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第四話「母の愛は海より深く」Aパート




 内渚町に程近い県警の警察署、その中の小さな一室。そこが虎子のオフィスだった。

 本来はただの書庫なのだろう。壁を埋め尽くして並ぶ本棚には一部の隙間もなく書類が詰まっている。立ち並ぶ本棚のわずかな隙間に挟まるように事務机が設置されていて、机の上には古い型のパソコンが置かれている。さらに書類が乱雑に積み上げられていて、仕事ができるようなスペースはろくに残っていなかった。

 今、虎子は事務仕事の最中である。書類に目を通し、パソコンに何かを打ち込み、書類に目を通し、パソコンに入力し、を延々くり返している。


「失礼します、七塚警部」


 部屋の外からノックと共に声がかかる。虎子が「はい」と返答し、その室内に背広姿の若い男が入ってきた。虎子の後輩で、公安課の刑事の一人である。


「今日の分の調査結果をお持ちしました」


「そこに置いておいて。ありがとう」


 虎子は書類から目を離さずにそう伝えた。その刑事は書類をどこに置くか少しだけ迷っていたが、適切と判断される場所を発見した。横置きのデスクトップパソコン本体の上の、うずたかく積み上がった書類のさらに上に追加で書類を安置する。バベルの塔のごとき書類の山が崩れなかったことにその刑事は安堵した。


「今日の分はそれだから」


 と虎子が視線でファイルを指し示す。その刑事は「判りました」とそのファイルを手に取った。


「それでは」


 その刑事は一礼をしてその部屋から退出する。隣接する公安課のオフィスに戻ってきたその刑事を同僚が捕まえた。


「今日の分、もらってきたんだろ」


 その刑事は「ああ」とそのファイルを同僚に預ける。同僚がそれに目を通し、


「……夫婦喧嘩の通報、家庭内暴力の相談、それにご近所の迷惑行為の相談、か」


「七塚警部の本来の担当案件て、あれだよな。大日本さいせい塾の内偵」


 その刑事の確認に同僚は「ああ」と頷く。


「この調査って何の意味があるんだろう」


「意味がないわけはないだろうが……傷害事件や百十番通報、警察への相談、日々県警に集まる全部の情報に目を通して、ピックアップしたのがこの案件」


 と同僚がファイルを裏手で叩く。


「どういう基準で選んでいるのか、全然判らん」


 同僚の言葉に若い刑事は深々と頷き、同意を示した。

 一方虎子は公安課による調査結果のファイルに目を通しているところである。その中の一つが虎子の勘に引っかかった。ジャケットを掴んだ虎子が颯爽とその小さなオフィスを退出する。

 虎子は大股の早足で廊下を歩きながらスマートフォンで通話した。


「鷹子? 今から動ける? あたりっぽいのが見つかったわ」


 ……それから数時間後、場所は市街中心地。


「遅くなってごめんねー」


「いえ、構わないわ」


 そこで虎子は鷹子と合流した。虎子はかっちりとスーツを着込んでいるのに対し、鷹子はジーンズにサマーセーターとラフな姿だ。


「この辺に来るのも久しぶりねー」


 と鷹子はどこか嬉しそうに周囲を見回している。


「新しい服を掘り出しに行こうかしら」


「それは後にして。まずは目標の確認をしましょう」


 と虎子はある方向を指し示す。鷹子は虎子とともにその方向へと移動した。


「今ここにいるはずよ」


 と虎子が示すのは町中の宝石店である。二人は宝石に目を留めているような素振りで、ショウウィンドウの分厚いガラス越しに店内をのぞき込んだ。


「大変よくお似合いですよ」


「おほほほ! そうでしょう!」


 店内では恰幅のいい、五〇前後のおばさんが宝石を買い求めているところだった。着ているのは派手な色の古くさいワンピースだ。大きな肩パットが入っているそれは前世紀に流行した服で、どうやらそれを無理矢理着ているようである。


