転生ヒロインは前世の夢を追い求める【前篇】
【前後編の前編です】
一つの目標が叶った。また新しいスタートだと期待と喜びとちょっぴりの不安がグルグルして最高に心地よかった。
小さい頃から活字が好きだった。気が付いたら古文学の道に進んでいた。
古文学を仕事にするのは難しいと言われても、親を拝み倒して奨学金も取って、大学、大学院と進んだ。
大学院での共同研究は大変だけど楽しかった。論文も苦しかったけど書き上げた時の達成感は最高だった。
そして遂に、難しいとされる古文学研究も続けられる就職先に内定する事が出来た。
それなのに、私は殺された。同じ研究室、それだけの関係の男に殺された。
覚えているのは「女のくせに!」「俺の事を馬鹿にしやがって!」という唸るような声と、脇腹に急に訪れた強い衝撃と激痛だった。
私は死んだ。
ーーーーーー
にょ?
ぼんやりとした視界。強い空腹感。寝ているらしい体勢。
助かった?病院?にしても視界にモヤがかかっているみたい。
とにかく誰かを呼ぼう。
「ふにゃあふにゃあ」
へ?
頼りない声が私の喉から出た。喉もおかしいの?
どうして?
「リアンちゃん、起きたのね」
ぼんやりとした視界に若い女の人が入ってきて、ぐっと近づいて来た。
近くに来たらよく見える。けど、この人誰?栗色の髪、ミント色の瞳。確実に日本人じゃ無い!誰⁈
私が現状を認識するのにしばらくかかった。数日かも知れないし、数十日かも知れない。何故なら、赤ちゃんになっていたから。
転生というやつをしたらしい。何故だ。全く科学的じゃ無い。
必死に情報収集した。赤ちゃんの弱い視界で、弱い聴力で、そして自分がリアンと呼ばれ、栗色の髪の人はお母さんだと分かった。
さらに時が過ぎて、伸びてきた自分の髪がピンクである事を認識した時の衝撃ときたら!
ピンクですよピンク!無いわー。世界中、どこに行っても自然なピンクの髪が生える人はいない。
ピンクショックのしばらく後、お母さんに抱っこされて外に出かけた。お店のガラスに映った私の瞳はピンクだった。
驚きのピンク再び。
そんな私を抱っこしている母に向かって露天のおばちゃんが声をかけた。
「ルトールさん、今日はリアンちゃんとお買い物かい?」
ルトール。リアン・ルトール。
母とおばちゃんは何やら世間話をしていたが、私ははっきり思い出した。
ピンクの髪、ピンクの瞳、リアン・ルトール。乙女ゲームのヒロインとして転生している⁈
高校生の頃、参考書を買いに大型書店に行った時、乙女ゲーム攻略本コーナーで一目惚れをした。
大学受験に向けて勉強する日々。高校は共学だったけど、男子なんてうるさくて乱暴なだけだと感じていた。
そんな現実と違って、流れる金髪と瑠璃色の瞳、二次元にしかありえないスタイルに惚れ込んだ。
『夢の彼方に〜星の創世〜約束のアルカナ』という乙女ゲームのパッケージの攻略対象達に一目惚れした私は、参考書と参考書の間に攻略本を挟んで会計し、そのままATM経由で電気屋に向かい、約束のアルカナとゲーム機を買った。初めての衝動買いだったかも知れない。
勉強の合間に少しずつ進めて、これ一本を何回も何回もプレイした。気がついたら攻略対象全員との全てのエンドパターンをクリアして、隠しキャラも攻略して、全てのエンディングを見て、画像も全部集めて、もうやる事無くなった所で同じ映画を何回も見る様に、また攻略対象を順番に攻略していた。
あの私が死んだ日も、約束のアルカナを持ち歩いていた。
そんな約束のアルカナのヒロインが、ピンクの髪にピンクの瞳のリアン・ルトール。
約束のアルカナが好き過ぎて、死にかけてる状態でせん妄でも起っちゃってるのかな?とも思ったけど、お腹は空くわ、おむつは気持ち悪いわ、痛みは感じるわで、これは現実だと理解した。
現実はとても辛い。日本は本当に安全、安心、清潔、便利、個人主義だったんだなと懐かしく思った。
後、転生してわかったのは、約束のアルカナは今も大好きで最高のゲームと思っているが、ヒロインになりたい訳では無かった、という事。
私は純粋に古文学の研究がしたい。古文学は人生、約束のアルカナは心の支えだ。大体、ゲームのヒロインがどれだけ苦労しようとも、それは画面の向こうで起きる事。難易度の高い攻略を失敗してフラグを逃し長いやり直しに心が折れかける事もあるけれど、攻略対象の為に泣きながらリロードするのも一つのメモリアル。苦労した分クリアした時の喜びは大きい。
開発者がただ文字として起こしたヒロインの生まれとか、育ちとか、実感してわかりました確実にハードモード以上です。実際に体験する事は心の支えじゃ無くてただのリアル。乙女ゲームはロマンが詰まっている。現実は生活苦が続いてく。
それでも私は未来に向かって頑張れる。ここで自分の力で生きて趣味でも独学でもいいから古文学に一生携わる為に!
