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第五話 Cパート



 そして翌日、内渚中学校。


「ことらちゃん、おはよう」


「よし、来たな」


 ことらとゆたかが笑顔で挨拶を交わす一方、津幡兎美と他二名はそれを冷ややかな目で見つめている。だがことらはそれを完全に無視、頭から相手にしていなかった。


「はい、それじゃチームに分かれて」


 体育教師の指示に従い、女子生徒が何チームかに別れてバレーボールの試合を始める。が、ことらとゆたかはどこのチームにも入れてもらえなかった。ことらとゆたかは体育館の片隅でボールを手に所在なげに佇んでいる。その二人を津幡兎美と取り巻き二名が嘲笑した。


「――」


 それを見てことらの闘志の火に付いた。めらめらと燃え上がった。


「行くぞ」


「え、どこへ?」


 ゆたかの返答を聞かずにことらが体育館の外へと向かう。ゆたかが慌ててそれを追った。

 ……それから何分か経った頃。バレーボールの試合を終えた女子生徒の何人かがグラウンドを見て、


「あれ、医王山じゃない?」


「西泉もいるわ」


 等と話している。津幡兎美は不審げな顔で窓の外のグラウンドを眺めた。グラウンドでは体育の授業で男子がサッカーの試合中であり、


「ごおおーーるっ!」


 ことらが男子に混じってサッカーのプレイ中だった。ことらは男子生徒のチャージを華麗にかわしてゴールを決めたところである。


「さあ、もう一点行くぞ!」


「女にやられてんなよ! 取り返すぞ!」


 センターサークルにボールが戻って試合が仕切り直しとなる。男子生徒およびことらがセンターサークル付近に集まった。ゆたかはちょっと離れた、目立たない場所にいようとする。が、


「ゆたか、キックオフだ」


「わ、わたしがですか?」


 ゆたかの問いにことらが「当然だ」とばかりに頷き、男子生徒達も「うんうん」と頷いて同意した。男子生徒の視線が、何だか幼い子供のお遊戯を見守っているかのような生温かさだ。ゆたかは仕方なしにセンターサークルに向かった。


「そ、それじゃ行きます」


 ゆたかの足がボールに触れ――ゆたかはそのままドリブルで前に進もうとする。一同が「おいおい!」と突っ込み、ゆたかは「は、はいぃ?!」と目を白黒させた。

 ルールを理解していないゆたかにことらが大笑いしている。そしてそれを体育館から見ている女子生徒達。津幡兎美とその取り巻きは白けたような様子だが、他の面々は決して否定的ではなかった。

 その日の昼休み、ことらとゆたかは男子生徒の机に混じって昼食を食べていた。放課後の掃除も、


「何帰ろうとしてるんだよ」


「お前ら当番だろ」


 男子生徒にそう言われれば、津幡兎美であろうとゆたかだけに掃除を押し付けるわけにはいかなかった。女子と男子のスクールカーストは全く別個の存在であり、男子生徒には津幡兎美のご機嫌を伺わなければならない理由は何もないのだから。

 ――ことらは単に「こいつらの方が付き合いやすいから」という理由でまず男子生徒を味方に付けたわけだが、それは百点の正解だったと言える。男子生徒を通じて、ゆたか達と他の女子生徒との付き合いもほんの数日で元に戻ろうとしていた。


「はい、それじゃ二人組作って」


 そう号令をかけているのは体育教師ではなく美術教師。今は美術の授業中で、生徒達はペアを作って互いの顔をスケッチブックに描いている。ことらはゆたかとペアを組んでいた。

 鼻歌交じりに鉛筆を滑らせているゆたかと、しかめ面でスケッチブックに鉛筆を叩き付けているようなことら。一〇分もしないうちにゆたかがデッサンを描き上げた。


「こんな感じでどうですか?」


 とゆたかがそれを公開。そこには制服姿で無手のことらが今まさに拳をくり出そうとする、その瞬間が切り取られ、描かれていた。本職の漫画家にも負けないと思えるデッサン力にことらが「さすがは漫画家の娘」と感嘆する。

