第七話 Cパート
その夜、日付が変わろうとする時間帯。
「つ、疲れた……」
真鶴は仕事を終えて今ようやく帰宅しているところだった。
「まあ、今日は飲みに行くのがなかったからまだよかったけど……」
真鶴には普通の事務仕事も割り振られており、その上で松本との「打ち合わせ」に付き合わされている。日中のほとんどが「打ち合わせ」に費やされ、普通の仕事に取りかかれるのが夜の七時とか八時とかになり、終業はこんな時間帯になってしまうのだ。
「机に向かって仕事ができるだけ幸せなんだろうが、思っていたのはこうじゃない……この仕事を続けるべきなんだろうか」
真鶴は思い悩みながらゆっくりと自転車を走らせている。たまに自動車が通り過ぎていくだけで通行人は真鶴一人だけだった――いや、他にもいる。
「あれは……」
三台の自転車が連れ立って移動しているのが真鶴の目に入った。夜であり、距離もあり、自転車に乗っていたのが誰なのかまでは判らない。判るのは三人ともが若い女性――あるいは女の子であることくらいだ。そして真鶴にはこんな時間帯に行動している三人の女の子に、嫌というほど心当たりがあった。
真鶴は自転車を方向転換させて三人の後を追う。仕事の疲れなどどこかに吹っ飛び、完全に忘れ去っていた。
その三台の自転車に追いつくことはできず、その姿を見失ってしまう。だが真鶴には三人の行き先を予測することができた。内渚町の町中の神社、真鶴はそこへと自転車の車輪を向けた。
「よかった、あった」
神社の前には三台の自転車が駐輪している。そのうちの一台が自分の娘のものであることも確認できた。その三台に並べて自転車を駐輪し、真鶴は神社の敷地に入ろうとした。
「一里野さん」
不意に声をかけられ、後ろを振り向く真鶴。そこに立っていたのは夜なのにサングラスをかけた巨漢の男である。
「医王山さん。あなたもあの子達を追って?」
「ええ、子供達はバク退治に向かっています。バクが取り憑いているのは内渚第一予備校の経営者、ヘンリー・G・松本。本名、森本鷺男」
その事実に絶句する真鶴。飛鳥は真剣な眼差しをサングラス越しに真鶴へと向けた。
「どうしますか? 一里野さん」
「私も行きます。私が戦います。子供達に任せるわけにはいきません」
真鶴が示した確固とした意志に飛鳥は小さな笑みを見せる。
「それじゃこっちに」
飛鳥に案内されて移動した先はその神社の駐車場だ。そこに駐車している飛鳥の自家用車に二人は乗り込んだ。運転席に飛鳥、助手席には真鶴、後部座席には誰もいない。その誰もいない後部座席に向かい、飛鳥が声をかけた。
「俺達も夢の世界に転移する。頼む」
「判ったわ」
後部座席から発せられる女性の声。真鶴が首を巡らせると、そこには人間ではない何者かの姿があった。背丈は真鶴の膝の辺りまで。フードと一体となったマントによりその姿を完全に覆っている。
「レン君か。久しぶりだね」
真鶴の挨拶にレンは何も応えない。不意に、眠りに落ちるような、身体が落下するような感覚に襲われて真鶴は慌てて四肢を突っ張った。だがそれはほんの一瞬のことだ。
「転移が完了したようです。行きましょう」
飛鳥がドアを開けて車外へと出ていく。初めてのことで戸惑う真鶴だが急いで車外に出、飛鳥の後を追った。そこはもう現実世界ではなく夢の世界――真鶴がサイ次元と名付けた世界である。
一方ことら達は飛鳥や真鶴よりも何分か早く夢の世界にやってきている。すでに変身も終え、三人とも魔法少女のドレス姿だ。三人は民家の屋根の上を跳躍し、内渚町の中心部へと向かった。
「さて、今回のバクはどこにいるんだ?」
跳躍しながら索敵をすることら。たつみやゆたかもバクの姿を探している。そのとき、何かに気を取られたゆたかが足を引っかけ、思い切り転んで民家の屋根に顔面から突っ込んだ。
「……いったぁー」
半泣きになるゆたかの元にことらとたつみが戻ってきた。
「何してんだよ、ドジだな」
「ご、ごめんなさい。あの、今回のバクですけど」
「見つけたの?」
ゆたかがある方向を指差す。内渚町の東、潟湖の方向だ。その方向に視線を向けたことらとたつみは「な」とだけ言って言葉を失う。そこにあるのは高さが五百メートルにも達するであろう、超高層ビルだったのだ。
