蒼い鳥の政略結婚
――彼女の中には、誰かがいる。
王国貴族であるローレンには、幼い時より決められた許嫁がいた。
名前はサリア。
七つの頃、親に連れられた社交界で初めて出会った彼女。恥ずかし気に左手でドレスの裾を掴んでいたのを覚えている。
社交界に行く前に、親には強く言い聞かされていた。だから、一目見た時から彼女が自分の婚約者であることは知っていた。
そして、我が家の現状からこの婚約には自分の意志が介在しないことも。
「はじめまして。僕の名前はローレン」
ただ、それに対して何か文句があるという訳でもなかった。
幼い時より教育されていたローレンは、自らの地位と待遇が、多くのしがらみと不自由さの上に成り立っていると知っていた。
だから、淀みなく練習通りの笑顔と態度で挨拶できた。
背後から感じていた父親の視線が緩くなった気がした。最も大事だと言われた最初の挨拶は上手くいったらしい。
「あ……あの、私は……サ、サリア……です」
「サリアさん。素敵な名前ですね」
顔を赤めながら下を向く彼女。
いかにも今名前を聞いたという風に見せているが、勿論ここに来る前から彼女の名前は知っていた。
今のやり取りは、予定調和。ローレンの立ち振る舞いは全て親に決められたものだ。それは彼女も同じだろう。
まぁ、目の前の俯き加減で震えているサリアを見れば、彼女の方は糸に操られて踊ることが苦手なのかもしれない。
横目に見れば、ローレンの父親とサリアの父親が会話しているのが見えた。
何を話しているのか。
自分の子供たちが微笑ましく触れあっていることを語らっているのか。それともこれからまとまる金の話か。
「よろしければ、あっちで話しませんか? 僕はもっとサリアさんのことが知りたいです」
「は、はい」
それが、ローレンと彼女の初めて。
決められた出会い。決められたロマンスの始まり。
◇
木々の隙間から零れる光は、温かみを持って湖上を照らしている。
時たま聞こえる小鳥のさえずりは、場の雰囲気も相まって耳によく響いた。
「いい天気だ。良かった。サリアと過ごせる日に晴れてくれて」
ローレンはそう言って隣に腰かけるサリアに微笑んだ。
二人が座るベンチの前には、大きな湖が開けており、見晴らしがよい。
ローレンの家が所有する土地の中で、最も景観が美しい場所。そこに二人は来ていた。
「はい。本当に……。こんな綺麗な場所、ローレンさんといっしょに見られてよかった」
サリアの様子は、初めて会った時より随分柔らかい。
初めての出会いから、数年が経った。
何度か会って、話を重ねるうちに緊張も解けてきたのか、彼女本来の雰囲気も感じられるようになってきた。
浮かべる表情も、自然なものが増えてきたように思う。
ただまぁ、今でも恥ずかしがると顔を下に向ける癖は直っていない。
彼女の恥ずかしさの塩梅が分かるようになった分、話しやすくはなったが。
「あそこに咲いている花、見えますか?」
「……? あの蒼い花?」
サリアが指差した場所には、蒼い花弁を携えた花が咲いていた。
「あれは、ルイネの花というそうです。透き通った水辺にのみ咲く花。恋人たちの願いを束ねる花。最近、王都の女の間では、人気のある花なんですよ」
言われてみれば確かに、その花は美しかった。
いかにも巷の婦女子受けが良さそうだと思うと同時に、サリアもこのような世俗の流行りに興味があったのかと少し驚く。
出会いを重ねるごとに彼女と会話してきたが、少し独特な感性を持つ娘だという印象だったので、意外だった。
「なるほど。サリアは花にも知見が深いんだね。勉強になったよ」
「あっ、いえ。決して知識自慢をしようとしたんじゃなくて……!」
「分かってる、分かってる。そんなに焦らないでくれ。単純に感心しただけだよ」
サリアの狼狽えように、少し苦笑いする。
彼女には、こういうところがある。
変に遠慮するというか。極端に嫌われることを怖がり過ぎているというか。
親に決められた関係性。こじれた場合、ごめんなさいじゃすまされない可能性もある。
神経質になるのも当然かもしれないが、数年たってもまだこれでは、少し寂しくなるというもの。
二人の間に、静寂が流れる。
さて、どうしたものか。
ローレンが会話の一歩目を探していると、水沿いの花。ルイネの花、だったか。
その花の近くに、一羽の鳥が降りてきた。
「あっ、メノウドリ」
メノウドリ。
特段珍しくもない野鳥だ。誰でも一度は見たことがある程度にはありふれている。
花のそばに降り立ったメノウドリは、そのくちばしでルイネの花弁をひとつちぎって、再び飛んで行った。
「さきほど、ルイネの花は恋人たちの願いを束ねる花、と言いましたよね」
