第八話「反抗期? よく判らない」Aパート
内渚町内の一角にある閑静な住宅街。そこには比較的広い敷地を持つ邸宅が並んでいる、内渚町の中でも一種の高級住宅街に分類される区画である。小さな建売なら三つ四つ入りそうな敷地を有し、建っているのは機能性とデザイン性を両立した和洋折衷の邸宅だ。
その中の一軒に一際大きな敷地を持つ、純和風の屋敷があった。黒い屋根瓦を掲げる白塗りの土塀が続き、その中央には名刹古刹のような大きな数寄屋門。その表札には「大聖寺」という名字が記されている。さらにその奥には時代劇でしか見られないような、風情ある武家屋敷が建っていた。
広い庭には松や梅の木がそこかしこに立ち、大きな池にはたくさんの錦鯉が泳いでいる。水の流れる鹿威しが規則正しく庭石を打ち、軽快な音を立てていた。
庭の方から屋敷を見るとその雨戸は全て閉じられている。そして今開けられようとしているところだった。割烹着を着た初老の女性が一枚一枚雨戸を開けていっている。時刻は午前六時、大聖寺家の朝はすでに始まっていた。
「お嬢様、朝でございます」
「判りました。今起きます」
割烹着の女中が襖の向こうの部屋へと声をかけ、即座に答えが返ってくる。さほど待つこともなく襖が開き、そこから少女が――たつみが姿を現した。たつみが身にしているのは剣道の道着だ。
「おはようございます」
と挨拶を交わし、たつみは敷地内にある武道場へと向かう。そこで木刀の素振りをするのがたつみの日課だった。一心不乱に、まるで機械のように寸分の狂いもなく木刀を振り上げ、振り下ろす。きっちり二百回正面素振りをしたなら今度は左右素振りを二百回。それが終われば今度は実戦を見据えたイメージトレーニングだ。もっともたつみの場合、想像上の敵は剣道の試合相手ではなくバクという魔物だったが。
素振りも含めたトレーニングをちょうど一時間で終えて、シャワーで汗だけ流して身支度を整えて食堂へと向かう。
「おはようございます」
「うむ、おはよう!」
「おはよう、たつみ」
食堂にはすでに両親がいて朝食の用意も調えられている。時刻は七時三〇分。大聖寺家の一家そろっての朝食が始まる時間だった。
「今日の夜は竪町さんと会食だ。その後は東郭に泊まっていく」
「そう。それならわたしも遊びに行こうかしら」
龍子の呟きに天馬は「構わんよ」と頷いた。
「竪町さんは今期で隠居だ。後を譲ってもらって、次の選挙ではいよいよ国政に挑戦する」
「でも、竪町さんには息子さんがいたはずでしょう?」
「本人は政治家になるつもりはないと明言しているし、後援会もそれで納得している。納得していないのは竪町さんくらいのものだ」
天馬がおしゃべり好きなため大聖寺家の食卓は割合会話が多かった。もっともしゃべっているのは八割方天馬で、特にたつみは問われない限り自分から口を開くことはほとんどない。
「勉強の方はどうだね。そろそろ模試の結果も返ってくるだろう」
「ほとんど間違えなかったのでいい結果を出せると思います」
「今回も一番を取れそうね」
天馬と龍子が誇らしげに微笑むが、たつみの表情に変化はなかった。
「剣道部の方はどうなんだ? 次期部長に推薦されていると聞いたが」
天馬の問いにたつみは「はい」と答える。
「光栄なことですから受けようと思っています」
龍子は「そう」と微笑みつつもわずかに顔を曇らせた。
「……でも、勉強と部活に加えて魔法少女の任務もあるでしょう? わたしにも経験があるから判るけど、ちょっと大変じゃないかしら」
「そうだな。早く魔法少女からは身を引くべきだ」
たつみは返答を詰まらせるが、それは本人にしか意識できないようなほんの一瞬だけ、一拍だけことだった。
「……はい。ですが、ことらとゆたかが続ける限りは続けるつもりです」
「そうね。あの子達が無茶をしないようあなたがしっかり見張ってくれれば、わたし達も安心できるわ」
「そうだな。お前達が危険なことをしないで済むよう、私達も努力している」
天馬の言葉にたつみは「はい」と頷いた。
……朝食を取り終えるまでそれほど長い時間はかからなかった。両親が食後のお茶を嗜む一方、たつみは鞄を持って登校しようとする。
「それでは行ってきます」
「ああ、行っておいで」
「ええ、行ってらっしゃい」
両親に見送らせてたつみは食堂を後にし、中学校へと向かう。たつみの姿がなくなり――それまで微笑んでいた天馬と龍子の表情が一変した。二人の顔に憂いと翳りが差している。
「普段通りね、あの子は……良くも悪くも」
「ああ。我が子ながらあまりに優等生過ぎて、逆に不安だ」