リアン・ルトールの家は貧乏だ。生まれた時にそばにいたのは母と祖父と祖母。でも3歳の時に祖父が、5歳の時に祖母が亡くなった。それまでは、祖父母がリアンの面倒を見て、母は昼間は外に働きに行き家では内職をしていたのだけれど、5歳の娘を一人には出来ず子持ちを住み込みで働かせてくれる家に移った。
母が働き始めた家は、ドレスを売る店だった。母は機織り職人として働いた。店の主人は5歳の私もただではおけないと、水汲みや掃除の下働きを出来る限りやる様にと命じてくる。
店のお嬢様は私より2歳上で、宣伝も兼ねていつも店のドレスを着て綺麗に装っていた。洗濯はきちんとしているものの、袖口は擦り切れ、あちこち直した粗末な服を着た私を、要らない子と呼んだりやつあたりで叩いたり蹴ったり水をかけてきては笑っていた。
リアンがただの5歳の子供だったら、多分潰れていただろうけれど、中に入っているのは食えない古文学を苦労するとわかって選んだ22歳。大学院でアカハラセクハラにあっても証拠を掴んで内定まで行ったのは伊達じゃ無い。やられるのは当たり前とは思わないけれど、ここを出ていけない状況で反抗する訳にはいかない。従業員の優しい人達に哀れな境遇をアピールして、傷薬を手に入れたりこっそり拭いてもらったりちょっとしたお菓子をもらったりして過ごした。
そんな生活もまた10歳で転機を迎える。街にお使いに行った時、ローブを着たおじさんに呼び止められ、潜在魔力を測らせて欲しいと言われた。
おじさんは宮廷魔術師の1人だそうで、私と一緒に店に戻り、店主と母の許可を取って魔力強度を測る水晶を持たされた。水晶から店の外まで虹色の光が溢れ出し、高レベルな魔力持ちの魔術師見習いとして魔法学院に引き取られる事になった。
母と私は魔術学院の寮に引っ越し、母は寮の使用人として働き、私は学院の見習い生徒になった。
魔法学院には広大な図書室があって、許可貰って空き時間に自由に閲覧出来る様になった。知らなかった物語や資料に没頭出来るのは本当に楽しい。前世に無かった魔法を学ぶのも楽しい。
せっかく落ち着いた生活が送れるようになったのに、14歳でまた悪い方に状況が変わる。
私の父が現れたのだ。知ってた。ヒロインのゲームスタートまでの波乱の人生、キッツイ内容だという事はモノローグや資料集で知ってはいた。心構えは一応してた。
「苦労して探したのだぞ、感謝するが良い」
尊大な態度、うっすい頭髪、鍛えた体、一言で表すと嫌なやつ。それが初めて見た父、ライアット男爵。ゲームでは当然モブ。嫌なやつという設定だけ。
ライアット男爵家で下働きしていた母に手を出して、妻に文句を言われてほぼ無一文で放り出した男は、「平民の下女の娘であるが、魔力がとても高いと知って迎えに来てやったぞ。ナイザリア学園で好成績を取れたらライアットの名を名乗らせてやろう」と何やら得意げに言う。バカか?バカなのか?バカだな。バカだからそんな事を言うんだな。
ライアット男爵の隣には、嫌なやつその2が並んでいた。整ってはいるものの嫌な目つきの顔、無駄に盛った髪、大きな胸を目立たせる下品なドレスの男爵夫人。その無駄に盛った頭髪を夫に分けてあげれれば良いのに、と言う感想が頭をよぎった。安っぽい魔女みたいな夫人は、「私とは違って半分平民の卑しい娘だけれど、義理の母になってあげようという私の優しさに感謝なさい。その魔力で私に恩を返す事を許すわ」などと、頭の回路がぶっ壊れた事を言いだした。夫婦って似るんだな。
私としてはお断りだったのだけれど、お偉いお貴族様であり、父であるバカ男爵の決定であり、ゲームの根本設定は覆せないらしい。私も自立出来ていない子供だし。無理やりライアット男爵家に引き取られて、と言うか、実質無給の奴隷状態。母は魔女にイビられるし、私と同じ歳の義姉は魔力が全然無いとかで嫌がらせをしてくる。
嫌なら探してまで引き取らなければ良いのに、薄毛男爵と魔女夫人は欲深かった。貴族の子供が15歳から入る、ナイザリア学園では魔力無しに厳しい。正確には、約束のアルカナの舞台、ナイザリア王国では貴族は魔力持ち、平民は魔力無しが普通。だから薄毛男爵の魔力無し娘は結婚がハードモード。だって、貴族同士で結婚するから、魔力有りの子供が生まれる訳で、魔力があるから平民の上に立てるアドバンテージが持てる。わざわざ魔力無しの伴侶をそれ以上のメリット無しで選ぶ貴族はいない。
つまり、薄毛と魔女の夫婦は、魔力無しの可愛い娘の為に、庶子だけど強力な魔力持ちの次女を同時に送り込んで奴隷兼盾にするつもりだと。
例え妹が魔力持ちでも、本人が魔力無しだったら、意味無いのにね。なんでこんな簡単な事もわからないんだろう。そして、いつまでも私が言う事を聞くなんて盲信出来るんだろう。自分の足場と母の安全が確保されれば、私が我慢する必要は一切無いのにね。
落ち着いたら、うまく離れていこう。許すまじ家庭内暴力。許すまじ奴隷扱い。
約束のアルカナのヒロイン紹介文に、男爵の庶子として苦労して育つとか書いてあったけど、一行で済むレベルの苦労じゃなかったよ。
私は、ワンピース一枚、下着二セット、ハンカチ二枚だけが入ったトランクを持って、ナイザリア学園の門前に立った。
ゲームスタートだ。
プレイヤーになる気は一切無いけど。目標は自立して古文学!