 さらには周囲のクラスメイトが集まり「すげー」「うまーい」と口々にゆたかを褒め称えた。恥ずかしげなゆたかはごまかすように、


「ことらちゃんはどう?」


 とことらの描いている絵をのぞき込む。さらには集まったクラスメイトがそれに一緒にのぞき込み、ことらが止める間もなくその絵がクラスメイトに公開される結果となった。


「……」「……」


 クラスメイトが評しようもない様子で沈黙する。立体を無視して複数の視点が一つの平面に描かれている、ように見えるのはキュビズムに通じるものがあるし、実物よりも心に写った姿を描くことを優先している、ように見えるのは印象派の手法だと強弁できるかもしれない。だが端的に言えば、有り体に言えば、要するに、「単に下手な絵」だ。ゆたかは、


「……その、前衛的な絵だよね?」


 と何とかフォローを試み、結局失敗していた。

 その後の昼休み。ゆたかはことらと一緒に弁当を食べている。二人の周囲には何人ものクラスメイトが集まっており、ゆたかは一同と楽しげに歓談していた。一方津幡兎美は取り巻きの二人と三人だけであり、面白くなさそうな様子である。

 そして放課後、掃除の時間。


「それじゃあとはお願いね」


「ありがとねー」


 津幡兎美とその取り巻きはゆたかに箒やモップを押し付け、さっさと帰ろうとする。その尻に、


「逃げんな、コラ」


 とことらが蹴りを入れた。津幡兎美は前に倒れ、ひざまずく。即座に立ち上がって「何すんのよ!」と怒鳴るが、


「当番が逃げんなって言ってんだよ」


 とことらはその怒りを平然と無視し、モップを顔の前に突きつけた。津幡兎美は怒りに歯を軋ませている。

 ふと、津幡兎美は周囲の視線に気が付いた。冷たい目が、あるいは嘲るような目が自分へと向けられている。一方ことらには応援の視線を、ゆたかは同情の視線を集めていた。


「――!」


 津幡兎美はことらの手を打ち払って早足で立ち去っていく。ことらが「待てよ!」とそれを追おうとするが、


「ことらちゃん、放っておこうよ」


 ゆたかがそう言い、さらにはクラスメイトも「もう相手にすることないよ」「そうそう、時間の無駄だよ」等と賛成する。ことらも、


「そうだな」


 とそれに同意し、クラスメイトと掃除を始めた。

 一方、逃げるように教室を後にした津幡兎美は早足で、猛然と廊下を歩いている。それを取り巻きの二人が懸命に追っていた。


「何あいつら。調子に乗っちゃって」


「ウザいのが集まって余計にウザくなってるよねー」


「でもあの西泉が一番腹立つわ」


「そうね。医王山から離れたら何もできない腰巾着のくせに」


「身の程を判らせてやるべきじゃない?」


 取り巻き二人の会話は津幡兎美の耳にも届いている。普段ならそれで多少なりとも溜飲の下がるところだが、今は怒りが募っていくばかりだった。怒りが、感情が制御できずにどんどんと膨らんでいく。


「――痛い目見せないとね」


 津幡兎美の呟きに取り巻き二人が「そうそう」「シメちゃお」等と賛同した。怒りの感情が制御を外れ、増幅し、暴走する。津幡兎美の影が獣のような嗤いを見せたことを彼女達が知るはずもなかった。








 その翌日、内渚中学校。ことらやゆたかは普段と変わらない中学生生活を過ごしていた。


「津幡は欠席か」


 と出欠を取っていた教師が確認する。クラスの面々は、


「昨日のあれのせいなのかな」


「そうかも」


「あの子やたらプライド高いからねー」


 等と好き勝手なことを言っている。ことらやゆたかはその無責任な論評には加わらなかった。津幡兎美は欠席で、その取り巻き二人もその日は大人しくしていてゆたかにも特にちょっかいをかけてきていない。が、


「……」


「……」


 取り巻きの二人がゆたかへと意味ありげな視線を送っている。ゆたかは気が付いていないがことらは気付いており、


「……気に食わねーな」


 と彼女達の動向に注意を払っていた。だが四六時中取り巻きの二人を見張っているわけでも、ゆたかの護衛をしているわけでもない。放課後、ことらは教師に頼まれた用事を片付け、途中で合流したたつみとともに自分のクラスへと戻ってくる。


