第四話 Bパート
それからまたしばらく後。虎子達はコンスタントにバクを発見し、退治を進めている。その日も虎子達は公安課の調査結果の中からバクの寄生が疑われる人間をピックアップ。その確認をしようとしているところだった。
「……ここね」
龍子は何の変哲もない一軒家の玄関前に佇んでいる。その家の表札には「和倉」という名字が記されていた。龍子がその家のドアチャイムを押し、インターフォンから『はい』と声が聞こえてきた。
「和倉蛍子さんですか? わたしは大聖寺龍子です」
インターフォンの向こう側から「まあ!」という嬉しそうな声がした。さらに家の中から誰かが接近する足音が。そしてドアが開き、一人の女性が姿を現した。のほほんとした雰囲気の、物腰も体つきも柔らかそうな女性である。
「まあまあ大聖寺さん! 久しぶり、今日はどうしたの?」
「ちょっとこの近所の知り合いを回らせてもらっているの」
「近いうちに選挙があったっけ? 心配しなくても次もあなたの旦那さんに入れてあげるわよ」
龍子は「ええ、ありがとう」と微笑んだ。
「大聖寺さんのところはたつみちゃんだっけ? 話はよく聞いているわよ」
「和倉さんのところはほたるちゃんだったわね。今は学校?」
蛍子は「ええ」と頷くがその顔には翳りがあった。
「最近急に反抗期になっちゃって……あの年頃の女の子は難しいわね」
とため息をつく。
「今日も遅くまでどこかで遊んでいるんじゃないかしら」
「そう。心配ね」
龍子は蛍子との世間話を適当なところで切り上げ、和倉家を後にした。元来た道を戻っていく龍子に鷹子が接近し合流する。
「どうだったの?」
「家には帰っていなかったわ。帰るのは遅い時間になるみたい」
鷹子は「そう」と思案げに頷いた。
「この辺でずっと待っているのも骨が折れるわね」
そこに鷹子のスマートフォンに電話が入り、鷹子が応答する。
「もしもし、虎子ちゃん?」
『公園で和倉ほたるを見つけたわ。これから接触する』
それだけを端的に述べ、スマートフォンは沈黙した。
内渚町の隣町の公園――行政区画上は隣町だが同じ砂州の上にあり、場所も内渚町との境界線のすぐ近く。和倉蛍子の家からは歩いて数分の距離にある。今、虎子はその公園の中にいた。虎子の視線の先には一人の女子中学生がいる。
身長はことらよりも若干低く、顔立ちも非常に子供っぽい。一回り大きいサイズの中学校の制服を着ており、まるで小学生の女の子が姉の制服を勝手に着ているかのようだった。ベンチに座るその少女が鞄から煙草を取り出し、火を点けてそれを吸っている。
「げほっ、げほっ」
そしてむせていた。どうやらまだ全く吸い慣れていないようで、まずそうな顔である。虎子はその少女――和倉ほたるに大股で歩み寄った。そのまま不審そうな顔のほたるの手から煙草をむしり取る。
「煙草はやめておきなさい。身体に悪いし、身長だって伸びないわよ?」
あっけに取られていたほたるだが、それも長い時間ではない。
「てめーには関係ねーだろ! ほっとけよ、ばばあ!」
ほたるは精一杯ドスを利かせて虎子を脅すが、虎子からすれば小さい子供が一生懸命背伸びをしているようにしか見えず、微笑ましくなってしまう。だがそれはそれとして――
「子供はちゃんとしつけないとね」
虎子は左手でスーツの右手袖口からチェーンを引き出した。きょとんとするほたるの目の前で一メートル程のチェーンを縦横に振り回し、充分に加速させ、
「ひいっ!」
咄嗟にほたるが避けたその場所にチェーンを力任せに叩き付ける。コンクリート製のベンチが欠け、その破片が飛び散った。
「ひっ、ひっ……」
ベンチから逃げたほたるは地面に尻餅をつき、涙目となって虎子を見上げている。虎子はチェーンの両端を両手で持って引っ張り、チェーンを鳴らしてほたるを威嚇した。――それは単なるブラフであり、演技だ。ベンチを叩いたときもほたるが逃げたところを狙って叩いている。だが警察官の職務の中で磨き上げられた虎子のそれを、本気ではないと見抜くのはほたるには到底無理な話だった。
「煙草はやめましょうね?」
虎子は菩薩になったつもりで優しくにっこりと微笑んで見せる。半泣きとなったほたるは声を出すこともできず、ただくり返し大きく頷いた。
……それから少しの時間を置いて。その公園のベンチでは虎子とほたるが並んで座っている。互いの腰が接するくらいの近さである。
「ねえねえ、おばさんて喧嘩強かったんでしょ? 暴走族とかもやってたの?」
