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第一話 Bパート




 自衛隊駐屯地の一角、事務所棟。ことら達の父親はその窓辺に肘をつき、黄昏れている。口から漏れるのはため息ばかりだ。


「あの年頃の女の子は仕方ないですよ。飛鳥さんも大目に見てあげてください」


 飛鳥あすかと男の名を呼んだのは同僚の女性、WAC(女性自衛官)である。年齢は飛鳥より一〇歳以上は下に見え、闊達で若々しい印象の女性だ。勤務中のため二人とも迷彩服を着、飛鳥は眼鏡ではなくサングラスをかけていた。いるかは飛鳥と並んで通路の窓辺に佇んでいる。窓の向こうにはグラウンドで訓練をする隊員達の姿が見えていた。


「やっぱり男親だけじゃ女の子を育てるのは無理なのかねぇ」


「無理とは言いませんけど、大変だとは思います。……その、わたしもことらちゃんのことを理解できるよう頑張りますから」


 その女性は姿勢も心理的にも深く一歩を踏み込んだが、一方の飛鳥は腰が引けたようになっている。


「……いやその、ただでさえ手を焼いているのに再婚するとなったらどんな反応をするのか想像できなくて、それが怖い。あと二年もすればことらも高校生だし、少しは落ち着いて話ができると思うんだが」


「そのときは今度はことりちゃんが中学二年ですよ」


 女性の指摘に飛鳥は「ああ……」と呻きながら頭を抱えた。


「下は上に比べれば聞き分けがいい子なんだがそれでも……二人とも落ち着く年齢になるまで待つべきか?」


 飛鳥の呟きに女性は焦りを見せた。


「そ、そんなに待ったら出産が難しくなります。わたしも自分の赤ちゃん産みたいですし」


「ああ、判っている」


 と飛鳥は頷き、笑って見せる。その女性からは頼もしげに見えた笑みだが、客観的に見たなら諦めの境地に達した虚ろな笑みにも思えた。


「遊びのつもりで付き合っているわけじゃない。ただ、もう少し時間がほしい」


「あまり待たせないでくださいね?」


 女性は微笑み、甘えるように飛鳥に身をすり寄せる。駐屯地内でないなら、勤務中でないならそのままキスの一つもしていたのは間違いない。


「仲がよろしくて結構なことね。医王山飛鳥一等陸尉、恋路こいじいるか二等陸尉」


 飛鳥と女性――いるかが慌てて距離を取る。声のした方を二人が見ると、そこには一人の女性の姿があった。

 年齢は飛鳥と同年代、身長は女性としてはかなり高い。加齢に伴い否応もなく付いてきた脂肪は有酸素運動とガチガチのボディースーツで無理矢理引き締めているため、大人の色気全開といったスタイルになっている。緩いウェーブがかかったセミロングの黒髪、身にまとうのは一分の隙もない高級なスーツ。化粧は薄めだがかなりの美人だ――もっとも、その美しさは野生の肉食獣のそれだったが。


「これは失礼しました、七塚虎子ななつか・とらこ警部」


 言っていることは普通の挨拶だが、いるかの口調には虎子に対する敵意が隠しようもなくにじんでいた。だが虎子はいるかを無視し、飛鳥へと真っ直ぐに視線を向ける。


「ことらの成績が最近下がっているようだけど? 同僚といちゃついている場合かしら?」


「俺だって毎日のように小言を言っている」


 虎子の詰問に飛鳥は気まずそうに言い訳をし、飛鳥を庇うようにいるかが両者の間に割り込んだ。


「これはわたし達家族の問題です、部外者には口を挟んでほしくないんですけど!」


「あなた達の付き合いに口を挟むつもりはないわ。でもことら達の教育については口を出さないわけにはいかないのよ」


「子供より仕事を選んだのはあなたなんでしょう?」


「この男とまだ籍を入れていないんでしょう? なら部外者はあなたの方ね」


 虎子といるかが舌鋒で斬り結び、火花を散らした。置いてきぼりの飛鳥はどう仲裁すべきか懊悩している。そこに、


「苦労しているようだな、色男!」


 朗らかな調子の男の声が届く。飛鳥達が視線を向けるとそこには一組の夫婦の姿があった。

 夫婦共に飛鳥達と同年代。夫の方は、身長はそれほど高くないが横幅が広い。体重は優に一〇〇キログラムを超えているだろう。長めの髪をオールバックにし、身にしているのは高級ブランドのスーツ、その特注品だ。

