贄と付き人
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ホロの森にあるエルフの里では、30年に一度"ましろき者"を迎え入れていた。
ましろき者はその名の通り真っ白だった。
頭髪も肌の色も。目も白濁しており、視力が弱いような者ばかりだった。
意思の疎通ができず、まるで赤子のようだったが、見た目はほとんどが成人した女性であった。彼女たちは普段にこにこと笑うばかりで、不満があれば癇癪をおこして知らせた。
そういった"ましろき者"と呼ばれる人間がなんでか昔から30年に一度、必ず森の人が作った祭壇に捨てられているのだった。
エルフたちが可哀想に思い、置き去りにされた"ましろき者"を拾ったのが"付き人"の始まりだった。
連れ帰ったエルフはホロの里の当主だった。
無償で面倒をみたがかなり手がかかることがわかるばかりで、生活の中で役立たずであった。
けれどそれから数年して"ましろき者"が悲鳴をあげた。それは恐怖に引き吊った悲鳴であり、普段の癇癪とは違っていた。
彼女は明らかに里の近くにあったファージ川から離れようとしていて、仕方なく当主は"ましろき者"の落ち着く場所まで棲みかを変えた。当時はテントを連ねる形の家であったので、比較的移動は簡単であったのも幸いした。
当主を中心にエルフ達は動くため、結果的に他のもの達もそれに伴いついてきた。
その里全体の引っ越しから数ヵ月後、ファージ川が大氾濫した。里があった場所も流され、辺り一面が沼になってしまうほどだった。
こういったことがそれぞれの代で何度か起こった。
ある代の"ましろき者"が知らせたのは地震による崖崩れだった。
またある代の"ましろき者"が涙で訴えたのはその年の食糧となる野生動物の少なさだった。
始めのうちは“ましろき者"が訴えるものが何か分からず、その訴えを見逃してしまうこともあったが、何代にも渡り"ましろき者"を受け入れていく内にエルフ達はその警告を読みとくことに慣れていった。
次第に"ましろき者"は当主が庇護する"付き人"へと呼び名を変えていった。
なぜ人間が"ましろき者"を毎度見捨ててしまうのか分からなかったが、きっと養う忍耐力が足りないのだろうという結論をエルフ達は出し、それならばと一層彼女たちを手厚く保護していった。
"付き人"は人間の寿命と同じで50歳ほどで亡くなるのが常だった。その間に警告を発しない者もいたが、エルフ達は構わなかった。
もともと情の深いエルフにとって"ましろき者"を大切にすることは、今や当然の慣習となりつつあるのだから。
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「そう、なんですか……」
エルフ側の説明を聞いて、イリスは思わず言葉をこぼした。
だから"普通"の人間がいることに、このエルフ達は驚いていたのだ。
そしてもうひとつの事実にイリスは気付いた。
実はイリス自身は、一度も生け贄となる人を見たことがなかったのだ。
村で一定の間隔で生まれる『何もかも白い子』が彼女たちのことを指し、その人たちが白の宮と呼ばれる隔離された建物の中で暮らしているのは知っていた。
しかしその中には限られた村人しか入れないようになっていたから当然子供のイリスは入る資格も無かった。またその宮からは時折子供の癇癪を起こすような声や、獣の唸るような声などが聞こえてきて、正直、薄気味悪く感じる所だった。
知らないことが当然で、そのまま考えもしなかった自分の無関心さに今さら意識を向けた。
「ましろき者は捨てられたのではなく、生け贄だったということだけど、何故そんなことをするんだ?彼女達は人の間でどんな扱いを受けていた?」
ルールルが矢継ぎ早に問うてきた。
その問に満足に答えられない自分が情けない。
「人間は……私たちはあなた達エルフを畏れています。だから贄を捧げているみたいです。彼女たちの扱いについては詳しく知らなくて……でも生け贄にされるまで大事にされていたと思います」
「まぁ、そうなの……怖がらなくても私達は人を襲ったりしないのに……」
残念そうにアンに呟かれると、イリスは居たたまれない気持ちになった。次の言葉に戸惑う。
だが、絶妙なタイミングでレインが茶化してくれた。
「とか言う割りにお前、最初に恐れもせず俺につっかかってきただろ」
「それはレインがあんまりにも人の話を聞かなさすぎるからよ!……それに、兄さんが……」
「お兄さんが?」
小さくなった声を拾い、アンが先を促すように聞き返した。
「あっ。えっと。私の兄が言ってたんです。エルフは賢くて強いけど優しいって」
「まぁそうなの?でも……だからってお兄さんは今回のイリスちゃんがここに来ちゃったこと、止めてくれなかったの!?」
イリスちゃん?