天馬は肩をすくめ、
「医王山さんが聞いたなら『贅沢な悩みだ』と怒られそうだがな」
「でも、多少わがままでもことらちゃんくらいに自分の気持ちをはっきりさせてくれる方が親としては助かるわ。……あの子が何を考えているのか、わたしには判らない」
龍子の慨嘆に天馬は「私もだよ」と同意した。
両親の懊悩を知る由もなく、たつみは一人内渚中学校へと向かっている。季節は梅雨に入り、空は厚い雲に覆われている。今日の内渚町は雨になりそうな雲行きだった。
休み時間、ことらが自分の教室に戻ってくると大勢の生徒が掲示板の前に集まっているところだった。
「何あれ」
とゆたかに問うと、
「この間の模試の結果です。上位者の名前が発表されているんです」
ことらは「ふーん」と答え、掲示板の前へと向かった。ゆたかがその後についてくる。ことらもゆたかも自分の名前がそこにあるとは夢にも思っておらず、ただの野次馬である。掲示板の前に集まっている生徒のほとんどがことら達と同じ単なる野次馬で、ことらはその野次馬をかき分けて掲示板の前にやってくる。A4用紙にプリントされている小さな文字をことらは読み上げた。
「――『一位 大聖寺たつみ 四九七点』」
「すごいですよね、たつみちゃん」
ゆたかの賞賛にことらは「ああ」とだけ答えて自分の席に戻っていく。ゆたかがその後に続いた。
「たつみちゃん前回も、その前も、その前も一位でしたからね。やっぱり頭の出来が元から違うんだろうなー、少しはその出来のよさを分けてほしいなー」
「わたしはあの身長の方を分けてほしいけどな」
ゆたかは「ああ、なるほど」と納得して頷く。自分で言っておきながら面白くなさそうな顔のことらだった。
「でも、
ことらちゃんだってもう少し背が伸びるんじゃないんですか? おじさんあんなに大きいしおばさんも結構背が高いし」
「ことりもかなりのチビなんだよな。姉妹そろって父方のばーさんに似たらしい」
ふーん、と頷くゆたかにことらが、
「お前は完全に母親似だよな、羨ましいよ。わたしも母親似だったらよかったのに」
(性格は「コピペか」ってくらいにそっくりだと思います)
とゆたかは思いはしても口にはしなかった。
「たつみちゃんも母親似ですよね」
「そうだな。わたしもそうだけどあいつこそ父親似でなくて本当によかったよ」
一方、二人の話題になっているたつみの方である。
「大聖寺は今回も一位か。よく頑張ったな!」
「ありがとうございます」
採点結果を返してもらう際、教師がたつみを称揚するがたつみはごく普通にそれを受けるだけだ。
「大聖寺さんおめでとう」
「すごいねー」
クラスメイトの賞賛に対しても同じである。あくまで自然体であり、たつみにとって何も特別なことではないかのようだった。
そして昼休み。ある光景が廊下を歩くたつみの目に入った。
「負けたのはお前のせいだろ。どうしてくれんだよ、万年二位」
「授業のサッカーなんか、本気でやる気がないってか? 万年二位」
一人の男子生徒が何人かの男子生徒に絡まれている。絡んでいるのは制服を着崩した、やや柄の悪い連中で、絡まれているのは眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな生徒だった。
「僕はそんなつもりは」
と眼鏡の男子が抗弁してもその連中は取り合わない。
「運動ができなくても勉強ができりゃ救いもあるのに、今回も二位だったよな」
「毎回同じ奴に負けて恥ずかしくないのかよ、万年二位」
どうやらその連中は絡むこと自体が目的であり、授業のサッカー云々はただの口実でしかないようだった。連中の一人がその男子から眼鏡を取り上げ、からかっている。
「そこまでにしておきなさい」
凜とした声がその場に響く。絡んでいる男子生徒達がその声の方へと――たつみの方へと顔を向けた。
「二位を馬鹿にするあなた達は今回の模試で何位だったの」
たつみが静かに、だが鋭く男子達に問う。「柄が悪い」と言っても校内でたつみ一人に集団で殴りかかるほど考えなしではなかったらしい。その連中は舌打ちをし、眼鏡を放り捨ててその場から去っていった。
たつみは廊下に落ちた眼鏡を拾い上げ、「大丈夫?」とその男子に手渡そうとする。その男子はたつみの手から自分の眼鏡をむしり取った。
「僕を憐れむつもりか?! 畜生……!」
そう言い捨てて走り去っていく。その場にはたつみと、
「何だよあいつ。たつみが助けてやったのに」
「……まあ、仕方ないって思えるところもありますけど」
