三
ちゅんちゅん、と小鳥の鳴き声がする。
あれ……いつの間にか寝てたな。
ぼーっとした頭で考えながら、暖かい布団の中へ潜る。
布団といいつつ単なる布を重ねただけのものだが、一枚掛けるだけでも全然違う。
さて、もう一眠り…………じゃないっ!
ガバッと起き上がると、そこは僕の家だった。
あれ? いつの間に帰ってきたんだろうか。
確か昨晩はリディアーヌに何回も気絶させられて、そのまま意識を失ってたはずだけど……。
うーん、もしかして送ってくれたのかな? それとも自分で戻ってきた?
……わからん。
「……ん……あれ……」
僕が飛び起きたせいなのだろう、同じ布団に潜っていたエルヤの目がぱちりと開いた。
「おはよう、お姉ちゃん」
「ん……おはよー」
目をごしごしと擦りながら、同じように布団から起き上がってきた姉。
だけどまだ覚醒しきっていないのか、ぽーっとしている。
布団から出て窓……というより扉のように開く雨戸を開けると、既に太陽の光が注いでいた。
んー、六時くらいかな? そろそろ両親も起きてくる頃だ。
しかし眠い。昨日は何時までやっていたのか分からないけど、相当遅くまで起きていたと思う。
でもそんな時間に寝ても、きちんといつも通り起きるんだから体内時計って凄いよな。
「お姉ちゃん、顔洗いに行こう」
「んー……」
手を差し出してきた。
連れてけって事か。
エルヤの手をぎゅっと握ると暖かかった。
子供の手って何でこんなに体温高いんだろうかね、新陳代謝が良いからだろうか?
姉を連れて外の共同井戸に行くと、既に数人が並んでいた。
朝ご飯の支度に水を使うからだろう。
列の一番後ろに並ぶと、前に並んでいた人が声をかけてくる。
「おはようエルヤ、ラキア」
「おはようございます、フランカさん」
「おはよ……ございますー」
フランカは二件隣に住んでいて、この世界ではそろそろお婆ちゃんと言われるくらいの人だ。
子供も既に独り立ちし孫までいて、そして夫は既に亡くなっていて今は一人暮らし、そのせいかやたらと僕やエルヤ、母に構ってくれる。
母からにしてみても親くらいの世代で、更に同性ということもあってか、良き相談相手となっているようだ。
「マガリーはまだ寝ているのかい?」
マガリーは母の名だ。
僕が家を出るとき、寝室から物音が聞こえてたし、そろそろ起きている頃だろう。
「そろそろ来ると思います」
「そうかい、娘のほうが早起きなんだねぇ」
「お母さんは朝食の支度もありますし、お父さんの支度を手伝っていますから、遅くなるは仕方無いと思います」
「あははは、しっかりしてるねラキアは。おっと順番がきたね」
フランカはいとも容易く井戸の水を汲み上げる。
この人、実は身体強化できるほどの魔力を持っていて、お婆ちゃんに近い年齢なのに男顔負けの力仕事をしているのだ。
「ほらお姉ちゃん、そろそろ順番だよ」
「うん、起きた」
手を繋いだまま声をかけると、ようやく完全に起きたのかエルヤがにぱっと笑いかけてきた。
エルヤの髪は珍しいストロベリーブロンド……赤色っぽい髪を持っている。
シャンプーがないため、若干くすんでいるけど、それでも太陽の光を浴びるときらきらと赤く見える。
綺麗だなー。
そして僕の髪の色はダークブロンド、もう黒髪と言ってもいいよねこれ。
「ほら、汲んであげるよ」
「ありがとうございます!」
子供二人で大変だろうと思ったのか、フランカが水を汲んでくれた。
いや本気で大変なんだよこれ。単にバケツに紐が結んであるだけで、これを落として持ち上げるだけの単純なものだからこそ、非常に力がいる。
僕だけじゃなく姉と共同作業で持ち上げないと、なかなか汲めないのだ。
手押しポンプとか、せめて滑車がついてれば良かったんだけどね。
フランカが汲んでくれた水を姉と二人で分け、頭から水をぶっかけた。
