束の間の休息
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「おい」
試練は明日の早朝からということで、今日はこの家の一室を借りて休むことになった。
教えられた客室へ向かうため部屋から出ると、後ろから不機嫌な声に呼び止められる。
「なに?」
振り向けば予想通り難しい顔をしたレインがいた。
さっさと私の横に並び、視線を合わせずに言葉を続けた。
「……なんで試練なんか受け入れたんだ?元の村が嫌なら他の人間の村まで送ってやるぞ」
それを聞いて、私は笑った。
ちょっと上から目線の物言いなのに、そこにある優しさに気付いてしまうとどうしようもない。
その優しさが居心地がいいから、私はできる限りのことをやってみたいとこの数刻で思ってしまったのよと、言ってみようかしら
けれど意地悪をしてみたくもなるのだ。
この矛盾が人間の性なら、確かに私は"悪いやつ”でなく、"嫌なやつ"なのかもしれない。
「レインは人間の私をここに受け入れたくない?」
そしたら案の定、レインは眉根を寄せてこちらを見た。
「そんなこと言ってないだろ。ただ普通に試されるのは嫌だろうと思ったんだよ。あのババァの決定がエルフ全体の意志だとおま……人間に思われるのは、なんだかシャクだ」
お前、でなくて人間に。
誇り高く、優しい言い方だ。……優しさは伝わりにくいけど。
……こうやって、反応を予想できてしまうレインの隣も、ルールルさんやアンさんと話すのも居心地がいいと思う。
けれど同時に、危なっかしいなぁとも思う。それこそ余計なお世話なんだろうけれど。
「私はお婆様の……長老様の決定は正しいと思うわ」
「試されるのを怒らないのか?人間同士の村なら、こんな面倒なことしなくても受け入れてくれるんじゃないのか」
「怒らないわよ。確かに人間の村ならこんなことしないだろうけど、余所から来た者はいつまでたってもその村でよそ者よ。なら試練をしてでも受け入れてくれるっていうエルフの里の方が魅力的だもの」
いつの間にか二人で足を止めて向かい合っていた。
少しだけ息継ぎをして私が長老様の決定が正しいと思う理由を伝える。
「あのね、レインたちは優しいわ。無条件で私みたいな得体の知れない人間をここに置こうとしてくれたんだもの………けれどそれは甘さでもあるわ。私、まだほんのちょっとしかココのこと知らないけれど、とても良いところだと思う。住んでいるエルフも環境も。
……余計なお世話だろうけど、里を大事だと想うなら、人間をちゃんと疑ってかからないと」
自分を疑えって言うのって変だと思った。
けれど仕方ない。
彼らは優しすぎて心配になる。
もし、この優しさを本当に悪意ある人間に向けたら?
レインは少し黙って、むっつりと口を開いた。
「………それは俺たちの問題だろ?エルフの里の方が良いっていうのは選択の理由だ。俺が訊きたいのは、なんでお前が『気分を悪くしてないのか』だ」
あらら。やっぱり。
本題ずらしたのは見抜かれたわ。
単純で、底抜けに優しいようで、実はレインの芯はぶれない。きっと他のエルフたちも。
だから本当の意味で、先程の心配は大きなお世話なのだろう。
「うーん。分からないわ」
分からない。なんでか全然怒る気になれない。
それをするのがエルフ側から当然な事と理解していても、もうちょっと憤って良いんじゃないかしらと自分でも思うけれど。
不思議と嫌じゃない。
きっと機嫌が悪くないのがレインにも分かったんだろう。
それが不可解でレインはしつこく訊いてくるのだ。
素直に言った私の言葉をレインはおうむ返しに聞いてきた。
「分からない?」
納得していないのがすぐわかるレインの顔を見て、ゆっくりと歩くのを再開しながら苦笑をかえす。
「うん。なんか、私にとってもこの試練は必要な気がして………上手く言えないけど、そんな感じ」
お婆様(って私が呼んでもいいのかしら?)がこの話をしたとき、不思議と胸でわだかまっていたモヤモヤが消えた。
「お婆様は分かってそうだなぁ」
ポツリと呟く。
自分の心を、自身より他者の方が理解しているというのはなんだか情けない。
けれど目があった時、確かに何かを読み取られた気がした。
「ババァが?」
やっぱり嫌そうにレインは言う。
「ま、多分だけど……ところでなんでお婆様に対してそんな態度とるのよ?」
レインのお兄さんルールルへの態度を見る限り、年上にはけっこうきちんとした礼儀をとる方だと思っていた。けれどあそこまでお婆様に食って掛かる姿を見ると、その見解も微妙なモノになってくる。
もしかしてブラコン?そしてお婆様には反抗期とか?
