一
「お母さん、これでいい?」
「どれどれ……うん、まあまあだね」
「まあまあかー」
僕が作っているのは小さなアップリケ。衣類に穴があいたとき、そこを埋める布だ。
でもタダの布だと面白みに欠けるので、糸を使って刺繍をしているんだ。
しかしながら僕にはデッサン力もなければ想像力もないし、更に刺繍の才能だって皆無だ。
一応クマっぽくしてみたのだけれど、誰がどう見ても崩れかけたスライムにしか見えないだろう。
それでも顔を引きつらせながらだけれど、母は褒めてくれた。
お世辞いらないから。
自分でも下手だって分かっているから。
あ、でも一応僕はまだ五才だ。年齢を考慮すれば、まあまあ、という総合評価になるのかもしれない。
「これはラキアちゃんのお洋服につけてあげようね」
「…………!?」
やめて母さん、そんな意地悪しないで!
自分で作っておきながら、そんな得体の知れないアップリケを付けて外を出歩く勇気はないよ。
だが必死の抵抗空しく、母は僕のスカートの裾を持ち上げ、ささっと穴の空きそうな場所へ縫い込んでしまった。
はやっ、さすがベテラン。
「おーい、帰ったぞー」
自分のスカートに得体の知れない奇妙な物体を縫い付けられ、愕然としていると、父の野太い声が聞こえてきた。
母は、お出迎えしにいくよ、と僕の手を掴んで引っ張る。
痛いってば。引っ張らなくても自分で歩けるし。
そのまま引きずられるようにリビングを出て行った。
さて、お出迎え、と言いつつ我が家は狭い。
玄関、台所、リビング、そして寝室だ。前世で言えば1DKくらいのサイズだろう。
そこに僕と両親、そして三つ年上の姉の四人家族で暮らしている。
風呂場? そんなものはない。汚れたら共同の井戸を使って洗うのだ。
トイレ? 共同トイレが外にある。
こんな暮らしでもここでは一般的だ。
他の家も僕の家と同じくらいの生活レベルであり、毎日みな頑張って生きている。
「お帰りなさい」
「おかえりなさーい」
「おう、ただいま我が愛する妻と娘たちよ……って、エルヤはまだ帰ってないのか?」
エルヤは僕の姉の名だ。
九才だけどとても要領がよく、既に見習いとして外へ働きに行っている。
すごいよね、見習いとはいえ九才で仕事しているって。
「ええ、パースさんのところに団体さんが来ているらしくてねぇ」
姉はパースさんという人が経営している宿兼食堂で働いている。
普段ならお昼から入って夕食が終わる十九時くらいには帰ってくるのだが、今日は団体さんが来ているらしく、遅くなっているのだろう。
「ほー、どこのモンだ?」
「王都の人たちだって。何でもこの先にある遺跡調査をやることになったらしいわよ」
「何年か前にも調査ってやってなかったか? その時もハズレだったのに、よく来るもんだな」
この町の近くには遺跡がある。
何でも古代国家の跡地だったそうで、何年かに一度、王都のお偉いさん達がやってきて遺跡を調査しているらしい。
ただその遺跡はもうこの町の子供達の遊び場にもなってるくらい、何もない。
一応遺跡の内部には入らないよう言われているし、扉には鍵がかけられているが、実はこっそり内部へ入れる穴があったりもする。
でも中に入っても、珍しいものは無かったけどね。無かったけどね……うん、何もなかったよ。
ま、それは置いておくとして、この遺跡調査が始まってから優に百年以上は経っているらしいし、その間何の発見もされていないようだ。
それでも諦めきれずに数年に一度訪れるんだから、王都の人も頑張るねぇ。
元々この町は、この遺跡調査のために作られた町であるが、今では交通要所として成り立っている。ここは国境近くにあり、国内外からやってくる隊商やら旅人たちが落とす金で生活しているのだ。
最もそれだけじゃ食っていけない。
自給出来て、更に客相手に商売出来るくらいの食糧を確保しないと儲からないのだ。
父の仕事はそんな食糧確保するもの……平たく言えば農家だ。
この町の仕事は、隊商やら旅人相手の商売人か、農産業か、そのどちらかが大半だ。身体強化が使える人なら猟師やら狩人になる道もあるけどね。
そして女は一定の年齢、だいたい十五才を超えて二十才になるまでに結婚する。
また男なら二十才を超えるまでは結婚しない。これは二十才を超えるくらいでないと、一家を養えるほどの収入がないからだ。
僕は今世では女として生まれた。