あー、気持ちいい。非常に目が覚めるわー。
「で、今日は何をするつもり?」
「私はいつもの通り、お母さんのお手伝いかな。お姉ちゃんは?」
「あたしもお仕事いくまではそのつもりよ。多分今日も遅くなるからお昼はたくさん食べないとね」
我が家は父の農業と母の内職で金を稼いでいる。
内職の仕事は様々で、昨日のようにアップリケを作ったり、竹っぽい木でカゴを編んだり、靴代わりにイグサっぽいので草履を作ったりだ。
ただカゴ作っても一個銅貨一枚とかそんなもので、草履なんか鉄貨五枚だ。
ちなみに銅貨一枚でパンが一つ買える程度の値段である、多分日本円だと百円くらいかな。そして鉄貨十枚で銅貨一枚となるので、鉄貨五枚だと五十円ってところだ。
うん、安いね。
それでも一日数個くらい作れば、一人分の一日の食費くらいにはなる。
姉の稼ぎと父の農業でようやく暮らしていけるレベルだ。
しかし姉ももう九才、あと五~六年もすれば結婚の話も出てくるだろう。そうなると僕が家計の手助けをしないと、なかなかに厳しい状態となる。
ま、それでも僕は十五になる頃にはこっそり出て行くつもりだけどね。僕の食い扶持が減るので収入は大丈夫だと思うし。
「ただいま」
「たっだいまー」
「あら、今から水を汲みにいくからカスペルの手伝い頼むわね」
「「はーい」」
カスペルは父の名前だ。しかし父の手伝いといっても、農作業の格好にするだけなので、実際手伝い事は殆どない。
母が出て行ったあと、取りあえず寝室へ行くと予想通り既に着替えは終わっていた。
「おっ、おはよう我が娘たちよ。今日も天使だな」
何言ってるのこの人。
思わず冷めた目で父を見ると、エルヤも僕と同じような目で父を見ていた。
さすが姉妹。
「お前ら……父の溢れんばかりの愛情が分からないのか……」
がっくり項垂れる父。
大丈夫だよ、そのうちトドメに、お父さんの下着と一緒に洗わないで、って言うから。
「それよりお父さん、準備はもう終わったの?」
「ああ、終わったぞ。あとは朝飯食ったら出るだけだ」
「お弁当も忘れずにね」
「もちろんだ、愛する妻の弁当を忘れるはずがないさ」
三十を超えててもこんなセリフ吐くとはね。
ま、二人が幸せならいいけどさ。
「そうだお父さん、今日も遅くなると思うから先に食べててもいいよ」
「ちゃんと待ってるから心配するな。それより帰り道は用心するんだぞ? 何なら父さんが迎えにいってやろうか?」
「それは大丈夫よ、パースさんが送ってくれるから。昨日もそうだったのよ?」
この町は交通要所として成り立っている。
その分外部の人もたくさん来るわけで、中には人攫いのような連中もいないとは限らない。
子供の、しかも女の子だと格好のエサになるだろう。
実際何年か前に攫われた事があったらしい。
「そ、そうか。だがパースさんに迷惑もかけられないし、やっぱり父さんが……」
「あたし以外の子も一緒に送って貰ってるから大丈夫よ」
宿で働いている見習いは姉だけでなく、他にも二人いる。
従業員だけでいえば十人ほどいるのだ。それくらい人気の高い宿で、うちの地区では稼ぎがナンバーワンなんだよね。
逆に言えばそれだけ町の人に仕事を与えているわけで、頭があがらない相手になってる。
そしてパースの長男はもう結婚しているけど、次男がまだ未婚のため、結婚の申し込みが殺到しているらしい。
現金だねぇ。
「ただいまー。エルヤ、ラキア、手伝ってちょうだい」
「「はーい」」
そうこう言ってる間に母が帰ってきたようだ。
さて、朝食の手伝いするか。
♪ ♪ ♪
「それで、ここをこう編んでいくのよ」
「……難しい」
「お姉ちゃん、不器用だね」
朝食を食べ終え、父を見送ったあとは母の内職の手伝いだ。
今日は編み物。