不謹慎にもちょっとワクワクしてしまう。
うん。だって絶好のからかいポイントだもの。
そんなことを勝手に想像している、と。
「はっ」
珍しい。レインが笑った。
だがしかし爽やかな笑顔じゃない。けっこう暗い笑みだ。
や、やさぐれてるわ。
元の顔がいいからか、そんな影のある笑みさえ絵になってる。
その点は、凡人からすれば嫌味な奴だと思う。
「ど、どうしたのよ」
ああ。情けないけれどやっぱり綺麗な顔に凄みが加わって、ちょっぴり及び腰になる。
「……長老サマは我ら兄弟の師範なんだよ。体術も魔術もこの里でずば抜けて強い。昔ッから『直系だから思わず力が入るのぅ』とか言っていじめ抜か……しごかれまくってみろ……尊敬のその字も浮かべたくなくなる」
いったいどんないじめ……もといシゴキが。
暗い笑みがなかなかひかない。懐かしい修行の日々でも思い出しているのか、若干目が虚ろだ。
「で、でもルールルさんはちゃんと敬語を使ってたじゃない。そのー…見習ってみる……とか?」
最後の疑問系な語尾が物語る、私の気の弱さ。
だ、だって途中で凄い目で睨んでくるんだもの!
カツン。
レインの履いた長靴が止まる。
客室の前に着いた。
「…兄上は要領がいいんだよ」
ゆっくりと目を逸らしながら、レインが言い訳のごとく反論した。
横顔がむくれている。右耳の紅いピアスまで不満げに揺れてる。
その表情から過去が想像できてしまった。
少し笑いながら問いかける。
「じゃ、レインは要領が悪いのね?」
「……お前程じゃない」
「またまたー……どーせ負けず嫌いで歯向かいまくって、コンテンパンに返り討ちにあってたんでしょう?」
しかも兄上には優しいのに、僕には!とか言って拗ねてまた歯向かっての繰返しで悪循環。
うん。充分ありうるわ。そして可笑しい。
そしてお婆様もその様子が可愛くてついついいじめ……もといシゴキに力が入っちゃったんだろう。
だって罵っても、彼らの間にあるのはやっぱり信頼感とか親愛の情なんだもの。そうでなければ、もっとピリピリした雰囲気になるはずだわ。
そんなことをそれとなく言ってみると、レインは口をへの字に曲げた。
「……お前の後ろが客室だ。さっさと寝ろ」
あははっと堪えていた軽い声が出てしまった。
うんうん。図星みたい。
この噛み合わない会話が、なんでか楽しい。
「うん。じゃあお言葉に甘えて、お部屋お借りします。おやすみなさい」
笑顔のまま、客室へと入る。
まだ閉めきらないうちに、レインが言った。
「一応昼には起こしてやる………おやすみ」
パタン、と軽い音を立てて扉が閉まった。
トコトコと歩いて、部屋の右側のベットに腰かけた。
少しの間、愉快な気持ちの余韻に浸る。
笑って気が軽くなった分、瞼は重くなってきた。
何だかんだで、そういえば今日は一睡もしていないことに気付く。ここに来るまでは気を張っていたし、エルフたちとの初対面も果たした。しかもこの里までかなり歩いた。レインは何度か気を使って休んでくれようとしたが、水とドライフルーツだけもらって私は出来るだけはやく進みたがった。
今思えば不自然なほど、エルフという未知の種族について行くことを欠片も躊躇う気持ちすら、そこには無かった。
はやく。はやく。はやく。
歩いてる間はそれだけを思っていた気がする。
とにかくあの土地から、離れたかったから。
………ああ、もう、寝よう。
寝ればきっと、この重い頭の中身も、スッキリしてくれるだろうから。
清潔そうなシーツと、柔らかな布団の間にイリスは身を隠した。
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まだまだ口調・文体が定まらないのは自分でも思うんですけど、ここではどうしてもイリスの思考回路でいきたかったので。失礼(^-^;