シュライヒャーのダックスフント(三十と一夜の短篇第46回)
わたくしのご主人クルト・フォン・シュライヒャーさまが首相官邸を後にするときいたとき、わたくしはグリーブニッツシュトラッセの四番地にあるご主人の邸宅に敷かれた絨毯のことを思い出し、あそこに帰ることができると思うと嬉しさで尻尾が暴れるのを禁じ得ませんでした。もちろんご主人は首相を辞任したことに気落ちしていたのですから、その傷心に寄り添うのがわたくしの役目だとは分かっていましたが、わたくしのように足が非常に短い犬にとって、お腹のすぐ下にある絨毯の質は大事なことです。官邸の絨毯はプロイセン根性の権化みたいにごわごわしていて、あんな絨毯の上で伏せをさせられるくらいなら、外の泥に寝そべったほうがずっとマシです。きっと官邸にはたくさんの軍人が出入りするので、あの下品なくらい磨き上げたブーツで踏まれてもへこたれないようにとあんな質感の悪いブラシみたいな絨毯を敷いたのでしょう。そもそも、人間には絨毯の上に寝そべる習慣がないのですから、絨毯の手触りなんてどうでもいいのでしょう。
官邸を後にするとき、ご主人は奥さまを先に自宅へ送り、自分は歩いて出ていくことにしました。わたくしの散歩も兼ねてのことであり、ご主人としてはちょっと考える時間がほしかったのでしょう。
その日はいやあな天気だったと記憶しています。二月のベルリンでいい天気な日などあるわけがないのですが、そんななかでも特にいやな天気でした。雲はオランダの泥炭みたいな色をしていて、街は薄暗いのに人の目だけが妙にピカピカ光っていたのを覚えています。わたくしは世界で唯一のダックスフント用棘つき兜をかぶり、ご主人の足元でせかせかと足を動かしていました。突然、ご主人が「くそっ!」とこぼしました。ご主人は足を上げて横に向けようとして片足でぴょんぴょん飛びました。どうやら犬の糞を踏んだようです。まったく信じられない話ですが、このベルリンのヴィルヘルム街に不浄をそのままにする同胞がいようとは。すると、わたくしはふとあの民族主義者どもが連れているシェパードを思い出しました。犬のうんち色のシャツを着たあのやかまし屋たちは犬といえばシェパードしかいないと思っているみたいにシェパードを放し飼いにします。こともあろうにヴィルヘルム街の、首相官邸から五十メートルも離れていない場所に糞をしてそのままにするなんていかにもあいつらのやりそうなことです。わたくしはこの糞に政治的攻撃の意図を嗅ぎ取りました。こうやってご主人の最後の威信に傷をつけようとする悪辣な陰謀です。シェパードを使った陰謀です。だから、ご主人はシェパードの糞を踏んでも、どっしり構えてドイツの将軍たるもの糞のひとつやふたつ踏んだくらいでは慌てたりしないのだというところを見せつければよかったのですが、ご主人は糞が靴の裏にもたらした惨状をこの目で確認せんとして、足を上げて、覗き込むように上体を傾け、片足でぴょんぴょんしています。ああ、ご主人。これでは陸軍中将の肩章が泣きます。
「パーペンのクソめ」
と、ご主人は言いました。しかし、あの糞の出所は民族主義者のシェパードだから、「ヒトラーのクソめ」と言うべきところでした。ただ、ご主人はパーペンさまを非常に恨んでおいでのようでした。まあ、自分を失脚させた人間を好きになるというのは難しいものです。しかし、もとはといえば、最初にパーペンさまの内閣を総辞職に追い込んだのはご主人なので、これで五分五分ということになりましょう。ご主人は次の首相を誰にしたらよいか、ヒンデンブルク大統領に助言しましたが、パーペンさまが首相になるくらいなら、まだヒトラーのほうがマシだと思い、ヒトラーを推薦したのだそうです。ピッケルハオベをかぶり古きよき時代を知るダックスフントたるわたくしから言わせればヒトラーは着るシャツをうんちの色に変えただけの共産主義者のように見えます。古き良き時代を知るダックスフントに言わせれば、ベルリンを舞台にしたアカとうんちの殴り合いにはうんざりですが、というのも乱闘にはガラスが割れることが付きもので、人の目には入らない小さなガラスの欠片がわたくしの肉球を切ったりするからです。わたくしとしてはご主人が首相になったときいたときはご主人が全ての乱闘に禁止令を出してくれると思っていたので「権力万歳! これで割れたガラスともおさらばだ!」と喜んだものでしたが、いまではご主人の家の絨毯が懐かしくなっている、犬とは人が思う以上にわがままな生き物なのです。