 一方夫人の方は、和服を身にし、夫と並んでいるためかなりスリムに見える。だが実際には虎子と同じくらいにはグラマーだ。長い黒髪を二つに分けて編み込み、両サイドでおだんごにしている。夫のやや後方に佇むその姿は日本美人の典型例のようだった。


「助かりました、大聖寺だいしょうじさん」


「いや、もうちょっと見ていたかったがね!」


 飛鳥の挨拶に大聖寺氏は扇子をばたばたと振って豪快に笑い、


「邪魔したかしら、虎子」


「構わないわ、龍子りゅうこ


 虎子と大聖寺夫人――龍子は気の置けない様子で言葉を交わしていた。

 一方のいるかは四人の輪に入れず取り残された状態だ。飛鳥はいるかに、


「それじゃ、また後で」


 一声だけかけ、他の三人を連れて移動する。いるかはその背中を見送ることしかできない。


「……自衛官に、公安課の警部に、県会議員とその夫人。一体どういう集まりなの?」


 いるかの問いに答える者はどこにもいなかった。

 ……飛鳥達四人は事務所棟内の一室、小さな会議室へと移動した。室内にあるのは安物の折り畳み式テーブルとパイプ椅子、それにホワイトボードだけだ。四人はテーブルを囲み、それぞれの席に着いた。

 龍子が用意していたレジュメを配る。それに記されているのは、


「第六事案研究会」


 という表題と、「極秘」の二文字だ。


「――さて、始めましょうかね」


 大聖寺氏を議長とし、その会合――第六事案研究会が開催された。


「……レッドの攻撃にバクが反転し、逃亡。最後尾から追跡していたブルーがバクを足止めし、レッドとホワイトの連係攻撃によりバクを撃滅しました」


 レジュメを読み上げていた龍子が「昨晩の戦闘についての報告は以上です」と席に座る。報告を受けた飛鳥達三人は顔を見合わせた。


「いや、レッドの戦いぶりは相変わらず勇猛果敢のようですな!」


「しかし、油断が過ぎるようです」


 と冷静に答えるのは虎子である。


「あの子達が魔法少女となって一月半。バクとの戦闘は今回で七回目ですか」


「ええ、週に一回程度のペースですね」


 飛鳥が確認し、龍子が答える。飛鳥は腕を組んで「うーむ」と唸った。


「最初の頃の緊張感がなくなって、戦いが作業になっているような気がします」


「そうね。幸か不幸か、あの子達は本当に強いバクとまだ戦ったことがない。『バクなんてこんなもの』という思い込みや油断が一番怖いわ」


 飛鳥と虎子は同じ危惧を共有した。


「早く何とかしたいところだが……そちらの方は? 大聖寺さん」


 飛鳥の問いに、大聖寺氏は頼もしげな笑みを見せた。


「――ようやく準備が整いましたよ」


 その瞬間、室内の空気が一瞬で入れ替わったように感じられた。澱んだ息苦しさが消え失せている。呼吸するたびに新鮮な酸素が大量に送り込まれ、胸の奥の炎が熱く燃え盛るかのようだ。


