第八話 Bパート
「反対です!」
ゆたかが食卓を叩いて怪気炎を吐いている。ゆたかがエキサイトしているのでことらは逆に冷静になった。
「わたしも反対だけど、落ち着け。わたしに言っても仕方ないだろ」
ゆたかは「はい、すみません」と頭を下げた。天候がぐずついているため気温はそれほど高くないが、湿度が高く不快である。扇風機が首を振って風を送り、ことらは冷たい麦茶で喉を潤している。
……時間は放課後、場所は西泉家。ことらとゆたかはたつみの結婚を阻止するためにこの場に集まり、相談を始めたところだった。
「おばさんは?」
「街の方に買い物へ。まだしばらく帰ってこないと思います。お父さんが泊まりに来ますけどそれは仕事が終わってからですし」
「まだ再婚してないんだな」
ことらの問いにゆたかは「再就職できたって言っても、まだ試用期間ですから」と苦笑した。
ゆたかは「ともかく」と咳払いをして仕切り直した。
「家の都合で政略結婚なんて、時代錯誤でナンセンスです。そんな結婚をしても幸せになれないに決まってます」
「わたしもそう思ったけど」
とことらは手の中でスマートフォンをもてあそんだ。
「大人の意見も聞いてみたくて母さんに訊いてみたんだ」
ゆたかが興味深げに「どう言ってましたか?」と身を乗り出す。ことらは麦茶で口を湿らせて説明した。
「まず、たつみの家ってでかいだろ。母さんが言うにはこの町一番の名家だって話だ」
「わたしも聞いたことがあります。江戸時代から潟湖の干拓を主導してこの町を作ったのが大聖寺家だって」
ゆたかの言葉にことらが頷く。
「母さんに言わせれば、『名家の看板なんて商売の道具と同じ』なんだって」
――ことらは電話での母親の説明を、その口調を思い出す。
『創業何百年という老舗の料亭があるでしょう? その暖簾はそれだけの時間をかけて先人が築いていたブランドなのよ。老舗のブランドがあれば料理が同じでも十倍二十倍の値段を付けられる。歴史と格式には、ブランドには、金には換えられない価値があるのよ』
「……名家の看板も同じだってこと?」
『ええ、まさしく。龍子や天馬さんが人を動かせるのも大聖寺という名前があればこそ。その名前や歴史は立派な商売の種なのよ。そしてそれは一度失われたならもう二度と手に入らない。だからこそ龍子は大聖寺家を守ることを最優先としてきたし、その姿勢はたつみちゃんにも受け継がれている、ということね』
……ことら経由の虎子の解説に、ゆたかは複雑そうな顔をした。
「確かにそれならたつみちゃんが抵抗しないのも判るような気もしますけど……」
「商売」や「仕事」のことを持ち出されたなら、ゆたかも強硬姿勢を引っ込めざるを得なかった。「仕事」がなくて散々苦労した身内を間近で見ているのだから。
「でも、どう考えても中学生を三〇男に嫁がせるのは間違っていると思うんです」
「それはわたしもそう思う」
二人は少なくてもその点では意見の一致を見ていた。だが、
「でも、肝心のたつみが抵抗してないんじゃどうしようもないんじゃないか?」
ことらのもっともな指摘にゆたかは「そうなんですよねー」と食卓に突っ伏した。ゆたかは溶けたみたいにぐてっと脱力し、伸びている。ことらは腕を組み、「うーん」と唸っていた。
「それにどうやって結婚話を邪魔するんだよ」
「それはもちろん、『他に好きな人がいるから』って言って」
「そんな相手がいるならいくらたつみでも三〇男と結婚するなんて言わないだろ」
ゆたかは少し考え、
「じゃあでっち上げましょう」
と言い出した。
「恋人の振りをしてもらうってことか?」
その確認にゆたかは「はい」と頷く。
「そんな芝居、誰がやってくれるんだよ」
ゆたかは顎に指を当て、首を傾げて考え込んだ。
「クラスの男子……は駄目ですね」
「たつみに釣り合う奴なんていないだろ」
「ことらちゃんはそういう知り合い、いませんか? 空手道場とかには」