これから冬に向けて寒さが厳しくなってくるので、マフラーを編んでいるのだ。
ぶっちゃけマフラーは母でも一日に一つ半、ちょっと無理して二つが限界だ。ただしその分単価が高いので、冬に入る前の貴重な収入源となっている。
毛糸も高価なので無駄には出来ないけど、マフラーなどの編み物なら解けば元に戻せるから、良い練習にもなる。
「ラキアは上手よね、アップリケは全然ダメなのに」
僕はデッサン力やデザイン力は皆無だけど、今作っているマフラーのように模様とか一切考えず決まった手順で繰り返すだけなら問題ないのだ。
ただし僕だと一日に一つ作るのが限界。さすが母はこの道のプロだね。
元々母は他の町に住んでいて、ちょうどそこへ農業に使う種を買いに来ていた父と出会い、即恋に落ちたらしい。
父も結婚相手を探すのに苦労していたらしく、更に他の町から人が来るのは人口増にもなるので地区長、町長も母の住んでいた町の長と調整して話を進めたそうだ。
この世界、勝手に引っ越しするのはNGなんだって。
町、というよりその土地を治めている領主も自分の領地の境界には門を作り、勝手に出て行かないよう見張っているそうだ。
人口が減るのは税の減収にも繋がるから、領主にとっても痛い話になるからね。
「そろそろお昼にしましょうか」
「うん!」
編み物を無心で編んでいたらいつの間にかそろそろお昼前の時間になっていたようだ。
母の言葉に元気よく返事をする姉。
姉はお昼には宿に行かないとダメなので、急いで昼食の支度が必要になる。
いつも昼食は朝の残りを利用するので簡単なものだ。
今朝はパンと野菜スープだったので、多分野菜サンドになるだろう。パンを切って野菜を挟めば終わり、作るのに数分とかからない。
「マガリーいるかい?」
立ち上がったところで、玄関から声が聞こえてきた。
この声はフランカかな?
「いますよーフランカさん」
母が声を出しながら玄関へと急ぐ。
「何か用かな」
母の後ろ姿を見ながら、姉がちょっぴり不機嫌そうになる。
昼前の時間に来客なんて、下手をすると昼飯食べ損ねるからね。
でも大丈夫、サンドイッチなら僕だって作れる。というか姉も一人で作れるでしょ。
「それは悪いわよ」
「いやいや、あたし一人じゃこんなに食べきれないわよ。マガリーのところだけじゃなく、他も回っているから。だから手伝って」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
何やら非常に申し訳なさそうな声をする母。
フランカから何か貰ったのかな。
そして母が両手に大きな肉の塊を持って戻ってきた。多分二~三キロはあるだろう。
「お母さん、それどうしたの?」
「フランカさんがね、今朝狩りに行った時に大物を狩ったのでそのお裾分けですって」
もういい歳なのに狩りとは凄いな。
しかも他人にお裾分け出来るくらいの大物か。普通なら肉は自分が食べる分を除いて他は全部売りさばくのにね。
ありがたい話だ。
「やったぁ! お昼は豪華になるね!」
「支度があるからすぐには食べられないわよエルヤ。これは夕食にするから、楽しみにしてて」
「わかった!」
さっきちょっぴり不機嫌だった姉も、すっかり治ってる。単純だね。
でも数キロの肉だ、家族四人で食べても十分な量になるだろう。
やったね、今夜はステーキだ!
あ、僕も単純か。
「ラキアは午後からこれの支度を手伝って」
「うん!」
「ラキア、美味しくしてね!」
「任せてよお姉ちゃん」
単純にステーキにして見応え十分にするか、切って焼き肉にするか、それとも薄くスライスしてしゃぶしゃぶにするか。
半分今夜食べて残りをミンチにしてハンバーグというのも良さそうだ。合わせの卵がないので、バラバラになりそうだけど。
でも、今日はたくさん肉が補充できるな。