いつの間にか現れていたことらとゆたかが残された。どうやらかなり最初からたつみ達のことを見ていたらしい。
「知ってる奴か?」
「確か、
松任まさる(まっとう・まさる)、でしたっけ。今回の模試で二位だった人です。ついでに言えば前回も、その前も、その前もたつみちゃんに次いで二位でした」
ゆたかの解説にことらは「ああ、なるほど」と納得した。
「そりゃ、敵愾心も持つだろうな」
「周りも、二位になったことより一位になれなかったことを責めるでしょうしね」
珍しくもたつみがゆたかの言葉に異議を唱えた。
「模試は普段の勉強の成果を確認する場でしょう? その成果を充分に出せたかどうかが問題なのであって、順位なんてただの結果に過ぎないわ。わたしにしても全国レベルなら一〇位にも入っていないわよ」
たつみの主張にゆたかは「う、その通りです」と身を縮め、ことらは、
「そんなの建前だろ。ライバルと目している奴には何としても勝ちたいだろうし、憐れまれれば悔しいだろうさ」
ゆたかは掌を返したように「それはそうですよね」とことらに同意する。だがたつみの方は今ひとつ納得できないような顔をしていた。
放課後、たつみは剣道部の部活動で汗を流し、その後は学習塾に行って勉学に勤しんだ。帰宅をしたのは割合遅い時間で、風呂に入ってから女中の作った夕食を一人で取る。
「お父さんは?」
「お仕事で今夜は戻られないと」
「お母さんは?」
「いつもの方とご宿泊するとのことです」
たつみが「そう」と頷き食事を続ける。夕食を終えたたつみは自室に戻り、勉強をする。そして一二時前には就寝した。
……翌朝の大聖寺家。たつみは判で押したように昨日と同じパターンで行動していた。武道場で木刀の素振りをし、イメージトレーニングをし、シャワーを浴びて食堂へと向かう。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
「おはよう、たつみ」
両親はすでに揃っていていつものようにたつみと挨拶を交わす。が、両親の、特に天馬の様子が微妙におかしいことにたつみは気付いていた。
「何かありましたか?」
たつみの問いに天馬は「いや、その」と言動が不審になったが、それも長い時間ではない。
「大事な話がある。今日の夜に話そう」
「判りました」
その後は普段と比較してやや静かな朝食を続け、それを終えたたつみは中学校へと向かう。食堂に残された天馬と龍子は互いの顔を見合わせた。
「……さて、あの子はどんな反応をするかな。年頃の娘なんだ、さすがにいい顔はしないと思うんだが」
「でも、あの子がわたし達に口答えをしているところが全く想像できないわ。今回のことも、あの子は何一つ抵抗せず受け入れるかもしれない」
龍子の予測を天馬は否定できないでいる。二人にとってそれは必ずしも望ましいことではないようだった。
――その日の深夜。たつみはことらやゆたかとともに夢の世界に赴いてバク退治に勤しんでいた。
「いいなづけー!?」
夢の世界にことら達の絶叫が響き渡る。唖然とすることら達の一方、たつみは普段と何一つ変わりなく、泰然自若としていた。
「い、許嫁ってあれですよね、結婚相手。たつみちゃんはその人と結婚するんですか?!」
「今度会ってみて、それで問題がなければ婚約になるかもしれないわ」
ゆたかが「きゃー!」と黄色い声で雄叫びを上げるが、たつみの態度はまるで他人事のようである。
「そんな話始めて聞いたぞ」
「わたしもさっき聞いたところよ。 国会議員の竪町雁之助が父に議席を譲る交換条件として、自分の息子とわたしを結婚話を持ち出してきたの」
ことらが「政略結婚かよ」と不快そうにする一方、たつみは「よくあることよ」と当たり前の様子だった。
「……あの、バクがそこにいるんだけど」
遠慮がちにロビンが忠告をし、ことら達はそれで自分達の仕事を思い出したかのようだった。
「ちっ、落ち着いて話もできやしねぇ」
ことらが戦輪を構えてバクに突撃、たつみとゆたかがそれに続いた。
今回のバクは全身から無数の刃を生やしている刃物人間で、強い殺意を持ってことら達を攻撃してきた。だが幸いバク自体は大した強さではなく、三人とも余裕を持って対処することができた。
ゆたかがハンマーでバクの刃を次々とへし折っている。ハンマーを振り回しながら、
「高校生? 大学生? どこの学校の人なんですか?」
「出身校は聞いていないわ。今は県庁に勤めている」
質問に答えながらたつみはバクの刃と斬り結んでいる。ゆたかが「社会人?」と驚いた顔を見せた。
