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ミスキャスト  作者: 高橋多平
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5 ナガサ宅での問答




歩いてすぐ休憩にはいった。家から出て五十メートルかそこら。木々で遮られてもう明かりが見えなかった。松明がなければこれで遭難だ。


大樹に背中を預けずるずると滑らせ座り込む。松明から煙草に火を移し一服した。残り六本。ナガサの体からは煙草の香りがなかった。彼も煙草を好むなら分けて貰おうとしたのだが、どうやら無理みたいだ。いっそ止めても良いのかもしれない。なにせこれがちっとも美味くないのだ。煙を吸い込む度に生焼けた喉を刺激して咳き込みそうになる。肺に下って目眩。はき出すときには寿命もご同行だ。いったいなんだってこんなものを好んでいたのか疑わしくなる。それでも吸い続けているのはひとえに意地だ。否定したい気持ちが強く出ている。肉体が変わったという事実を受け入れきれないでいるのだ。


煙草をブーツで踏みつぶし、松明の火も消した。来た道を慎重な足取りになって戻る。ランダルが見張っていないとも言えないのだ。彼のリズベルの心配が演技だとしたらこちらの負け。言葉が伝わるうちにナガサと一対一を望みたいのだった。


家の明かりを確認したところで立ち止まった。光を背負って人影があったのだ。背中を向けているがナガサではない。かといってランダルと見るには背が小さい。家の階段から七,八メートルの距離を置いて男が立っている。こちらに背を向けていた。つまりナガサの住まいを凝視しているのだ。


見覚えがあった。それもごく最近。異世界に来てから一夜も明けていない。出会った人間は決して多くなかった。


俺は口元に軽く握った拳を当てた。木陰に寄って片膝立つ。考え込んでいるのもあるが、息が漏れるのが躊躇われた。俺の背後からは身を切るような風が間を開けずに流れている。風上になっているのだ。


いったい何を不安になっているというのか。心がざわつき神経が剥き出しになっている。そこにえも言われぬ自己嫌悪を感じていた。あの青年・・・・・・リンズ、野菜を売りつけにきたという彼がまだ村に留まっているのが不思議ではあるものの、盛況が為に帰るのが遅れたのかもしれない。最初からここで一泊していくつもりだったとも考えられる。彼に遭遇したところで不利益が生じるはずもない。にもかかわらず思考が消極的になっているのは、女の体が精神を引っ張っているからではないか。思索がそこに行き着いて言葉を失った。半ば放心状態とでもいうのか、目の前の様子をレンズ越しに眺めているような隔たりがある。リンズが左右を見回し、最後に背中を掻いて村の中心へと消えていった。


しばらく動けなかった。足が鬱血して痺れが這い寄っている。催促されたでないにしても、俺は立ち上がり足首をぐりぐりと回し、深呼吸した。意図的な思考の断絶であり排泄。捨てることでしか得られぬことを知っているのだ。いくらか身が軽くなった気分だ。気のせいに違いない。だとしても支えにはなった。


道を急ぎ一直線に玄関に向かった。配慮はなしだ。どこの誰に見られていようとも構わないという気持ちがある。自棄になっているのかもしれない。


ノックしてすぐにナガサが出てきた。彼がぎょっとして体をこわばらせ、俺の後ろにそっと視線を這わした。一人かどうかを確認したのだ。警戒している。


「邪魔するぜ」


「忘れ物ですか?」


そうであることを祈っているような表情だった。怯えというよりも戸惑いがある。動揺とそれに連なる被害者意識。リズベルが受けたであろう恐怖とは似て非なるものだった。俺が黙ったままでいると、彼はいかにも決まり悪そうな微笑を浮かべたのだ。好々爺的条件をひとつも達成せずに年を重ねた結果、狡猾、老獪、悪ずれとを内包して世間を見下している感がある。


ある種の先入観をもって見ているのを認めていた。しかし彼が気に入らないのだ。瞳の裏で蠢動する影に、薄汚い雰囲気が強すぎた。舐め回すような視線とでもいうのか、絶えずこちらを観察しているものがある。


