第六話 Bパート
ある日の放課後、ことらとゆたかとたつみは恒例のパトロール中だった。三人はおしゃべりに興じながら内渚町の町中をのんびりと歩いている。
「何で空手やめちゃったんですか? もったいない」
「確かに結構面白かったけどさ」
とことらは虚空に向かって跳び蹴りを放った。制服のスカートがめくれ上がり、たつみが「はしたないわよ」と注意するがことらは欠片も気にしていない。
「わたしが通ってたのは精神修養を重視するとこで、礼儀とかに物凄くうるさくていまいち性に合ってなかったんだよ」
たつみが「あなたにはそれが必要なんじゃないの?」と指摘し、ことらが「うっさい」と言い返す。
「それに魔法少女の方も忙しくなってきたからな。いい機会だったからすっぱりやめたの」
ことらの言葉にゆたかは、
「それはありますねぇ」
と頷いている。一方たつみはあまり同意できない様子だった。
「……僕の立場でこんなことを言うのもあれだけどさ」
不意にゆたかの肩の上にロビンが現れ、三人の会話に口を挟んでくる。
「君達はこの先ずっと魔法少女でいるわけじゃない。バクと戦うことを理由に、普段の生活をないがしろにしてほしくないんだ」
「魔法少女を引退した人達が思いがけず身近にいたしね」
とゆたかが苦笑する。一方ことらとたつみは不審そうな目をロビンへと向けていた。
「……バクが出てくる限りは魔法少女が必要だろ? わたし達が引退したら誰がバクを退治するんだよ」
「ぼ、僕達もこの世界にバクが来ないよう努力しているんだ。近いうちにそれは実現するはずから」
ロビンは慌て気味に言い繕うが、それは別の疑問を抱かせただけだった。
「そもそもバクって何なの? 何故この世界にやってきた人間に寄生するの? あなた達はどうしてそれを止めようとするの?」
「バクは夢の世界の魔物で、人間に取り憑くのはバクが人間の精神エネルギーを求めているから。それを止めさせるのは人間を守るためだ」
たつみの質問にロビンが早口で答える。が、たつみの疑問が全て解消されたとは言い難く、不審は募るばかりだった。ことらとたつみが疑惑の視線でロビンを突き刺し、ロビンは身を縮めた。
「確か、夢の妖精の中にバクを操っている人達がいるんですよね」
「ど、どうしてそれを!」
ゆたかの何気ない一言にロビンが強く反応する。ゆたかがきょとんと首を傾げる一方、ことらとたつみの視線はますます鋭くなった。
「ゆたかはどうしてそれを?」
「お父さんが言ってました。お父さんは大学でバクや夢の世界について調べていたんです」
ロビンは「そんなの、どうやって……」と力なく呟いている。そのロビン首の後ろをことらが掴み、持ち上げ、ロビンの顔を自分の目の前へと持ってきた。牙を剥いたことらの笑顔と怯えた様子のロビンがごく至近で向かい合う。
「ゆたかの言ってるのは間違いじゃないんだな」
ことらの問いにロビンは答えない。だが否定もできないでいるため、それはことら達にとって肯定と同じだった。
「まー、夢の妖精って言ったって、絵本の中の存在じゃないんだ。組織や派閥があって、色々悪巧みをしている奴等だっているだろうさ。でもな」
ことらはロビンの持ち方を変え、ロビンの襟首部分の皮を力任せに掴んで締め上げた。「ことら、苦しい」というロビンの言葉も無視である。
「それをわたし達に黙ってるのはどういう料簡なんだ、ええ? 生命を懸けてバクと戦ってるのはわたし達なんだぞ」
ことらに締め上げられるロビンを、たつみは冷ややかに、ゆたかは狼狽えつつ見つめている。ロビンが黙秘権を行使しているのを見、たつみがゆたかに視線を移した。
「一里野のおじさんがどんなことを言っていたのか、一度ちゃんと話してくれないかしら。それを聞いてからロビンを問い詰めた方が効率がよさそうだわ」
ことらも「そうだな」とロビンを放り捨ててゆたかの方へと向き直る。二人の真面目な視線を受けたゆたかはためらいがちに、
「その……半分以上は仮説や推測だって、お父さんも言っていたんですけど」
「構わねえよ。間違ってたらこいつの態度で判るだろ」
