二
「お姉ちゃん酷い」
「ごめんなさいラキア、ほんっとうにごめん」
「ダメ、許さない」
数分で元に戻ったけど、さすがにこれは許されぬ出来事だ。
だが必死に懇願するエルヤを見てちょっとだけ良心が痛んだ。
仕方無いな。
「じゃあ鶏肉一口で許してあげる」
「えー、あたしお腹空いているんだけど」
肉は貴重だ。
近くに森があり、そこで猟師たちが獲物を狩ってくるのだが、当然町全体に行き渡るほどではない。
畜産業というものも存在してないからね。
その肉の大半はやってくる客たちへと行き渡り、残りは地区長やら町長といったお偉いさんの方へ回る。
つまり市井に肉が回ってくるのはごく少数なのだ。
しかしエルヤは、客相手に商売をしている宿兼食堂で働いている。つまり肉を手にする機会があるという訳だ。
僅かに残っている肉があれば、その日の働いた金で買って、こうして持ち帰ってきてくれているのだ。
我が家の食卓に肉があがるのは、彼女のおかげである。
「じゃあ許してあげない」
「もー、仕方がないなぁ、一口だけね」
「わーい、ありがとうお姉ちゃん!」
大人なら僅か三口くらいでなくなりそうな量だけど、五才の僕からすればそこそこな量になる。
肉を食べないと成長しないからね。
姉は食べなくても成長してたけど……。
「そうそうエルヤ、今日来てた団体さんたちはどんな感じなんだい?」
僕が姉の肉を遠慮無く一口囓っているとき、父が姉に話しを振った。
そういや団体さんが来てたから、姉が遅くなったんだっけ。
「んー、十人くらいいたかなぁ。一番偉い人っぽいのは貴族みたいだったよ」
「貴族か……」
途端嫌な顔をする父と母。
まあそうだろうね。特権階級の人がこんな田舎に来たところで、厄介事しか生まない。
一応町長も騎士爵という一番下っ端の貴族らしいけど、正直町民となんら変わりない。
ま、人口三百人程度の小さい町だからね。
「あとその貴族の子供もいたよ、ラキアよりちょっと年上くらいのすっごい可愛い子。でも我が儘だった。うちの食事がまずい、って叫んでた」
王都の貴族ならさぞかし良いものを食べているに違いない。それから比べると格段に落ちるのは仕方ないだろう。
僕だって今では慣れたけど、前世と比べたら雲泥の差だったからね。
とにかく味が全部薄いんだよね。調味料なんて塩くらいしかないので、素材の味で頑張ってる感じ。
「でもラキアのほうが格段に可愛いけどねっ!」
それはないでしょう。
どうみても自分の顔……顔……そういや見てないな。鏡なんてないし、ものすごく昔に一度桶に汲んだ水で見たっきりだ。
ま、どうでもいいけどね。
「それよりお姉ちゃん、町の外のお話、また後で聞かせてね」
「うん、いいよ。でもラキアいつもそればっかだよね。たまには他のお話もしない?」
「ううん、わたしは外のお話が好きだから、それがいいの。でも外のお話が終わったら、他のお話しようね」
僕の言葉にぱっと表情が輝くエルヤ。
我が姉ながら単純だな。
ふふふー、とお互い笑い合ってたら、母からツッコミが入った。
「ほらほら、さっさと食べてちょうだい。片付かないでしょ」
「はーい」「はぁい」
だが、さっさと言われてもなかなか速く食べられない。
結局言われてから二十分ほどかけてようやく食べ終わった。
肉は少ないけど炭水化物が多いんだよな、あとスープ。
農業で身体を動かす父、宿でずっと立ったまま仕事をする姉と違い、僕と母は家で内職をやっているのだ。あまり炭水化物ばかりだと太ってしまうよな。
その後、片付けの手伝いをやって、姉と軽く水で洗いっこしてから、布団に潜り込んだ。
「それでね、バグダッドという町からきてた人がね、貴族を見て慌てて宿から出て行ったんだよ。ひどくない?」
「追い出したの?」
「ううん、勝手に出て行ったの」
その日の夜、寝る前にエルヤと布団の中で話していた。両親は寝室、僕たちはリビングで寝ている。リビングと言いつつ食卓と寝室を兼ねているね。
そして会話内容は今日起こった出来事。
バグダッドという町は、確かここから馬車で一週間ほど王都寄りにある町だったと記憶している。
特徴は港。
毎日大量の物資が国内外から行き交っていて、この町の遙か上位互換な場所だ。
そんな大都市から商人がうちの町へ来ている、ということは向かう先が船では行きにくい場所なのだろう。
この町は潮風やら海の匂いとかが一切なく、普通に森の遺跡近くだ。最低でも海まで数キロくらいは離れているだろう。
そして王都へいく途中に港がある。