きらきらと目を輝かせたほたるに話をせがまれ、虎子は当惑しているところだった。
「わたしは真面目な中学生だったわよ」
としらを切る虎子。だがほたるは納得などしなかった。
「絶対に嘘だ、どう見ても元ヤンじゃん。――あ、判った。高校デビューだったんだ」
ほたるの追求に虎子は沈黙を選択する。それは肯定と同義だった。
「あのチェーンがあれば男と喧嘩しても負けなかったんじゃない?」
「そう上手くはいかないわよ。こっちが得物を持ったら相手だって持つんだから。得物なしでも勝てるくらいでないと男に喧嘩を売っちゃ駄目よ」
ふむふむ、とほたるは虎子の言葉に真剣に耳を傾ける。
「じゃあチェーンはあまり使わなかったの?」
「いえ、とても重宝したわよ? 相手を怯ませて喧嘩を避けたり、その隙に逃げたり。でも逆効果になって痛い目にあったのも一度や二度じゃないから」
ほたるは熱心な聴き手であり、虎子の話を聞きたがった。こんな可愛らしい子に真っ直ぐに尊敬の念を向けられれば虎子とて嬉しく感じないわけがない。
(……どうもこの子は不良やヤンキーに妙な憧れがあるようだから、思い違いは正しておかないと)
という判断もあり、虎子はほたるの望むままに自分の経験を語り聞かせた。メインは失敗談であり、痛い目に、ひどい目にあった話である。だが、
「男五人に囲まれて、一人をチェーンでぶっ飛ばして後は必死に逃げ回った」
「族に捕まった仲間を助けるために、相手のリーダーとタイマンをする羽目になった」
それを聞いたほたるがどう受け止めたか、それは虎子に制御できることではなかったのだ。
「――もうこんな時間じゃない。そろそろ帰らないと」
気が付いたときには夕陽が沈む寸前で、公園もかなり暗くなっていた。
「ええー、まだいいじゃん。もっと話を聞かせてよ」
とほたるがせがむが虎子は首を横に振る。
「もう夕ご飯の時間でしょ。親御さんが心配するわよ」
だがほたるは「ぶー」と不満そうだ。
「勝手に心配させとけばいいじゃん。心配してくれってわたしが頼んだわけじゃないし」
「わたしにも中学生の娘がいるけど、あの子がそんなことを言ったならとっても悲しくなるでしょうね……」
と虎子は実際悲しげな表情となり、ほたるは気まずそうな顔をする。
「――その前にぶん殴るけど」
との虎子の補足に、ほたるはずっこけそうになっていた。
「……えーと。じゃあさ、おばさんの子供が高校のときの自分と同じことをし出したらおばさんどうするの?」
「殺すわね」
その即答にほたるは思わず虎子から距離を取ってしまっていた。
「社会の迷惑でしかないゴミクズになる前に徹底的に半殺しにして矯正するか、それでも更正しないならもう本当に殺すしか……」
「……いやあの、それはどうなの? 自分のことを棚に上げて」
「ほたるちゃん、よく聞きなさい」
虎子の真剣な口調にほたるは背筋を伸ばして姿勢を正し、
「子育てっていうのはね、大陸よりも広い心の棚がないとやってられないものなのよ」
脱力したほたるの身体はクラゲのようになった。
「母の愛は海より深く、心の棚は空より広く――ほたるちゃんのお母さんもあなたのことを心配しているわ。早く帰ってあげなさい」
虎子は聖母のように優しく微笑む。ほたるは「その台詞、色々と台無しなんだけど」と苦笑した。
「んー、じゃあ携帯番号とメアド交換して」
ほたるが妥協案を提示し、虎子もそれを承諾する。
「それじゃね、おばさん! またお話聞かせてね!」
ほたるが手を振って立ち去っていく。虎子もまた手を振ってそれを見送った。ほたるの姿が消え、
「随分長い時間話していたわね」
「すっかり懐かれたみたいじゃない」
それと入れ替わりに龍子と鷹子が現れた。二人はどこか冷たい目を虎子に向けおり、虎子は気まずい顔をした。
「……いや、わたしにも何で懐かれたのかよく判らないんだけど」
二人は軽くため息をついて、
「それで、どうだったの? バクは寄生していた?」
龍子の確認に虎子が身体を硬直させた。
「……あの、何も感じなかったわけじゃないけど……その、確証は持てないというか」
虎子の言い訳に二人は完全に呆れ顔となってしまう。
「あんな近くにいて確認できなかったの?」
「あれだけの時間何をしていたのよ?」
龍子と鷹子の追求に虎子はただ恐縮するばかりだった。
さらにその後、
『ホームセンターで買ってきました!』