そっと門の中を覗くと、波打つ金髪に紺碧の瞳、上質なシルクのドレスを纏った女性が仁王立ちしていてその後ろに青い髪の男性が立っている。
「戦闘態勢完了、かな?」
約束のアルカナの悪役令嬢、金髪紺碧の瞳のウィステリア・ユーレック・レイテッド15歳と、その従兄、青髪青の瞳のハイドレン・ユーレック・レイテッド17歳だ。
ハイドレンは攻略対象の一人でウィステリアの従兄であり、レイテッド家に養子として入った義兄でもある。今日まで惚れ込んだ攻略対象達を直接見たら自分の気持ちはどうなるのかと心配していたのだけれど、誠実さと優しさに溢れた癒しに満ちた美しさを持つ彼にしばらく目を奪われたものの『やっぱりかっこいいな』という感想でいっぱいになっただけだった。実際に恋に落ちたいとか、話をしたいとかそういう気持ちは湧いて来ない。リアルとゲームはやっぱり違うからなのか、現実でいっぱいいっぱいで叶えたい目標で心が埋まっているからなのか、どちらにしても今の私にとって素敵な攻略対象は時々視界に入ればそれで良いと思う。
今日は新一年生として入学する寮生が、入学式前に入寮する日。ゲームではヒロインが校門を入って広大な敷地にある中庭に迷い込むと、中庭にある東屋に本を忘れてしまい取りに来た第二皇子に遭遇するイベントが起きる。
攻略対象の第二皇子トリカ・オーソクレーズ・ナイザリアは15歳。ヒロインとウィステリアと同じ一年生になる。
ヒロインとウィステリアが初めて会うのは入学式だから、校門入ってすぐで仁王立ちというのはゲームのシナリオベースで考えたらおかしい。
でもこれ、現実だから。ゲームでは堂々と校門から寮に向かって道に迷う筈の私が、敷地に入る前に警戒しまくって安全確認をしているのと同様に、ゲームなら入寮日には出て来ないウィステリアがここにいて誰かを待っている様子なのも何か理由があるのだろう。
誰を探しているのかは知らなけど面倒ごとは避けたいと思っていたので、目立つピンクの髪をスカーフで巻いておいたのが正解だった。ウィステリアはまだ私に気付いていない。私は静かにここで出来る古文学と魔法の研究をしたいだけだ。古文学研究魂と、8年も同じゲームをやっていた経験は並じゃない。こっそり裏門から敷地内に入った。
頭の中に学園の地図は全部入っている。好きすぎて説明書とファンブックは丸暗記だ。当然東屋は避けて寮棟の裏口についた。
植え込みの手入れをしていたおじさんが声を掛けてきた。
「新入生の子かな?ここは裏口だよ」
「広くて迷っちゃったんです。ここから入れてもらえますか?」
「良いよ、はいどうぞ」
「ありがとうございます」
「廊下をまっすぐ行ったら入り口だからね、そこに管理人室があるから声をかけると良いよ」
「はい、助かりました」
本当に助かっちゃった。余計な人と会いたく無い。
石と木を組み合わせた上品に落ち着いた学生寮は、三階建て。東翼が男子寮、西翼が女子寮で、一階だけが一直線で、二階と三階は東西繋がっていない。管理人室も入り口の両側にあり、東が男子寮の管理室、西が女子寮の管理室、男女は行き来出来ない。上から見るとTを逆にした形で、縦棒部分は一回のみで裏口から入ると左右に食堂、談話室、会議室、救護室などの共通施設が並んでいる。
女子寮の管理人室に声をかけると、三階の部屋に案内された。
「管理人の一人、ライカです。足りないものがあったら言って下さいね。洗濯物は朝のうちにこちらのカゴに入れて、部屋の入り口に置いて下さい」
「わかりました。今日からよろしくお願いします」
私の言葉にちょっと驚いた顔をするライカさん。そっか、貴族の場合、使用人である管理人には言葉に出さず頷いて伝えるのか。
気にせずにっこり笑って、部屋に入った。
1DK、お風呂トイレ別、南向きの大きなフランス窓にバルコニー、男爵家に残った母は気になるけれど、とりあえず自分の専用部屋が嬉しい。
しかも義姉のメリーナが『学生寮なんて窮屈だから自宅から通う!』と我儘を言って家に残ったから寮ではリラックス出来る。
学園を好成績で卒業して、魔法研究の仕事につく。これが一番の目標。就職が決まった状況から、学校で勉強する日々に戻ったけど、学ぶ事新しい事を知る事は大好きだ。学園には嫌な義姉もいるけれど、母の安全さえ確保すれば無視出来るから、それも早急に何とかしないとね。
寮の部屋には一年生用の教科書、基本的な文房具、制服2セット、洗面用具等学校と寮で最低限必要な物が揃っている。これだけあれば大丈夫どころか寧ろ充分なほど。研究や読書用の本は学園でいくらでも借りられるだろうし、物を増やしたら整理に手間がかかるだけ。
窓を開けて風を入れるついでに外を伺うと、ウィステリアの従者で隠し攻略対象でもある銀髪に紫の瞳のミアラスが寮の正門前にある木に寄りかかって本を読んでいた。確実にウィステリアの指示なんだろうな。誰を見張っているのかは知らないけれど、どんな本を読んでいるのかは気になるかな。切れ長の目とさらさらの整った髪が美しいよね、うんうん。こんなに早く隠しキャラを見られるなんて得をした気分。
得した良い気分で、早速教科書を一通り確認しよう。
ーーーーーー