「ゆたか、パトロールに行くぞ」


 が、クラスにはゆたかの姿はなかった。首を傾げることらに男子生徒の一人が、


「西泉なら津幡の仲間に捕まって引っ張られていったぞ。早く行ってやった方がいいんじゃないのか?」


「どこ行ったんだよ?!」


 ことらは思わず怒鳴るがその男子生徒は「そこまで知るかよ」と肩をすくめる。


「ちっ、使えねーな!」


 ことらがそう言い捨てて走り出し、


「ありがとう」


 たつみはフォローした上でことらの後を追った。

 一方、津幡兎美の取り巻き二人はゆたかを拉致、校舎の端の資料室へと引きずり込んでいた。怯えて身を縮めるゆたかを取り巻き二人が嫌らしい嗤いを浮かべて取り囲んでいる。さらに、欠席のはずの津幡兎美の姿がそこにはあった。


「い、一体何のつもりなんですか。こんなところに」


「最近あんた生意気なのよね。キモイぼっちの分際で、つけ上がってるんじゃない?」


 津幡兎美の言葉に取り巻き二人が「そうそう」と頷く。


「今日一日我慢したけど、やっぱり限界なわけ」


 津幡兎美はいきなり包丁を取り出し、


「ちょっと痛い目見てもらうわ。それで身の程ってものを理解できるんじゃない?」


 静かに笑いつつそう告げた。ゆたかは血の気が引いているが、取り巻き二人もかなり慌てている。


「う、兎美ちゃん」


「ま、まずいよそれは」


 だが津幡兎美はそれを無視。ゆたかのスカートを掴んで包丁を突き刺し、引き裂いてしまった。


「怪我させやしないわ。素っ裸にして廊下に放り出してやるだけよ。男子に喜んでもらえればあんたも本望ってもんでしょ」


 津幡兎美は包丁をゆたかのへその前に置き、刃を上に向けた。包丁の刃がゆたかのシャツのボタンを、その糸を切って外していく。ゆたかは彫像のように実を固くすることしかできない。


「さすがにそれはしゃれにならないって」


「問題になるよ」


 取り巻き二人が津幡兎美を止めようとする。だが津幡兎美は「うるさい!」と怒鳴って包丁を振り回した。取り巻きが悲鳴を上げてそれを避けている。


「切られたくないからそのままじっとしていることね」


 津幡兎美が包丁を見せびらかしつつゆたかへと再接近した。その間に取り巻きは資料室の外へと逃げている。一方ゆたかは目を限界まで見開き、津幡兎美を凝視していた。


「津幡さん、あなた……」


「バクに取り憑かれているね」


 ゆたかの足下にロビンが沸いて出た。ゆたかは「やっぱり」と頷く。


「何とかできないの?」


「眠らせた上で夢の世界に行かないことには。でも大丈夫」


 目に見えない何かといきなり会話を始めたゆたかを「頭、どうかしたの?」と津幡兎美が嗤う。だがゆたかは先ほどまでとは一変し、その表情から恐怖の色がかなり薄くなっていた。それが気に障った津幡兎美はゆたかの制服の襟首を鷲掴みにし、包丁をその胸元に突きつける。そのまま包丁を突き刺すかと思われた、そのとき。


「ゆたか! ロビン!」


 ことらが資料室へと飛び込んでくる。一歩遅れてたつみがそれに続いた。


「ことらちゃん、たつみちゃん……!」


 間一髪で到着した仲間の救援に、ゆたかの瞳が涙に潤んだ。一方津幡兎美の苛立ちは頂点に達している。


「医王山、目障りなのよあんたも……!」


 津幡兎美は包丁をことらへと向けて威嚇した。だがそれで怯むことらではなく、むしろ怒りと戦意の炎に油を注いだようなものである。


「へっ、光り物見せりゃ怯えると思ってんのか? 来いよ、三下」


 ことらは手招きの仕草で津幡兎美を挑発。津幡兎美は簡単にそれに乗せられた。


「こっ、このクソガキ!」


 包丁を振りかざした津幡兎美がことらへと突進する。今、津幡兎美は明確な殺意を持ってことらに包丁を突き刺そうとしていた。だがことらは冷静に最善手を打たんとする。当たらない距離からジャブのような蹴りを放ち、その勢いで脱げたシューズが前方へと飛んだ。シューズは津幡兎美の鼻先に命中、津幡兎美は反射的に急停止する。


「しばらく寝てろ!」


 その間に距離を積めていたことらが右拳のストレートを津幡兎美の顔面に叩き込んだ。教科書に載せてもいいくらいの完璧に近いフォームの正拳突きであり、しかも人中を狙って見事にそこを打ち抜いている。津幡兎美はぶっ倒れて大の字となり、完全に意識を失ってしまった。