「……多分あそこだと思います」
「だろうな」
「でしょうね」
そのビルの八角形のフォルムには三人とも見覚えがあった。内渚第一予備校でヘンリー・G・松本が誇示していたビルの模型そのままだ。
「実に判りやすいな」
ことらがそう言いつつそのビルに向かって跳躍する。たつみとゆたかがそれに続いた。
何分もかからずに三人はその高層ビルの前に到着した。ゆたかはそのビルを見上げて途方に暮れたような顔となる。ビルの最上階はまるで雲の上で、地上から見ることはできなかった。
「こんな大きなビルの、一体どこにバクが……」
「そんなの決まってるだろ」
ことらがショッピングモールを訪れる気安さでそのビルへと入っていく。たつみがそれに続き、最後に慌てたゆたかがそれを追った。そのビルのホールは小さなビルくらいならすっぽり収まる巨大な空間だ。少なくとも内渚第一予備校の建物くらいは丸ごと入って余りあるだろう。
ことら達は何十メートルも歩いてようやくエレベーター前に到着。エレベーターに乗り込んだことらは迷わず最上階のボタンを押した。
「最上階にバクが?」
「お約束だろ」
と得意そうなことら。たつみもそれに同意する。
「ヘンリー・G・松本の虚栄心を考えればそこの可能性が一番高いわ」
「確かに、予備校でも一番上の階を一人で使っていましたね」
とゆたかも納得の様子だった。
エレベーターはロケットのような勢いで天へと向かって昇っていく。円筒形のエレベーターの半分は透明なガラスになっており、外の様子がよく見えた。ことら達の眼下には夜闇に沈む内渚町が広がっている。
五分近くかかってエレベーターはようやく最上階に到着。ことら達は不意打ちに備えながらエレベーター内から飛び出した。が、敵からの攻撃はない。背中合わせになって周囲を警戒しつつ、ことら達はゆっくりと最上階の奥へと移動していく。
最上階には照明が死角なく設置されており、昼間のように明るかった。室内に大きなプールがあり、南国風の観葉植物が並んでいる。その向こうの屋外に見えるのはヘリポートのようだった。ビリヤード台やジャグジー、シックなワインセラーも置かれている。
「……何かすっごい成金ぽい」
顔をしかめることらの言葉にたつみとゆたかも頷き、同意を示した。
「――来たよ、バクだ」
ロビンが警戒を発し、ことら達が一斉に身構える。やがて三人と一匹の前にそのバクが姿を現した。脈絡なく床に円形の穴が開き、その下から何かが迫り上がってくる。まるで舞台装置のリフトだ。それに乗って出現したのが今回のバク。ヘンリー・G・松本に取り憑いたバクだった。
「……これ、ヘンリー・G・松本かしら」
「……多分」
たつみの疑問にことらが自信なさげに答える。今回のバクはまるで大理石の彫像のような姿をしており、そこに彫られた人物はヘンリー・G・松本であるものと推定された。他の人間を模す理由がないし、確かにヘンリー・G・松本の面影が感じられる。現実の松本を一〇歳以上若返らせ、体脂肪率を一〇パーセント以上減らし、髪の毛を倍以上に増量し、目を若干大きくして鼻筋を若干高くして口を若干小さくして唇を若干薄くして――要するにヘンリー・G・松本の自己イメージ、その理想像なのだろう。結果として面影があるだけの、ほとんど別人と化していたが。
さらに、このバクは海外の名門大学で見られるような黒いガウンと黒い角帽――アカデミックドレスと呼ばれる服装を身にしていた。手に持っているのは指揮棒と巨大な三角定規だ。
「学歴に対するコンプレックスを増幅されているのかしら」
「じゃあおじさんをいじめていたのもそのせいか」
「多分」
そのやりとりを横で聞いていたゆたかがバクに対する怒りを燃え上がらせた。
「行きます!」
ことら達がとめる間もなく、ゆたかが先陣を切ってバクへと突撃する。ハンマーを振り上げたゆたかが渾身の力を込めて振り下ろすが、バクは余裕を持って避け、かすりもしない。さらにバクは三角定規越しにゆたかに体当たり、ゆたかは数メートル吹っ飛ばされ、床を転がった。
「ゆたか!」
「だ、大丈夫です」
と何とか身を起こすゆたか。ダメージはさほど大きくないようだった。
