第九話 Bパート
昨日に引き続き内渚町では雨が降り続いていた。今日の雨は霧のような小雨であり、湿度ばかりが高くなり不快でたまらない。時刻は放課後、場所は内渚町の町中である。
「『構わない』って言っちゃったんですかー?!」
ゆたかの絶叫が響き渡り、周囲の通行人の視線を集めていた。だがゆたかはそれに目もくれずにたつみに食ってかかる。
「そんなのおかしいです! たつみちゃんのことを尊重しない相手となんか結婚するべきじゃありません!」
……昨日はたつみの不参加のためパトロールが中止となり、それが今日に持ち越され、三人は内渚町の町中を散策しているところだった。
「……この辺にもバクの気配はないようだね」
もっとも、真面目にバクを探しているのは三人に同行するロビンくらいだ。ことらとゆたかはたつみを問い詰めることに夢中になっている。バクの宿主が真横を通り過ぎても見逃すかもしれなかった。
「彼はわたしのプライバシーを尊重すると言ってくれているわ」
「わたしが言いたいのはそう言うことじゃなくて……!」
もどかしげなゆたかが地団駄を踏みそうになっている。そこにことらがバトンタッチし、参戦してきた。
「『プライバシーを尊重する』とは言っても『結婚相手のお前を尊重する』とは言ってねーんだろ。そんな相手と結婚しても、どう考えても上手くいかねーよ」
「そう決めつける根拠はないでしょう? わたしの両親は上手くやっているわよ」
ことらとゆたかの反対にもたつみの心は動かされなかった。「そんなの例外だろ」ということらの反々論も聞き流すだけだ。
「それに、話に聞いただけでもその人にいい印象を持てません。たつみちゃんのことを小馬鹿にしているじゃないですか」
「そうね。確かにそんな雰囲気はあったけど」
だったら、というゆたかの言葉にかぶせてたつみが、
「でもそれは演技のように感じられたわ。本当は礼儀正しく誠実な人なんじゃないかしら」
「どれだけ欲目なんですか……」
ゆたかもことらも、たつみを説き伏せる言葉をそれ以上思いつかなかった。
その後、たつみが「塾があるから」とパトロールから離脱。それを理由にして今日のパトロールは切り上げることとした。が、ことらとゆたかの二人は別れず、そのまま同じ道を歩き続けている。
「……たつみちゃんのこと、どうしますか?」
「確かに放っておけないけど、本人が乗り気な結婚話をぶちこわすのは難しいだろ」
「そもそも中学生にこんな結婚話を持ってくる方が間違いなんです。だから大聖寺のおじさんとおばさんを説得できれば」
ゆたかの提案にことらは腕を組み「うーん」と考え込んだ。
「たつみ一人を説得できないのにその両親を説得できるのか?」
「……やってみないと判りません!」
ゆたかは「できない」という言葉を呑み込んで気勢を上げる。ことらはその意気をよしとした。
……ゆたかとたつみは大聖寺邸へとやってきた。今、二人の目の前には大聖寺邸の数寄屋門がそびえ立っている。
「……あの、ことらちゃん」
「お前が押せよ」
ことらに拒絶され、ゆたかは仕方なく自分でインターホンの呼び鈴を押す。インターホンから『はい』と女中の声が返ってきた。
「あの! わたしたつみちゃんの友達の西泉って言います。あの、たつみちゃんは……」
『申し訳ありません。お嬢様は今塾に行っておられます』
女中の回答はゆたかの想定通りのものだった。
「あの、それでしたら大聖寺のおばさんとお話することはできませんか? 西泉ゆたかと医王山ことらが来ているって伝えてほしいんですけど」
インターホンは『少々お持ちください』という女中の声を最後に沈黙する。待つこと数分の後、大聖寺邸の門扉が開いた。
「医王山ことら様と西泉ゆたか様ですね。どうぞこちらへ」
年配の女中に案内され、ことら達は大聖寺邸へと足を踏み入れる。二人はそのまま屋敷の一室に通された。庭に面した和室であり、ことら達はその座卓について出されたお茶をすすっていた。
「いや、待たせてすまんね」
障子が開いて二人の人物が――天馬と龍子がその部屋へと入ってきた。ゆたかは「おじさんまで」と驚いている。
「今日はたまたまこの時間に戻ってきていてね。私も君達の話を聞きたいと思っていたんだ、幸運だったよ」
と天馬は破顔する。一方ゆたかは朗らかな天馬の様子にむしろ警戒心を強くしていた。
「お話はたつみちゃんのことです。わたし達みたいな子供が余所の家に口出しをするのは間違っているかもしれません。でも、どうしても言わずにはいられなかったんです」