となれば、そのバグダッドとやらは大きな湾のようにへこんでいるところにあるのかな。
もしくは王都までの道が海側までうねっているとか。
生憎と地図はないので全て推測となるけどね。
こんな事を想像するだけでも楽しい。
「それでその貴族は何しにきたのかな」
「……さあ……ふああぁぁぁ、えっと結構なおじいちゃんだったよ」
「お父さんが、何年か前にも遺跡を調査する人たちがきたって言ってたけど、その時も貴族ってきたのかなぁ」
「……うーん、分からな……いわ」
徐々に眠くなってきたのだろう、エルヤの目が半分以上閉じている。
ま、今日は疲れているだろうし、そろそろ寝かせるか。何といってもまだ九才だし。
「ごめんねお姉ちゃん、そろそろ寝ようか」
「おやすみ……ラキ……ア……」
そして姉が完全に寝入った。可愛らしい寝息を立てている。
さて、ここからは僕の時間だ。
≪キーアクセス=コードネーム=アキラシリュウ≫
小声で囁いたのは日本語。
アキラシリュウ……四柳彰は僕の前世の名前だ。
そしてその言葉に反応するように魔力が消費され、脳内に様々な言葉が飛び交った。
火種、睡眠、粉雪、湧水などなど、たくさんの文字が頭の中で飛び交っている。
そして目的の文字を見つけ、手を動かしてそれを掴むイメージをする。
≪ワードアクセス=帰還≫
次の瞬間、僕の姿が布団から掻き消えた。
♪ ♪ ♪
突然暗闇の中へと現れる僕。
光は一切なく真っ暗闇の中に佇む。
でもこのままだと何もできないので、とにかく明るくしないとね。
≪ワードアクセス=光球≫
未だに頭の中で飛び交っている文字の一つを掴みワードを唱えると、明るく輝く光の球が頭上に出現した。
よし、これで灯り確保だ。
と思ったのもつかの間、いきなり目の前にぼんやりとした、向こう側が透けて見えるメイドさんが現れた。
瞬間、どきん、と心臓の鼓動が大きくなり、身体がびくっとした。
「おや、お帰りなさいませお嬢様」
しかしその幽霊メイドは何事もなかったかのように、丁寧な挨拶をしてきた。
び、びっくりしたー。
「驚かせないでよっ! 心臓が口から飛び出るかと思ったじゃないか!!」
「ほほほほ、面白い表現をされますねお嬢様は」
ころころと笑うこの幽霊っぽいメイドの名はリディアーヌ。数万年前にこの世界を支配していた古代魔法国家の生き残り……ではなく、死に残り(?)だ。
何でも自分の意識を切り離して幽体に取り憑かせたそうだ。まさしく幽霊じゃねぇか。
彼女は古代魔法国家でも有名な死と生を操る家系の一族だったらしく、その中でもリディアーヌは別格だったそうだ。
最も分家出身だったので表舞台にはなかなか出られず、さりとて放置するには惜しい才能だったため、本家に仕えるメイドという立場で陰からサポートしていたそうだ。
そして半年ほど前、僕がこっそり遺跡へ遊びに侵入したとき、なぜか彼女に気に入られて、こうして魔法を使えるようにしてもらったのだ。
言わば僕にとって魔法の師匠だね。
魔法。
この世界には魔法があった、過去形で。
現在では魔力を持っていても魔法は使えず、自分の体内で使うくらいだ。つまりは身体強化だけとなる。
希に大量の魔力を持っている人が、魔力そのものを撃ち出して攻撃するような技を使っているらしいけど、彼女にしてみれば強引な方法だってさ。
魔法とは世界の理であり、それを使うには世界に登録されている魔法のライブラリへアクセスしなければならない。
だがライブラリへアクセスするには、先にライブラリに登録しアクセスキーを貰う必要がある。鍵のかかった建物へ入るには、先に鍵を貰わないと入れないのと一緒だ。
鍵を発行してくれる先人、先達がいて、初めてライブラリへアクセスが可能となる。
でも古代魔法国家は遙か昔に滅んでいて鍵をくれる人がいなくなった。このため、現代では魔法を使える人がいなくなった訳だ。
ただし、鍵がなくても無理矢理ライブラリへアクセスするほどの実力(一番最初に魔法を作った人と同レベル)があれば別らしいけどね。
幸い僕は、彼女という先人がいたおかげで鍵……アクセスキーを貰う事が出来た。
つまり僕は……今のところ彼女を除いて世界で唯一人の魔法使いって訳だ、たぶんね。もしかすると古代魔法国家時代の生き残りがいるとか、一子相伝で受け継いでいる家系がある可能性もゼロではないからね。
そして僕はこの魔法を使って何をするのか、と問われれば、特段何をやるわけでもない、と答える
将来この町を出たときの生きる術の一つとするだけだ。