「ことらちゃん! 大丈夫?」


「お前こそ大丈夫かよ」


 互いに駆け寄ったことらとゆたかは互いの無傷を確認し合い、二人揃って安堵していた。一方たつみはロビンとともに津幡兎美の具合を見ている。たつみは「とりあえず問題なさそうね」と結論づけた。

 たつみは腕を組み、半目になってことらを見据えた。


「刃物相手に無茶をするわね。下手をしたら怪我だけじゃすまなかったかもしれないのに」


「仕方ねーだろ。ほら、あれだ、緊急避難てやつ」


 たつみの批判をことらはそう言って聞き流す。たつみの「使い方が間違っているわよ」という言葉にもまともに耳を傾けなかった。


「じゃあ不可抗力」


「それも使い方がおかしいわ」


「じゃあ正当防衛」


「ちょっと微妙ね」


 一方のゆたかは津幡兎美を心配そうな目で見つめていた。


「ロビン、夜まで待たずに今からバクを退治できないかな。津幡さん眠ってるんでしょ」


「そうだね、僕もそれが望ましいと思う。ちょっと待って」


 待つことしばし、そのときにはことらとたつみもロビンの方へと顔を向けている。


「――この子が夢の世界に接続したのを確認した」


 ロビンがそう言い、ことらは「よし」と右拳で左掌を打った。ゆたかとたつみは無言で頷き、三人はそれぞれの方法で戦う意志を表明している。


「それじゃ結界を張るよ」


 ことら達は手を伸ばして互いの手を結び、目を瞑った。


「夢の世界に転移する」


 いつもの転移と同じく身体が自由落下するような、眠りに落ちるような感覚。ことらはいつものように脚に力を入れて立ち続けようとした。そのときにはもうそこは現実世界ではなくなっている。夢の妖精により誘われた、夢の世界だ。

 周囲を見回せば内渚中学校の資料室そのままだが、三人の足下で眠っているはずの津幡兎美の姿がない。三人は魔法少女のドレスに変身し資料室の外へと出た。


「……何か学校のままですね」


 ゆたかの言葉にことらが「そうだな」と頷く。窓の外が暗くなっていることを除けばそこは現実世界の内渚中学校と何ら変わるところがない。ことら達は周囲を警戒しながら前へと進んだ。間もなくことら達のクラスである。


「この中にいるようだね」


 ロビンの言葉に三人が頷く。ことら達は今自分のクラスを前にしている。津幡兎美に取り憑いたバクが教室の中で待っているのは疑う余地がなかった。教室への入口は二つあり、ことらとゆたかが前の入口に、たつみが後ろの入口に陣取る。


「それじゃ――行くぞ!」


 ことらの号令を合図にして前後の入口から三人が教室内へと突入。三人は敵のバクを目の前にした。


「こ、これがバク……?」


「そのまんまだな」


 と戸惑うことら達。津幡兎美に取り憑いたバクは津幡兎美によく似た姿を取っていた。顔立ちは津幡兎美そのもので学校の制服を身につけている。ただ、顔や肌が金属のような質感で、まるで津幡兎美の鋳型から作り出された金属製の人形のようである。実物の津幡兎美よりウエストがかなり引き絞られ、胸が二カップ以上増量されているのはご愛敬だろう。そしてその両手が、手首から先が刃物の形となっていた。人形の手首から先を別の鋳型で押し潰して刃物の形にしたならこういう状態になるに違いない。


「これはあれだ、『ターミネーター2』のT-1000」


「岩明均の『寄生獣』……」


 そんな会話をしながらもことら達はじりじりとそのバクに接近する。バクがゆたかの存在に気が付いて、


「KYSYSAAA!」


 と奇声を上げて威嚇。ゆたかは思わず後退し、ことらは反射的に突撃した。ことらから一拍遅れてたつみもまたそのバクへと突撃。バクの刃とことらの戦輪が、たつみの剣が激突し、火花を散らした。

 ことらとたつみが戦っているのを、ゆたかは手に汗を握って後方から見つめている。


「大丈夫、あのバクはそれほど強くない。あの二人が負けるわけないよ」


 足下のロビンの言葉にゆたかは「そうだね」と安堵の笑みを見せた。

 ロビンに言われるまでもなくことらは肌身に感じ、理解している。自分達なら、二人がかりならこのバクに勝つのは簡単だ。自分一人でもそれほど難しくはないだろう、と。バクは二人の攻撃を防御するので精一杯だ。いや、それすら手が足らず、間に合わなくなっている。たつみが上段から剣を振り下ろし、バクが両手の刃で何とかそれを受け止めた。だがバクの腹はがら空きでありことらがそれを見逃すはずもない。