「あぁ、言ってたね」
「その由来は、メノウドリの求愛行動にあるんです。メノウドリのオスは、気に入ったメスにルイネの花弁を渡して求愛するんです。それがロマンチックだって」
確かに。女たちが喜びそうな話だ。
語るサリアの口調にも、どこか憧れのような色が混じっている。
「ローレンさん?」
不意に立ち上がり、ローレンは湖に近づいた。
そして、水辺に生えている花の中から、ひと際佇まいが美しいモノを選んで手折る。
戻ってきたローレンの手には、ルイネの花が一輪あった。
「サリア。僕からの気持ちだ。受け取ってくれ」
片膝をつき、座っている彼女に花を差し出す。
あのような話をされた後だ。これで何もしないなど男が廃るというもの。
ローレンの目的は、彼女との関係を良好に保ち続けること。
ローレンとサリアが結婚すれば、両方の家に利がある。救われる者が大勢いる。
たった二人の人間の自由を犠牲に、多くの幸福を得る。貴族に生まれた身として、恵まれた立場の人間として、払うべき当たり前の代価だ。
だが、代価は代価。払うのは、なるべく少ない方が望ましい。
ならば、彼女には幸福になってもらわねば困る。
そうすれば、代価を払うのはローレンだけで済む。
彼女の好感度を上げるためには、何でもする。
それで、彼女が幸せになるのなら。
それが、皆のためになるのなら。
サリアは少し驚いた顔をした後、うつむいてしまった。
顔にかかった前髪で表情は見えないが、隙間から見える肌は赤く染まっているように見える。
こういう時は、彼女が行動を起こすまでゆっくり待つか、何か助け舟を出してあげるか、だ。
今回の場合は、ゆっくり待つ、が得策に思えた。
だから、静かに彼女を見つめて返事を待つ。
静かに、待つ。
間違ってはいない筈。
これまでの関わりから、ローレンは彼女の望む行動をとれていた筈だ。
だから、今回もきっと。
だが、サリアはローレンの予想を超えた行動をした。
「……! サリア、一体……」
彼女は突然立ち上がり、ローレンをそのまま地面に押し倒した。
思いもしなかった行動に、されるがまま体勢を崩す。
仰向けに横たわる彼の上に、サリアが跨る形になる。
彼女の顔は、前髪の影で見えない。
これは、いったいどういう事だ。
男を押し倒し、さらに上に跨るなど。
今までの彼女の奥ゆかしい振舞いからは考えられない。
そうして、隠された顔が、露わになる。
紅潮した頬。
潤んだ瞳。
歪んだ口元。
「ローレン。知ってる?」
――誰だ、この女は。
甘ったれた声。娼婦のような艶やかさ。
誰よりも。サリアと触れ合い。彼女を喜ばせようとした彼だからこそ、分かる。
この女は、サリアではない。
「ルイネの花が、女を魅了する理由」
それは、先ほど聞いた。
メノウドリの求愛行動に由来するものだろう。
今更何を。
「この花には、毒がある。オスドリは、毒に犯されながらも愛を表現するの。素敵じゃない?」
ローレンの手の平にあったはずの花は、いつの間にか彼女の元にあった。
深い水底のような青色。
その花弁を、彼女は口に咥えて、千切った。
唾液がしっとりと花びらに染み渡る。
彼女の唇に張り付くルイネの花は、最早愛を語らう花には見えない。
そして、彼女は花を咥えたまま、その唇をローレンへと重ねた。
「何を……」
「ふふ。安心して。毒があるといっても、ヒトには大して効かないわ」
ねばついた水音。視線が絡み合う。
そこにあるのは情愛ではない。
目の前で蠱惑的に微笑む彼女は、いったい。
「君は……誰なんだ……?」
「――あぁ、おかしい。そんなことを聞くなんて」
からからと。
彼女は笑った。まるで鳥のさえずりの様な声で。
「そんな事、貴方が一番分かっているでしょう? ねぇ、ローレン」
その顔を見て、ローレンは知ったのだ。
あぁ、彼女の中には何か、別のモノがいると。
◇
コルベール家は元々は国内有数の貴族家系であった。
古くから国の中枢に関わってきた名家は、脈々と繋がれた歴史と人脈をもって地位を保っていたが、それも陰りが現れ始める。
次第に追い詰められていくコルベールの当主は、起死回生の一手を放った。
近年勢いを増してきた大商会の娘と、自分の息子との婚姻。
これが成立すれば、一気に形成が傾く。
多大な金と人が関わる事業。失敗する訳にはいかない。
様々な策謀を練り、裏に手を回し。
かくしてこの投資は成功した。
子供たち2人の自由を犠牲として。
家同士の事情による結婚。
そうした関係は、当然屋敷の人間全員が知っている事である。
“あぁ、このご時世に政略結婚など”
“若奥様との関係は大丈夫なのか?”