きちんと生活できればよし、出来なければとにかくどこか人気のない山奥にでも篭もってその日暮らしをしてもいい。それくらい男と結婚は嫌だ。
「さて、今日の講義を始めましょうかお嬢様」
「だからそのお嬢様ってのは……それに私は単なる町民ですよ」
「よいではないですか。以前はどうであれ今世は立派なお嬢様です。町民などそのような区別を付ける必要はありません。では始めますよ」
そう、僕が夜な夜なここを訪れているのは、彼女に様々な事を教えて貰うためなのだ。
でも彼女は幽霊であり、基本的にこの遺跡から外へ出ることは出来ない、地縛霊のようなものだ。知っている事といえば、魔法くらいなものである。
魔法の実力はどのように決まるか。
ライブラリへアクセスできるのは前提として、そこから更にライブラリに登録されている魔法を検索し、閲覧、発動させるのが次のステップとなる。
検索、閲覧速度をあげたり、もっと奥にあるライブラリへと潜ったり、果ては自分でライブラリに魔法を登録するのが実力となる。
ちなみに今のところ僕が使えるのはライブラリの一番最初に置いてある、誰でも閲覧可能となっている魔法しか今のところ使えない。
魔法国家時代なら子供でも可能なレベルだってさ。僕は子供なので無問題だけどね。
ここへ転移したときに使った≪帰還≫も、子供が家に帰るための魔法だったりする。
「まずは火を使ってください」
「わかった。≪ワードアクセス=火種≫」
頭の中で飛び交う文字の一つ、火種を掴み取って発動すると、ライターのような火が指先に点く。
簡単そうにやっているけど、これも最初は難関だった。
頭の中の文字を掴む、というやり方が分からなかったのだ。
彼女曰く、頭に浮かんでいるなら閲覧は出来ている、掴むのは文字通り手でしっかり掴む事、と言われたんだけど、どう頭の中でイメージするのかが分からなかった。
結局僕がやったのは、実際に手を動かして掴む動作をする事だった。傍から見るととても不格好だけど、どうしてもイメージだけでは掴めなかったのだ。
ダサい、と言われたけど出来ないんだから仕方無い。
「次、水」
≪ワードアクセス=湧水≫
火が消えて、次にちょろちょろと指先から水が湧き出てくる。
「次、風」
≪ワードアクセス=舞風≫
団扇で扇いだ程度の風が頬に当たった。
「はい、基本は出来てそうですね。強いて言えばもう少し行使速度をあげる事と、その手を使う動作を省略する事ですね」
「飛び交ってる文字が速くて、なかなか掴むタイミングが合わないんだよ……」
「それはまだ閲覧が不安定ということです。もっとしっかりライブラリを見て、その魔法がどこに保管されているかしっかり把握してください。場所が分からないと、閲覧も不安定になりますよ」
「はーい」
火種、湧水、舞風、帰還。
これは初級の初級、生活にあると便利な魔法、という位置づけのものだ。他で言う生活魔法みたいなものだろう。
他にもあるけど、この四つが基礎となる。
でもさ、帰還だけ自分の家限定とはいえ、瞬間移動だからレベルが違うような気がするんだけど、リディアーヌにとってはそうではないらしい。
うーん、初級という位置づけが分からないな。
火種や湧水と帰還、どれも同じ程度の魔力消費量なので、やはり初級の位置づけなのかな?
「では次に、ここ半年で魔法にも慣れたでしょう。そろそろタナトス家のライブラリを閲覧しても良い頃ですね」
「タナトス家のライブラリ?」
「タナトスは私の家名です。そして死と生を操る一族、その系統の魔法が格納されているライブラリとなりますね」
ライブラリは九個の区画と共有区画、合計十個に別れている。
今、僕がアクセスできるのはこの共有区画の一番浅い場所だ。共有区画を奥まで覗くともっと多くの魔法を閲覧できるけど、情報量も多いため頭が痛くなる。
更に奥へ行けば行くほど魔力消費量も増えるので、きついのだ。
そして共有区画を抜けると、専用区画へと繋がっている。
専用区画はそれぞれ管理者がいて、彼らに許可を得て鍵を貰わないと閲覧すら出来ない、事になっている。
如何に鍵なしで他の専用区画を覗くか、というところも魔法使いの腕の見せ所だってさ。
「魔力足りるのかな」
「足りなければ気絶するだけですので、心配ご無用ですよ」
「気絶って……でもそれじゃ閲覧できないんじゃ」
「はい、出来ませんね。ですので、閲覧出来るまで回数をこなします。徐々に魔力量が増えていきますのでご安心を」
全く安心できないんだけどさ。