第四話 Cパート
翌日の夜、とっくに終業時間を回っているが虎子は残業中だった。自分のオフィスでたまってた報告書の束に目を通しているところに、龍子から電話が入った。
『和倉蛍子さんから連絡があったわ。ほたるちゃんと喧嘩になってほたるちゃんが家を飛び出していった、って』
「こんな時間に?」
と虎子は眉をひそめる。
『携帯も着信拒否されていて連絡が取れないって。ほたるちゃんの様子がおかしかった、と蛍子さんは言っていたわ。先週も同じことがあったけど、急に反抗的になったって』
まさか、と虎子は龍子の懸念を笑い飛ばしたかったが、できはしなかった。
「バクにまた取り憑かれたって言うの?」
『その疑いはあると思っている。いずれにしてもできるだけ早くほたるちゃんを確保しないと』
判った、と返答した虎子はジャケットを掴むとオフィスを飛び出していった。
虎子が自家用車で内渚町に戻ってくるまで十数分しかかっていない。虎子は路肩に自動車を停め、スマートフォンで電話をかけた。三回ほど呼び出し音が鳴り、
『おばさん? ほたるでーす!』
明るいほたるの声に虎子は一旦安堵した。
「ほたるちゃん? 今どこにいるの?」
『んー? どこだろ、海?』
普段とは違う、舌足らずな物言いに虎子は不安をかき立てられた。
「ほたるちゃん、まさかあなたお酒を飲んでいるの?」
『ただのコーラしか飲んでないよー?』
とほたるは言うが、その背後から複数の男の声が聞こえている。
『ただのコーラしか飲ませてねーぜ?』
そして下品な笑い声。虎子は歯を軋ませた。
「ほたるちゃん、どこにいるの? いまから迎えに行くから」
『えーとね、町の海水浴場。おばさん来てくれるの?』
そのとき、ほたるに代わって男が電話に出た。男は「おばさん、来てくれるのー?」とほたるの真似をし、
『ぎゃはははは!』
と爆笑する。焦って熱くなるばかりだった血と心が氷よりも冷めていくのを虎子は心地よく感じていた。
『おばさんもこいつと一緒に俺達の相手をしてくれるのかぁ?』
「ええ、相手をしてあげるわ。首を洗って待っていなさい」
虎子はそこで一旦電話を切った。その途端龍子から着信が入り、虎子が即座にそれに出る。
『ほたるちゃんと連絡はついたの?』
「ええ、あの子は今海水浴場にいるわ。ただ、変な連中に捕まっているみたいだからすぐに拾いに行ってくる」
電話の向こう側で龍子は『待って』と焦った様子を示した。
『飛鳥さんにも連絡を取って来てもらうから。一人で行こうとしないで』
「わたし一人で充分よ。それじゃ」
龍子はまだ何か言おうとしていたが虎子はそれに構わずに通話を終えてしまう。虎子は自動車を発進させ、一路海水浴場へと向かった。
虎子のいた位置から海水浴場まではほんの数百メートル。虎子はあっと言う間にその場所に到着した。そしてほたるの居場所を探し出すのも難しくなかった。海水浴の季節ではないため海岸には他に人気がなく、さらにその連中は廃材を燃やして薪をしていたからだ。薪の灯火に七台の改造バイクが照らし出されている。
燃え盛る火を目印に虎子が歩いていく。距離が縮まりその一団の顔ぶれが見えるようになった。人数は七人で全員男、ほたるはその七人に囲まれて身体を丸めて横になっている。服装に乱れはなく、単に眠っているだけのようだと虎子は安堵した。
「なんだぁ、てめえは」
虎子に気が付いた男が威嚇するように誰何する。だが虎子は犬に吠えられたほどにも怯えなかった。
「その子の保護者代理よ。返してもらえるかしら」
虎子の要求に対し、男達は嘲笑で返答した。
「返せるわねーだろ、久しぶりの戦利品だぜ?」
「この際おばさんも一緒に俺達と楽しもうぜ?」
男達は下品な笑みを浮かべながら虎子を包囲しようとする。虎子は男達を睥睨し――スーツの袖口からチェーンを引き出した。
……龍子と鷹子が飛鳥を連れてその場に到着したのは、それからしばらく後のことだった。