サリアが妻として家に入った当初は、屋敷内では夫婦仲を心配する声もあった。
しかし、実際にはローレンとサリアの夫婦生活は誰が見ても仲睦まじいものだった。
「サリア。今日はどうだった? 何か問題はなかったかい?」
「大丈夫です。ローレン様。皆も優しくしてくれます。聞いてください、昼間なんて――」
ローレンは会うたびに、妻の様子を気にしていた。
サリアも夫の心配の言葉を受けるたびに、笑い返す。
微笑ましい夫婦の会話。
そこには、強制的な結婚とは思えないほどの二人の愛情が見て取れた。
一見すれば。
* * *
薄暗い部屋には、東方の国から取り寄せたエキゾチックな室内灯の灯りのみが辺りを照らしていた。
夫婦の寝室。
品質の良い素材が用いられた最高級のベッドには、既にサリアが腰かけていた。
「――あら。そんなところで立ってないでこっちに来たら?」
「……サリア」
「ええ。そうよ」
ローレンに向けられたその笑みは、昼間のそれとはまるで違う。
それは今のサリアはサリアではなく、彼女の中の誰かが出てきていることを意味していた。
初めてローレンの前に出てきて以来、彼女は時々表に出てくる。
普段は外には出てこない。
だが、ローレンと二人きりの時にだけ、その姿を見せる。
そしてサリアはその時のことを覚えていない。
「いや、違う。君はサリアでは……」
「もう。どうでもいいじゃないそんな事」
体を押されて、ベッドに倒れ込む。
何故か抵抗できない。
「貴方だって、望んでいる事でしょう?」
「……ッ!」
鋭い痛みに、一瞬ローレンの顔が歪む。
彼女の爪が腕に食い込み、血を滲ませた。
いざとなれば振りほどける筈なのに。体に力が入らない。
二人の影が重なり、肉に喰い込む。
“貴方だって、望んでいる事でしょう?”
先ほどの言葉が駆け回る。
違う。私は。
彼女は、悪魔に憑かれているのだ。
だから、これは悪魔の仕業で。この快楽はそのせいで。
気付けば、暗闇に溺れていく。
あの日以来、ずっと。
毒を持って愛を証明するというのなら。
ローレンの心は、既にどうしようもなく。
毒に犯されているのだろう。
* * *
執務室での書類整理は、数ある仕事の中でも比較的好ましいものだ。
勿論、楽ではない。肩は凝るし、目も疲れる。
だが一人きりで黙々と作業できる時間というのは、普段人と関わることが多いローレンにとって貴重なものであった。
しかしその時間も、今日に限っては心休まるものではなかった。
扉がノックされる。
入室の許可を出すと、初老の執事が入ってきた。古くからコルベール家に仕えてきた執事で、ローレンの事も子供の頃から知っている。
「ローレン様。表にお目通りしたいという者が……」
「通せ」
「は……? しかし、その……。その者は恰好が少し……」
「構わない。私の客人だ」
執事は一瞬憮然とした顔をしたが、すぐに無表情に戻り一礼して執務室を出ていった。
執事にも知らされていない客人、という事で訝しみながらも、察してくれたのだろう。
コルベールほどの規模の貴族になると、表には出せないような事も必要になる。
長年この家に仕えてきた彼も、それは重々承知している。
暫くすると、再び扉がノックされ、執事が客人を連れてきた。
フード付きのローブを深く被り、目元は見えない。体型から女性だとわかるぐらいか。
なるほど。これは執事が通すのを躊躇するはずだ。少なくとも、貴族に会うときの恰好ではない。
「ご苦労。外れてくれ」
「はっ……」
執事が退室すると共に扉が閉まり、執務室にはローレンとフードの女のみが残された。
「さて……ここなら他人に聞かれる心配もない。早速だが、本題に入ろうか」
「はい。失礼します」
ぱさりとフードが外され、女の姿が露わになった。
切れ長の目。すっと通った鼻。一般的には整っている方に分類されるであろう。
「ほう……」
「如何されましたか?」
「いやすまない。些か私の想像と外れていたのでな。まさか高名な悪魔祓いが女性だとは。気を悪くしないでくれ」
悪魔。
戦争。不景気。世の乱れ。
そう言った時代には、決まって彼らが心に巣食う。