という表題でほたるからメールが送られてきて、それに添付された写真を龍子達に見られて虎子はさらに身を縮めることとなる――写真の中でほたるは虎子の真似をし、制服の袖口に仕込んだチェーンを握り構えていた。
それから何日か後。場所は内渚町内のファストフード店。時間帯は放課後であり、店内は中高生で満席となっている。その中に何人かの友人とともにハンバーガーをほおばるほたるの姿があった。さらに店の一番奥の四人がけの席には虎子と龍子と鷹子がいてコーラ等を飲んでいるが、ほたるはそれに気が付いていない。
「……どう?」
「……バクが憑いているとは思えないんだけど、確かに変な感じはするわね」
鷹子はチョコレートシェイクをすすりながら虎子の質問に答える。曖昧な回答に虎子の表情は晴れなかった。
「やっぱり現役の子に確認してもらうしかないんじゃないかしら」
との龍子の提案に虎子は「それは避けたいんだけど」と渋い顔をする。
「仮にバクが取り憑いていても強いバクだとは到底思えないわ。子供達に任せても問題はないのではなくて?」
「問題はバクの強さよりもその方向性よ。あの子が増幅されているとするならそれは親への反抗心。ことら達がそれを力尽くで叩き潰せると思う?」
虎子の指摘に二人は考え込んだ。
「……そう言えばわたし達のときにもあったわね」
「……確かにあのときのバクは手こずったわ」
虎子はさらに付け加える。
「それに、ことらがあの子から変な影響を受けるのも怖いわ」
「あの子に変な影響を与えたあなたが言うことじゃないでしょう」
龍子の鋭い切り返しに虎子は撃沈、沈黙を余儀なくされた。
「和倉ほたるにバクは取り憑いていないわ」
四人がけの席の空席に虎子達の視線が集まった。店内の誰一人としてそこにいるものを見ることができない。彼女が発する言葉を聞くことができない。だが虎子達の目と耳はその姿を見、その声を聞いていた。
「あなたが確認してくれたの? レン」
虎子の問いにレンが頷く。
「やっぱり取り憑いていなかったの。でも何か変な感じがするんだけど」
「今の和倉ほたるにはバクは取り憑いていない。でも以前は取り憑いていた形跡が残っている。あなたはそれを感じ取ったのだと思う」
レンの解説に鷹子だけでなく虎子や龍子も驚きを示した。
「一旦取り憑いたバクが離れるなんて、あり得るの?」
「かなり珍しいケースだけど、充分あり得る話だわ」
そう、というため息のような呟きが虎子の口から漏れた。
「わたしとしては和倉ほたるばかりに関わるのではなく、他のバク退治を進めてほしいのだけれど」
白々しいレンの台詞だが虎子達はその裏の意味を感じ取ることができないでいる。
「それは判っている。おろそかにはしていないわ」
と虎子は言う。だが「和倉ほたるの監視はこれで打ち切る」という言葉はその口から出てこなかった。
「……ねえ、一旦離れたバクがまたあの子に取り憑くことは考えられるの?」
「考えられるわね」
レンの回答に三人が顔色を変えた。レンはそれに気が付かない様子を装いつつ説明する。
「夢の世界とのつながりは全ての人間が持っているものだけど、魔法少女やバクの宿主は特にそのつながりが強くなる。バクの宿主だった名残で和倉ほたるは普通よりも夢の世界とのつながりが強くなっていて、西泉鷹子はそれを違和感として感じ取ったものと考えられる」
「つまり、夢の世界とのつながりが強いからバクに目を付けられやすい、ってこと?」
龍子の確認にレンが「ええ」と頷く。虎子達三人の視線が宙で結びついた。
「そういうことなら放ってはおけないわ。あの子の監視はこのまま続けましょう」
虎子の結論に龍子も鷹子も「ええ」と頷く。異議は誰からも出なかった――レンもまた異議を唱えず、虎子達の様子を注意深く観察している。
……それから数時間後、ほたるは人気のない夜道を家に向かって歩いているところである。
そのほたるに忍び寄る獣の影があった。獣の姿はない。ただ影だけがほたるに背後から迫っており、ほたるはそれに全く気が付いていない。
獣の影がほたるの影に飛びかかった。
「――?」
何かの気配を感じたほたるが背後を振り返る。だがそこには何もいない。誰もいない。ほたるは今この瞬間にも自分の影が獣の影に呑み込まれ、融合していることに気が付いていない。
「……気のせいかな」
ほたるは首をひねりながら早足で歩いていく。だがそのときにはもう獣の影はほたるの影の中にいた。ほたるの影の中に身を潜める獣が口を歪め、嗤っていた。