第一三話 Bパート
「とぅおりゃぁっっ!!」
「でりゃぁぁっっ!!」
ことらの拳と犀星の拳がぶつかり、火花が散った。両者ともすでに疲労は限界に達しており、技巧を凝らす余裕などない。攻撃を避ける体力すらない。思いの丈を拳に込めて力任せにただ叩き付けるだけである。
「邪魔をするな! 儂は理想を実現するのだ!」
「さっき暴走してたくせに! 邪魔するに決まってるだろーが!」
犀星が打ち下ろす拳をことらは額で受ける。ことらが放った蹴りを犀星は肘打ちで迎撃した。一発ごとに骨は折れ、歯は砕け、肉は裂けるかのようだ。
「我が人生は砂漠を耕し、種を撒くがごとき! 儂は何一つ花も、実りも得ることができなかった! 儂のやってきたことは無駄だった! 儂の人生は無意味だった! だが、そうであればこそ理想を捨てるわけにはいかんのだ!」
ことらも犀星も一歩も退かず、ひたすら拳をくり出している。当初は拮抗していた両者だが、その均衡が崩れつつあった。
「儂が夢見た、平和な世界。儂が望んだ、理想の世界。それまで捨ててしまったら、儂の人生は一体何だったのだ?! 儂は何のために生きてきたのだ、あの苦難苦闘は何のためだったのだ!」
ことらが一撃を打つ間に犀星は二撃を打っている。次第にそれが一撃に対して三撃、四撃、と差が大きくなっていた。
「儂の人生は報われなければならん! あの苦難苦闘を無意味にしてはならんのだ!」
その叫びは慟哭そのものだった。それは全ての建前を取り払った、金剛崎犀星という男の本音。理想に人生を捧げながら、理想に人生を懸けながら、決して報われることのなかった男が、最後になって抱いた「報われたい」という思い――その願い。
「先生……」
天馬はそんな犀星の痛々しい姿を沈痛な表情で見つめている。
犀星の攻撃に対してことらは完全に防戦一方となっていた。もう勝負はついたかのように見える。勝敗の天秤は完全に一方に傾き、もう動かないとしか思えなかった。
「理想の世界を実現して初めて、儂は自分の人生に意味があったのだと笑えるようになる……!」
犀星がとどめの一撃として放った拳がことらの顔面にめり込む。ことらの膝が崩れ、そのまま倒れるかと思われたそのとき、
「……くだらねぇこと……」
ことらが大地を踏み締めた。屈した膝が力を溜める。全身の力が膝に、腰に集まっている。
「言ってんじゃねー!!」
ことらの膝と腰が伸び上がった。ことらの拳がアッパーカットとなって犀星の顎を打ち抜く。犀星の身体が一メートルほど宙に浮いた。着地した犀星は二、三歩後退、倒れることだけは避けられた。
「この期に及んで、何故これほどの力が……」
犀星は驚愕に目を見張っている。その油断を突いて、ことらはその拳を犀星の顔面に叩き込んだ。
「この力は一体何なのだ? 何故ただの中学生がこれほどまでに戦える、何故ただの小娘が儂と互角に戦える?」
犀星の胸中はその疑問で埋め尽くされた。それを問われたことらは不敵に笑って見せる。
「判らねえか? これはおっさんがわたしにくれた力だ」
「儂が?」
ことらは「ああ」と頷きつつ、再び犀星に殴りかかった。
「わたしの空手の師匠はおっさんの弟子だし! おっさんだってわたしの空手を見て『筋がいい』って惚れてくれたじゃん!」
「それがどうだと言うのだ」
と答えつつ、犀星は防戦一方となっている。ことらは「それだけじゃねえよ!」と吠えた。
「おっさんのさいせい道場でわたしの親父と母さんは知り合った! 社会のゴミクズだった二人が立派に更生して、結婚して、生まれたのがわたしだ! おっさんがいたからわたしは生まれたんだよ!」
「それがどうしたと言うのだ!」
と反射的に返答する犀星だが、その動揺は隠せていなかった。ことらが攻撃の一撃一撃が重さを増していく。
「たとえ理想に届かなくても! おっさんのやってきたことは決して無意味なんかじゃねぇ!」
「勝手に決めるな!」
「おっさんこそ勝手に決めるなよ!」
ことらの拳にことらの思いが込められる。それが犀星の心へと叩き込まれた。
犀星系列の武道場で空手を、柔道を習う子供達。さいせい道場を卒業し、更生して社会に巣立っていく元不良少年達。自衛隊で、警察で、消防で、それぞれの職場で職務に励むさいせい道場の出身者。家庭を持ち、子供と笑い合う彼等の姿――
「おっさんのまいた種はこの町に根付いて、今花を咲かせてるんだ! わたしだってその花の一つだ! それが無駄だったなんて、誰であっても、おっさんであっても――」
ことらの身体はとっくに限界を超えている。それでも爪先から指先まで、全身の最後の気力をかき集め、
「――言わせねえ!!」
残った全ての力を、全ての思いを拳に込めて、犀星の心臓へと叩き付けた。
「ぐ……」
ついに犀星が膝を屈した。力尽きた犀星が膝立ちの姿勢となっている。ことらもまた全ての力を使い果たし、その場に倒れ、寝転がった。
「儂は……儂の人生に意味はあったのか……? 儂のしてきたことは無駄ではなかったのか……?」
こぼれんばかりに目を見開いた犀星がことらに問う。だがことらはそれに答える力すら残っていないようだった。
「馬鹿なことを言わないでください」
一同を代表して天馬が犀星の前へと進み出てくる。天馬は静かに犀星へと語りかけた。
「確かに、先生の代では理想に届かなかったかもしれない。ですが、その思いは私が引き継ぎます。私だけでなく、数多いる先生の弟子達が。私達で届かなければ、私達の子供が、私達の弟子が、先生の思いを受け継いでいく。理想へと向かって歩んでいく――そうやって百年、千年をかけて実現するのが理想の世界なのではないですか? それが『道』というものではないのですか?」
天馬の言葉に犀星は目を瞑っていたが、やがてその目を開いて大きなため息をついた。
「――認めよう、儂の負けだ」
犀星が戦いの終わりを告げ、一同が安堵の空気に包まれた。誰もが今にも崩れ落ちそうになっているが、意地で何とか立っている。
「ことらちゃん、大丈夫?」
「しっかりしなさい」
ゆたかが、たつみが、虎子が、飛鳥がことらを心配して取り囲んだ。ことらは口を利く余力もないようだ。その様子を犀星は暖かな眼差しで見守っている。その犀星に、
「――それじゃ、事態の収拾に協力してくれると考えていいんだね。金剛崎犀星」
とウィリーが話しかけてきた。犀星は「ふん」と顔を背けるが、
「それで、何をすればいいのだ」
協力しないつもりもないようだった。
――それからしばらく後、夢の世界を埋め尽くす勢いで増殖していた兵隊型バクは一体残らず姿を消してしまう。束の間の、だが飛びきりの悪夢は無事過ぎ去り、夢から覚めて現実へと戻る時間だった。