「ゆたかの仇だ、行くぜ!」
ことらが戦輪を掲げて突撃する。胴体めがけて殺到する戦輪を、バクは指示棒ではじいた。ことらの戦輪とバクの指示棒が鍔迫り合いをし、ぶつかり合い、火花を散らす。ことらに続いてたつみが突撃した。たつみの日本刀に対し、バクは三角定規を盾に使って身を守っている。ことらとたつみが場所を入れ替わり、ことらの戦輪とバクの三角定規が激突し、たつみの日本刀とバクの指示棒が斬り結んだ。
バクは二人と戦うので手一杯で、ゆたかにまでは気も手も回らない。その隙を突き、ゆたかがこっそりとバクに接近した。
「ええいいっっ!」
ゆたかは渾身の力を込めてハンマーを振り下ろし、それは見事命中した――バクの足の甲に。
「GYUURRUUYY!」
足の甲を砕かれ、たまらずバクが悲鳴を上げる。足を引きずってバクが後退、三人との距離を置いた。
「よくやったゆたか! でも頭をぶん殴ってやりゃもっとよかったのに」
「あの、それはちょっと……」
とゆたかは苦笑する。
「あなたはそれでいいのよ」
とたつみ。ことらとゆたかはよく判っていないが、「こんなハンマーで殴ったら怪我じゃすまない」というゆたかの躊躇いこそが彼女の圧倒的な攻撃力の源泉なのだ。もしゆたかがもっと気軽に敵を攻撃できるようになったなら、そのときはその攻撃力に見るべきものはなくなってしまうだろう。
ことらは「まあ、いいや」と戦輪を構え直した。その右横にたつみが、左横にゆたかが並び、それぞれの得物を手に構える。ことら達はじりじりとバクへと接近した。
「この勢いでやっつけるぞ」
ことらの言葉に二人も頷く。三人が同時に突撃をかけ――その瞬間バクが反撃に転じた。三角定規を投げ捨てたバクがフードの懐に手を突っ込み、何かを投げ放った。それをことら達は散開して避けるが、それは風を受けて不規則に揺れ動いている。まるで花吹雪のように――紙吹雪のように。
「なんだこりゃ」
ことらはあっけに取られた。それはただの紙切れ、たくさんのA4用紙だ。バクが投げ放ったそれが風に乗って漂っている。ことらは無意識のうちにその一枚を手に取っていた。その途端、白紙のそれに文字が浮かび上がってくる。
『――国語、三〇点。F判定』
その文面が何者かの声で読み上げられ、ことらの頭の中に響いた。次の瞬間にはことらの全身から力が抜けてしまう。まるで全身の血をいきなり半分以上失ったかのようだ。倒れそうになるが何とかその寸前で踏み止まる。
「て、てめえ、何しやがった!」
それでも気丈に牙を剥くことらだが、バクはそのことらをせせら笑った。
『私はお前の学力、お前の実力を判定したのだ。それはすなわちお前の社会での評価、お前の将来性、お前の未来の可能性! そんな惨めな学力でこの私に立ち向かえると思っているのか!』
「何わけの判んねぇことを!」
戦輪を構えたことらがバクに突撃し、攻撃する。だがバクはその攻撃を容易にあしらっていた。ことらは舌打ちをする。自分の戦闘力が半減以下になっていることを嫌でも理解するしかない。
「ことらちゃん!」
思わずことらの名を呼ぶゆたかだが、そのゆたかにも紙吹雪が襲いかかった。慌ててそれを避けるゆたかだが避けきれず、その一枚が背中に貼り付いてしまう。
『――数学、四〇点。E判定』
判定が下され、ゆたかもまたその力を奪われる。ゆたかは膝から崩れ落ち、その場に座り込んでしまった。
「わ、わたしは漫画家になるんだから、試験の結果なんて……!」
ゆたかは戦う意志を再構築し、何とか立ち上がる。ことらもまたそれに励まされた。
「そうだよ! そんな紙切れが何だって言うんだ!」
だがそれでもことらとゆたかの攻撃力は半減以下のままだ。バクは二人を嘲笑した。
『お前達がどう思おうと勝手だが、少子化が進んだ今でもこの国が強固な学歴社会であることは何一つ変わらない! 学歴こそ社会の地位! テストの点数こそ人間の価値! それがこの国の価値観なのだ!』
ゆたかとことらは唇を噛み締める。「反論したい、反撃したい」という強い思いはあってもそれが言葉や形にならなかった。
「あなたのそれは極論に過ぎない」
