逸話:過保護な使用人
「・・・・・凛。少し良いか?」
自室で裁縫をしていると私の主人、夜叉王丸様の妻であり大事な娘とも言える黒闇天様が入って来た。
「何でございましょうか?姫様」
縫っていた針と布を置いて尋ねる。
「う、うむっ。実は、飛天と人間界に行くことになったんじゃが、準備をしてくれぬか?」
姫様はどこか恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに私に喋りかけた。
その初々しい表情は年頃の娘らしく可愛らしかった。
まったく。毘沙門天様も吉祥天様も白明天様ばかり可愛がって姫様を蔑ろにするから姫様は普通の娘よりも捻くれてしまったんです。
だから、求婚した旦那様にも素直になれない所があるのだ。
先刻まで屋敷にいた姫様の両親である毘沙門天様と吉祥天様を恨んだ。
私が姫様と初めてお会いしたのは今から千七百年前。
初めての屋敷奉公で緊張していた私に与えられた仕事は姫様のお守役だった。
姉に当たる白明天様は吉祥天様が自分で育てるのに何で姫様は私に押し付けたのか分からなかったがしばらくして解った。
姫様はお二人の子供でありながら邪神の力を持って生まれた。
だから、使用人である私に押し付けたのだ。
これに私は激しく憤りを感じた。
邪神の力を持っているから他人に子育てを押し付けるなどお門違いだ。
例え邪神でも愛情を持って育てるのが愛を司る女神の仕事ではないのでしょうか?
しかし、私は使用人である事から何も言えなかった。
そんな自分の無力さに歯軋りを感じながら姫様を育てた。
姫様は両親の愛情を得られずにいたが、それでも必死に努力して認められようとしているのを私は陰ながら見ていた。
どんなに辛い言葉を言われても姫様は必死に耐えていた。
その姿は幼い子供ながら健気でとても切なく哀しい場面だった。
琴が出来なかったら琵琶を弓術が駄目なら鉄扇術に励んだ。
その頑張っている姿を見て私は堪れなくなった。
失礼だと分かっていたが毘沙門天様に報告し一度でも良いから姫様を褒めてくれと頼んだ。
毘沙門天様は姫様と白明天様のお披露目の時に上手にできたら姫様を褒める事を約束してくれた。
それを姫様に報告すると姫様は喜んだ。
そしてお披露目の時に姫様は立派に琵琶を演奏して鉄扇術を披露した。
これなら姫様を褒めるだろうと私は思ったが・・・・・・・その期待は大きく裏切られた。
毘沙門天様は姫様を叱り付けたのだ。
何故?
姫様はあんなに頑張ったのに・・・・・・・・
褒めてくれると約束してくれたのに、何で怒るの?
そして今でも鮮明に覚えている。
旦那様が姫様に浴びせたあの言葉を・・・・・・・
“お前など娘ではない”
この言葉を聞いて姫様が初めて涙を流した。今まで一度も涙を流さなかった姫様が初めて涙を流したのだ。
その姿を見て私は胸が痛くなった。
それから姫様は部屋の中に閉じ籠ってしまった。
毘沙門天様からさり気無く様子を見るように言われて見に行ったら姫様が部屋中の家具などを壊していた。
私が慌てて止めに入ろうとしたが止めた。
泣いていたのだ。
姫様は泣きながら家具類を壊していた。
その姿を見て私は自分の無力さを嘆いて屋敷を出て行った。
それからは親戚を頼って暮らしていたが今の旦那様と偶然、出会って女中を募集していると聞いて女中になった。
旦那様の屋敷に初めて行った時はあまりの質素な造りと使用人が居ない事に私は驚いた。
“夜叉”の棟梁ともなれば下手な貴族よりも立派な屋敷に住めるのに旦那様の屋敷は質素だった。
金銀宝石で飾られる訳でもなく木材と石材だけで作られた質素な屋敷だけど、竹林と石などで作られた庭園は自然の美しさを誇っていた。
更に月が出る夜は光で屋敷全体が宝石になったように綺麗だった。
旦那様は自然の美しさこそが真の美しさだと言いたいのを私は理解した。
そんな屋敷に私と旦那様の二人だけで暮らしてから暫くしたある日、毘沙門天様の屋敷から戻った旦那様が
『明日、黒闇天を嫁に貰いに行く』
と唐突に言ってきたのだ。
一瞬、言葉を失ったが私は嬉しくなった。
あの牢獄とも言える屋敷から姫様を救えるのだから。
それに相手は私の仕える旦那様だ。
旦那様ほど姫様の夫に相応しい方はない。
強くて優しい旦那様なら姫様を大切になさるはずだ。
それに私が傍に入れば何かと都合が良い。
それを聞いて私は直ぐに姫様に似合う着物や装飾品を準備した。
噂で聞いたが姫様は邪神という事で黒や紫などの色の着物しか持たされていないそうだ。
姫様には紫も似合うが桃色や緑色の着物も似合う!!