待ちに待った入学式。
学べるというだけで嬉しい。それだけではなく、10歳の時魔術学園を勧めてくれた宮廷魔術師が講師の講義がある。良い成績をとって将来の魔法研究職の目処をつけ、母の安全をお願いしたい。
そんな訳で、私は頭にスカーフを巻いて講堂に一番近い茂みに潜んでいる。
攻略対象のリューカ・オーソクレーズ・ナイザリア第一皇子は17歳。ナイザリア学園3年生で皇家の在学生としてする挨拶を、入学前に行われた新入生魔力検査の主席が壇上でそれを受ける事になっている。寮生は各部屋を、自宅通学生は家に、検査官がまわって検査する。ゲームではヒロインが主席なのだが、私に事前に連絡が無かったので他の人の可能性が高い。
ヒロインは講堂の前でリューカ皇子に声を掛けられ成績を褒められるのだけど、恐らくそれは無くなった筈。ただ面倒事を避ける為最後に講堂に入ろうと思って茂みから伺っているのだけれど、何故かウィステリアがハイドレンとトリカ皇子と談笑しながら入り口前に陣取っているのだ。
最大警戒をしていると、リューカ皇子がやって来て混ざった。笑顔でウィステリアに話しかけ、ウィステリアも微笑み返して頭を軽く下げている。これは入学式のスチルと構図が一緒なので、主席はウィステリアだろう。実際のウィステリアは努力の出来る人なのか、私も頑張らないと。それにしても、攻略対象が3人も揃って笑顔で談笑しているなんて、麗しすぎる。ゲームの時みたいにドキドキはしないけど、ふわーっと幸せな気分を堪能出来ました。嬉しい。
皇子2人は金髪に瑠璃色の瞳をしているから、ウィステリアも入れて3人分の金髪が陽の光を反射している。キラキラエフェクト3乗。
そんな煌びやかな集団の所に『とととっ』とメリーナがやって来て、カーテシーをしていい加減にあしらわれている。見つかったら八つ当たりされるな。緑髪に鳶色の目をした貪欲に頑張るメリーナの度胸だけは認めるけど。ため息が出た。
「何をしているのですか?」
「戦略的傍観」
「こちらにいらっしゃる事を主人に伝えてもよろしいですか?」
「よろしくありませんが、伝えないと貴方が困る事になりませんか?ミアラス様」
「私の名前を知っているのですね」
「レイテッド様がお名前を呼ばれていたのを聞いた事がありますので」
急に横から声を掛けられたと思ったら、ミアラスが私の隣にしゃがんでいた。怜悧でクールな美形で学生より年上の19歳のお兄さん。入寮日に見た時は遠目だったけど今日は至近距離だから美形の迫力が凄い。スカーフでほっかむりをした制服の私とグレーのテールコートのクールミアラスがちんまりとしゃがんで並んでいる姿は、側から見たら二度見どころか三度見以上をされるに違いない。違和感で。
「ピンクの髪の令嬢を見かけたら報告する様に言われているのですが、まさかこんな所で目立つ髪を隠されてしゃがまれていらっしゃるのは事情があるかと思い先に声をかけさせていただきました」
「目立ちたくないだけです。私は勉強して将来研究職になりたくて入学するのですし、平民上がりで貴族のマナーを一切習っていません。地位も無く、問題を起こしたら学園を退学になってしまいます。ですのでトラブルにならない様に時間ギリギリに席に着くつもりでここにいます」
「成る程、話はわかりました。少なくとも貴女は嘘を仰っていませんし、害意もお持ちではありませんね。計画成功をお祈りします」
「あ、ありがとうございます」
ミアラスは私がしゃがんでいる茂みの逆の端から出ていくと講堂の脇道を歩いて行ってしまった。報告はしないでくれるらしい。複雑な生い立ちを持ったミアラスは、他人の嘘や敵意に敏感だという設定になっていたから、私がウィステリアの邪魔をする気が無いのを見抜いて見逃してくれたのかも知れない。
ゲームではヒロインが攻略対象と仲良くなる度に邪魔や嫌がらせをするウィステリアだけれど、私には攻略対象と仲良くしている時間は無い。良い位置に潜んでいた甲斐があって入場時間ギリギリに滑り込み、一番後ろの席にひっそりと座わって目立たず入学式の参加が出来た。
ーーーーーー
「ナクレイ先生、母の件ありがとうございました」
「ああ、ルトール嬢か。君には研究の資料集めなども頼んでいるからね、優秀な生徒が学業に打ち込める様にするのは教師の役目だよ」
エピトード・ナクレイ先生は10歳の時に、私を魔法学院に推薦してくれた宮廷魔術師だ。魔法学院は階級、年齢に関わらず、魔力の強い者を受け入れているが、ナイザリア学園は基本的に貴族子女は全員、平民は成績の良い者を受け入れる。この成績は魔力だけでなく武力や武術に優れた者も含む。入学前の試験はすぐに測れる魔力のみだけど、毎年武術大会も開催されている。
入学後、図書館で趣味と実益を満たせる様になって自習が一気に捗った。そのお陰もあって初めての座学の試験で何とか主席を取る事が出来た。これで堂々とナクレイ先生に声を掛けられると教授室を訪ね、母をライアット家が接触出来ない大神殿の下働きとして雇って貰った。
ナクレイ様のお手伝いのついでに、大学院時代にやっていた傷んだ書物の修復などを提案、実際に作業して見せた所たくさんは出せないけどとバイト代まで貰える様になった。何これ天国。通常閲覧出来ない書物読み放題、直し放題、やり甲斐しかない。
