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第五話 Bパート



 翌日の医王山家。

 ベッドの中で目を覚ましたことらはまずスマートフォンを確認する。メールは何も着信していなかった。

 苛立ちを抱えたままことらは登校する。教室にやってきたことらの目に、すでに登校していたゆたかの姿が入った。ゆたかもまたことらの姿に気が付き、


「……」「……」


 両者は無言のまましばしにらみ合う。ゆたかが先にことらから顔を背け、ことらもまた「ふん」と鼻を鳴らしてゆたかのことを無視した。そして、津幡兎美と他二名がその様子を興味深げに見つめている。


「はい、それじゃ二人組作って」


 体育の授業中、体育教師が指示を出す。ことらは津幡兎美と他二名と一緒だった。


「医王山、わたしと組んでよ」


「ああ、いいぜ」


 その一方、ゆたかはペアの相手を見つけられないでいた。左右を見回し、下をうつむき、また左右を見回し、ことらと目が合い、ことらから慌てて目を逸らしている。そんなゆたかをことらは完全に無視し、津幡兎美とペアとなってバレーボールの練習をした。結局ゆたかは体育教師とペアを組んでいた。

 体育の授業が終わり、生徒一同がボールやネットやポールを片付けようとする中、


「それじゃあとはお願いね」


「ありがとねー」


 津幡兎美とその仲間はゆたかに片付けの全てを押し付け、体育館を後にする。明確ないじめに荷担することに躊躇しながらも、ことらはゆたかを助けなかった。ゆたかの姿を振り払うようにことらは足早に立ち去っていく。他のクラスメイトもまたためらいながらも津幡兎美には逆らわず、ゆたか一人を残して体育館を後にした。


「……はあ」


 残されたゆたかは一人でポールを担いで倉庫へと運んでいく。片付けが終わる頃にはもう次の授業が始まる時間となっていた。

 その授業を、ゆたかは一人だけ体操服のまま受けている。昼休みになってゆたかは校内のあちこちを歩き回り、


「……あ、あった。よかった」


 校舎裏のゴミ置き場でようやく自分の制服を見つめることができた。半透明のゴミ袋の中から自分の制服を引っ張り出すゆたかだが、制服はゴミと埃に汚れてとても着られる状態ではない。結局ゆたかは午後の授業も体操服で受けることとなった。

 そして放課後。


「それじゃあとはお願いね」


「ありがとねー」


 津幡兎美とその仲間はゆたかに教室の掃除を全て押し付け、さっさと帰えろうとする。掃除の手伝いを申し出ようとするクラスメイトもいないわけではなかったが、


「さあ、帰るわよ」


 津幡兎美に睨まれ、それを断念していた。クラスメイトは一人残らず帰ってしまい、教室にはゆたか一人が残された――いや、もう一人残っている人間がいる。

 ことらは教室の入口で腕を組み、途方に暮れた様子のゆたかを見つめている。ゆたかもまたことらの姿に気が付いたようだった。しばらく見つめ合う二人だが、先に顔を背けたのはゆたかの方だった。ことらからすればそれは差し延べた手を打ち払われたも同じである。


「ああ、そうかよ!」


 ことらはそう言い捨てて教室から立ち去る。残されたゆたかは、


「よし」


 と気合いを入れ、教室の掃除を開始した。

 一人黙々と教室の掃除を進めるゆたか。掃除が終わる頃には日差しはすっかり傾き、内渚町は夕陽の赤に染まっていた。








 数日後の朝、西泉家。


「どうしたの? 具合悪いの?」


「え、大丈夫だよ」


 ゆたかと鷹子は向かい合って朝食を取っている。ここ何日か元気がないように思える娘を鷹子は気遣った。


「学校は問題ない? いじめられてない?」


「うん、もちろん。たつみちゃんもことらちゃんも一緒だし」


 だがゆたかが選んだのは母親に対してしらを切ることだった。ゆたかの演技はアカデミー賞ものであり、鷹子にそれが見抜けなかったのも無理はない。


「わたしも中学のときはいじめられる方だったけど、虎子ちゃんや龍子ちゃんが一緒だったからねー。あなたにもそんな友達ができて本当によかったわ」


「虎子おばさん、怒らせると怖そうだもんね」


 とゆたかは笑う。だがその笑顔は仮面のそれだった。

 その後、ゆたかは家を出て中学校へと向かった。だがその足取りは次第に重くなり、遅くなる。ついには完全に止まってしまった。ゆたかは民家のブロック塀に手をついて身体を支える。ゆたかの顔は汗にまみれていた。


「学校……行かなきゃ」


 だがその意志に反して身体は前に進まない。ゆたかは腹部を抱えてその場にしゃがみ込んだ。苦痛に耐えるうめき声がその口から漏れている。額から流れる汗が路上へとしたたった。

