十一
付き人たちが全員揃ったその日の晩、僕は実に一ヶ月ぶりに遺跡へと来ていた。
そして僕は正座させられ、リディアーヌに怒られていた。
「それでなかなか来られなかった訳ですね、お嬢様は。それにその服も納得しました」
「ごめんなさい、リディアーヌ。でも仕方がなかったんだ、ずっと朝から晩までアルムデナに付きまとわれて、延々貴族の作法勉強させられていて、心身共に疲れ果ててたんだよ」
「言い訳は無用です。と言いたいですが、お作法ですか。確かにわたくしも幼少の頃、辛かった思い出があります」
「え? リディアーヌも貴族だったの?」
「貴族とやらは何か分かりませんが、わたくしもタナトスの本家に移籍しましたからね。分家ならまだしも、ライブラリを管理する九家はとても規律正しく動く必要があるのですよ、国民の目がありますから」
魔法のライブラリは共有を除けば、この九家が独占していた。
そのため、魔法国家の支配者階級のような扱いになっていたのだろう。つまりは貴族みたいなものだったと。
「ですが、それはそれ、これはこれ、です。魔法はなるべく毎日使わないと、腕が落ちます。自主訓練でも良いですので、可能な限り毎日使ってください」
「……はい」
「さて、反省はここまでです。では繰り返し生の初級魔法を使ってください」
「はいっ!」
ライブラリは九個の区画と共有区画、合計十個に別れている。
そして先日、というより一ヶ月以上前にようやくタナトスの管理するライブラリを不正アクセスすることが出来た。
詳細なやり方は言わないが、めちゃ力ずくだった、とだけ言っておこう。
不正アクセスなんだから、小技を色々駆使してセキュリティを破るのかな、と思ってたんだけどな。
「良いですか、お嬢様に付与されている権限は不正アクセスで手に入れた疑似権限です。あまり使いすぎると、ライブラリガーディアンに見つかりますから、気をつけてください」
ライブラリガーディアンとは、僕がウィルスだとするとそれを駆逐するアンチウィルスだ。
それに見つかると、優しければ強制的に遮断され、厳しければ攻撃を食らう。
特にライブラリの奥で見つかれば、命の保証すら出来ないらしい。
こわっ。
それを思いながら慎重にタナトスライブラリを覗いた。
「≪ワードアクセス=治癒≫」
生の魔法で、基本中の基本、浅い怪我を治す治癒だ。
子供が転んで怪我しただとか、誤って包丁で指を切ったとか、そういう絆創膏程度の傷を治せるものだ。
手足が落ちたり、取れかけてたり、内臓が破裂していたりと、重傷レベルのものは治せない。
ぽわっ、と淡い光が指先から生まれる。
それを自分の腕にあてると、ほんのり暖かくなった。
でも僕は怪我をしていないので、本当に治るのかは分からない。
「自分で切れば効果が分かりますよ」
「そんな痛い事わざわざしないよ」
これを何度も何度も繰り返し、身体に使い方を馴染ませる。
タナトスライブラリを覗くだけでも、かなり魔力的に厳しいのだ。その上でたくさんの魔法を使えばどうなるか。
僅か三回唱えただけで、僕はあっさり気を失った。
「あら、気絶してしまいましたか。まだまだ魔力が少ないですね。魔力を強制付与させてもいいですが……作法勉強は精神的に辛いですからね。早いですけど今日の所は一旦おしまいにしましょう」
♪ ♪ ♪
付き人が全員揃い、作法勉強も付け焼き刃だけど一旦終了となった。
アルムデナたちはそれぞれ役割ごとにやることがあるらしく、毎日何かを話し合っている。
そして僕が何をしていたのかと言えば……。
「これがフォクストーン男爵領の地図と、各町の収支じゃ。十年分ほどあるのでざっと目を通しておくように」
「畏まりました」
以前騎士のイクセルが、絶対に逆らうな、と言われたフェリクス元伯爵に、領地の説明をされていたのだった。
過去の十年分の収支と地図だ。
地図は大体の位置関係が把握でき、町間には徒歩何日と書かれているだけの、非常に簡略されたものだったが、それでも僕に取ってはありがたい。
うちの町って本当に端っこだったんだなぁ。
そして収支。
金額を見てもそれが多いのか少ないのかが分からないが、殆ど利益がない事は分かる。
税金で得た金の半分は国に治められ、残りの半分のうち大半は代官の給料となっている。手元に残るのは殆どない。
公共事業なんてやるような余裕が一切無い、それどころかこんな屋敷を建てて百人以上もの人間を雇っているのだ。
確かに公爵領からの支援がないと、やっていけないだろう。
都市のシミュレーションゲームで、序盤にばかでかい建物を建ててしまって維持費がかかり、赤字が続くようなものだ。
これをせめて屋敷の維持が出来るくらいの税収入がないと、ずっと支援なしでは生きていけなくなる。
「良いか? 何をするにしても、まず現状把握からだ。儂もそう長くはないし、いつまでお嬢様のお役に立てるか分からぬ。しっかり勉強することだ」
「畏まりました」
「何か疑問に思った事があれば問うが良い」
この人、怖いのかと思ってたけど意外とそうでもなかった。
言ってる事はまともだし、町民だからといって手を抜くこともしないで、きちんと資料とか見せて勉強の姿勢をとってる。
これも国王の勅令のおかげなのかな?
