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理屈

作者: ペッパー魚

 人というものは、簡潔なものを好む。何故なら、分かりやすいからだ。理屈をねちねちと語る者は嫌われる。無粋だからだ。つまり、人に好かれる人間になる為には、簡潔にものを言い、理屈は心の中のみに止めておけばよい。簡単なことだ。

 しかし、それが出来ない人間もこの世には存在する。高柳義樹(たかやなぎよしき)もその一人だ。高柳は簡潔さを嫌い、理屈を好む。おかげで、容姿に恵まれ、頭もよく、運動も出来るというのに人望が無い。高柳の周りには人が集まらない。

 大学の四回生にもなって恋人の一人も作らず、ただ本を読んで知識を吸収し、親から継いだ道場の主をやっている。大分前に聞いた話だが、高柳家は江戸時代から代々、『音無しの剣』と呼ばれる剣術を遺すことを唯一の目的としているらしい。その高柳家には身内以外に下の名前で呼ばせてはならない、という決まりがあり、それも彼から人を遠ざける原因になっている。

 このご時勢に道場なんて時代遅れだ。それに剣術なんて日常生活の何にも役に立たない。馬鹿馬鹿しい。そんな馬鹿馬鹿しい道場に通う物好きなんて私以外にはいないだろう。私にとっては嬉しいことに、だ。今日も私は道場に通う。

 朝は無手の稽古だ。不意を突き、目を潰す形。股間を潰す形。膝を蹴り割る形。これらを実践しなければならない時が来ないことを祈るばかりだ。私のような可憐な女学生が暴漢の目玉を抉って撃退なんてしたら、マスコミの餌食にされてしまう。いや、それ以前に過剰防衛で捕まってしまうかもしれない。非常に困る。

「いつも思っているのですが、この稽古が実際に役に立つのでしょうか?」

 敬語で訊ねる。以前、道場主に敬語を使わなければならない理由について二時間以上くどくど説明されてトラウマになり、敬語以外で話せなくなってしまった。

「相手をどうとでも出来る、という事実が大事なのだ。」

「はぁ。しかし実行すると過剰防衛になってしまうのでは?」

「だから、出来る、可能だということが必要であって、それを実行しろとは言っていない。可能だから自分の心に余裕が出来て、何か害を加えられそうなときに上手く逃げるなり、適度に反撃するなり出来るんだ。もっとも、お前じゃその域には達していないから無理だろうが。」

「無理、ですか。なら、どうすれば良いんでしょう?」

「祈るしかないだろうな。まぁ、あと半年程度でお前もものになりそうではあるから、それまでは……。」

「それじゃ駄目なんです!!私、言いましたよね。この道場で鍛えようと決めた理由。」

 ギロリと睨まれる。以前私はこの道場に入る為、暴漢の被害に遭ったと嘘を吐いたのだ。明確な目的の無い者は迎えられないなんて言われ、咄嗟に出た嘘だった。不安で外に出られないから、強くなりたいと。男性はこの手の話には反論できないはずだと思ったし、実際にそうだった。あの高柳でさえも私の頼みを断れなかった。立場の違いというものは上手く使えば便利なものだ。まぁ、いつもの反応からして高柳は私の嘘を見抜いている。けれども反論することは出来無い。

「あー。世の中、どんな可能性も完全に消すことは出来ない。だから……。」

 言い淀んだときが高柳への要求を通すチャンスだ。これまでの経験で十分に学んだ。今日の目標を達成させるとしよう。

「朝は道場から学校まで、夕は学校から道場まで、ご一緒してくれたら、嬉しい、です。」

 高柳は眉間にしわを寄せた。多分、私の言葉の矛盾に気付いているのだろう。気付いてしまった以上、言いたくないことも言ってしまうのが高柳というものだ。自宅から道場まで、道場から自宅までが普通に考えて最も危険だ。人通りも少なく、道も真っ暗。どうぞ、この釣り針に引っかかってください。

「……、お前は日本人なのに日本語も知らないのか?ご一緒という言葉は、下のものが上のものにご一緒させてくださいと頼むものだぞ。お前の言い方では、お前がお前を敬うというおかしなことになっている。お前が本当に自分自身を敬っていて、それを今後も改めようとするつもりが無いならそれでも構わんが、そうでないのなら今後、自分の発する言葉に気をつけろ。」