その問いにことらは即座に首を横に振った。
「ああ、だめだめ。道場の連中は悪い奴等じゃねーけど脳筋の馬鹿野郎ばっかだもん。たつみに相応しい奴なんていねーよ」
今度はことらがゆたかに確認する。
「お前にはいねーの?」
「女の人なら小学生から主婦まで、それなりに伝手はありますけど、男の人には全然です」
二人は揃って腕を組み、「うーん」と再度考え込んだ。
「……こうなったら最後の手段です」
とゆたかが言い出したのはしばらく経ってからである。
「どうするんだ?」
「ことらちゃんにお芝居の相手をやってもらいます」
ことらは「はあ?」と声を裏返させた。
「何言ってるんだよ。わたしとたつみの身長差を判ってるのか?」
「身長くらいブーツでなんとでもなります。それより問題は立ち振る舞いですけど、ことらちゃんなら大丈夫です。素のままで充分男っぽいですから」
ことらが「褒めてねーだろ、それ」と追求するがゆたかはそれを華麗にスルーした。
「あとは化粧をして男らしい顔立ちにすればいいだけです。ちょっとやってみましょう」
ことらが異議を唱える間もなくゆたかがダイニングを立ち去り、戻ってきたときには化粧道具一式を両手に抱えている。ゆたかがことらの隣に座り、椅子を向かい合わせにした。
「それじゃ動かないでくださいね」
ゆたかはマスカラやアイラインを両手に持ってことらの顔に迫ってくる。ことらは観念し、目を閉じるしかなかった。
「日焼けした感じで肌の色を濃い目にして……頬は痩せて見えるように……目は大きく、鋭い感じが出るように……」
ゆたかがひたすらぺたぺたとことらの顔に何かを塗りたくっている。
「……何か、キャンバスにでもなった気分だな」
「『女の顔はキャンバスだ』って名台詞がありましたね。確か新井素子でしたか」
ことらの皮肉をゆたかは全く理解せず、むしろ肯定的に受け止めていた。調子に乗ったゆたかがひたすらぺたぺたとことらの顔に化粧を重ね、全部終わったのはかなりの時間が経ってからである。
「よし、これで完成です!」
ゆたかは化粧道具を置いて自分の作品の出来具合をつぶさに見聞した。ことらは口を閉ざしたまま精一杯凛々しい表情を作っている。
「……」
「……」
はっきり言って、どう見ても男には見えなかった。元々中学二年としては体型も顔立ちも幼く、小学生に間違えられることも珍しくはないことらだ。どれだけ厚化粧をしようとそれで男に見えるようなら苦労はない。
それに、ゆたかにしても特に化粧に慣れているわけではない。下手な化粧を重ね塗りでごまかそうとした結果、とんでもない厚化粧となっている。それはまるで宝塚の男優か、そうでなければデーモン小暮だった。
「……」
「……」
「……」
「……」
両者の沈黙は思いの外長く続き、
「……」
「……」
「……」
「……ぷっ」
堪えきれなくなったゆたかがつい吹き出した。
「何笑ってんだよてめえは!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
切れたことらがゆたかを蹴倒し、さらにヤクザキックを加え続ける。ゆたかは身を守りながら謝り続けた。謝りながらもゆたかは笑いを堪えることに必死である。
「何を騒いでいるの?」
「二人ともここだったのね」
そのダイニングに突然現れたのは鷹子と、彼女に連れられて西泉家に入室したたつみだった。思いがけない闖入者にことらとゆたかは硬直し、鷹子とたつみもことら達の惨状に言葉を失っていた。長い長い沈黙の末に、
「……金色夜叉?」
首を傾げたたつみが問う。ことらもゆたかもそれに答える気力を持たなかった。
「余計なお世話ね」
翌日の内渚中学校。たつみと、ことら・ゆたかは廊下を歩きながらおしゃべりをしている。話の内容は昨日の一件のことだった。
「そんな言い方ねーだろ。わたしもゆたかもお前のことを考えて」
「その気持ちは嬉しいけど、その手段があまりにも子供だまし……というか、あれじゃ子供もだませないわよ」