それにしても天気が悪くなりました。まだ正午だというのに夜のような暗さでティアガルデンでは電気ランプがついていて、公園のベンチで労働者風の男たちがワインをあおっています。
「殺さねえといけねえ!」と男のひとりが叫んでいました。
「殺さねえといけねえ!」とべつの男が叫びました。
「殺さねえといけねえ!」とそこにいた全員が叫びました。
いったい誰を殺さないといけないのか、気にはなりましたが、ご主人は気にならなかったようです。ティアガルデンのなかを西へと進みます。この時分はソーセージのにおいがして、わたくしにはたまらんのですが、残念ながら若者たちはソーセージを焼くかわりにコンクリート製の不細工な壁をぶち壊していました。その不細工な壁をわたくしの見える範囲にずっと伸びていて、ツルハシをふるう若者たちの興奮ぶりを見ると、壁を壊すというのはなかなか面白いゲームのようでした。ご主人は壁を壊す若者にも興味を示さず、家路を取りました。ご主人は最近結婚した若い奥さまに夢中なので、殺す殺すとわめく輩も壁を壊す若者たちもどうでもいいのでした。
ティアガルデンを出ると、電気が止まって、街は暗くなりましたが、イギリス空軍が落とした爆弾のおかげで建物が燃え上がっていたので、道は真昼の明るさです。しかし、天気はますます悪くなりました。黒煙が悪天候に輪をかけ始め、嵐がベルリンの東を蹂躙すべく呻り声を立てていました。一方、左手のシャルロッテンブルク宮殿は大きな火縄銃を担い寸胴な馬にまたがったスウェーデン軍の傭兵と機関銃を持ったソ連兵が荒らしたい放題にしていました。彼らは壁を壊す若者たちと同じくらいの熱心さで古い宮殿をぶち壊していましたが、ときどき壊してはいけない柱を壊して、瓦礫の下敷きになったのでした。
しかし、どんな無法者も初代ブランデンブルク辺境伯の連れてきた騎士たちに比べれば、たんぽぽの綿毛みたいなものです。彼らのかっぱらいは念入りで、フランスからやってきた観光客のスマート・フォンから黄金のケルト十字までなんでもかっぱらいます。彼らの背後にはナポリのカモッラみたいな国際的な犯罪シンジケートがいて、騎士たちがかっぱらったものを全部現金化してくれるようです。
たいまつを掲げた一団が古い軍服の老人を殴りながら、通りから追い出して、舗道の石を外してバリケードをつくっていたので、ご主人はまわり道を余儀なくされました。迂回の途中で南ベルリンにある湖水浴場がありました。そこだけは雲が裂けて晴れ間が差し込み、これからドイツが世界大戦で負けることを知らない幸せな人びとが泳いだり、ビールを飲んだりしていました。さすがにご主人もこの光景には心を打たれたようです。そこにはいまのドイツが失った秩序がありました。残念ながらわたくしはレンテンマルクが発行された時代の生まれなので、大戦前のドイツを知る栄誉にあずかれませんでしたが、いまのご主人の表情を見れば、それはとても価値のあるものだったのだと分かります。少なくともそこにはヒトラー運動にのめりこんだり、ボルシェヴィキに魂を売ったりするものはいませんでした。皇帝がいて、臣民がいる。その秩序は体験したことのないダックスフントですら、かぶっているピッケルハオベから染み込むようです。
しかし、ご主人はふとパーペンさまのことを思い出しました。パーペンさまこそ古いドイツの体現者でした。なにせ、彼の人気のない内閣は閣僚がみんな東プロイセン出身の男爵だったのですから。すると、ご主人は湖水浴場の人びとによそよそしい態度を取り始め、その途端、頭上の雲が青空を閉じて、湖は暗闇に沈みました。ご主人はよほどパーペンさまのことが憎かったのか、途中で出くわした略奪隊に――時代、国籍、所属政党は分かりませんでしたが――パーペンさまの住所を教えて、好きなだけ略奪ができると約束しました。まったくこのときの略奪隊ほど恐怖を覚えたものは他にありません。彼らはわたしのことを非常食として見ていたのです。それに彼らのまとっていた毛皮の酸っぱいにおいときたら! まるで古くなったザワークラフトです。そんな男たちにパーペンさまを襲えとけしかけるくらいだから、よほどご主人はパーペンさまが憎かったのでしょう。