とことらは親指でロビンを指し示した。その指の先では路上でロビンが倒れ伏しているが、三人ともそれを気にしていない。
「それなら、ええと……最初から話しましょうか」
ことらが「ああ」と、たつみが「それでお願いするわ」と返答し、ゆたかによる「バク及び夢の妖精、夢の世界」講座が始まろうとし――中止となった。
彫像のように棒立ちとなったゆたかがある方向に視線を固定させている。そこから目を離せないでいる。ことらとたつみがその視線の先を追い、小さく息を呑んだ。
「おらおっさん、どうしてくれらんや?」
「何とか言うたらどうねんちゃ、ああ?」
広い駐車場を持ったコンビニに五台ほどの改造バイクが駐車していて、それに乗っていた若者がコンビニの中年店員に絡んでいる。五人の若者が身にしているのは原色の生地に派手な刺繍の特攻服で、今時流行らないタイプの暴走族のようだった。彼等の足下にはバケツが転がっていて、彼等の一人のブーツが水に濡れている。
「おじさん……!」
そして絡まれているのは一里野真鶴氏だ。モップを持った真鶴はひたすら頭を下げ、「すみません」をくり返している。だが暴走族の若者はそれを嘲笑するだけだ。若者の一人が真鶴の顔を殴り、尻餅をつかせた。幸い、それほど強く殴ったわけではない。ちょっと小突いたくらいのものである。だが、
「てめえ!」
ことらを切れさせるにはそれで充分だった。止める間もなくことらが突撃していき、
「この野郎!」
真鶴を殴った若者に跳び蹴りを加える。その若者は吹っ飛んでゴミ箱にぶつかった。
その有様にたつみは頭を抱え、ゆたかは狼狽するばかりである。たつみは、
「警察に電話して。あなたはここを動かないで」
簡潔に指示をし、ことらの応援に向かう。ゆたかはうろたえつつもその指示に従い、スマートフォンを取り出した。
一方ことらの応援に向かったたつみだが、コンビニに面した幹線道路にある黒い車両が通りかかったのを目の端に留める。たつみは九〇度方向を変えて車道へと向かった。
「何すんげんこのクソガキが、殺されたいんかいや、ああ!」
殺気立って怒鳴る暴走族に対し、ことらはうんざりしたような顔である。
「うっせーな、口喧嘩は苦手なんだ。こっちで来いよ」
ことらは空手の構えを取り、手招きで相手を挑発した。暴走族がことらを取り囲もうとし、そこに真鶴が割って入る。
「この子は関係ない! 殴るなら私を!」
が、自分を庇う真鶴に対してことらは舌打ちせんばかりの態度だ。
「何やってんだよおじさん、早く逃げろよ」
「君こそ何をやってるんだ! こんな馬鹿なことを!」
「馬鹿とは何だよ!」
真鶴とことらは互いにかばい合いを演じて揉み合いになっている。一方暴走族の連中は二人の人情劇など欠片も斟酌しなかった。
「えーな、いじるかしい! 二人ともぶっ殺してやるわいや!」
ことらが五人の暴走族と対峙する。冷静に考えれば五人を相手に勝てるはずもなく、ことらの額を嫌な汗が流れた。それでもことらは戦うことを、敵に対して立ち向かうことを選んだ。
「先手必勝!」
ことらが飛び出して暴走族の一人の金的を蹴り上げる。その一人は股間を押さえて悶絶した。
「まず一人!」
続けざまにもう一人の顎を右拳で殴打。顎の先をピンポイントで打ち抜かれ、その一人は脳震盪を起こしてしまった。意識ははっきりしているが足が崩れ、とても立っていられない。
「二人目!」
が、ことらの快進撃もそこまでだった。敵の一人に背後からのタックルを食らってことらは地面に倒れ伏す。さらには腹を蹴られ、ことらはうずくまるしかなかった。
「く、くそ……」
それでも起き上がろうとすることらだが、その上に何者かが覆い被さった。
「身体を丸めて!」
「おじさん……!」
真鶴がことらの上に覆い被さっている。「てめえ!」と暴走族が真鶴に蹴りを入れているが、ことらには振動が伝わるだけで痛みはなかった。
「おじさん、退いて!」
ことらは真鶴を押し退けようとするがその身体は動かせない。真鶴は暴走族から滅多打ちにされ、それでも必死に悲鳴を噛み殺していた。ことらの瞳から悔し涙が流れる。