心に強い衝撃が与えられる時。
例えば、親しい人との死別。愛する人の裏切り。
そんな時、ヒトの心には悪魔が生まれる。
鬱屈した精神には、ヒトを狂わす魔物が潜む。
悪魔がいる時代には、それに対処する者も存在する。
即ち、悪魔祓い。
決して表に出てくる職業ではないが、確かに世を裏側から支える者達である。
コルベール家には、裏の世界とのパイプもある。
今回はその人脈を使い、極秘裏にその道で有名な悪魔祓いを雇ったのだ。
依頼の内容は当然、サリアの事である。
サリアに悪魔が憑り付いている事は、ローレンしか知らない事だ。
他の者に知られるわけにはいかない。
だからこのような手段を取った。
「君に祓ってほしいのは、私の妻、サリアに潜む悪魔だ」
ローレンの前でのみ妻の人格が変わる事。
それを妻が覚えていない事。
それらを説明する。
説明を終え女に意見を求めると、少し考える仕草をした後答えが返ってきた。
「なるほど。つまりトリに憑かれたのですね」
「トリ? それはお前に祓えるのか?」
「問題はありません。奥方の異変は明日にも解消しているでしょう」
「なに? たった一日で祓えるというのか? 何かこちらで用意するものは?」
一日で解決できると、この悪魔祓いは言った。
悪魔に関しては知識が深くないローレンであるが、それが相当に速い部類であることは理解できる。
いくら凄腕と言っても、本当に可能なのか疑わしい。
「必要はないでしょう。ローレン様はいつも通りの生活を送って頂いて構いません。全てはこちらで行います。勿論、誰にも奥方の事が外に漏れる事はありません」
「高い金を払っている。これはコルベールからの直接の依頼だ。失敗したら今まで通りに生きていくことは不可能だと思え」
これは単なる脅しではなく、純然たる事実である。
コルベールの名をもってすれば、人一人を潰すのは簡単だ。社会的にも、直接的にも。
これでほんの少しでも躊躇う様子を見せるのなら、依頼は取り辞める。
元よりヤブに妻を診せるつもりはない。
「承知しております」
しかし悪魔祓いは顔色一つ変えずに頷くだけだった。
その日の夜。
気付けば、またこの部屋に立っている。
避けようと思えば、いくらでも避けられた筈なのだ。
サリアと寝室を分けるだけで、一時的にではあるが彼女との関係は断つことができる。
彼女はローレンとサリアが二人きりの時にしか現れないのだから。
サリアはどうせ夜の事は覚えていない。
その対策をしない理由は、ローレン自身にも分からなかった。
ただ熱に浮かされたように、彼女を求めてしまう。
体の線が透けるような煽情的な服を着て、彼女がベッドに腰かけている。
あぁ、ほら。サリアが待っている――
彼女のそばに近寄ると、彼女は立ち上がり、あの笑顔をローレンに向ける。
恍惚として。享楽的で。
この世の全てがどうでもいい。ただ、今さえあればいい。
ともすれば、目の前のローレンすら切り捨てかねない眼差し。
その顔。その顔だ。
その顔が、私を狂わせる。
「サリア……。あぁ、サリア。頼む、私を……」
ローレンは彼女の腕を掴み、それを――自らの首元にあてがう。
「頼む……。そうすれば、私は、きっと――」
「――――やはり、私が奥方に見えているのですね」
「……は?」
ローレンの首元にあった両手は、彼の胸に沈んでいた。
ずっぽりと。手首まで。
彼女の顔を見る。
そこにあったのは、サリアの顔ではなかった。
切れ長の目。すっと通った鼻。悪魔祓いという職種には不釣り合いな美貌。
「な……ぜ……お前が、」
どさりとローレンがその場に倒れる。
胸には先ほどまで悪魔祓いの腕が埋まっていたというのに、何の傷も開いていない。
代わりに、女の手には小鳥が握られていた。
蒼い。深い水底のような蒼さの鳥が。
「悪魔に。トリに憑かれていたのは、貴方の方です、ローレン様。奥方には何の悪魔も憑いていません」
悪魔祓いは手に握る小鳥を口を開けて呑み込んだ。
ごくり。
これで、終わり。ローレンという貴族の心に巣食った悪魔は祓われた。
サリアは元から悪魔になど取り憑かれてなどいない。