天気は相変わらず悪いです。ポツダムの湖水が動く音はきこえますが、道に人はいません。なにか恐ろしいことが計画されていて、みなその共犯者になったように静かです。民族主義者のシェパードたちですら見つかりません。すると、軽爆撃機が空を横切り、暗い空いっぱいに紙切れをばらまきました。ご主人は一枚手にとってみると(地面に落ちたものではなく宙を舞っているものを取りました。ご主人はビラのためにかがむことは自分に許しませんでした)、わたしにこう教えました。
「ヒトラーが総統地下壕で自決したそうだ」
ご主人はビラを何度も読み返しましたが、どうやらパーペンさまの最期が書いてないか探しているようです。結局、求めていた情報が見つからないと分かると、ご主人はビラをクシャクシャにして捨ててしまいました。ビラが舞う夜道で太った男が新聞を売っていましたが、鉤十字の腕章をしていたので、きっとヒトラーの首相就任についての記事が一面になっているに違いないと思い、ご主人は相手にしませんでした。
「ドイツは偉大な英雄をカシラにおくんですぜ」新聞売りが言いました。
ご主人はまだひらひらと舞っているビラを一枚捕まえて、新聞売りに見せました。
「ヒトラーは自決したそうだ。情報が古いぞ」
新聞売りは顔を真っ赤にしました。なにか言おうとしたのですが、喉につかえてしまったので、一ポンドのバターでも飲みこませない限り、その言葉が外に出ることはなかったでしょう。
ポツダムの外れの湖水と木立が入り混じる街道になると、もう灯りはありません。暗くて足元も見えないので、うかうかしていると池にはまることもありえるでしょう。わたくしは盛んに鼻をきかせて、水のにおいが目の前に横たわるように伸びていないか注意しました。ダックスフントにとって犬かきは結構苦労するのです。それにドイツの将官たるものが家に帰る途中、池にはまったのではかっこうが悪い。
しかし、ご主人にはわたくしのガイドは必要ありませんでした。というのも、奥方のエリザベータさまがヘッドライトを輝かせたスポーツ・カーに乗って、ご主人を迎えに来たのです。
「ハロー、あなた!」
ご主人は少年みたいにはにかみながら、奥方の頬にキスをしました。
「ハロー、フリッツ!」
恵み深い奥方はわたくしの顎の下を絶妙な力加減で撫でました。
「ひどい天気よ、はやく乗って!」
そう叫ぶ奥方の声はどこか嬉しそうでしたが、然もありなん。ご主人がこれまでドイツ国のために割いていた時間の全てがご主人と奥方のふたりの時間となるのですから。そして、そのふたりの足元には幸福を分かち合いながらも、決してふたりのあいだに水を差すことのない忠犬の姿が。
さて、その仲睦まじい時間の前にはポツダムの森がありました。自動車はご夫妻の屋敷へ向かうため、森のなかの道を走ります。わたくしは短い足をドアにかけて、流れ去る外の景色を眺めていました。この姿勢は楽ではないし、べつに外の景色に興味もなかったのですが、犬というものは自動車に乗ったら、こんなふうにして外を見なければいけないという不文律のようなものがあります。仕方ありません。わたくしの見ているほうでは森に湖水が迫っていて、いくつかの島では花火が上がっています。宙に打ちあがった火の玉は真っ赤に燃え上がって雲を照らし、やがて灰色のウナギみたいな煙を引きながら水に落ちていきました。花火は絶え間なく打ち出され、空は空焼きした鍋の底みたいにカンカンになって燃えています。空中で燃え尽きなかった火の玉が枯れ葦の浮き島に落ちると、熱っぽい空気が渦を巻き、炎をなびかせてスケート靴みたいに滑っていきます。火のついた浮き島は別の島や湖畔の葦に火をつけてまわり、うねる炎は黒い水面にその威勢を映し、赤く焼けた雲の影がヒエロニムス・ボスやブリューゲルの絵に出てくる化け物のようにあたりを闊歩し始めました。火と影をまとい水の上を歩く異形どもはカエルの顔に魚の体と美女の脚を持ち、ムール貝に食われる悪夢に怯えながら、天上の存在が堕落するのを待っていました。