ゆたかは懸命に自分の思いを伝えようとし、天馬は鷹揚に「構わんよ」と頷いた。
「たつみちゃんが一五歳以上も年上の男の人と結婚させられそうになっていると聞いています。たつみちゃん自身は結婚に異存はないって言っていますけど、どう考えてもそんな結婚でたつみちゃんが幸せになれるとは思えないんです」
「相手が誠実で、たつみのことを大事にするんならまだともかく、たつみのことを小馬鹿にして浮気公認を要求するような奴なんて問題外だろ」
ゆたかの言葉を引き継いでことらが続ける。
「おじさんとおばさんはこんな結婚でたつみが幸せになれると思ってるのか、ですか?」
ことらの取って付けたような丁寧語を微笑ましく見守る天馬と龍子。ことらは恥ずかしげにそっぽを向いた。
不意に天馬が真顔となり、説明を始めた。
「――この結婚には私の政治活動上非常に大きなメリットがある。結婚相手は竪町雁也、国会議員の竪町雁之助の息子だ。雁之助氏は体調が思わしくなく、今期で引退が決まっている。私は雁之助氏の地盤を引き継いで次の選挙で国政に挑戦するつもりだ。地盤を引き継がせる条件として雁之助氏は雁也君とたつみの結婚を持ち出してきたのだ」
「地盤?」
「後援会を中心とした選挙のための集票組織、というところかな。私もその後援会の一員だったんだが、雁之助氏に認められてその組織を受け継ぐことになるわけだ。雁之助氏が地盤を固めるためにどれだけの心血を注いできたかは私もよく知っている。政治家の多くは自分の地盤を子供に引き継がせるんだが、雁之助氏にとって不幸なことに彼の息子は政治家になろうとしなかった。だがたつみと雁也君との結婚により大聖寺家と竪町家が姻戚になれば、雁之助氏も地盤を私に引き継がせることに抵抗感はなくなる、ということだ」
天馬の解説にゆたかは言いくるめられそうになっているが、ことらはそうではなかった。
「でも、それはおじさんの都合だろ」
ことらの端的な指摘に天馬は「まさしくその通りだな」と苦笑した。
「まー、正直に言うとだ。私はたつみと雁也君と婚約させるつもりではいる――が、結婚させようとまでは思っていない」
え、と首を傾げることらとゆたかに、天馬は悪辣な笑みを見せた。
「私は地盤さえ引き継げれば竪町の人間に用はないんだ。雁之助氏は具合が悪い。何年か時間を稼いで、彼が亡くなったら婚約を解消すればいい。思いの外長生きしたとしても、それだけの時間があれば後援会はもう私のものになっているだろう。そのときになって雁之助氏がどうあがこうと何もできはせんだろうさ」
天馬の黒い思惑にことらとゆたかはどん引きとなっている。
(ど、どうしようことらちゃん)
(……どーもしなくていいだろ。たつみを助けるためには好都合じゃねーか)
こそこそとそんな相談をしていたことらは、気を取り直して天馬に確認した。
「それじゃたつみさえそうしたいって言うんなら、形だけの婚約をするだけで話は済むんだな」
その途端、天馬と龍子の顔色が曇った。ことら達は怪訝な顔をする。
「……雁也君がもう少し若くてたつみとも釣り合いが取れて、もっと誠実な人柄なら本当に結婚するのもよかったんでしょうけど……あれは駄目よ!」
龍子の思いがけない強い口調にことら達の背筋が伸び上がった。天馬も「その通りだ」とばかりに頷いている。
「浮気公認を要求する、あんな男と結婚をしてもたつみが不幸になるだけだわ。正直に言えば婚約だって認めたくないくらいよ」
吐き捨てるような物言いにことらとゆたかは顔を見合わせた。
「……でも、たつみちゃんは『うちの両親はこれで上手くやっているんだから問題はない』って」
「そんなわけはないでしょう」
龍子の口調ははまるで泣き崩れるかのようだった。ことらもゆたかも唖然とする他ない。
「……で、でもたつみは」
「確かにあの子の前では喧嘩も諍いも一度も見せたことがない。だが見ていないところでは顔を合わせるたびに諍いをくり返してきたんだよ。思い出したくもないような醜い争いを、嫌と言うほどね」
と天馬は自嘲した。龍子が二人に説明する。
「普通程度に仲がいい夫婦だったのは最初のうちだけで、たつみが生まれる頃には夫婦仲は完全に冷え切っていたわ。顔を見るのも嫌で、離婚しなかったのが奇跡に思えるくらい。わたしはこの人が自動車で事故死するのを毎日真剣に祈っていたわよ」