「何歳の男なんだよ」
「今年で三〇歳になるそうよ」
その答えにことらとゆたかは唖然となり、攻撃の手も止まってしまう。バクの攻撃をたつみが一人で受け止め、反撃した。
「気を抜かないで」
「あ、ああ。悪い」
「す、すみません」
気を取り直したことらとゆたかが攻撃に転じる。
「一〇歳上くらいならまだともかく、ダブルスコアはあんまりです! そんな結婚をしても上手くいくかどうか」
「そうだよ! 中学生を狙うロリコン男なんてろくなもんじゃないぞ!」
八つ当たりじみた二人の攻撃にバクはなす術もなく追い詰められていく。たつみもまた果敢にバクに斬撃を加えた。
「家の結びつきで出た話だから、その人がわたしという個人を狙っているわけじゃないわ。その人はわたしの顔も名前も知らないんじゃないかしら」
三人がかりで攻撃され、バクは急速に戦闘力を奪われていく。たつみの胴薙ぎがバクの胴体に命中、バクは上下二つにきれいに斬り別れ、その戦闘力を完全に消失した。
「それじゃ封印するよ」
いそいそとバクを封印するロビンを放置し、ことらとゆたかはたつみを取り囲んだ。
「そもそもわたし達、結婚できる年齢じゃないですよね。まだ決まった話じゃないんですよね」
ゆたかの確認にたつみが「ええ」と頷くと、
「逃げちゃえよ、そんな話。嫌がって逃げ回ってりゃそのうちお流れになるだろ」
ことらの提案にゆたかは強く頷いて同意を示す。が、たつみは頷かなかった。
「でもわたしはその人との婚約を両親に望まれているわ」
「こんな大事なことも親の言いなりなんて、お前それでも反抗期の中学生かよ!」
ことらは思わず叫ぶがたつみは不思議そうな顔をするだけである。
「反抗期? よく判らない。少なくてもわたしには親に反抗しなきゃいけない理由はないわ」
その言葉にことらとゆたかは揃って「いやいやいや」と手と首を振った。
「おかしいです、そんなの。家のためにたつみちゃんが人身御供になるなんて」
一方のたつみも二人の強い反対に当惑の様子である。
「父の政治活動に必要だから受けた方がいいと思っているだけなのだけれど」
「父親は関係ないだろ、問題はお前がどうしたいかだろ! その三〇男と結婚したいのかよ」
たつみは首を傾げ、
「会ったこともない人と結婚したいも何もないわ。もちろんよほど相手に問題があるなら断るけど、目をつむれるくらいの問題しかなく、家に大きなメリットがあるなら、断る理由はないのではなくて?」
ことらはぎりぎりと歯軋りをした。自分の思いがたつみに伝わらないのがもどかしく、苛立たしい。ゆたかもまた途方に暮れたような顔になっていた。
「……でも、家優先のそんな結婚でたつみちゃんが本当に幸せになれるんですか?」
「わたしの両親も政略的な見合い結婚だったけど、少なくとも不幸ではないわよ」
「でも、この先本当に好きな人もできるかもしれないですし、中二で結婚相手も決めなくてもいいんじゃないんですか?」
とゆたかがしつこくたつみに食い下がる。それに対するたつみの返答は二人の想像を絶していた。
「そのときはその人に愛人になってもらえばいいのではなくて?」
唖然とし、絶句するゆたか達に、
「わたしの両親はそうしているわよ」
とたつみが追い打ちをかけた。
「……大聖寺のおじさんが浮気を?」
「おじさんだけじゃなくておばさんまで……その、不倫を?」
やっとの思いで発した二人の問いに、たつみが首肯する。
「……それでいいのかよ、お前は」
「何か問題でも?」
掠れた声のことらの問いにたつみはごく自然にそう答える。
「でも、浮気なんかされたら喧嘩をしたりとか、離婚になったりとか」
「県会議員とその夫人、大聖寺家当主とその入り婿――家ではそれぞれの立場や役割があって、それはしっかりと果たさなきゃいけない。でも役割さえ果たすのなら、お互いの私的な時間、プライバシーは尊重する――両親はそれで上手くやっているわ」
大聖寺家という名家の内幕に、二人はもう何も言えないでいた。
「……それでいいのかよ、お前は」
「何か問題でも?」
ことらがもう一度同じ問いかけをするが、返ってくる答えもまた同じだった。
「お父さんもお母さんも、わたしの両親という役割をちゃんと果たしてくれている。それで何も問題はないわ」
「……それは公の立場はちゃんと守っている、ってことですよね」
ゆたかの確認にたつみが頷く。
「――それじゃ、プライベートでのたつみちゃんの両親はどこにいるんですか?」
ゆたかのその問いに対して返答はなかった。たつみはその問いに答えることができなかった。