「すみません。以後気をつけます。」

「大体だな、お前はいつも………、」

 これは三十分のパターンだ。しかも、私の目標は達成されないようだ。魚を釣る際にはしっかりした釣竿を使わなければならないように、人を釣るときもしっかりした言葉を使わなければならない。

「あとだな、家から道場まで、道場から家までの道のりが危険だろう。比較的安全なときに俺がいて、危険なときにいないようではだめじゃないか。今日から道中は供をしてやる。好きなときに呼べ。」

 この魚はは釣り針が百個あれば百個全てを飲み込む馬鹿だった。高柳が魚に生まれなくて本当に良かったと思う。



 あれから少しの月日が経った。今日はバレンタインデーであり、私は御多分にもれずチョコレイトを渡そうとしている。たかが菓子に気合を入れるとは馬鹿馬鹿しいと思うのだが、恐らく女子力の高い女というのはそういう輩のことなのだろう。私は生まれて初めて女子力の高い行動をしてしまった。いや、これから更に重要な、渡す、という作業が残っているのだが。

 朝の四時まであと三十秒。高柳は必ず四時丁度にやってくるのだ。久々に緊張する。

 コンコン。と、まだ四時十五秒前なのにドアがノックされた。予想外のことに頭が混乱する。慌てて玄関に走った。

「おはよう高柳さん今日はお早いですねこれどうぞ。」

 わけのわからないままチョコレイトを差し出してしまった。

 自分以上に緊張しているものを見ると安心する、という言葉があるが、私は自分の滑稽に震える両手を見て、すぐに落ち着きを取り戻した。

「おはよう。これはチョコレイトか、なるほどな。やはりお前は俺に好意を持っていたのか。手作り、か。市販の物のほうが美味いのは当然だというのに、どうしてこのような文化が広まるのか解せんな。」

「そういうことは思ってても口に出さないものですよ。前者も後者も。」

 少しの月日の間に、大分二人の距離は縮まった。と思う。高柳のことだからどうせ私の気持ちには前から気付いていたのだろうし、その理由まで覚ってしまっているだろうから、ここで全てにけりを付けてしまおう。

「私は高柳さんが好きです。付き合ってください。」

 あとは野となれ山となれ。

 高柳は私をギロリと睨んだ。私も睨み返す。恋は殺し合いみたいなものだと誰かが言っていたのを思い出す。

「俺の答えを出す前に確認しておこう。お前が俺に好意を持った理由についてだが、俺がお前と同じ親無しであり、周りに溶け込めない、居場所を持たない者だからだろう。仲間がいて嬉しいと思ったのか?それとも、自分以上に世に馴染んでない者といると安心するのか?」

 これは絶対に訊かれると思っていた。心構えはしてたつもりだけど、実際に言われるとやはりキツイ。全部は否定できないけど、少しの、大切な違いだけは言っておかないと。

「少し、違います。高柳さんは両親に先立たれたのであって、私のように捨てられた訳じゃない。高柳さんは周りを必要としていないだけであって、私のように周りから否定されたわけじゃない。私は、私が欲しいと思っていて、でも手に入らないものを、高柳さんがそんなもの無くても平気だって顔してて、悔しいとも、憎いとも思ったけど、少しだけ救われたんです。」

 言いたいことは言えた。高柳に誤魔化しはきかないから、本当の気持ちを全部出してしまえばいいはず。心なしか、高柳の表情も柔らかくなった気がする。

「俺の家の財産が目当てか?」

「……少しだけ。」

「そうか。」

 心なしか、いや確実に高柳の表情は険しくなった。正直過ぎたのかもしれない。

「少しだけ救われた。少しだけ財産が目的。だとすると、残りは何なんだ?」

 ここまで来たらもうどうにでもなれ。

「はっきり言って、私も、高柳さんも、他の人と一緒になるなんて不可能だということです。家を途絶えさせたくないのなら、これからの人生、私にご一緒させてください。」

 こんな酷い告白はそうないだろう。高柳も苦笑いを浮かべている。そのまま私をじっくりと見つめ、頭に手を伸ばした。

「それを言ってはおしまいだ。」

 そう言って優しく頭を撫でてくれた。

「これからよろしくな。それと、俺のことは下の名前で呼んでくれ。」

「はい。よろしくお願いします義樹さん。」

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