「待ちかねましたよ。これであの子達も救われるわけですね」


 飛鳥の言葉に大聖寺氏が「その通りです」と頷く。四人の視線が結びつき、堅い一つの意志を成した。


「それでは取り決め通り、先鋒は医王山さんが」


「ええ、もちろん」


 大聖寺氏の確認に飛鳥が力強く頷く。虎子が「わたしの方が実戦経験はあるのに」と文句を言うが、飛鳥は「くじで決まったことだろう」と取り合わなかった。

 ……会合が終わり、四人はそれぞれ会議室の後片付けをしている。


「次の会合は内渚町でやることになると思うんですが」


「町役場の会議室を抑えておきます」


「一里野さんにも早く復帰してほしいですね」


「ええ、その通りなんですが、それなりの肩書きがないことには……」


 飛鳥と大聖寺氏が仕事の延長の話をする一方、


「ことらもせめてたつみちゃんの半分でも聞き分けがよかったらねぇ」


「親に全く反抗しないのも、それはそれで不安なものよ」


 虎子と龍子は子供のことを話し合っていた。

 会議室を出、大聖寺氏が、


「どうです、晩飯でも食いながら」


 と酌を傾ける仕草をして飛鳥を誘う。だが飛鳥は首を横に振った。


「今日は自動車ですから。また今度の機会に」


 大聖寺氏はそれ以上飛鳥を引き留めることなく「そうですか、それではまた今度」と軽く挨拶をする。


「それじゃ」「それじゃ、また」


 虎子や龍子とも別れの挨拶を交わし、飛鳥は三人が去っていくのを見送る。その後、飛鳥は自家用車に乗って自宅への帰路に着いた。








 何日か後の、町立内渚中学校。時刻はちょうど授業が終わった頃である。生徒達は教科書を鞄にしまいながらおしゃべりに興じている。ことらはその中の一人だった。


「新しいシャツほしいんだ、日曜に見に行きたいんだけど」


「そんなお金あるんだ。お金持ちぃー」


「父親の方にちょっと甘えりゃ、こんなもんよ」


 と胸を張るクラスメイトにことらは「それだけは嫌だな」と笑っている。そこにゆたかが通りかかって、


「ことらちゃん、また後でね」


 と一声かけて去っていく。ことらはそれに対して「おう、判った」と返答した。そのことらに、クラスメイトの二人が怪訝そうな目を向けている。


西泉にしいずみのやつと遊ぶの?」


「いや、そういうわけじゃ……」


 クラス内の立ち位置では上位のことらに対し、真性オタクのゆたかは立ち位置では最底辺だ。その二人が友人として一緒にいる場面は彼女達の想像の外なのだろう。それを敏感に感じ取ったことらだが、ゆたかのことを「友人ではない」とばっさり切り捨てることもできない。ことらにできるのは、気まずげな顔で曖昧に言葉を濁すことだけだった。

 ことらはクラスメイトとともに教室を出、昇降口へと向かう。ことらは廊下でたつみと行き会った。


「ことら、わたしは剣道部に顔を出してくるから」


「おう、判った」


 端的に用件を告げるたつみとそれに返答したことらがすれ違う。そのことらに、クラスメイトの二人が不思議そうな目を向けている。


「大聖寺さんとも遊ぶの?」


 たつみは学年トップの成績をキープしているだけでなく、剣道部では次期主将と目されている。文武両道の完璧優等生のたつみに対し、ことらは素行と成績の不良で教師に睨まれている。その二人が友人として一緒にいる場面は彼女達の想像の外なのに違いない。たつみのことは「友人ではない」とばっさり切り捨てても心が痛まないことらだが、ではどういう関係なのかを説明するのも面倒だ。


「いや、そういうわけじゃ……」


 ことらはまたもや曖昧に言葉を濁すことを選択していた。

 校舎を出、ことらはクラスメイトの二人とは校門で別れた。ことらが向かう先は自宅とは別方向の、内渚町の町中だった。

 内渚町の住宅街を一人ふらふらと歩くことら。目的地が明確に判っている歩き方ではない。まるで何か探し物をしているような、道に迷って目印を探しているような歩き方だ。ことらがある角を曲がると、その反対側から歩いてきたゆたかとばったりと向かい合った。


「そっちは見つからなかったのか」


「はい。こっちの区画は一通り確認しました」


 ゆたかはスマートフォンの画面に地図を表示、自分の調査した範囲を指し示した。ことらは地図をスクロールさせて確認する。


「まだ見てないのはこっちか」


 合流した二人はことらの指差す方へと向かって歩き出し、探し物を続行した。探し物が見つかるまではそれほど長い時間はかからなかった。目的地と思しき家、その前に一人の少女が佇んでいたからだ。


「なんだ、先に見つけてたのか」


「つい今見つけたところよ」


 ことらとゆたかはたつみと合流する。たつみは視線でその家の二階を示し、ことら達は上を振り仰いだ。

 日本中で何十万とありそうな、小さな建売住宅。ただ建てられたのが何十年も前の、古い、暗い、うらびれた印象の家である。三人は三人にしか理解できない感覚により、この家に不穏なものを感じていた。


「ロビン、どうなんだ?」


「うん、間違いない。この家の住人に取り憑いている」


 三人の足下にロビンが姿を現した。ただしそれはあの夢の世界のように存在感のある姿ではない。まるで太陽の下で投影された映画のように色あせた、半透明の姿である。

 その家の二階、分厚いカーテンの閉め切られた窓の一つ。カーテンがわずかに隙間を開き、そこから血走った眼だけが外を覗いている。その眼は路上に三人の姿を認め、即座にカーテンの奥へと姿を隠した。