不意に、衝撃が途絶えた。暴走族が真鶴へのリンチを中断したらしい。真鶴は半分くらい気絶しており全身から力が抜けている。ことらは真鶴の身体を押し退け、その下からようやく抜け出した。即座に攻撃の体勢を取り、間合いに入ってきた者をとりあえず殴る。
が、その拳はあっさりと誰かの掌に受け止められた。
「ふん、蛮勇が過ぎるぞ」
その掌とことらの拳が癒着したかのように、押しても引いてもびくともしない。手や指はごつごつとしていてまるで石のよう。掌は潰れた肉刺が層を成し、まるでヤスリのようだった。気が遠くなるほどの時間を武道の鍛錬に費やしてきたのはその手に触れただけで簡単に理解できる。焦り気味にことらが前方を見上げ――ことらの前に巨峰がそびえ立っていた。
年齢は六〇代、身長は一八〇センチメートルを少し超えたくらい。飛鳥に比べればやや低いが、筋肉の質量は飛鳥にも負けていない。身にしているのは剣道か何かの道着と袴、足下には下駄。厳しい風雪に耐えた巌のような容貌。立派な口ひげを蓄え、やけに黒々とした豊かな髪は由井正雪のような総髪だ。
そして何より、その人物が放つ存在感は圧倒的だった。どれだけ大規模な群衆であってもその人物が人混みに紛れることなどあり得ないように思える――まるで猫の群れの中に一頭だけ獅子が混じっているかのように。
「金剛崎先生……どうしてここに」
「単に通りかかっただけだ」
ことらはようやく周囲の状況を把握するだけの余裕を持った。ゆたかとたつみが真鶴の介抱をしている。怪我はしているが単なる打ち身で済んでいるようだと、ことらは一安心した。駐車場には黒塗りのマイクロバス。右翼の街宣車と同じ姿だが文章や文様がほとんど描かれておらず、非常に地味だ。車体に唯一麗々しく記されているのは、
「大日本さいせい塾」
の団体名だけだった。
その街宣車に乗っていたと見られる、一〇人ばかりの若者が全員同じ姿勢で、微動だにせず暴走族を取り囲んでいる。これらの若者も特攻服を身にしているが、やはり余計な刺繍も何もない地味な特攻服だった。さらにはその若者達はそろって角刈りやスポーツ刈りといったさっぱりした髪型をしている。五人とも長髪を金あるいは赤に染めている暴走族と比べればどうしようもないくらいに地味だった。が、その地味な連中を相手に暴走族の五人は借りてきた猫のように大人しくなっている――だがそれも当然のことだろう。暴走族の連中がただの町のチンピラなのに対し、その若者達は優秀な兵士のように鍛えられた身体と高い規律を有しているのだから。
金剛崎は真鶴へと歩み寄った。真鶴はゆたかとたつみに介助されてようやく立ち上がる。その真鶴の前に金剛崎が屹立した。
「先生、危ないところをどうも……」
「守るべき婦女子に自分が守られるとは、それでも日本男児か!」
真鶴の謝意を遮って金剛崎が一喝、真鶴は「すみません」と頭を下げた。
「おじさんはわたしを庇ったんだ!」
ことらは反射的に真鶴を弁護する。だが金剛崎は「ふん」と鼻を鳴らすだけだ。
「――後始末は任せておくがいい」
金剛崎はそう言い残してことら達の前から立ち去っていく。金剛崎が黒塗りの街宣車に乗り込み、暴走族を連行する特攻服の若者達がそれに続く。間もなくコンビニの駐車場から街宣車が走り去っていき、ことら達はそれぞれの面持ちでそれを見送っていた。
その後、真鶴はコンビニの同僚に付き添われて病院へ行くこととなった。ゆたかはそれに同行しようとしたが真鶴は「大した怪我じゃないから」とそれを断り、「友達と一緒に帰りなさい」とことら達と同行することを選ばせた。
そして三人はパトロールを中断し、家路に着いている。夕暮れの中、三人は橋を渡って歩いていた。夕陽にきらめく潟湖が左手に、赤く輝く吊り橋や風車が右手に見えている。
「あの、ことらちゃんが金剛崎先生って呼んでいた人、知り合いなんですか?」
「知らねーのか。結構有名人だと思うけど」
ことらの確認にゆたかが「はい」と頷く。
「金剛崎犀星――まず武道家として有名な人よ」
ことらに代わって答えたのはたつみである。