メリーナには通りすがりに抓られたり叩かれたり水を掛けられたり突き飛ばされたりするが、庶子として頭は下げるけれど理不尽な命令は無視できる様になった。ナクレイ様が『一年生が終わったら、成績が悪すぎる者はキツく指導が入るからルトール嬢に手を出す暇は無くなるよ』と言ってくれたのでもう気にしなくていい。嫌がらせも耐えられるレベルだ。
そんな感じで大人しく攻略対象にも近付かない様に行動しているのに、ウィステリアがやたらと接触しようとして来る。彼女自体は嫌いじゃない。寧ろ努力する天才秀才は大好物です。だけど、国の重要人物と懇意にしている公爵令嬢と付き合うのは負担が大きすぎる。平民で後ろ盾の無い私は些細な事でも大きなトラブルになる可能性が高いし、何よりやりたい事とやらなくてはいけない事で時間の余裕が全く無い。
公爵家で行われるお茶会の招待状が寮に届いた時は、ナクレイ先生に『貴族の教育一切受けてないので無理です助けて下さい』と相談し、その後もお手紙が届く度に国立図書館の整理作業をしていると断って貰う。断るからには実際に作業しなさいという事で、二通目からは「やだこれ文学ボーナスステージ来た」とウッキウキになれたけど。
魔法実技ではパートナーに誘われかけるも、トルカ皇子がウィステリアと組もうと声を掛けてきたのでそっと逃げる。その後もトルカ皇子がウィステリアを誘い続けた。うむ、美しい2人が仲良く授業をしている姿は目に嬉し優しい。
食堂では初日に声を掛けられたので、ざわめきで聞こえなかったフリをしていたらメリーナとそのお友達にトレーを吹っ飛ばされて制服が汚れたので、大騒ぎになる前に寮へ走り着替えてから学園の教員室にメリーナとの事を報告した。次の日から、調理室の従業員出入り口からテイクアウトさせてもらえる様になったので、誰もいない屋上や裏庭の茂みの中や木の上で食べた。どうやって特定しているのか毎日の様に、食べている所にミアラスがやって来て挨拶程度の会話をする。生存確認か?
放課後は一番に教室から飛び出す。加速魔法のスキルがどんどん上がってほぼ短距離転移の繰り返し状態で、我が聖域国立図書館にたどり着く。はあ、古書修復用のデンプン糊の香りに癒される。そんな聖域図書館までウィステリアに追いかけて来た事もあるので、一般侵入不可で作業する為の臨時職員にしてもらった。時々ミアラスがやって来て、お勧めの本の話を少ししたのちウィステリアの参考書になる本を借りて帰って行く。公爵家の従者は仕事で貸し出し閲覧不可の書籍エリアに立ち入り持ち帰り出来るとの事。確かに、国政に関わる方は家でゆっくり確認出来ないと困るし、大切に扱ってきちんと返却するに決まっているものね。
と、こんなに頑張って避けていたのに。
「ルトール嬢、お時間よろしいかしら?」
「何でしょうか、レイテッド様」
入学から半年ちょっと、遂にウィステリアとトリカ皇子とハイドレンに教室という密室で包囲されてしまった。礼儀として返事はしたが逃げねばならぬ、逃げねばならぬ。
「あいきゃんふらい!」
私は身体強化の魔法を発動させて、三階の教室の窓から飛び出した。
「窓は出入り口ではありませんよ」
「ふぎゃあ!」
着地した先にミアラスが立っている。完全包囲網ですね。
「お嬢様の所へご案内します。こちらへどうぞ」
「お手数おかけします」
流石に観念してミアラスの横を歩いて行く。学園は4年制ずっと避けられる訳がない。こちらは用など一切無いけれど、公爵令嬢様にあるのなら一度しっかり聞くしかない。
私は生徒会役員のラウンジに案内された。現在の生徒会役員は、リューカ皇子、トリカ皇子、ウィステリア、宰相息子のジェダル、騎士団長息子のウェザンの5人で、ウィステリア以外は攻略対象になる。その5人とやはり攻略対象のハイドレンを加えた6人がテーブルに着いていた。豪華なパッケージ包囲網か?ピンクが足りないけど。そのピンクが自分で参加する気は一切無いけど。
「ナイザリア学園一年、リアン・ルトールが皆様にご挨拶申し上げます」
平民育ちにカーテシーなんて出来ない。身についていない事をするより深々と頭を下げるだけだ。
「一年生の首席、ルトール嬢だね。学園では皆平等だから硬くならず顔を上げてくれないかな」
「座ってお茶を飲んでいかないか?僕らは君に危害を加えるつもりはないよ、安心して」
リューカ、トリカの言葉に、私はゆっくり頭を上げる。一瞬息を飲む程の綺麗な、ゲームだから可能な心を持っていかれる様な攻略対象が集まっている。本当に凄い、ずっと私を癒してくれていたキャラクターが現実となってすぐそばにいて、キャラに合わせた声優さんと同じ声音で私に声を掛けて来るなんて。
ミアラスが椅子を引いてくれたのでそこに座る。私に出された紅茶を「どうぞ召し上がって」とウィステリアが輝く笑顔で促して来た。
「私、ずっとリアン嬢と親しくしたかったのだけど、貴女いつも1人で行動されているし、休み時間もどこかに行かれているでしょう?一度ゆっくりお話したいと思っていましたのよ。入学後は試験で主席を取られて、実技も素晴らしいし、今は国立図書館で手伝いをされているそうですわね。ご自分の時間はきちんと取れてます?学園で困っている事などありませんの?」
