十
サウナから戻ってきた僕は、業務内容をアルムデナから教わった。
まず当主である男爵娘は、まだここに来ていないそうだ。そのため付き人の仕事も今のところ、殆どないらしい。
せいぜい左側の貴賓区画にある男爵娘の部屋の掃除をする程度だって。
ただし男爵娘が来たら、付き人に役割分担が発生する。
彼女の着替えを手伝ったり、飲み物を取ったり普段の生活のサポートを行うもの。
彼女の仕事の手伝いを行うもの。
最後に護衛だ。
男爵娘の付き人は僕含めて全員で九名、そのトップがアルムデナだ。
そして僕は、彼女の仕事の手伝いを行う付き人として雇われたらしい。ちなみに同僚はいない。
護衛と生活サポートがそれぞれ四人ずつの配分だった。
えぇー……。
仕事のサポートということは、あの一番偉い元伯爵とも対峙するんだよねぇ。
また、現在付き人でこっちにいるのがアルムデナとカリダードの二人だけ。残りの六人については、一ヶ月後くらいに到着するそうだ。
「付き人に男性はいないのですか?」
「……? リースペット様が女性なのに男性がいるはずがないでしょう?」
やはり男性は御法度なのか。
中身男性だとばれた場合どうなるのかな……怖いな。
「男爵様の仕事の補助とは、実際どのような事をやるのでしょうか?」
「領地のお仕事ですし、わたくしには分かりませんわ。ただ実務の文官はいますので、男爵様と領地経営の方向を決めるのがお仕事ではないでしょうか?」
そうか、跡取りでも無い限り領地経営なんて知らないよね。
でも実務の文官がいるということは、こちらは案を出してあげれば、あとは彼らが実際に可能なレベルへと落とし込んでくれるのだろう。
それならいけるかな……と思ってしまう自分がいるけど、実際は甘いんだろうな。
きっと元伯爵に叱られつつになるだろう。
他には、屋敷で働く人たち。
まずここは公爵家の別荘扱いとなるので、基本的に屋敷内は貴族かその子弟しかいない。
これは高位の貴族が他の貴族に対し、仕事場を用意するという考え方から来ているそうだ。
特に下位貴族の子爵、男爵や騎士爵の三男とか三女くらいになると、結婚しようにも相手も見つからないし、将来の仕事場もないからだ。
今回別荘を追加したのも、貴族たちの仕事場を増やすための目的もあるんだって。
なるほど、町民の僕が採用されたのは極めて異例ってのが分かった。
そしてそんな彼らがくるのがおおよそ一月後。
もちろん彼らはぴかぴかの社会人一年生なので、指導する人が必要なわけで、それが僕を案内してくれた騎士のイクセルだったり、侯爵という高位貴族の子女であるアルムデナだったりする。
元々アルムデナは男爵娘の側近だったけど、そろそろ成人間近になったので、本来なら自領に戻って婚約準備をしなければならないのだが、今回の件で一年ほど延期して貰ったらしい。
成人間近って十四才って事だよね、それでもう結婚か。
はっや。
彼らがやってきて一月ほどの研修を経て受け入れ準備が整ったところで、ようやく男爵娘がやってくるんだって。
お偉いさんは違うね。
さて、男爵がいないので付き人に仕事はない。
でも僕には仕事、というより覚えなければならないことがあった。
「姿勢をまっすぐ。急がず、静かに、音を立てず。表情を少し和らげてください」
「畏まりました」
「目線があちこち飛んでいます、しっかり前を向いてください。歩幅が一定ではありません」
「畏まりました」
「歩く時スカートを巻き込まないようにしてください。少し歩みが早いです」
「畏まりました」
貴族ご令嬢の作法勉強だ。
これが非常に難しい。
動きの矯正になるし、前世含めてもこんな事をやった事がないので、普通の子供より覚えるのに苦労する。
しかも覚える事が非常に多い。
「ラキアの年齢は六才です。同世代と比べ多少見劣りするのは仕方ありませんが、せめて歩き方だけはしっかり覚えて下さい。付き人として一番姿を見られるのは、リースペット様と共に歩いている時です」
これで六才児に見劣りですか……。
すごいな、貴族の六才児。
「食器は音を立てないようにして下さい。パンは一口以下の大きさまで手で小さく千切って食べて下さい。食器に顔を近づけないようにして下さい。自宅とは違い、ここには給仕はいません、一人で食べられるようしっかり学んで下さい」
もちろん食事も練習だ。
っていうか、自分の家に給仕なんていねーよ。
食事自体はすごく美味しい。パンも柔らかいし、スープだって塩だけじゃなく、様々な材料が使われている。
ちゃんと肉と野菜もあるし、食後のデザートやら飲み物まで完備されている。
それでも上司に睨まれながらの食事は、きつい。
せっかくの美味しい料理が台無しだ。
「カーテシーは左足に重心を乗せ、右足を伸ばして下さい。その後、右足を後ろへ移動させて軽くお辞儀してください」
「跪くのは公爵閣下、あるいは国王陛下がいらっしゃった場合のみですが、こちらもしっかり覚えて下さい。いつ何時ご訪問されるか分かりません」
「本の捲り方は急がず一枚一枚丁寧に」
「席を立つときは一旦椅子を引いてから、座ったまま横に回るのはみっともないです」