わたくしはひょっとすると天使が堕ちてくるかもしれないと期待しましたが、残念ながら天使たちの爪はいまだ天上のとっかかりにひっかかっていて、天使たちは宙ぶらりんのようです。古き良きを知るダックスフントにとって、天使が地獄目がけて堕ちていくのは見ていて悪くないのですが、これはきっと人間も同じことで、自分よりも高位の存在が落ちぶれることに人は歓喜を禁じ得ないし、犬は尻尾を振りざるを得ないのです。しかし、同じことを全ドイツ人がご主人に対して感じていることは間違いないので、わたくしは忠実な古き良きを知るダックスフントとして、天使が堕ちてくるのを見ることをあきらめることにいたしました。
湖畔にあるお屋敷につくと、メイドがやってきて、なにか奥方に言いました。ローストチキンの出来か何かを話していたのでしょう。慈悲深い奥方がこの忠犬の食事のことも思い出してくれるよう尻尾を振って、足元をうろうろしていますと、奥方はメイドにわたくしの食事を用意するように告げました。いつもこの
グリーブニッツシュトラッセの四番地に帰ってくると、わたくしには水煮にした鶏のモモが与えられます。至福の瞬間は骨をしゃぶるまで続くものですから、この心地よいグリーブニッツシュトラッセの四番地に来るとわたくしは幸せの絶頂とはどんなものなのかを再認識するのでございます。
ご主人は居間にいて、奥方に話しかけます。
「もう政治は懲りた。引退する。どこか旅行に行くのもいいな」
「ミュンヘンなんてどう?」
「うん。いいかもしれん」
ご主人は政治家といては失脚されるわけですが、幸いにも奥方という生き甲斐がございます。失脚したにも関わらず、ご主人にも奥方にも前途多難な雰囲気はございません。「殺さにゃあならん」と叫んでいた男たちも、イギリス軍の爆撃も、初代ブランデンブルク辺境伯の蛮行も、民族主義者のシェパードも、燃えながら滑る島も、この幸せな屋敷のつくる領域の前には無力でした。幸福とはまさに強固な砦で守られていて、その城壁は家族愛と呼ばれています。もちろん、古き良きを知るダックスフントも家族に含まれます。
幸福の砦の戸が叩かれたのはまさにそのときでした。わたくしは骨付き鶏肉と格闘していましたが、ご主人が来訪者に対して、
「そうだ。わたしがフォン・シュライヒャーだ」
と、いうのがきこえ、銃声が二度、また二度。
わたくしが短い足を必死になってまわしながら、居間へ駆け戻ると、ご主人と奥方が絨毯の血だまりの上に倒れていました。そして、今まさに凶行を成し遂げたトレンチコートの一団が逃げ去ると、途端に雲が消え失せて、青い晴れ空があらわれました。これだけの惨い運命がご主人と奥方を襲ったのにも関わらず、晴れ上がったりする空に対して、わたくしが抱いた義憤のことは言うまでもありますまい。わたくしは空を非難するべく吠えました。しかし、吠えれば吠えるほど空は美しい光と深い青みを増していきます。こんなことが許されるのでしょうか? 世界はいま行われた蛮行に対して、これっぽっちも関心を持っていないのでしょうか? これが無残なやり方で命を、未来を奪われた命に対する空模様でしょうか? わたくしは吠え続けましたが、ついにとうとう根負けして尻尾を巻いて快晴の空から逃げました。
ご主人と奥方はふたり重なるように倒れています。どうやら始めにご主人が撃たれ、そこに駆け寄った奥方をあの畜生どもは容赦なく射殺したようです。屋敷の夢のような肌触りの絨毯におふたりの血が混ざりあって染み込んでいました。
わたくしはそれを舐めました。
おふたりの弔いのために全ての血を舐めとることにしました。
そして、もし全ての血を舐めとったら、そのときは――そのときになって、やっと、やっと、古き良きを知るダックスフントは静かにひと粒の涙を落とすのでございます。