「褒めていただきありがとうございます。学べる機会を頂けまして、満足しております」
親しくなりたくないし出来るだけ早く帰りたい。美麗なキャラクター勢揃いは心に刻み込んだのでもう充分です。
しかし、次はリューカ皇子から攻撃が。
「国立図書館は私の管轄になっているのだけれどね、古書の修復の腕を職員が褒めていたよ。やらなくてはいけない事だけれど急ぎではないと後回しにしてしまう事だからね、私からも礼を言わせて貰おう。今後もよろしく頼みたい。必要な事は私が許可しよう」
「光栄です。貴重な書物に触れる機会をいただいており、是非続けさせていただきたいと思っております」
「騎士団団長アルフェカ家の長男、ヴェザンだ。ミアラスとハレイドンからの追跡を振り切り体術や肉体強化魔法にも優れていると聞いている。騎士団では高貴な女性を守る女性騎士が不足している。文官系を目指していると思うが、武官の道も考えてくれると父も喜ぶ。わからない事や興味があれば俺を訪ねてくれ」
「ヴェザン、騎士団に誘うのは待って欲しい。私はジェダル・シェラトン・カレリス。父は宰相のカレリス公爵です。ルトール嬢の成績と修復した本、古い歴史と政治の分類とまとめを見せて貰いました。こういう地味な仕事を研究を出来る方は後世の為にも必要です。よろしければ父に紹介して卒業後、文官として勤めてくれると嬉しいな」
「官職以外の就職ですが、レイテッド公爵家では私や妹と同世代の秘書官を探しておりますので、よろしければご検討ください。ウィスも喜びます。他にもウィスが考えた物を売る商会も常に人不足です。こちらも高待遇で従業員を募集しています」
学園は4年制なのに、1年目で就職紹介をされてしまった。ある意味モテ期?古文学部からの就職はあんなに大変だったのにな。
ヴェザンもジェダルもリューカ皇子やハイドレンと同じ17歳の三年生。ヴェザンは逞しい魔法戦士でアッシュブロンドに赤い瞳、ジェダルは知的な美青年白髪に青い瞳、攻略対象だけあって女生徒にも人気がある。
「うふふ、嫌ですわ皆様。今日はリアン嬢と私が仲良くしたくて来ていただいたのですよ。いくらリアン嬢が可愛らしくて優秀なお嬢さんでも、私より先にお約束しては悲しいですわ」
愛され公爵令嬢が手を頬に当て、こてんと首を可愛らしく傾げれば、口々に謝ったりお菓子を勧めたりする美形集団。ちょっときつめの顔立ちだけど、ふんわりしたお化粧と幼い仕草が庇護欲というやつを誘うんだろうな。
どこかで見たぞ、こういうの……。思い出した、力学の物理子さんが「ゼミにサークルクラッシャーみたいのいる!面白いから見に来て!」と興奮気味にやって来て、彼女のゼミに一緒に行ってこっそり覗いたら、我々には考えも付かない改造ゴスロリ風白衣に身を包んだ可愛らしいお嬢さんが、「さすがですぅ、皆さん難しい事をわかってらしゃって、すごいですぅ。マミ、パパに言われて入学したから皆さんに助けてもらってばっかりですぅ」とか言いながら同じポーズしてたっけ。
パパに言われただけで入試受かるわけないだろうが!と物理子さんがちょっとお怒りだったので、面白いと思ってるんじゃなかったの?と聞いたら「同じ入試受けてるからあの言い方は腹が立つ」と返ってきた。最終的に「いやあ、うちのゼミ女子1人だからみんなちやほやしすぎてるなーと思って観察してたら仕上がったよ」と笑っていた。ついつい学徒の常で観察していたら仕上がっちゃったらしい。というか、物理子さんも正真正銘女子である。自分の視界に入らなくて当然な自分という女子は見えないから女子カウントに入れないあたり物理子さんらしい。元気かな、物理子さん。
「ね?リアン嬢」
いけない、知らないうちに会話が進んでいたらしい。攻略対象達の素晴らしさとお家に帰りたい気分が高まって魂が飛んでた。黙っているとおウィステリアのお友達にされてしまう。それはまずい。
「大変申し訳無いのですが、私は平民ですし、卒業後も母と2人で暮らす分働いていかないといけないので、空き時間がありません。レイテッド様と比べますと、努力しないと今の成績を維持出来ませんので余裕が無いのです。大変光栄なお話ですがお気持ちだけ受け取らせて下さい」
「ではでは、我が家で働きません?そうすれば毎日一緒にいられますわ。図書館の本は学園帰りにお借りになったり、ミアラスが代わりに取りに行ったり出来ますもの。卒業後もお兄様の言う様に秘書官として働いていただけますわ。リアン嬢みたいに優秀な方なら我が家の養女になって本当の姉妹にもなれます。ね、素敵でしょう」
怖っ!確実に頭が沸いてる!いくら公爵や公爵夫人が噂通り娘にだだ甘だとしても、男爵の庶子を養女にする訳が無い。しかもライアット男爵夫妻と縁が繋がるなんて、百害あって一利無しだ。親族だからとお金を無心したり、王宮での地位をねだったり、集り行為の連続になるに違いない。
「失礼を申し上げますが、私には母がおります。それに秘書になるつもりはありませんので心苦しいのですが辞退させていただきます」
ばんっ!