魔法少女の中で戦闘力を保っているのはたつみ一人だった。たつみにも紙吹雪が貼り付いて判定が下されているが、
『――英語、九五点。A判定』
戦闘力への影響はほとんどない。だがたつみ一人では手が足りず、敵を圧倒することができなかった。現状維持が精一杯だ。
「この国に無数にある価値基準の中の、ただの一つに過ぎないわ」
『だが、最も重要な価値基準の一つだ!』
たつみの剣とバクの指示棒が鍔迫り合いをする。たつみはバクに押されていた。自分の不利を悟ったたつみは一旦強く押してその隙にバクから後退、距離を置いた。たつみの元にことらとゆたかが集まってくる。
「くそ、どうする……?」
ことらに問われたたつみとゆたかだが、現状を打開する手段を二人が持っているわけではない。焦燥に当惑をブレンドしたような目を互いに向け合うだけである。
『身の程を思い知れ、小娘ども!』
バクが再度懐に手を突っ込む。三人は身を固くして敵の攻撃に備えた。バクが紙吹雪を投げ放ち――
「とうっ!」
バクとことら達の間に割り込んだ何者かがその紙吹雪を全身で受け止めた。
『――国語、@¥点。&判定』
『――社会、%$点。#判定』
『――英語、~?点。!判定』
紙吹雪の採点と判定は誤作動を起こしていた。ゆたか達はあっけに取られてその光景を見つめている。
「お、お父さん……?」
「ゆたか、もう大丈夫だぞ」
くたびれた背広を着た、小さな背中。すだれハゲの頭頂部。人のよさそうな、だが貧相な中年男――そこにいたのはゆたかの父親、一里野真鶴氏、その人だった。
「お前達は下がれ。ここは一里野さんに任せるんだ」
「親父……」
ことら達の背後に現れた飛鳥が三人をさらに後退させる。なお飛鳥は魔法少女姿ではなく自衛隊の迷彩服を着ており、ことらは露骨に安堵していた。
『一里野先生、どういうおつもりですか……?』
「学長、あなたは間違っている」
バクの問いに真鶴は静かに、だが確固として断言した。
「もっとちゃんと勉強をしたいという子供達の思いに応えるのが予備校の役目のはず。模試の判定はそのツールに過ぎない。なのに、それを使って子供の価値の全てを一方的に決めつけ、挙げ句に判定の悪い子供を嘲笑するとは! あなたは予備校の経営者として失格だ!」
真鶴の指弾にそのバクは『ぎぎぎ……』と悔しげに歯軋りをした。
「あなたはバクによって妄執に囚われてしまっている。私がそれを晴らしましょう」
真鶴が高々と手を掲げた。三百万光年の彼方からやってきた光の巨人ぽい構えとなり――掲げた拳から光が溢れる。ゆたかは目を庇いながらその光景を見つめ続けた。
強い光の中のことのためシルエットしか識別できないが、着ていた服は光に溶けて真鶴は全裸になっていた。天の川を巻き込んでどこからともなく飛んできた青いリボンが真鶴の胴体に巻き付き、レオタードを形成。さらにリボンがスカートやドレスの形を作っていく。最後に胸の上で一際大きなリボンが結ばれ、光が凝固してサファイアのような宝石が生み出され、魔法少女としての姿が完成する――ただしそれを身にしているのは、生活にくたびれた、すだれハゲの、貧相な中年男である。
「……」
ゆたかは自分では「お父さん」と呟いたつもりだったが、それは言葉になっていなかった。ことらやたつみは気の毒そうな目をゆたかに向けるだけである。虎子の魔法少女姿もかなり痛々しかったが、真鶴のそれにはまた別種の痛々しさが漂っている。まるで、元いた職場をリストラされて何年も就職活動をし、やっとの思いで再就職を果たした中年男が新しい職場で宴会芸を強要されて、選択の余地なく魔法少女の格好をしているかのようだ。その背中には人生の悲哀と哀愁が深く刻み込まれていた。
『私が雇わなければ路頭に迷っていた犬ころが!』
バクが真鶴へと突撃し、指示棒を剣のように振り下ろす。それに対して真鶴は、
「マジカル、スコップ!」
どこからともなく取り出したスコップでそれを打ち払った。バクの指示棒と真鶴のスコップが斬り合い、打ち合いを演じている。
「……何でスコップ?」
ことらの素朴な疑問に対し、
「スコップを馬鹿にするな!」
飛鳥が思いがけず強い反応を示す。ことらは反射的に「お、おう」と答えていた。