「……ああ、間に合わなかったのね」
龍子が沈痛な声を出す。夜闇の中で佇む虎子の姿が薪の炎に照らされて浮かび上がっていた。虎子の顔にはあざができていて、スーツは砂で汚れ、左袖は破れている――が、それだけだった。一方七人の男達は死屍累々といった体で砂の上に転がっている。
「怪我は? 大丈夫?」
鷹子の心配に虎子は「舐めときゃ直るわよ」と素っ気ない態度を取った。一方龍子はほたるの様子を確認し、
「眠っているだけのようね」
と一同を安心させた。だが、
「でも、バクに取り憑かれているわ」
と付け加え、一同に何とも言い難い顔をさせた。
「――ある意味いい知らせよ」
と言い出したのは虎子である。
「バクさえ倒せばほたるちゃんは元の素直ないい子に戻るってことじゃない。さっさとバクを始末するわよ」
虎子の決意に龍子と鷹子は無言で頷いて同意を示した。
「なら、俺の仕事はこの後始末か」
と飛鳥は転がる男達を蹴り起こしている。ほたるを背負った虎子が「悪いけど任せるわ」と声をかけ、飛鳥は「ああ」と返答。ほたると虎子達は飛鳥を背にし、その場から立ち去っていった。
虎子はほたると二人を連れて自分の自動車へと戻ってくる。眠ったままのほたるを助手席に乗せ、龍子と鷹子には後部座席に座ってもらった。そして自分も運転席に着き、用意は完了である。
「――レン、バクの退治に向かうわ」
「ええ、判ったわ」
どこからしているのか判らないがレンの声が聞こえてくる。虎子は目をつむって心を静める。その途端感じる、浮遊感と落下感。虎子達三人は夢の世界へと転移していった。
魔法少女姿に変身した虎子・龍子・鷹子は夢の世界の内渚町を移動している。
「さて、ほたるちゃんのバクはどこにいるのかしら」
独り言のような龍子の問いに、
「中学校に行ってみない?」
と提案するのは虎子である。
「何か心当たりがあるの?」
鷹子の確認に虎子は「いや、その……」と口を濁した。
「まあ、行ってみれば判るわね」
龍子は深く追求せずにそう言う。鷹子もそれを是とし、三人は真っ直ぐに内渚中学校へと向かった。
「……ここにいるのは間違いないようね」
中学校の校舎を見上げた龍子の言葉に鷹子も同意。一方虎子は気まずそうな顔である。
現実世界とほとんど変わりない内渚町の中で中学校の様子だけが現実世界とは全く違っている。窓ガラスは全て割られ、壁という壁はペイントスプレーの落書きで埋め尽くされていた。駐車場に停まっているのは十数台の改造バイクだ。
「一体ほたるちゃんの中の何がどう増幅されているかしらね」
「多分親への反抗心で、それが変なイメージと結びついているんじゃないかしら」
校舎内に乗り込んだ虎子達は慎重に歩を進めた。校内の様子も外と大差ない。窓ガラスは割れ、落書きが壁を埋め尽くし、机や椅子が乱雑に転がっている。セーラー服の女子生徒は引きずるような長いスカートで――
「いた! ほたるちゃんのバクだわ」
無人の校舎の中で唯一の人影、それがほたるのバクであることは疑いなかった。内渚中学の制服はブレザーのはずだが、そのバクが着ているのはセーラー服だ。スカートの裾はくるぶしが隠れるほどに長い。スカーフしておらず、胸元は大きく開いている。目も鼻もないマネキンのような容貌で、胸はやたらと大きくなっている。だがそれ以外の体格といい髪型といい全体の雰囲気といい、それはほたるを想起させるに充分だった。
「PPRRYY……!」
そのバクは威嚇のようにうなり声を上げながら武器を手に――カミソリ刃を右手の人差し指と中指で挟んで、構えた。
「PPRRYY!」
バクが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。虎子達は散開してそれを避け、バクのカミソリ刃が何もない空間を裂いた。バクは一番近くの虎子の腹を横薙ぎにしようと腕を振り――それより数瞬早く、虎子のチェーンがバクの頭部を打ち据えていた。