もっともな指摘にことらもゆたかも気まずい顔をする。「それに」とたつみが続けた。
「わたしにはわたしの判断や価値観がある。それは世間一般とはずれているのかもしれないけど、わたしのそれを無視して自分達の判断や価値観を、善意を一方的に押し付けるのは単なる独善なのではなくて?」
ことらとゆたかは意気消沈した様子で顔をうつむかせた。その姿にたつみはこっそりとため息をついて、
「婚約するとしてもまずは会ってみてからの話だし、婚約としたとしても実際に結婚するのは何年も先のことよ。不満や問題があるなら婚約なんかしないし、もし婚約した後にそれが出てきたのなら必ずあなた達に相談するから」
「絶対ですよ!」
とゆたかが飛び出し、食らいつくようにたつみの両手を掴んで上下に振る。たつみはそれに「ええ」と頷き、ことらもまた「約束だぞ」と笑っていた。
――突然、ことら達が真顔となる。三人は戦いに臨んだ表情を互いに見合わせた。
「バクの気配だ」
「近いわ。校内ね」
「向こうからです」
三人はバクの気配のする方向へと入り出した。三人の行く先にあるのは職員室で、そこには今人集りができていた。
「どういうことですの?! この採点は!」
職員室の中から響く金切り声。職員室のドアが開けられたままになっていて、そこに大勢の生徒が集まって部屋の中を見物している。ことら達は中の様子をうかがうため、野次馬の中に割り込んだり、背伸びをしたり、ジャンプをしたりした。見ると、一人の中年女性が教師に食ってかかっているところだった。
「ここで減点されなければこの子は満点だったのに! こんな言いがかりみたいな理由で減点するのはおかしいでしょう。採点をやり直しなさい!」
「いえ、採点したのは業者ですので、私達は関わっていないんですよ」
中年女性のクレームに教師は辟易した様子だった。その中年女性は平均の倍くらいの横幅があり、髪は金に近い栗色に脱色されていて、それに鳥の巣のようなパーマにしていた。両端のつり上がった眼鏡をかけ、ネックレスや指輪等のアクセサリーを身に付けられるだけ付けている。不快な金切り声といい理不尽な言いがかりといい、その中年女性にことら達が好印象を持つことはあり得なかった。
「それを何とかするのがあなた達でしょう! 誰が給料を払っていると思っているの、わたし達納税者でしょう!」
「まさる君は今回も非常によい点を取っています。まずはそこを認めてあげてもらえませんか」
「何を勝手なことを。今回も二位だったのに、満点じゃなかったのに! こんな点数に何の価値があるのよ!」
その会話でようやくことらは気が付いた。その中年女性の横に眼鏡をかけた男子生徒――松任まさるが佇んでいる。松任まさるは全てを諦めた、人形のような無表情となっていた。
「何? あのモンスターってあいつの母親かよ」
「先生も災難だよな。あんなヒステリーばばあの相手をしなきゃいけないなんて」
「あいつも何しているだろうな。うちの親がこんな真似したら俺だったら殴ってるぞ」
野次馬の生徒達がそんな会話をしているのがことらの耳にも入ってくる。野次馬が松任まさるに向ける感情は同情が半分、嘲笑が半分といったところだった。
「何をしている?! 見せ物じゃないんだぞ!」
そこに体格のいい体育教師が現れる。野次馬の生徒達はその場所から追い払われ、職員室のドアは閉ざされてしまった。生徒達は残念そうに、三々五々その場から立ち去っていく。ことら達三人は最後まで職員室前に陣取っていたが、中の様子をうかがうことはできなかった。
「この中にいるのは確かなのに……」
「これ以上確認するまでもねーだろ。あれだけ感情を暴走させてたんだから」
ことらの判断にたつみも「そうね」と同意、ゆたかも異議を唱えなかった。
「よし、今日の夜にバク退治だ」
ことらが静かに決意を示し、たつみとゆたかも無言のまま、だが確かに頷いた。