「スコップは斬ってよし、刺してよし、殴ってよし。穴も掘れる万能武器なんだ」
ことら達は飛鳥の解説を聞いていなかった。ゆたかの「お父さん、一時期土木工事のバイトもしていましたから」との説明に「なるほど」と頷いている。
一方真鶴とバクの戦いは伯仲が続いていた。バクは攻撃方法を変更する。バクは指示棒を巨大化させ、電柱のようになったそれを振り回した。巨大化した分指示棒の動きはかなり鈍くなっている。真鶴は眼前に迫ったそれを余裕で避けようとし――
『――前職を辞められた理由は何ですか?』
「ぐおっ!?」
真鶴はバクの攻撃をまともに食らい、吹っ飛ばされた。バクの精神攻撃はさらに続く。
『前職を辞められてから今日まで履歴書が空白になっていますが?』
「のわっ?!」
バクの打撃が真鶴を押し潰した。バクがさらなる攻撃を加えんと真鶴に接近する。
「おじさん!」
ことらが飛び出そうとするが飛鳥がそれを制止。ことらは「何で止めるんだよ!」と飛鳥に食ってかかった。
「このままじゃおじさんが!」
「危なくなったら俺が行く。だが」
真鶴はまだ戦う意志を捨ててはいなかった。その心はまだ折れてはいなかった。真鶴が何とか立ち上がるが、バクはもうその目の前までやってきていた。
「お父さん!」
ゆたかの声が真鶴の耳に届いていた。強固な意志を保ったままの真鶴の瞳を、頭部ごと潰さんとするがごとくにバクが指示棒を振り下ろす。それと同時に放たれる精神攻撃。
『当社があなたを雇うメリットは何ですかー!?』
「私は!」
真鶴がスコップでその指示棒を迎撃。上から潰そうとするバクと下で耐える真鶴、両者の力が拮抗した。いや、バクが『貴様……!』と焦りを見せている。
「……私は大学で一〇年以上講師をしていた経験があります! それは予備校という仕事中で大きく役立つものと思います!」
真鶴はバクの指示棒を押し戻し、押し返した。押し返されたバクが体勢を崩している。そこに真鶴が追撃。スコップを振り上げ、振り下ろした。
「大学は! 生徒数の減少により講義数が削減され、講師の席がなくなってしまいました!」
『要するにリストラでしょう? そんな人材を当社に雇えと?』
「私は大学の中しか知りませんでしたが、新しい環境に挑戦したいと思っています!」
バクによる指示棒の殴打を真鶴のスコップが受け流す。真鶴のスコップの刺突をバクが指示棒で受け止めた。両者の剣戟が高層ビルの最上階に響いている。
「おじさんが……」
勝敗の天秤は揺れ動きつつも釣り合っているように見えた。だが徐々にそれが一方に傾いている――真鶴の方へと。
「この三年間、私は警備員やコンビニの店員など、様々なアルバイトをしてきました! それは貴重で重要な人生経験です。その全てが今の私の糧となっています! 私のしてきたことに無駄なことなど何もありません!」
真鶴のスコップがバクを殴り、バクを斬り、バクを刺す。たまらず後退するバクを真鶴が追い詰めた。
『それならコンビニの店員をずっとやっていればいいのでは……』
「私は、妻と子供にとって誇りを持てる夫であり父親でありたいと思っています」
真鶴が大きくスコップを振り上げた。バクが両腕を頭上で交差し、その攻撃を防ごうとしている。
「――御社は、勤めている人間が誇りを持てる会社ですか? 顧客に満足を提供している会社なのですかー!」
真鶴は素早くスコップを持ち直して槍のようにそれを刺突。スコップの先端はバクの顔面に突き刺さり、突き抜けた。
『GGUUGGAA……』
バクが受けた傷は致命傷のようだった。戦闘力を完全になくしている。
「ほれ、封印してこい」
飛鳥の指示を受けてロビンがバクに接近。額の模様から発せられる光によってバクを封印し、吸引した。ヘンリー・G・松本の妄想によって生み出されていた高層ビルもその存在を維持できなくなり、霞のように消えていく。ことら達のいる場所はいつの間にか地上ゼロメートルの高さのただの地面に、潟湖の湖畔となっていた。
戦闘を終えた真鶴は安堵のため息を一つつき、ことら達の元に――ゆたかの元へと歩み寄った。真鶴は自分の愛娘に誇らしげに笑いかけた。
「どうだ、お父さん頑張っただろう」