「柔道・柔術・合気道・剣道・空手・サンボ・テコンドー・ムエタイ、あらゆる武道の達人で、段位を全部合わせると百段を超えるらしいわ。付いた異名が『武道百段』」
「わたしが前に通っていた空手道場、道場主の師匠筋があの先生なんだ」
「わたしの剣道道場も同じ。――県下の武道道場は一つ残らずあの方かその弟子が経営していると言われている。さらには県警の武道師範や自衛隊の武道顧問も勤めている。あの方に逆らったらこの県で武道家として生きていくことはまず不可能ね」
ゆたかは「ほえー」と感心しているが、どの程度理解しているかは心許なかった。
「武道って縦の関係が厳しいでしょう? あの方が一声かければ県下の何千という武道家が動くと言われている。選挙のときには門下生やその家族も合わせて何万という票を集めてくれるから、県会だろうと国会だろうとあの方に頭の上がる議員はただの一人もいないわよ」
「お前のとーちゃんも?」
ことらの問いにたつみは「もちろん」と強く頷いた。
「確かに、右翼の大立者って感じでしたもんね」
「野望の王国」とか「男組」みたいな、とゆたかは続けたがそれはたつみ達には伝わらなかった。
「思想的には間違いなく保守だけど、世間一般の街宣右翼とは一線を画しているし、ヘイトスピーチをくり返すレイシストとは比べることすら失礼だわ。あの方は騒々しいだけの街宣活動を嫌っていて全くやっていないし」
「そうなんですか?」
「あのマイクロバスにもスピーカーは一つも付いていなかったでしょう?」
ゆたかは「そうだったかも」と頷き、その上で、
「でも、街宣車に『大日本さいせい塾』って書いてありましたよね」
「あの方の主催する政治団体よ。あの方は牛島辰熊の最後の直弟子の一人なのだけど、武道だけでなく政治的・思想的な弟子でもある。牛島辰熊の大アジア主義を引き継いでいるの」
「あっ、その人知っています」
とゆたかが手を挙げたのでたつみは説明を省略した。牛島辰熊は戦前活躍した武道家で、木村政彦の師匠として知られている。また、石原莞爾、加藤完治、浅原健三等と交遊関係を持ち、戦時中には戦争を止めるために東条英機暗殺を企てたこともある人物だった。……近年では木村政彦を主人公とした「KIMURA」という漫画も出版されているので、ゆたかはそれを読んだのだろう。
「『大日本さいせい塾』は『武士道精神による日本再生』を掲げて活動しているわ。活動内容はかなり地味で、海岸掃除のボランティアをしたり、休耕田を借りてお米を作ったり、ニートや不登校児を集めて武道を叩き込んで社会復帰をさせたり」
「それ、『さいせい道場』って呼んでてみんなすげぇ怖がってるんだ。暴走族やヤンキーも集められてるから、さっきの連中も多分さいせい道場送りになってる」
ゆたかは「ほえー」と再度感心した。
「それじゃ、あのとき金剛崎先生と一緒にいた人達も」
「多分さいせい道場の出身者だ。さいせい道場に放り込まれた連中のほとんどはちゃんと更正していて、真っ当に仕事もしているらしいぜ。あそこは就職先も紹介してくれるし」
「紹介先は警察や自衛隊、消防なんかが多いわね」
とたつみが意味ありげな視線をことらへと送り、ことらは何故か目を逸らした。その様子に不思議そうにするゆたかだが、あることに思い当たる。
「もしかして七塚のおばさん、さいせい道場の出身だとか?」
「……実は親父もそうだ。二人が知り合ったのがそこだったんだと」
観念したことらがその事実を告げ、ゆたかは「ほえー」とくり返し感心した。
「数え切れないくらいの道場出身者が県警や自衛隊に就職していて、母さんや親父より出世している人もたくさんいる。警察や自衛隊だって顎で使える、って話だぜ」
「地味で地道な活動を何十年も続けていて多くの実績を積み重ねているから、一般市民の支持者やファンも多い。県政の大立者であることは確かでしょうね」
ゆたかはもう一度「ほえー」と感心し、
「……あれ? そんな人とお父さん、どこで知り合いになったんだろう」
と首をひねる。ことらとたつみではその疑問に答えることができなかった。