 ……時間は経過し、放課後の内渚中学校。


「ゆたかは今日休みだったそうね。理由は?」


 帰ろうとすることらの前にたつみが立ちはだかる。ことらは「知らねえよ」とだけ答えてその横をすり抜けようとした。が、そのことらの後ろ襟をたつみが鷲掴みにする。


「様子を見に行くわよ」


 たつみはことらの返答を聞かず、そのままことらを引きずって移動した。


「おいこら、離せよ」


 とことらが抗議をするのにも構わない。たつみはことらの後ろ襟を掴んだまま歩いていった。

 ……中学校から西泉家まではそれほどの距離はないが、その間ずっとゆたかはことらの後ろ襟を掴んだままだった。ことらももう離してもらうことを諦めてたつみの為すがままとなっている。ことらが前を歩き、その後ろ襟を掴んだたつみがすぐ後ろに続き、やがて二人はゆたか達の住むマンションへと到着した。


「ここの三階だったわね」


 エントランスのドアを開けようとすることらだが、ちょうど内側からドアが押されて開かれた。ことら達が一歩下がって出てくる人のために道を空ける。あ、とことらが小さく息を呑んだ。そこにいたのは、五〇代に見える、すだれハゲの、小柄で貧相な中年男。ゆたかとの喧嘩の原因となったコンビニの中年店員だったのだ。


「西泉のおじさん、こんにちわ」


「ああ、たつみちゃんにことらちゃんか。久しぶりだね」


 たつみの挨拶にその人物が笑いかけてくる。ことらは思わず耳を疑った。


「に、西泉のおじさん?!」


「まあ、今は名字が『一里野いちりの』に変わっているんだけどね」


 とその中年男――一里野氏が苦笑する。ことらは唖然としたまま、我知らずのうちに一里野氏を指差していた。


「え、だって、髪の毛……」


 ことらの驚きに一里野氏は再度苦笑する。頭を撫でつつ、様々な悲哀を笑ってごまかすしか方法がなかった。


「最後に会ったのは確かもう……三年以上前になるか。あの頃には実はかなり手遅れの状態だったんだけど、まだ見栄を張る余裕があったんだ。今は色々とそれどころじゃなくてね、見栄を張るのをやめたんだよ」


 ことらは脳内のモンタージュで一里野氏の頭部に髪の毛を付け足し、


「確かに西泉のおじさんだ……」


 それでようやく納得していた。


「おじさんもゆたかのお見舞いに?」


「ああ、ちょっと具合が悪いだけらしい。これから仕事だからあまり長居はできなかったけど」


 二人の会話にことらは気まずそうな顔をする。ゆたかが何に怒っていたのかをことらはようやく理解していた。


「君達が顔を見せればあの子も元気になるだろう。それじゃ」


「はい。失礼します」


 一里野氏とたつみが挨拶を交わし、一里野氏が立ち去っていく。ことらは無言のまま会釈をした。その後、二人は西泉家を訪問、二人は鷹子によって室内へと招き入れられた。


「ゆたか、お見舞いよ」


 襖をノックする「ぼすぼす」という音。続いて襖が開いて、誰かが部屋に入ってくる気配がする。ゆたかは二段ベッドの上で身を起こそうとした。


「具合が悪いのなら寝ていなさい」


 その前にたつみから声がかかる。ゆたかはその言葉に甘えて身を横たえた。たつみが私室内へと足を踏み入れ、ゆたかのすぐ横へとやってきた。嬉しそうなゆたかが笑みを見せる。


「病気ってわけじゃないです。登校途中でいきなり始まっちゃって、動けなくなって」


「ああ、あなた重いものね」


 一方ことらは廊下にいたままで私室内には入っていなかった。そのためゆたかはことらも来ているとは知らないでいる。意を決したことらが「ゆたか!」と呼びかけ、それでようやくことらのことに気が付いた。


「ことらちゃん……」


 たつみがベッドの上で身を起こす。私室内に入ったことらとゆたかの視線が空中で結びついた。


「その、ごめん」


 ことらはまず頭を下げて謝罪した。


「おじさんだって気が付かなかったんだ。最後に会ったの何年も前だし、その頃は髪の毛あったし」


 ゆたかはこぼれんばかりに目を見開いて「え、それじゃ」と小さく呟いた。


「とにかく、わたしが悪かった」


「……ううん、わたしもてっきりことらちゃんが知っててあんなこと言ったものとばかり」


 ゆたかの勘違いにことらは「そんなことするかよ」と苦い顔をする。ゆたかは仲直りができたことを何よりも嬉しく思い、花が咲くような笑みを見せた。一方のことらは気恥ずかしげな様子である。


「明日は学校に来いよ!」


 ことらはそれだけを言い残して逃げるように去ってしまう。ことらが靴を履く音、ドアを開ける音、ドアを閉める音がゆたか達の耳にも届いた。残されたゆたかとたつみは小さく笑い合った。


「――問題は解決したみたいね」


「ありがとう、たつみちゃんのおかげだよ」


 たつみは「わたしは何もしていないわ」と肩をすくめ、ゆたかは「そんなことない」と首を振った。


「それじゃわたしも帰るわね」


「うん、それじゃまた明日、学校で」


 ゆたかの言葉にたつみは笑みを見せて「ええ、また明日」と言葉を返す。たつみの気配が遠ざかっていくのをゆたかはベッドの中で感じていた。


「また明日……か」


 そう言って笑い合えるのがどんなに素敵なことなのか、ゆたかは今日初めて心の底から理解している。ゆたかはベッドに身を横たえ、目を瞑った。目が覚めればもう明日――そうなっていることを願いながら、ゆたかはそのまま眠りに就いた。




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