その瞬間、堤防が決壊したかのようにゆたかの瞳に涙が溢れた。そのまま大粒の涙がいくつもこぼれ落ち、床を塗らす。嗚咽を堪えるゆたかが、
「おと、うさん……おと、うさんがどんな、趣味を持っていても……お父さんは、お父さんだから……」
切れ切れになりながらもそう告げる。真鶴はその真意を理解していないようで、ただうろたえるばかりである。そんな親子の姿を飛鳥は微笑ましげに眺めている。ことらはそこに同情の思いがプラスされていたけれど。
バクの妄執によって支配されていた夢の世界はすっかり元の姿を取り戻している。ことら達もまた夢から覚めて現実世界に戻る時間だった。
それから何日もしないある日のこと。
「これを見て」
全ての授業が終わって放課後となり、廊下に出たことらの前にたつみが待ち構えていたように立ちふさがった。顔を見かけた途端スマートフォンの画面を突きつけてくるたつみ。怪訝に思いながらもことらはそれをのぞき込む。
「ん? ――『内渚第一予備校経営者、詐欺で逮捕』……?!」
そこに表示されていたのはニュースサイトのローカルニュースのページであり、ことらが読み上げたのはその見出しである。ことらはたつみからスマートフォンを奪い取るように受け取り、そのニュースの詳細を読んでいく。
「……『裏口入学を斡旋すると称して生徒の父兄から現金五百万円を騙し取った疑い……警察の事情聴取に対して森本容疑者は容疑を認めている』……」
一通りそのニュースを読んだことらは我知らずのうちにたつみを凝視していた。
「これって、バクのせいで欲望が暴走してこんな事件を」
「いえ、それはないわ」
とたつみが即座に否定する。
「ヘンリー・G・松本は何年も前からこの詐欺をくり返していたらしい。バクに取り憑かれたことは無関係ね」
ことらは「なんだ」と気の抜けたような顔をした。が、すぐにまた表情が変わる。今度はやや深刻そうな顔だ。
「でも、経営者がこんなことになったらこの予備校は、一里野のおじさんは」
「どう考えてもあの予備校は存続できないし、おじさんもまた失業することになるでしょうね」
二人の間に沈黙の帳が降りる。が、そこに「大丈夫ですよ」と声がかかった。二人が声の方を振り向くと、そこには満面の笑みを湛えたゆたかがいる。
「お父さんからメールがありました。別の職場を紹介してもらって、そこで採用になったそうです」
「今度はどこに?」
「医科大の教養の講師だそうです」
ことらが「へえ、よかったじゃん!」とゆたかの背中を強く叩く。ゆたかは痛がりながらも「はい!」と嬉しげに返事をしていた。
――娘とその友人に心配をかけながらも、一里野真鶴氏の就職問題について一応の解決を見た。だがその背後にある人物の意志が働いていたことを知る者は少ない。
「一里野真鶴を再就職させたのね。これであの男も第六次案研究会に復帰するのではなくて?」
場所は金剛崎犀星の自宅、それに併設された武道場だ。道場には今人影は犀星のもの一つだけ。だが犀星はそこで何者かと会話をしていた。
「奴はバクと戦い、これを倒すだけの意志の強さを示した。試練に打ち勝った以上はそれに報いてやらねばなるまい」
「でも、
あの男の調査能力は侮れない。わたし達の本当の目的も調べ上げてしまうかもしれない」
その懸念を吹き飛ばすように犀星は「構わん!」と強く告げる。
「たとえそれであの者達が敵に回ろうと、我等は我等が道を進むまで。我等が理想を阻む者は誰であろうと容赦せん!」
犀星が示した意志は鋼鉄よりも堅く、山よりも動かし難い。それを理解した会話の相手は異議を唱えはしなかった。
「ここまで来るのに十年……わたし達の理想が実現するのもあと少し」
犀星が会話の相手に視線を向け、大きく頷く。犀星の視線の先にいるのは膝の高さほどの背丈を持った何かだ。フードと一体となったマントで全身を覆っていてその姿は判然としない。
そこにいるのは「レン」と呼ばれる夢の妖精――金剛崎犀星の盟友であり、共犯者であり、同志だった。
第八話「反抗期? よく判らない」
Aパートは10月27日月曜日21時、
Bパートは10月28日火曜日21時、
Cパートは10月29日水曜日21時、
の更新予定です。