うわああぁぁぁぁぁぁぁ……、もうやだ。
顔は笑顔で、心で泣いて。
アルムデナがずーっと付きっきりなので、朝から晩まで勉強の嵐だ。
魔法を勉強する体力なんて一切ない。
これはきついわ。
「貴族の作法は今後貴女にとっても必要な物になります。町民だからと言って蔑んだり嫌がらせしたりする者は一定数います。少しでも一定数の人の目を欺けるよう、習得してください」
難癖つけてくる連中に、エサを与えないよう少しでも貴族から見た欠点を克服しろって事か。
……あれ? アルムデナって良い奴じゃん。
「わたくしは付き人です。リースペット様の生活やお仕事をスムーズに行えるよう補助するのがお仕事です。ラキアの人手が足りなくなれば、その分遅れが生じます」
アンタが機能しないと仕事が一人分増えるでしょ、だから仕方なく教えてやってるのよ。
そんなツンデレセリフが脳内に翻訳された。
♪ ♪ ♪
そんなこんなで一月ほど経ち、屋敷の暮らしにも慣れた頃、後続がやってくる日となった。
「カリダード、ラキア、こちらに座って待ってなさい」
「「畏まりました」」
付き人は全員で九人だけど、このうち新規が僕含めて五人だそうだ。
残り四人は昔から男爵娘の付き人をしてた人らしい。ま、そのうち二人はここに居るけどね。
公爵のお嬢様時代は付き人が四人だったけど、男爵家当主となったので倍以上の九人に増えた訳だ。
ただしアルムデナはあと一年で実家へ戻るので、その後増員がなければ八人体制となる。
そして暫く待っていると、扉がノックされた。
「どなたかしら?」
代表してアルムデナが返事をする。
「イクセル=オートヘルです。今日から付き人として配属された方々を連れて参りました」
「開いていますのでどうぞ」
「失礼する」
がちゃりと扉が開いて入ってきたのは、僕を案内してくれた騎士イクセル。
なんだかんだいってこの一月、一度も姿を見てなかったな。
しかし今のやりとり、僕が案内されたときと全く同じだ。多分手順とか決まっているのだろう。
そのイクセルの後ろから、ぞろぞろと女の子たちが部屋に入ってきた。
どいつもこいつも美人だ。
一応事前に名前と爵位、年齢、どこの担当かは聞いているが、顔と名前が一致しないので、ここから頑張って覚える必要がある。
彼女たちは横に一列並んだあと、一番左側から名乗り始めた。
「お久しぶりです、アルムデナ様」
「ようこそカルロータ=ノイッチメル、これから宜しくお願い致します」
「勿体ないお言葉です」
トップバッターはカルロータ、伯爵家のご息女だってさ。
十二才で生活サポート部。アルムデナがいなくなったあとの、側近長となる予定らしい。
「お久しぶりでございます、アルムデナ様」
「ようこそナディア=スカイルート、貴女の剣でリースペット様をお守りください」
「もちろんでございます」
二番手はナディア、子爵家のご息女で十一才、カリダードと同じ護衛部となる。
この二人とアルムデナ、カリダードが元々の男爵娘の側近だ。
そしてここから先が僕と同じ新規さんとなる。
「マヌエーラ=ヴェリファクア、と申します。以後宜しくお願い致しますわ」
「マヌエーラですね、宜しくお願いします」
三番手がマヌエーラ、子爵家のご息女で九才。
生活サポート部に入る予定。
「ミヒャエラ=ブルカサスです。宜しくお願い致します」
「ミヒャエラですね、宜しくお願いします」
四番手はミヒャエラ、男爵家のご息女で僕を除けば今回最年少の七才。
生活サポート部に入る予定。
すごいね、七才で採用されてこうして来ているんだから。
「テレサ=インフォグーンです、以後宜しく頼みます」
「テレサですね、宜しくお願いします」
五番手はテレサ、騎士爵家のご息女で最年長の十七才。
結婚適齢期のはずだが、彼女は騎士爵家らしく剣に生きると誓ったらしい。
その腕はかなり高く、今回の護衛部ではエースだそうだ。
「ベッティーナ=ハイラインド、宜しくお願いします」
「ベッティーナですね、宜しくお願いします」
トリを勤めるのはベッディーナ、こちらも騎士爵のご息女で十三才。
テレサに憧れ追いかけてきて、更に採用までされた子で、その能力もかなり高いそうだ。
しかし全員十代以下という若い子だらけで、おじさんちょっと嬉しいぞ。
「オートヘル卿、ご苦労様でした」
「それでは失礼する」
全員の挨拶が済み、確認も終わったので案内役のイクセルが部屋を出て行く。
それを見届けたあと、僕ら三人は立ち上がった。
「わたくしはアルムデナ、今後皆様の代表となります。そしてこの二人がそれぞれカリダードとラキアです。ここに居る方全員がリースペット様の付き人で、同僚となります。皆一丸となりリースペット様の手足として働く事を期待します」
「「「畏まりました」」」
全員が片膝をついてアルムデナに応えた。
アルムデナは側近長であり、僕たちの上位となるからだ。
いちいち片膝つかなきゃダメなのが、貴族って面倒くさい。
いや、僕は町民だけどね。
しかしアルムデナが僕の名前を呼んだとき、一瞬マヌエーラの目が細くなった事には気がつかなかった。