それが悪魔祓いが出した結論であり、真実である。
幼い時から人生を決められ、敷かれた道を進み。
それでも関わる者を全員幸せにしようと考え続けたローレンの心には、いつしか歪みが生じていた。
本人すら気付かない心の水底で澱みは溜まり続ける。腐った泥は毒となって心を蝕む。
メノウドリのオスは、毒に犯されながらメスに愛を伝える。
ならばあの瞬間、悪魔はローレンの心に生まれたのだろう。
飛ぶ事ができないのなら、せめて鳥籠の中へ。
結局、花を摘み毒を彼女に移したのはローレンの方なのだ。
家の言いなりに生きる事を不自由だと思いながらも、そこから本気で逃げようとせず。
皆の為と尤もらしい理由を付けて無理やり自分を納得させ。
そうして選んだ鳥籠がサリア。
多数の幸福を望みながら、その本質は己の安寧。道を外れる事への恐怖。
そしてこの矛盾を醜いものと判断するが故に、彼女に全てを押し付けた。
「仕事は果たしました。もう蒼いトリはいません。貴方がこれからどう生きるかは、貴方の自由です」
悪魔祓いはフードを被り、どうやったのかそのまま何処かへ消えていった。
気付くと、ローレンは寝室のベッドで寝ていた。
窓から差し込む朝日を浴び、反射的に上体を起こす。
「……ッ!」
ひどい頭痛だ。
それに記憶も定かではない。
昨日の夜の記憶が曖昧だ。
特に夕飯から後ろの時間帯の記憶は全く思い出せない。
これは久しぶりに飲み過ぎてしまったのかもしれないな。
最近は控えていた飲酒だったが、誘惑に耐えられず深酒してしまったのかもしれない。
「――目が覚めたのですか? ローレン様」
横を見ると、サリアが眠気眼を擦りながら体を起こしていた。
「あぁ、すまない。起こしてしまったか」
「いえ、今起きたところですので」
彼女の言葉の通り、今しがた起きたばかりなのだろう。
髪も少し跳ねて、小さな寝ぐせが付いている。
何処か、出会ったばかりの彼女を思い出した。
「今度、二人で旅行に行こうか」
不意に口から出た言葉だった。
本当に無意識だった為、ローレン自身も驚いてしまう。
ただ何というか。
出るべくして出た言葉、という感じだったので、不快な感じはなかった。
「旅行……ですか?」
「嫌かい?」
「あっ、いえ。嬉しい、嬉しいです。けど何で急に?」
「何で、と言われると難しいな。強いて言うなら思い付いたから? 二人で綺麗な景色を見て回って、静かな場所で羽を休めて。うん……そうだな。綺麗な湖が見える場所が良いな」
サリアは、「湖……それは素敵ですね」と小さく微笑んだ。
彼女とこんな会話をするのはいつ以来だろうか。毎日こうして隣で寝ていたというのに。おかしな話だ。
そう言えば、自分は彼女にこの言葉を直接言ったことがあっただろうか。
もう知り合って長いというのに、覚えにない。
これはまずいな。
愛想をつかされてしまうかもしれない。
「サリア――」
真横にいる妻とは、親による縁談で知り合った。
彼女には出来る限り不自由がないように努力してきたが……それでも辛い思いをさせたこともあるかもしれない。
「はい?」
彼女と目が合う。
ずっと一緒にいた筈なのに。こうして向かい合うのは随分久しぶりに思える。
やっぱり自分は妻を蔑ろにし過ぎていたらしい。
その分、この言葉にはしっかりと気持ちを乗せる必要があると再確認する。
だから、
「――――愛しているよ」
これは、夫として当たり前の事なのだろう。
「私もです」
そして、こうして返してくれる彼女もまた妻として当たり前で。
結局のところ、この二人はどこにでもいるただの夫婦だったのだ。
現状に不満を抱きながらも、変えようとせず。
そんな感情はない、と自分に嘘をつき続けて。
その矛盾にすら目を背けて、押し付けて。
蒼いトリが去り、矛盾を彼女に背負わせた日々の価値は消え去った。
だが、それでも。
醜い日々にあった一つの本物。
“彼女に幸福になってほしい”と行動してきた事実は決して消える事はない。
ならば、例え毒に犯されていても。
決められた出会いだったとしても。
そこには確かに愛は生まれる。
毒に犯されながらも愛の花を贈ったのは、雄鳥なのだから。