「PPRRYY、PPRRYY」
バクは痛がっている様子で、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでいる。ふと、気配を感じたバクが顔を上げると、
「元のいい子のほたるちゃんに戻ってね?」
慈母観音のように優しく微笑む虎子の姿が……ただし、その手のチェーンは振り回されて極限まで加速し、風を切って獣のうなり声のような音を立てている。
「PP……PPRRYY」
バクは怯えたように身を縮めようとしていた。心なしか涙目になっているような気もする。虎子はバクに同情する――が、容赦はしなかった。
「PP――PPRRYY!」
バクの悲鳴が荒れ果てた校舎に轟く。それは断末魔の悲鳴だった。
後日のこと。場所は内渚町内のホームセンター、医王山一家がそこを訪れている。
ことらは一メートルほどの長さのチェーンを両手で握って引っ張った。
「これ、母さんみたいにやるのにちょうどいいんじゃね?」
「頼むからそれだけはやめてくれ」
と飛鳥が懇願するが、ことらは「えー」と不満そうだ。
そこに、中学生の女の子を連れた夫婦が通りかかった。母親は和倉蛍子で、娘はほたるだ。医王山家と和倉家は互いに面識がないため単にすれ違うだけである。だがその瞬間、
「……ふふん」
ほたるが奇妙な、優越感を湛えた笑みをことらへと見せた。だがそれも一瞬だ。ことらがどんな反応を示すよりも先にほたる達和倉一家は立ち去っていく。ことらはただその背中を見送っていた。
「どうした、学校の友達か?」
飛鳥もまた「どこかで見たような」と思いはしてもほたるのことに気が付いていない。飛鳥の問いにことらは「知らない奴」と答えてチェーンを陳列棚に戻す。
「『お前がいる場所はすでにわたしが一週間前に通過した場所だっ』……て感じのあの顔、何だったんだ?」
ことらは首をひねるが、その答えはどこからも返ってこなかった。
――一方、内渚町内の某所。広さは五十畳ほどで、床は板張り、漆喰の壁の武道場。今、その場所には二つの影があった。
「和倉ほたるのバクは最弱と言ってもいいくらいだったけど、七塚虎子達はその始末にかなりの労力を費やしていた。そのため他のバクに手が回らなくなっている」
「三人とも同年代の娘がいる。自分の娘のことを重ね合わせたのだろう」
「他人の娘に対してすらあの有様なら、自分の娘だったらどうなるかしら?」
影の一つはレンである。レンの言葉に対話の相手は「むう」と唸った。
「だが、魔法少女にバクを寄生させるのは不可能だったはずだ」
「ええ、その通り。でもその周囲の人間はその限りではないわ」
レンが説明するが、その口調は得意げになりそうになるのを抑えているかのようだった。
「魔法少女は夢の世界と強いつながりを持っているためバクはそこに引かれる。でも夢の妖精が守っているため魔法少女がバクに取り憑かれるのはあり得ない。じゃあ、あの子達の周りに集まったバクはどこに行くと思う?」
「魔法少女の周囲の人間に寄生するわけか」
その言葉をレンは頷いて肯定した。
「本来ならバクを操る側がそうならないよう工夫する。目的は精神エネルギーの回収であって魔法少女と戦うことではないのだから、魔法少女の近くにバクを置いても見つかりやすくなるだけで何の益にもならない」
「だが、お前にとっては魔法少女とバクが戦うことが目的の一部に合致する」
「ええ、だからわたしは何もしない。それで自然にバクは子供達の周囲に集まり、大人達の注意もわたし達から逸れる。その間にわたし達はわたし達の目的を達成する……!」
レンの決意に対話の相手も力強く頷き、同意を示す。二人――一人と一匹は盟友であり、共犯者であり、同志だった。彼等の同盟を、共謀を、目的を知る者は、まだいない。
第五話「ことらちゃんのばか」
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