「奥様、こちらはどうでしょう」


「あら! こちらも素敵ね。一緒に買っちゃおうかしら」


 店内にはそのおばさんと同年代の男性がいて、どうやら配偶者のようだった。その貧相な男性の、元々血色のよくなかった顔色が今や死体同然の土色となっている。


「……な、なあお前。そんなに買い込んで支払いはどうする気なんだ」


「あなたは黙っていて!」


 だがおばさんにはとりつく島もない。店員がにこやかにフォローをするが、


「大丈夫ですよ。無理のないローンをご相談させていただきます」


 それはその男性にとって死刑宣告に等しかった。

 一方虎子達はその様子を店の外からうかがっている。


「……取り憑いているわね」


「……増幅されているようね」


「……暴走しているわね」


 それを確認した虎子と鷹子は宝石店の前から立ち去っていった。二人は歩きながら確認する。


「症状がかなり進行していたから迷う余地もなかったわね」


「いえ、わたしだけじゃかなり疑わしいと感じられても断言はできなかったわ。バクを見つけ出すその感覚、現役のあの子達にも負けてないんじゃない?」


 虎子の称揚に鷹子は「さすがに現役には敵わないわよ」と笑った。


「バクはあの宿主の消費欲を暴走させているのかしら」


 鷹子は「ええ、多分」と頷き、


「見た目からしてバブル全盛期にブイブイ言わせていた世代でしょうから、その名残を増幅されたのかしらね」


 と苦笑する。だがすぐに真面目な顔となった。


「幸い他者に対する害意は低いみたいだけど、放っておけばあの人の家庭が崩壊するわ。早く退治してあげないと」


 その言葉に虎子は「もちろん」と頷いた。


「龍子の身体が空いているようなら今日の夜に始末を付けるわ」


 ……そしてその夜、時刻はすでに零時に近い。

 内渚町内の神社には三人の女性が集合していた。昼間と同じようなサマーセーター姿の鷹子。スーツを脱いで私服……黒いシャツの上に豹柄のジャケットを羽織っている虎子。龍子もまた和服ではなく私服のブラウスシャツという格好だった。


「子供達とかち合ったりしないわよね」


「それは大丈夫。あの子達はバクを見つけていないから」


 三人は人目を忍びながら神社の境内を移動、こっそりとその社殿へと入っていく。

 暗闇に等しい社殿の中で、虎子達三人は所定の位置に着いた。社殿の中央に等距離を取り、三角形を描いて三人が佇んでいる。

 虎子達の中央に何者かが姿を現した。背丈は彼女達の膝のくらいまでしかなく、フードと一体となったマントによりその姿を完全に覆い隠している。


「……結界を張るわ」


 ロビンとは違い、その何者かは女性の声をしていてしゃべり方も女性のそれだった。


「ええ、よろしく。レン」


 レンと呼ばれたそれは返事をしないままに自らの力を行使する。虎子達は不意に足下がなくなって宙に浮遊する感覚に捕らわれた。だがそれも一瞬だ。


「――転移したみたいね」


 周囲の状況に大きな変化があるわけではない。ただ、レンの姿がなくなっていることと、暗闇のはずなのに周囲の状況がよく見えるようになっているだけである。


「ええ、行きましょう」


 三人は社殿の外へと移動、内渚町の町中へと向かった。

 町の様子が数メートルごとに変わっていく。最初のうちは地方のベッドタウンの住宅街だった周囲が、次第に繁華街になっていく。ビルが建ち並び、高級ブティックが軒を連ね、道路を走っているのはタクシーかハイヤーか高級外車ばかり。町を闊歩するマネキンのような姿の人々は高級スーツや毛皮で身を飾っていた。虎子達はその人混みをかき分けて町を歩いている。


「バクはどこにいるのかしら」


「この近くなのは間違いないでしょうけど」


「あ、あそこじゃない?」


 と鷹子が指差したのは繁華街の中心地。その場所は一際派手派手しい、満艦飾のネオンサインで彩られ、飾られている。そこににはかつてその名を轟かせていたディスコの名が――強調しておこう。クラブではない、ディスコである。虎子達はその店内へと足を踏み入れた。