「行け、ことらちゃん!」


 ゆたかの声援を背に受けたことらがとどめの一撃をバクの腹に加えんとし――


「え?」


 ゆたかは思わず間の抜けた声を出していた。ことらがバックステップでバクとの距離を取り、それと同時にたつみも後退。絶体絶命の危機から抜け出し、バクも一息ついているようだ。

 後退したことらとたつみは得物を下ろしている。二人にもう戦う意志がないのは明白だった。ゆたかが遠慮がちに二人に問う。


「ど、どうしたの二人とも? 何かあったの?」


「お前がやれ」


 その物言いが端的すぎて理解が及ばず、ゆたかは首をひねっている。ことらは言い直した。


「あのバクはお前が倒せ、って言ってるんだよ」


「ええっ?! そんな……」


 思わず悲鳴を上げるゆたかだがことらの意志に変わりはない。ゆたかが助けを求めるようにたつみに視線を送るがたつみは「我関せず」と言わんばかりの態度だ。つまりそれはたつみがことらに完全に同意しているという意味だった。ゆたかが「絶望」を顔色と表情で表現する。

 戦う相手が与しやすいゆたかに変わったことを理解し、バクも戦意を取り戻しているようだった。「KYSYSAAA……」と威嚇するようにうなり声を上げるバクが視線をゆたかに固定している。ゆたかは怖気をふるった。


「ほら、行ってこい」


 ことらに背中を突き飛ばされて、ゆたかがバクへと向かって足を一歩二歩踏み出す。バクが雄叫びを上げてゆたかへと突進。ゆたかは半泣きになりながらも得物のハンマーを取り出す。ここにゆたかとバクとの戦闘が始まった。


「KYSYSAAA!」


 バクは奇声を発しながら腕を振り回し、刃をゆたかへと叩き付けている。ゆたかはハンマーを盾のようにかざしてそれを防いだ。バクが攻撃し、ゆたかが防御。一方的で単調な攻防が続いた。


「何やってるんだよ! その程度の相手に」


「勇気を出しなさい!」


 ことらとたつみが叱咤や激励を送っている。それはゆたかの耳には届いているが、ゆたかの心までは伝わっていなかった。ゆたかが後退し、バクが前進する。ついにゆたかは黒板を背にする形となり逃げ場を失ってしまった。


「KYSYSASYSASYSA」


 バクがゆたかを嘲笑する。バクは刃の腹でゆたかの頬をぺちぺちと軽く叩き、ゆたかをなぶりものにしていた。ゆたかは助けを求めて涙のたまった瞳をことらとたつみへと向けた。だが二人は苛立たしげな顔をするだけで一歩も動こうとしない。絶望に包まれたゆたかは顔をうつむかせた。

 一方ことらとたつみは今にもバクへと向かって突撃しそうになるのを必死に自制している。二人にできるのは、ゆたかが勇気を出すのを信じて声をかけることだけだ。


「――お前、そうやってずっと下を向いて生きてくつもりか?! 津幡がそんなに怖いかよ?」


「バクを殺しても宿主が死ぬわけじゃない、思い切っていきなさい!」


 二人の声援にゆたかが顔を上げた。その目に生気が戻っている。あと一声、あと一声で――ことらは一際声を張り上げた。


「わたしと喧嘩したときを思い出せ! 津幡がわたしより怖いってのか?!」


 ゆたかの瞳が強い覚悟に光っている。ゆたかが震えを抑え、歯を食いしばっている。自分達の声が届いたのだ、とことらは理解した。油断していたバクを突き飛ばし、適度な間合いを取ったゆたかはハンマーを振り上げ、


「ことらちゃんのばかー!!」


 その絶叫とともにハンマーを振り下ろした。ぐしゃりと嫌な音を立ててバクの腕が潰れ、バクが耳障りな悲鳴を上げた。


「……え?」


 唐突に「ばか」呼ばわりされたことらは唖然としているが、それはゆたかの意識の外だ。ゆたかは攻撃に没頭していて他のことが目にも耳にも入っていない。ゆたかはくり返しハンマーを振り上げ、振り下ろした。