ま、いいか。取りあえず質問だ。
「はい、それではいくつかあるのですが……まず参考までに他の領地の収支があるのなら、見せて頂きたいのです」
参考資料は多すぎても混乱するけど、全く無いのは問題だ。せめて比べるものないと金額が正しいのか、判断が付かない。
例えば必要経費。金額が書かれていても、本当にそれが正しいのか。もっと節約できるのか、できないのかが分からない。
そのために、参考となるような他の領地の資料があれば良い。
可能なら十個くらいの領地の収支があれば、大体これくらいかかるというのが分かると思う。
でもあっさり否定された。
「あるはずがなかろう?」
ま、そうですよね。
他領ってことは、他人の家の家計簿を見せてくれって事になる。
この資料は多分関係者外秘のような扱いだろうし、そうそう簡単に見られるわけがないか。
じゃあ次は……と思ってたら逆に質問された。
「なぜ他領の収支を見たいと思ったのだ?」
「はい、私は領地の金額などを見るのは初めてで、正直に言えばこれらの金額が多いのか、少ないのか判断が付きません。ですが他領の収支があれば、それと見比べる事によって、多少何かが見えてくるのではないか、と思った次第です」
「ほう……なるほどの。他に何かあるか?」
「この必要経費のもっと細かいもの、明細はありますか? 何が必要で、それがいくらかかったのか、というものです」
「それならあるの。ただし量が多いから後ほど資料室に案内させよう」
「ありがとうございます」
資料室ってあるのか。
いや、この屋敷って領地を経営するオフィスのようなものだから、普通に考えればあるか。
しかし資料室っていうくらいだから、多分たくさんの資料がバインダーとかに挟まれて並んでいるのだろう。
ちょっと興味はある。ついでに他のも覗いてみよう。
「他にはあるか?」
「いつまで公爵様のご支援は頂けるのでしょうか?」
「ほほぅ、なるほどの。今のところは無期限だ。心配するな、少なくともお嬢様が成人なされるまでは最低でも続く」
今のところ、ね。
裏を返せば何かあったら支援は打ち切りになると。その何か、というのは分からないけど、何かしらの条件があるのだろう。
そういやフランカが、高位貴族の娘なら縁談があるはずなのに、男爵という爵位を与えて独立させたのは何かしらの裏があるんじゃないか、って言ってたな。
それが関係するのだろう。ま、でもそこは深く考えてもどうしようもない。
そして男爵娘が成人するまでは最低でも支援が続くと。えっと確か八才だっけ。だからあと七年は続くのか。
よし、目標は七年で支援なしでもトントンまで持って行くことだ。
少なくともそれくらいじゃないと、この先生きのこれない。
……出来るのかな?
しかし目標を立てたのはいいけど、果たしてそれが現実的なのか、どうかも判断付かないなぁ。
まずこの屋敷の維持費ってどれくらいかかっているのだろうか。
雇っている人数だけでも百人は超えていそうだし、人件費だけでも相当な金が必要になるのは分かるけどね。
僕ですら月に大銀貨二枚なのだ。アルムデナやイクセルはもっと高いだろう。
それに加えて必要な備品。
靴や服も僕のサイズに合わせて買ってくれたけど、それらの費用もここに含まれている。
成長に合わせて毎回購入してたら、多分とんでもない額になっているだろう。
……先はちょっと長そうだ。
「しかしお主……ラキアと言ったな、なるほどサーバイル卿の言うとおり、とても町民の子とは思えぬな。一体どこでそのような考え方を学んだのだ?」
途端爺さんの眼力が僕を捉えた。
そういや前にもイクセルに、頭を掴まれたな。
でも僕の答えは同じだ。
「学んだ事はありません。何故これはこうなっているのか、というのを突き詰めて想像しているだけです」
「突き詰めて想像……か。……ふんっ。まあいい、お嬢様のお役に立てるのなら悪魔でも構わぬ」
悪魔って、そんなのいるのか?
でもここはファンタジーの世界だし、存在しても不思議じゃない。
幽霊っぽいリディアーヌもいるくらいだからね。これはあとでリディアーヌにでも聞いてみるとしようか。
でもさ、サーバイル卿って誰?