「あれのようね」


「……何か、今までとは違います」


 ゆたかの言葉にロビンが同意する。


「バクに取り憑かれて大分時間が経ってるんだろう。症状がかなり進行しているみたいだ」


「要するに強敵ってことだな」


 とことらは不敵に笑う。ゆたかはやや不安げな様子で、たつみはいつも通りのポーカーフェイスだ。ロビンは「油断しちゃ駄目だよ」とことらを諫めた。


「ともかく、夜になるのを待とう。一二時にいつもの場所に集合だ」


 ロビンの言葉に三人は頷き、


「おう、内渚町の平和はわたし達魔法少女に任せな!」


 とことらが気勢を上げた。ゆたかは苦笑し、たつみは我関せずといった態度である。

 その家の前から立ち去ることら達の姿を、その家の二階の住人が見つめ続けていた。








『子供達がバクを見つけたわ。今夜退治するつもりのようね』


 その日の夜、夕陽がちょうど沈んだところの時間帯。飛鳥のスマートフォンに虎子からの連絡が入った。駐屯地から自動車で帰宅中だった飛鳥は路肩に自動車を停め、電話を続ける。


『今回のバクは人間に取り憑いてから時間が経っていて、症状もかなり進行している。子供達にとってはこれまでとはわけが違う強敵よ』


「どういう人間に取り憑いているのか判るか? 確か取り憑いた人間の傾向によってバクの強さも変わってくるんだろう?」


 飛鳥の問いに虎子は当たり前のように『調査済みよ』と答えた。


『名前は小松うしお、二〇歳。工業大学の一年生。付き合っていた女性がいたけどしばらく前にふられていて、最近は大学にも出席していないわ』


 虎子の説明に飛鳥は「ふむ」と頷く。


「失恋して心が弱ったところをバクにつけ込まれたのか」


『そういうことね。バクは風邪と同じで、心身が健康ならバクに目を付けられても必ずしも取り憑かれるわけじゃない。でも、心身が弱まっているなら条件は同じでも取り憑かれる可能性は高くなるわ』


 飛鳥は「ふむふむ」と頷き、


「失恋してバクに取り憑かれたってことは、それに関連したバクが出てくるってことなのか?」


 飛鳥の問いに虎子は数瞬言葉を途切れさせた。


『……この小松うしおに関しては一つ大きな問題があるわ。この男は友人の間ではガンマニアとして知られていて、趣味はモデルガンの収集なのよ』


 飛鳥が「おいおい、まさか」と嫌な予感を抱く。それは即座に的中した。


『インターネットのオークションで使用済みの空薬莢を百発分購入したことも判っている。県下の玩具店を何軒も回って大量の花火や爆竹を購入したことも判っているわ』


「そいつは……」


 飛鳥は苦虫を噛み潰したような顔をする。電話回線の向こう側でも虎子が同じような表情をしていることは間違いなかった。


「人混みで乱射事件でも起こされたら目も当てられんな。下手をしたら何人もの死者が出るし、この男だってあまりにも哀れだ」


『ええ。バクは寄生した人間の精神エネルギーを効率よく吸収するために宿主の感情を増幅させ、暴走させる。特に怒りや憎悪といった感情が増幅されやすいわ。この男も、バクが取り憑いてさえいなければ失恋のことだって今頃は笑い話にして、新しい相手を探している最中だったかもしれないのに』


「何としても今夜中に始末をつけなきゃならんな、この男が何かしでかす前に」


 飛鳥の決意に虎子も力強く『ええ』と頷いた。


「そういう意味ではこの男がガンマニアだったのは不幸中の幸いだったかもしれんな。多分バクは銃器に対するこだわりも増幅している。人を殺せる銃器を手に入れるのに手間取ったからこそ今まで何も事件を起こさなかったんだろう」


『結果的にはそう言えるかもね――無事に始末をつけられたなら。下手打たないでよ』


「判っている」


 通話はそこで切られる。飛鳥は決意と同じくらいに拳を堅く握りしめ、掌の中のスマートフォンが砕ける寸前の軋みを上げた。




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