 そのディスコは入口の扉をくぐるとすぐにホールになっていた。ホールはミラーボールの光が溢れ、音楽のビートが洪水となっている。


「……いるわ。間違いない、バクよ」


 ホールでは多数の群衆が踊っていたが、彼等は単なる心象風景の一部である。その中でただ一人お立ち台に乗って踊っている女性の影、それこそがバクだった。マネキンのような姿のそのバクは女性形態で、髪型はワンレングス。ボディコンシャスな超ミニのワンピースを身にし、手に持っているのはド派手な原色の羽根扇子だ。


「随分懐かしい格好をしたバクね」


 と虎子達はやや呆れた様子である。バクの方も虎子達に気が付き、敵意を向けてきた。


「消費欲じゃなくて懐古趣味を暴走させていたみたいね」


「三〇年近く前と今の区別が付かなくなっているのかしら」


「多分、今が充実しておらず、未来にも希望を持てないのでしょうね。だから昔を懐かしんで慰めとしている。そこをバクにつけ込まれたようね」


 虎子達の会話が耳に届いているのか、バクの発する敵意が殺意となり、急速に膨れあがった。だが虎子達はその殺意を真っ向から浴びてなお涼やかである。バクが三人へと向かって突撃する。ジャンプしたバクが着地しながら刃のように長い爪を振り回すが、そのときには虎子達は横に避けて充分な距離を取っていた。バクの背後に回る三人だがバクがすぐに後ろを振り向く。バクが出入り口を背にし、虎子達はホールの中央、両者の立ち位置が入れ替わっている。

 逃げ道を塞いだつもりのバクは嫌らしい嗤いを浮かべて虎子達を攻撃しようとする。そのとき、並んで立つ三人が同じポーズを取った。虎子が、龍子が、鷹子がその右手を高々と掲げる。そして、


「ドリーム・カム・トルゥー・パワー・ウェイクアップ!」


 三人が高らかに声を揃え、その瞬間光が周囲を覆い尽くした。眩しい光の直中にあり、彼女達の姿はシルエットでしか識別できなくなる。彼女達の衣服は光の中に溶けて消え、全裸となった。たくさんの星と一緒に虚空から飛んできたリボンが彼女達の身体に巻きつき、まずレオタードのボディースーツを形成。さらにリボンとフリル満載のドレスを形成した。色はそれぞれ、虎子が赤、龍子が白、鷹子が青である。そして一際大きなリボンが胸元で結ばれ、ルビーの、真珠の、サファイアのブローチが生み出される。最後にそれぞれの髪にリボンが結ばれ、魔法少女の姿が完成となる――ただしそれを身にしているのは、非常にグラマーな、大人の色気全開の、四〇前後アラフォーのおばさん達だ。

 若い頃からそれなりにグラマーだった虎子達は四〇代を迎えて否応もなく脂肪を蓄積し、胸も尻も太腿も(そして腹も)えらいことになっている。その彼女達が中学生でもちょっとつらい、本来幼い子供向けの魔法少女のドレスを身にしているのだ。中年女性にセーラー服を着せるがごとき、退廃的ないかがわしさがそこにはあった。彼女達が揃って美人であることもあまり救いにはならず、「どこの風俗店だ」と言いたくなるばかりである。

 ホールの照明が一旦全て消え、三本のスポットライトが虎子達三人の姿を照らし出した。


「魔物がはびこる夜の闇に、愛の炎が燃え上がる! 人の世の夢守るため、ここに参上紅蓮の戦士! 赤の魔法少女・スカーレットタイガーがお仕置きよ!」


「悪夢が蝕む心の闇を、無垢の光が浄化する! 愛の輝き照らすため、ここに見参白銀の戦士! 白の魔法少女・ホワイトドラゴンにお任せよ!」


「闇の鉄鎖の縛めを、正義の鉄槌が打ち砕く! 自由の翼を解き放ち、ここに誕生蒼穹の戦士! 青の魔法少女・ブルーイーグルが戦います!」


 ――木枯らしよりも冷たい一陣の風が吹き抜けた。ホール内の群衆は全員人形のように完全に静止し、バクもまた呆然としたかのように立ち尽くしている。どう対応すべきか判断がつかないのか、あるいは開いた口がふさがらないのか。虎子達はバクの反応を待っているが、バクはただ突っ立っているだけ。思いがけないほど長い時間、その場を静寂が支配した。虎子達にとっては身を切るほどに痛い沈黙である。