なんだか慣れない呼び方がくすがったかった。
会ったばかりの小娘にも親身になって憤ってくれる姿に慰められる。
美女だけどアンさんは可愛らしいなぁと思いながら、私は一応実兄の擁護をした。
「実は今、兄は旅に出てしまって家にいないんです」
「そうか……ご両親、は…?」
ルールルが気遣わしげに尋ねてくる。
「どちらも、8年前の流行り病を拗らせてしまって……」
それ以上のことは聞いて欲しくなかったので、できるだけ早口で言い切った。
肉親がいないだけで、村の誰にも引き止めてもらえない自分を確かめられるのは、身が縮むような思いがしたからだ。
こういうとき、憐れまれるのが嫌だと思うのは人として間違っているのだろうか。
可愛げがないのは認めるけれど、ね…
テーブルを指でノックする音に、ほんのすこし暗い思考の中にあった意識を引き戻された。
「で?イリスをどう扱うかが問題だろ?兄上」
「そんなの元いた村へ送り届けて、事情を説明してあげればいいじゃない!」
すぐさまアンがレインの言葉に噛みつくよう返事をした。
どうやら生け贄という言葉が彼女に大きな動揺でを与えているようで、とても同情的だ。元いた所へ帰るというのがイリスにとって最善の選択だと思ったのだろう。
けれどーーーー
「いや、元いた村とはいってもね。アン。仮にも"生け贄"としてイリスを、差し出した人間がすんなり受け入れるとは思えないよ」
そう。ルールルの指摘した通り、きっと村には歓迎されないと思う。
贄を捧げることで不安を解消しているのに、その贄が返されてしまっては心の平穏が保たれないだろう。
それに、私だって……
「そんな……なら、ここで一緒に暮らせばいいわ!どう?イリスちゃん」
いいことを思い付いた!という明るい顔でアンがイリスへと聞いてきた。
行く当てのないイリスにはとても魅力的な誘いだった。
「私は……でも、あなた達の言う"ましろき者"のように役には立てないです」
けれどレインとここへ来るまでの道のりを思い出してそう言った。
エルフは力や魔力という点でも博識さという点でも人間に優っていた。
それらを考慮してみると、普段役に立たないという点では"ましろき者"とそう変わらないような気がした。
しかも自然への警告という特殊な危機察知能力があるため、彼女達の方が価値があるように思える。
「俺らが聞いてるのはそんなことじゃない。お前がここに居たいのか、居たくないのかだ」
そんなイリスの返答をどう思ったのか、レインが呆れたように言ってくる。
「それは、私は居てもいいなら、居たいけどっ。なんというか…そうじゃなくて……」
イリスが焦って上手く今の気持ちを言葉にできないでいると、扉から嗄れた声が聞こえた。
「ならぬ」
さっとそちらへエルフたちの視線がいった。
イリスも恐る恐る振り返る。
そこには、老エルフがいた。
「先ほどから話は聞いていた。その人間をこの里においてはならぬ。これは長老としての意見じゃ」
長老、登場。お婆様とも呼ばれます。
長老は役職名です。そして一応ルールルとレインの血の繋がった曾祖母。
けれどホロの森全体で最年長なのでみんなのお婆様なのです。
役職名があるのは今のところ『長老』お婆様と、『当主』のルールルのみ。