トリカ皇子がテーブルを叩いた。
「リアン・ルトール、さっきから聞いていれば好意的な話を断ってばかりじゃないか!わざわざ平民上がりの君をウィスが気遣って優しくしているのに何故受け入れないんだ?」
「トリカ、そう言う言い方は良くないな。トリカがきつい言葉を掛ける事自体、ルトール嬢にとって危害と一緒だ」
「ありがとうリュー兄様、トルもリュー兄様の言う通りだわ。私はリアン嬢を困らせるつもりじゃないの。ただ優秀なリアン嬢と仲良くなりたいって事をわかって欲しいだけ。それも姉妹になりたいくらい気に入っているの。リアン嬢は私に免じてトルを許してあげて、私に気を使いすぎて言葉を荒げてしまったのよ。同じクラスで知っていると思うけど普段はとっても優しい人なの」
「ごめんよウィス、兄さん。ルトール嬢すまなかった」
「勿論でございます許すとか許さないとかは私の決められる事ではありません。私如きの為に、心配りをいただき心から感謝しております。また失礼な態度をお許しくださりありがとうございます」
機械的に返事をするこの無駄な時間は一体何なのか。攻略対象の方々は遠くから眺めたり、声を漏れ聞くだけで十分です。薬だって、用法と容量を守らないといけないのです。
「急に呼んで話しても、すぐに仲良くなるのは難しいと思いますよ」
「そうだな、俺たちだって、身分が上の相手に急に呼び出されたらすぐに話なんて出来ないぞ」
「ヴェザン、ジェダル、父上に呼び出して貰おうか?」
「やめてくれ殿下」
笑い合い始めた。アウェーオブアウェー。
寮に帰って今すぐ寝るか、図書館で紙の香りに包まれるかしたい。
誰がこの無駄時間を終わらせてくれるのかと、失礼にならない様目線を伏せながらもきゃっきゃうふふ集団を伺う。
「では今日はここまでにしますわ。次は昼食を一緒にとりましょう」
ウィステリアの言葉に、私はゆっくり席を立った。では失礼しますとミアラスに促されてドアに向かうと、
「リアン嬢、最後に一つ質問させていただけるかしら?」
「はい?」
振り向くと深い海にも似た紺碧の瞳を光らせたウィステリアが綺麗なカーヴを描いた唇を開く。
「転生者ってわかるかしら?」
「テイセンショ?ですか?存じ上げませんが?何か新しい書物でしょうか?」
「では約束のアルカナは?」
「ええと、先の言葉も存じませんが、そちらも書物関係ですか?国立図書館に半年程通っておりますが、該当の図書や資料は無いかと思います。私の勉強不足で知らないだけの可能性もありますので、ナクレイ先生に聞いてみます。それともレイテッド様が直接お問い合わせなさいますか?」
ゆっくりと柳眉を潜め、右手で軽く顔を覆うウィステリア。その目はじっと私の目を見ている。
私は視線を斜め下に動かして、手を顎に当てて顔を少し傾げてみせた。
「知らないのなら良いの、自分で調べてみるわね。さっきのお話し真剣に考えてくれると嬉しいわ。それ以外でもいつでも声を掛けて下さいね。そうだ、ケーキはお好きかしら?美味しいケーキ屋さんを知っているの」
「ケーキ屋ならウィスがレシピを考えた店が一番だな」
「あれはアイデアを出しただけで、シェフの腕が良いのですわ。ではミアラス、リアン嬢を送って差し上げて」
可愛らしい声と可愛らしい笑顔で私はラウンジから送り出された。
ーーーーーー
「ルトール嬢は転生という言葉をご存知なのですか?」
「どうしてそう思うんですか?」
隣を歩くミアラスが問いかけて来たので質問返しで返した。
「ピンクと仲良くならないといけないそうです」
「は?これですか?」
自分の髪をちょっとつまんでみせる。今までずっと自分以外のピンクの髪を見た事が無い。ある意味お約束ヒロインカラー。
転生したからってゲームに縛られるつもりはない。私は私として、生きているんだから、今の私が今の夢の為に頑張っているのを邪魔されたくない。少なくとも私が見る限り、ウィステリアはゲームとは違う生活を、周りの人に愛され大切にされる生活を手に入れているのだからいいじゃない。
「お嬢様は入学式からずっと「ピンク色の髪と目をした同級生と仲良くならないとずっと恐怖が続く」、と何回もおっしゃっていました。ですので、ルトール嬢に声をかけようとしていたのですが、いつも逃げられてしまって。最近になってルトール嬢が転生者だから逃げているんだと」