私は憤りを覚えながら姫様に似合う着物などを天竺中を探し回り用意した。
そして次の日の朝、旦那様は有言通り姫様を連れて来た。
千年も経った姫様は見違えるようにお美しくなっていた。
肩までしかなかった紫陽花を思わせる髪も腰まで伸びて宝石を思わせる瑠璃色の瞳は更に潤いと丹精さを兼ね備えた。
寝巻から見える肌も白い絹のように美しくて一瞬、女であるのに見惚れてしまった。
これなら数多くの求婚者が存在した事だろう。
そんな事を思い私が旦那様の事を仄めかすと姫様は真っ赤になって怒った。
“あ奴が童を嫁にすると初めて言った男じゃ!!”
と言われた時は自分の耳を疑った。どうやったら姫様のような方を蔑ろにするんだろうか?
姫様みたいな女性は何所を探してもなかなか見つからないだろう・・・・・・
疑問と同時に私は一つ気が付いた。
私が出て行った後で姫様はかなり捻くれた性格になってしまったと・・・・・
これも全て毘沙門天様たちがいけないのだ。
姫様を蔑ろにしたから姫様は捻くれてしまったのだ。
それに毎日のように姫様を連れ戻しに来て旦那様も困らせているし!?
一体なに様のつもりなんですか?
姫様を蔑ろにして来たのに迎えに来るなど・・・・・・・・
私は旦那様を怒鳴る毘沙門天様に啖呵を切ると毘沙門天様は何も言えなかった。
そりゃあそうだろう。
今まで他人任せだった姫様の事を知る訳がない。
姫様も毘沙門天様には恨みがあり冷たい態度を取っているが心から恨んでいないと理解できた。
姫様はどこかで毘沙門天様を好いていたのだ。
いくら嫌っても心から嫌う事など出来ないのだろう。
しかし、それが仇となって姫様は苦しんでいる。
さっきだって姫様が追い出したのに自分の娘だって言ったから姫様が苦しんでるし・・・・・・・・
姫様は心優しい方だからきっと自分のした事に罪悪感を感じているだろう。
嗚呼、何て可愛いくて心優しい方なのだろう。
何としても姫様には旦那様と幸せになってもらわないと!!
それこそ毘沙門天様達を不幸にしてでも姫様には何としても幸せになってもらわないと私の気が晴れない!?
「・・・・・凛?」
姫様の声を聞いて意識を戻すと姫様が心配そうに見ていた。
はっ、いけない。自分の世界に入ってしまった。
「・・・・・・も、申し訳ありません。少しお待ち下さい。直ぐに準備しますので!?」
嗚呼、恥ずかしい。姫様を忘れて自分の世界に入るなんて・・・・・・・・!?
私は恥ずかしくて顔を真っ赤になりながら準備を急いだ。