「えい。」


 唐突に鷹子が動いた。振り上げたハンマーをバクの頭部へと振り下ろす。不意を突かれたバクは頭部を完全に潰され、自動車に轢かれた蛙のように地面にうつ伏せとなって痙攣していた。


「――強敵だったわ!」


 爽やかな笑顔で言い切る鷹子。


「懐古趣味もたまには結構だけど、それに囚われ、執着するのはあまりに不健全だわ。それよりも今を大切にし、未来を豊かにできるように時間と労力と頭を使いなさい」


 ともっともらしい顔でバクに説教をする龍子。


「レン、バクを封印して」


 と虚空へと呼びかける虎子。三人はそれぞれの方法で戦いの経緯にはこだわらないことを表明していた。

 やがてどこからともなくレンが現れ、ロビンと同じ方法でバクを封印する。三人が屋外へと出る頃には町の様子は内渚町の姿を取り戻そうとしていた。


「今日のバク退治はこれで終わりね。それじゃわたし達を現実世界に戻して」


 ええ、とレンが頷き、三人が夢の世界から姿を消した。夢の世界に残っているのはレン一体である。

 レンはそのままの体勢で立ち尽くしている。少しばかりの時間を置いて、


(……む、貴様か。今日はあの子達とバク退治をすると聞いていたが)


「ええ、バク退治はもう終わったわ」


 レンは身体を夢の世界に置きながら現実の世界の誰かと会話をしていた。


(無事に勝てたようだな)


「彼女達の実力を考えれば当然だわ。……でも」


(バクが減りすぎるのは都合が悪いという話だったな)


 レンが「ええ」と頷く。レンの会話の相手は声からしてかなり年かさの男のようだった。


「これ以上バクを減らされたら必要な分の精神エネルギーが回収できない。スケジュールに遅れが出てしまうわ」


(だがこれ以上バクをはびこらせる真似は容認できんぞ)


「判っているわ。わたしも人間社会に必要以上の被害を与えるのは本意ではないし、地球保護局の注意を引くことも避けないといけない」


(ではどうするつもりだ?)


 レンは少し間を開けて回答した。


「強力なバクを育成してそれを彼女達に当てようと思う。簡単には退治できない、強いバクを」


(うむ、よかろう)


 男とレンの会話はそこで終了した。レンは夢の世界の、無人の、廃墟のような内渚町で一人、そのまま長い長い時間佇んでいた。








 それから一週間ほど過ぎたある日。今日も虎子はバクを退治するため仲間とともに夢の世界へと赴いていた。


「HOOGGEE!」


 虎子達の一斉攻撃を受けたバクが悲鳴を上げる。バクはあっと言う間に行動不能となった。


「レン、バクを封印して」


 と虎子が声をかける。だが戦いを見守っていたレンは、


「あ、あれ……?」


 と何故か呆然としているようだった。

 虎子が「どうしたのよ」とやや強めに声をかけ、レンの意識はようやくこの場に戻ってくる。


「え、あ、ごめんなさい。強そうなバクだと思っていたのに簡単に倒されちゃったから」


 レンの言葉に鷹子や龍子も、


「そうね、ヤクザの親分だけあって見た目はとんでもなく凶悪だったわね」


「ええ。ただの見かけ倒しだったけど」


 と頷いている。


「ヤクザが一般人より強いのは人を傷付けることにためらいがないからであって、腕っ節の強さは無関係だわ。意志の強さはもっと無関係でしょう?」


 虎子の解説にレンは「なるほど」と頷く。頷きながらレンはバクを封印していた。今回の失敗を次に生かすべく思考を巡らせながら。




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