だからこのルートに従えば僕は十五才を超えると、そのうち結婚させられるのだ。
しかも相手は僕が決めるのではなく、僕らが住んでいるエリアの地区長が何人か見繕い、その中から両親が選ぶ。
そして相手側の両親と相談をし、互いに納得したら結婚となるのだ。そこに僕と相手の意思は入っていない。
せいぜい地区長が見繕った相手の一覧を見て、この人がいい、と意見を出す程度だ。
そして逆にどこかの相手から結婚の申し込みもあるだろう。
これはまだまだこの町の人口が少ないためらしい。
町全体で人口三百人程度。それが五つの地区に別れていて、一つ当たり六十人前後。平均四人家族だとすると、一地区に十五件程度しか家はない。
そのためあまり一つの地区に人口が偏りすぎないよう、地区長たちがコントロールしている訳だ。
この世界、貴族と呼ばれる存在が居ることは知っているし、おそらく彼らも恋愛結婚などなく、家同士の繋がりやらで決められると想像していたが、まさか単なる町民の僕も同じだとは思わなかった。
っていうか、男と結婚したくない。
そのためには、とにかくこの町を出ないといけない。たった人口三百人なのだ、どこもかしこも顔なじみ。
一番遠い地区の子だって、名前は知らないけど顔は知っている、というレベルなのだ。この町に留まっていれば、地区長、引いては町長に必ず無理矢理結婚させられるだろう。
だが町の外に出たとしても、食っていけるだけの手に職を身につけておかないと非常に困る。それに町の外の事も殆ど知らない。
幸いここは商人や旅人たちが頻繁に訪れるので、彼らから情報を入手すれば分かるだろう。
そして我が姉は、そんな彼らが宿泊する宿で仕事をしているのだ。
いつも寝る前、姉にせがんで宿に泊まっている人の話を聞いてたりする。
「来るのは構わないわよ。一日二日しか留まらない商人や旅人に比べればね」
「そうだな、しっかり金を落としてくれれば言う事ないな。それより飯だ」
「はいはい、仕込みは終わってるからすぐに出来るわよ。でも食べるのはエルヤが戻ってきてからよ」
「分かってるさ」
こんな話を子供の前でする両親。金の亡者になるような素晴らしい教育方針だ。
さて、僕も料理の手伝いだ。
五歳児とはいえこんな生活であり、多少は手伝いをする必要がある。
最も力も身長も技術も何もかもが足りないので、料理を運ぶくらいしか役に立たない。
「ただいまー」
台所からリビングへ料理を運んでいるうちに、姉が戻ってきた。
よたよたと皿を食卓へ乗せていると、背後から抱きしめられ、皿を落としそうになった。
「わわっ!?」
「ラキアー、つかれたよー」
「お姉ちゃん、お皿持ってる時にやっちゃダメ」
「大丈夫、あたしが支えているから」
よく見ると皿の下辺りに姉の両手が添えられていた。
これなら落とさないだろうが、さすがに危ない。
皿を食卓に乗せて改めて姉を見る。
身長は僕より頭一つ以上高く、既に母と比べてもそこまで大差なくなってきている。九歳児のくせに成長早いよな。
すらっとした顔立ちに、やや意地悪そうな目つき。ストロベリープラチナの髪は、客相手商売のためか毎日水で洗ってはいるものの、シャンプーなど一切ないのでごわごわしている。
服装は宿から支給されているもので、こちらは小綺麗だ。僕の服のように奇妙なアップリケなどついていない。
性格も昔は意地悪だったが、ここ最近は多少荒っぽいもののかなりお淑やかになってきてる。最もさっきのように、やけに妹の僕に構ってくる事も多いけれどね。
多分仕事をするようになって、何か思うところがあったのだろう。
「どうしたの? あたしを見て」
「いえ、お姉ちゃん綺麗だなーって」
「あーもうっ、ラキアの方が可愛いよっ!!」
再び抱きつかれる。
そろそろ成長期なのだろうか、胸部の膨らみもはっきりしてきて、それが顔に当たるのだ。小さいながらも柔らかい。
役得……ではなく、ちょっと苦しい。いや本気で。
「お姉ちゃん……ちょっ、苦しい」
「今日はすっごく疲れてて、ラキアを抱きしめ足りないのよっ!」
「し、しんじゃう……」
じたばたと暴れるが、がっしり抱きしめられ抜け出せない。
これがホールドか。
いかん、ちょっと意識が飛びそうになってきてる。
「エルヤ、その辺でやめなさい。ラキアの耳が真っ青になってるわよ」
「あっ……」
慌てて僕を離すが、すでに手遅れだ。
意識がもうろうとして、そのまま姉に向かって倒れ込んだ。ばたんきゅー。