「私はその頃は外の女と遊び歩いていたからな。離婚のデメリットがあまりに大きいからできなかっただけで、私達が夫婦である意味はとっくに失われていたんだ。私達は『互いのプライバシーを尊重する』という名目で距離を置き、それでようやく傷付け合わずに済むようになった。夫婦の体面を保てるようになったんだ――だがこの形は妥協と諦めの産物でしかない。私達のような夫婦にならずに済むのならそれに越したことはない。最初からこんな形の夫婦であろうとするのは論外だ」
ことらもゆたかも、衝撃のあまり思考回路が止まってしまっていた。二人にとってその事実は飲み込み、咀嚼するにはあまりに大きすぎ、重すぎる。二人はその事実を一旦心の棚の上に置いて保留とすることとした。
「……たつみちゃんの前でもずっと演技を続けてきたわけですか?」
「その通りだ。あの子の前ではよき父親、よき夫婦であろうとした」
「それって結局、たつみちゃんとは建前の付き合いで、本音を見せたことはないってことですよね」
ゆたかの問いに天馬は忸怩たる思いを見せつつも「その通りだ」と頷いた。ゆたかはそのまま考え込み、しばらく沈黙が続いた。
「……あの子もわたし達とは建前だけで向き合っていて、本音を見せていない、ってことかしら?」
龍子の問いにことらが「でもそれって普通じゃね?」と身も蓋もないことを言う。だがゆたかは首を振った。
「それならまだいいんですけど……あの、家でのたつみちゃんのことを教えてもらえませんか。どんな生活をしているのかとか、どんなTVを見ているのかとか」
龍子が「そうね」と頷いてたつみの一日を説明した。毎朝六時に起床し、武道場で鍛錬。一家で朝食を取って登校。放課後は塾へ行き、帰宅して夕食を取ったら勉強をし、一二時前に就寝。毎日機械のように同じ生活をくり返していることを。
「あいつ、本当に心底からの優等生なんだな。あいつが学校で息抜きしてるとこ見たことねーけど、家でも同じなのかよ」
とことらが呆れる。ゆたかはそれに頷きつつ、
「……あの、たつみちゃんは単に本当に完全無欠の優等生なのであって、これは出来の悪いわたしの邪推なのかもしれないですけど……」
「あの子の優等生ぶりにむしろ不安を抱いているのは私も同じだ。気が付いたことがあるなら何でも言ってほしい」
天馬に促され、ゆたかは覚悟を決めて説明する。
「……たつみちゃんは建前が全部になってて、本音がない人間になっちゃってるんじゃないでしょうか……?」
その指摘は何の抵抗もなく、三人の腑にすとんと落ち込んだ。
「言われてみればその通りだ」
「確かにあの子はそんな感じね」
「あいつ、汚い欲望とか感情とかをどっかに忘れてきたとしか思えないもんな」
と天馬達やことらは頷き合う。
「竪町さんとの結婚も、建前が正しいからそれを受け入れていて、本音がないから抵抗しない、としか思えないんです」
「ってことは、あいつに思い直させるには本音を持たせるようにする、ってことか? 隠されているそれを引き出す、とかじゃなくて」
ゆたかは「そうなりますね」と心許ない様子で返答した。ことらもまた途方に暮れたようになっている。が、その二人に天馬と龍子が深々と頭を下げた。
「お願い、どうかあの子を助けてあげて」
「お、おばさん何を」
とことら達は慌てるが龍子達は頭を下げたままだ。
「一四年かけてあの子をああいう風に育ててしまったのは私達だ。私達ではあの子を救うことができない。だが友達の君達なら、同じ魔法少女の君達なら――私達は君達に賭けるしかないんだ」
ことらとゆたかは二人に頭を上げてもらおうとするが、二人は頑としてそのままの姿勢でいた。
「……何ができるのか判らないけど、できるだけのことはやってみるよ」
音を上げたことらがそれを告げ、ようやく大聖寺夫妻が頭を上げる。そのとき見せた夫婦の笑みにことらは「やられた」と思うが、決して悪い気分はしなかった。
――ことら達と大聖寺夫妻が向かい合って話をしている客間の、襖を挟んだその隣り。窓や襖は閉ざされ、照明は点されず、部屋の中は薄暗い。
「……」
その部屋で気配を消して正座をしている一人の少女の姿が――たつみの姿があった。隣室とは襖一枚で隔てられているだけで、声も会話の内容も完全に筒抜けだ。
ことら達の、両親の会話を、その思いを直接聞いたたつみだが、少なくともその表情に一切の変化はない。普段と何一つ変わるところなく、全く同じである。だがその内心にどんな思いが秘められているのか、どんな変化が生じているのか、知る者はどこにもいなかった。




