能な話だ。
かわいそうな捨て犬を拾ってきた子供に、どこかの国で飢餓や病魔に苦しみ死んでゆく浮浪者は拾ってこないのかと言っているようなものだ。
「今月に入って、お久が助けたんが三人、変死事件として死んだんが四人かぁ。このままやったら負け越しになってしまうで、お久」
「何わけのわからないこと言ってんだお前」
几唯衣の発言に、いったい誰と競わせているんだと思いながらも、頭の片隅で勝敗勘定してしまう自身の不謹慎さを戒める。
「変死事件と言っても、これだけ同じ変死が続くのは明らかに殺人だからなの」
「一度なら偶然、二度なら必然って言うからね。もっとも四度も続いたんじゃ悵然ってところかな」
「そやなぁ、頭と体が永遠にサイナラ、っちゅうんはどう考えても人為的殺人ってことやろうなぁ」
自然に、偶然にありえない猟奇的な死――、それは人間の意志が介在することを示唆する。
そしてその犯人のことを世間は、首を刈り、人を狩る者──首狩りと呼んでいた。
久徳は首刈り事件のことを想像してゾッとする。
事件はいずれも人通りのない寂しい道路なのだそうだ。被害者はそこで道路に寝そべるように人知れず息絶えていた。
辺りは血の海となり、その源泉とも言える体には首から上が無くとめどなく血液が溢れ出している。
少し離れて転がる顔には阿鼻叫喚、顔面蒼白、戦戦恐恐と表されるような表情が浮かんでいたのだろう。
事件を煽るテレビや週刊誌の情報を統合した想像だった──が、実際もそれほど変わらないだろうと久徳は思う。
「どないしたら、あない猟奇的なことできんのやろ?」
「普通の神経じゃないの」
弱冷房の教室は、真夏の日差しによって蒸し風呂のように熱気に包まれていたが、久徳はそんな話に首筋をムカデが這ったかのような気色の悪い寒気を感じる。
「そんな血腥い事件より、もっと楽しい事件が起きて欲しいよね」
暗くなる雰囲気を変えるように明るく瞭祐が言葉を挟む。
表情は依然として爽やかを崩さないが、内心では少々動揺している。久徳に対する意地悪で振った話が思いもよらず膨らんでしまい、彩里の表情が曇り出したためだ。雰囲気がどうというよりは彩里のことを気にかけているのである。
「そやなぁ……。そうや、この前隣町で怪盗が出たって聞いたで」
唐突に素っ頓狂な話題になるので久徳は面食らってしまう。
「怪盗って、あの怪盗か? 美術館に忍び込んで展示品を盗んだりする」
「他にどの怪盗がおんねん」
「会頭とか?」
「そんなんちょっと職員が気を遣うだけやろ。そんな適当に変換キー押したような回答はえーねん」
怪盗が出たと言われても、いまいちピンとこなかった。結局それはただの泥棒だろうという感想しか湧いてこない。
「へぇ、怪盗ねえ。それで何が盗まれたの?」
瞭祐だけが興味津津である。
瞭祐は珍しいこと面白いことに目がない。だからこそ誰よりも早く、かなり特殊なギコウ部にその存在を知るや否や入部したのだった。そしてタチの悪いことに周りも巻き込むという迷惑な性格に久徳はいつも犠牲になる。
「ん~、なんや、駅前にあった像が盗まれてんて」
「あぁ、そういえば駅前に像があったね。確か有名な研究者の出身地ということをアピールするために設置されたとかで。でもあれって結構大きかったよね、どうやって盗んだんだろ、なんで盗んだんだろ」
「何はしゃいでんだよ」
好奇心を抑えきれない様子の瞭祐は次第にテンションを上げ始める。
「何かいいよね、いいよね、そういうの。現代社会に現れた怪盗。彼の目的は一体なんなのか!?」
「どうせ話題作りの宣伝広告なの」
彩里のとても現実的な答えに、テンションを上げすぎた瞭祐は胸の前に上げた拳のやり場を無くし固まった。
そんな少年の静寂をかき消すように、窓の外からけたたましいサイレンのようにジィジィとセミの鳴き音が響く。
「ところで彩里、瞭祐に用があって来たんじゃないの?」
「そうだったの……中等部は今日までがテスト期間だから、午後から友だちと遊びに行くの。それで帰りは遅くなるって言いに来たの」
「そんなのスマホでいいのに」
なんとか平静を取り戻した瞭祐は、気を取り直して会話に戻る。
「それは、その……」
「彩里ちゃんはお久に会いに来たんやんなー」
意地悪くニヤニヤと笑う唯衣の言葉に久徳にはその意味がわからない。ただ単に自分への用が何なのか気になるというように「? 俺?」と、疑問符を繋げる。
「ち、違うの。唯衣姉ぇ変なこと言わないで欲しいの。此処に来たのは、そ、その……」
顔を赤くしてうつむいてしまう彩里。ちらりと久徳を盗み見る純情な少女の気持ちに久徳はまるで気づく様子もない。
「兄としてはいつかお久を敬愛するあまり、彩里が人助けのために危険に飛び込むんじゃないかと不安で仕方がないよ」
久徳と彩里をつまらなさそうに見る瞭祐が誰にでもなくつぶやいていると、胸ポケットに入れられたスマホが着信を告げる。同時に久徳の後ポケットでも常時マナーモードのスマホが振動した。
「いつも思うんやけど、お久さ~、後ろのポケットにケータイ入れるんは変やって」
同じく着信があったらしいストラップだらけのスマホを手に取りながら唯衣が指摘する。ストラップだらけのスマホというよりは、ストラップとしてスマホがついているようでもある。
「いろいろあんだよ」
昔は横ポケットや胸ポケットやカバンに入れたりもしていたが、結局人助けのために車に轢かれると壊れるのだ。尻ポケットの偉大さを痛感する久徳だった。実際に携帯を破損から守っているのは鍛えているとは言い難い久徳のプニプニのおかげなのだが。
三者三様にスマホを取り出した三人は同時に届いたメッセージを開く。どのメッセージも同じ人物から送られたものだ。内容は一文で簡潔に書かれている。
『本日の部活は無しだ!』
味も素っ気もない淡白な文に部長の性格が伺える。
「さて部活も無いようだし僕らも放課後は遊びに行こうか」
「ウチ、あかんねん。夕方は火曜サスペンスの再放送見なあかんし」
「なにその理由?!」
「あー、俺も今日スーパーの特売日だから無理だわ」
「なんで二人ともそんな主婦みたいな理由なの?」
真夏の教室に瞭祐のツッコミは虚しく響く。妹の哀れみの視線を受けながら……。