「その転生とかいうのは何ですか?レイテッド様が恐怖を感じておられるのはお辛い事だと思いますが、失礼を承知で申し上げますとレイテッド様の行動に本当に迷惑しているんです。私には私の生活と目標があるんです。私は書物の研究をしたいんです。男爵の庶子として学園に通っている私は、立場上王族や貴族に逆らえません。時間だって有限で成績が下がったら退学です。それでも、私は自分のやりたい事があるからその事を説明しているのに、断るなとか付き合えと言われても困ります」
「私も転生者が何かとは詳しく説明を受けておりません、ピンク色を持った転生者がお嬢様の生活の軸になる大切な要素となるとだけ聞いております」
気がつけば学園を出て寮に向かう道の途中で私は立ち止まってた。
こちらへ、とミアラスに促されて途中にいくつかある休憩用ベンチに座わり、ミアラスの手にはハンカチがあって私に向かって差し出されている。何で?と思って首を傾げると、「失礼」と言って私の顔をハンカチでそっと拭いて来た。
私はいつの間にか泣いていた。
「お嬢様は決してルトール嬢を追い詰めたい訳ではありません。ただ純粋にルトール嬢に幸せになって欲しいと思われているのです」
「でも、レイテッド様の考える私の幸せは違うんです。どうやったら分かってもらえるんですか?私はお付き合いしたくないんです。そんな時間無いんです。今は自分で買えないケーキも要りません。体を壊さない程度の食事が出来て、研究を続けるのが一番の幸せなんです」
「お嬢様方の好意を受け入れられる気はないのですね」
「皆さんの好意は私の目標と違います。唯一嬉しかったのがリューカ皇子から図書の修復や整理を褒めていただいて、継続を許可していただいた事です。お茶やケーキが嫌いな訳では無いです。美味しいものは好きです。でも、それより大切な事があるんです」
「そうですか」
いつの間にか隣に座ってたミアラスが、ハンカチで涙を拭くのを継続しつつ、背中を優しく叩いてくれていた。泣いている小さな子をあやしている状態?でも振り払う気力が無くて、やられるがままになってしまっている。情けない。
優しいその手に誘われる様に、私は思っている事を全部並べていく。
「レイテッド様の従者であるミアラス様にこんな事を言うのは間違っているとは思いますが、我慢出来ないので言います。私は自分でもっと幸せになる努力をしていますし、今の生活は好きな事が出来るから大変だけど幸せなんです。公爵のお嬢様の生活レベルから見て男爵庶子の私が哀れに見えるのはわかりました、無意識に見下されていても構いません。でも、見下してくる相手と仲良くなるのは無理です。仲良くなるのも無理なのに、やりたい事をやめた上に従者になれ、断るなって命令されて受け入れないといけないんですか?」
小さな絞り出す様な話し方で嗚咽混じりで途切れ途切れになりながら、それでも続けた私の言葉をミアラスは黙って聞いていた。
「レイテッドお嬢様の従者の私が謝る事は出来かねます」
「わかります。公爵令嬢は間違った事はおっしゃっていない所か、生活苦の同級生に救いの手を差し伸べられただけです」
「しかし、私個人としてはルトール嬢の生き方はとても素敵な物だと思います」
「えっ」
「私もやってみたい事、なってみたい物がありました。従者は主人が全ての優先となりますが、それでも私は自分の気持ちを未だ捨て切れてはいません。ですので、私が今まで拝見しましたルトール嬢の努力とその結果に心からの敬意を」
その場に跪き私を見上げたミアラスが小さく、本当に小さく、微笑んだ。無表情のミアラスのほんの少しの表情の変化に、私は胸のあたりがギュッと痛くなった。
思わず胸に当てた私の両手のうち、外側になっていた左手をミアラスがそっと取って両手で包み込みそっと彼の白いおでこに当てた。まるで淑女にする挨拶の様に。
私の顔を覗き込む瞳は深いアメジストの様な色で、さらさらと流れる彼の銀髪が私の手に触れているその時間は永遠の様な一瞬の様な、そのよくわからない感覚のまま、ゆっくりと手を引かれていつの間にか立ち上がっている事に気がついた。
「ルトール嬢の幸せと未来が詰まっている図書館までお送りします」
「あ、ありがとうございます。でも一人でも大丈夫です」
「お嫌でなければ私が貴女をお送りしたいのです。貴女の未来への努力は、希望ですから」
「はい」
小さく頷いて、差し出された腕にそっと手をかけた。
ずっと続けて来た努力を認められ褒めてもらった私の頬は熱を持ち、そっと伺ったミアラスの頬は少しだけ朱がさしている様だった。