「ばか! 乱暴者! おたんこなす! チビ! ドチビ! ド豆チビ! まな板! 洗濯板! 二次元胸! 金沢平野! 加賀平野!」


 暴言の一言のたびに振り下ろされる鉄槌の一撃。バクは反撃もかなわないまま一方的に殴られ、潰された。金属の表皮は完全に砕け、打撃音が水っぽい何かを潰す音に変わっている。


「ゆたか、それ以上は危険だ。そこまでにしておこう」


 ロビンに制止されてゆたかは正気を取り戻したようだった。変わり果てたバクの姿を目の当たりにして「ひっ」と息を呑んでいる。ゆたかが慌ててバクから逃げ出し、それと入れ替わりにロビンがバクの前へと進み出た。

 自分が倒したバクをロビンが封印するのを、ゆたかは信じられないような面持ちで見つめている。そのゆたかにたつみが声をかけた。


「よくやったわね。ゆたか」


「あ、ありがとうございます。でもわたしが一人でバクを倒せるなんて……」


「何も不思議なことはないでしょう? そんなハンマーで本気で殴られたら、人間なら即死よ。バクだってただじゃすまないわ」


 たつみがそう解説するがゆたかはそれに異議を唱えた。


「でもここは夢の世界で、これは本物のハンマーじゃありません」


「そうね。でもあなたの中では明確な区別がないんじゃない?」


 たつみの指摘にゆたかが沈黙する。


「あなたにとってそれは本物のハンマーと同じ。殴れば骨は砕け、内臓は潰れる。あなたがそれを確信しているなら、それは本物と同じ力を持つわ。逆に言えばそうだからこそ今までその力を充分に使いこなせなかった。あなたは優しいから」


「なるほど、そういうことか。吹っ切れたゆたかがこんなに強いなんて、わたしも予想外だよ」


 ことらはゆたかの肩に手をかけ、笑いかけた。だがそれは獲物を狙う飢えた肉食獣の笑みだった。


「なかなか面白いこと言ってたよなぁ、おい」


「いや、その、あのときに言おうと思ってて言えなかったことが思わず……」


 へへへ、と笑ってごまかそうとするゆたかと、ふふふ、と笑うことら。ゆたかはたまらず、


「ごめんなさーい!」


 と逃げ出した。ことらがそれを「待てやゴラァ!」と追う。


「封印は終わったけど……どうしよう」


「しばらく放っておきましょう」


 狭い教室の中をゆたかが縦横に逃げ回り、ことらがそれを追いかけ回す。ふたりがじゃれ合うのをたつみとロビンが呆れたような顔で眺めている。ことらとゆたかの鬼ごっこは思いの外長時間続くこととなった。








 その翌日、内渚中学校。


「……あの、西泉、ちょっと」


 津幡兎美に呼び出されたゆたかは彼女とともに人気のない廊下の隅に移動した。ゆたかには護衛としてことらが同行している。だが護衛の出る幕はないようだった。


「その……昨日はごめん。謝るから親とか学校とかには」


「うん。それはいいけどスカートが駄目になったから」


 ゆたかの言葉に津幡兎美は「判ってる」とポケットから封筒を取り出した。


「弁償するからこれで許して」


 ゆたかはにこやかに「これで恨みっこなしだね」とその封筒を受け取ろうとする。が、


「ひっ……!」


 津幡兎美は身体を丸め、目を固く瞑っていた。ゆたかが首を傾げる。


「具合、悪いんですか?」


「だだだだ、大丈夫だから!」


 津幡兎美はゆたかの手に封筒を押し付けて逃げていく。その場にはぽかんとするゆたかが残された。


「どうしたんだろう、津幡さん」


「そりゃ、昨日ミンチになるまで殴られたのがトラウマで残ってるんだろ」


 不思議そうなゆたかに呆れたようなことらが解説する。ゆたかが「そうなの?」とロビンに確認。足下からロビンが補足説明をした。


「バクは宿主と深くつながっているからね。バク側の記憶を宿主が意識して見ることはできないけど、消えるわけじゃない。無意識のどこかには残ったままになるんだ」


 ことらとゆたかはそれぞれ「へー」「ふーん」と感心した。

 そのとき授業開始のチャイムが鳴り、二人が急いで教室へと向かう。ことらとゆたかは今日も普通の中学生としての日常を謳歌していた。




 第六話「お父さんは頑張っているよ」


 Aパートは10月20日月曜日21時、

 Bパートは10月21日火曜日21時、

 Cパートは10月22日水曜日21時、


 の更新予定です。

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