「かけてもいいかい」椅子に目をやって俺が言い、返答を待たずに腰掛けた。


「忘れ物ですか」彼も椅子に座り再び聞いてきた。声がやや固い。警戒心がより強固になっている。


「いくつか聞きたいことがあってね」


「と、言われても・・・・・・この家から裏は山の裾野になっていて、標高はそれほどでもありませんが険しいのは確かですな。実をつける木が多いので小動物が多く、それを狙って大型動物もちらほら見受け」


俺はテーブルに指を立てて軽く叩いた。コンコン、と小さな音で彼を制した。


知り合いの父君という話だが、それでけの関係で布陣に組み込むとは思えなかった。ランダルが魔族のみならず人間をも警戒しているのは確かなのだ。本人は否定していたが、村人を使いたくないというのもそれがあってのことだろう。だからこそ彼にとって異世界の住人という、利害関係のない俺を巻き込んできたのではないか。もっとも、だからといって俺を信用していないのが彼の優秀たるゆえんだ。まだ拳銃を返して貰っていないのだった。俺ほどキュートなミイラ女に対してだって不審を抱いているのだから、ナガサに対してなどとてもとても。


負い目があるに違いない。だがそれがナガサ本人に対してなのか、息子、あるいは娘に対してなのか・・・・・・。


「イチジクとリズベルがここに到着したときの様子を教えてくれ」俺が言った。


「様子ですか?」


時間を稼ぐように真似て言ってきた。動揺の裏返しととれなくもない。ただしこれを根拠にして彼を糾弾するには不十分だった。まだ様子見だ。第一ラウンド。ジャブを弾かれたところ。


「イチジクがここに着いたときには半死半生だったんだろう? だけどそれっておかしいよな。こんな小さな村に女の二人組が着て、片方が死にかけ、片方が子供だぜ。しかし騒ぎにもなっていない。そもそも門番は疑問に思わなかったのかね。ランダルと一緒に村に入ったときにゃ、門番はそういったことを何も言わなかった」


門番は言わなかった、ではなく実際には何を言ったか俺にはわからないなのだが、ナガサにはこのときまだ言葉を理解できなかったことを言うつもりはなかった。もしかしたら門番がランダルに、二人の女が村に入ってきていることを伝えているのかもしれない。ランダルはそれを表情に出さずに受け止めたのかもしれない。しかし現実味のある公算とは思えなかった。さほど長い話でもなければ、深い問答をしているようにも見えなかったのだ。


「それは正規の道で村に入ってないからですよ」ナガサが言ってきた。臆するところがない。「裏に山があると言ったでしょう。それを越えてやってきたのです。聞いてませんか?」


「聞いてないな。最初からそういったルートを辿ってくる予定だったのか?」


「そう伺ってますよ。ほら、リズベル様はちょっと、目立ちますから」


目立つことで不都合が生じるのを懸念しているのだ。


「体毛が真っ白だったな。あれは白子症なのかい」

「シラコショウ?」


「アルビノ」


「え、アルビノ? なんですかそれは」


通じなかった。グリズリーしかしサンボしかり、聞き手の知識にない単語に関しては、音だけが通じると思ってよさそうだ。となると俺が、『俺』と言えば、俺という単語として彼に伝わるという当たり前が、I'mという単語を使うと彼にどう聞こえるのか気になった。『俺』なのか、『私』なのか。そういえば彼等の一人称はどうなっているのだろう。男女によって違いはあるのか。世の中には男性、女性、中性と形容詞が変化する国もある。今の俺は女なのだ。ランダルは何も言わなかったが、念のため『私』を使ったほうが良さそうだ。


「彼女の両親の髪が何色かご存じですか?」敬語を使ってみた。


彼がかぶりを振った。動作の中に若干の疑問符があるのを認めた。質問の内容にではなく、俺がかしこまった口調で質問したのを訝しんだに他ならない。やはりというべきか、丁寧に語れば丁寧に聞こえるみたいだ。方言だとどのように伝わるのか気になったが、あまりやり過ぎて実験台にされていると気づかれるのもまずい。言語については、おいおいランダルでテストしよう。


「私のことについては何か伺っていますか?」と、俺。


「特には・・・・・・」


「貴方は今回の自分の役割を何と聞いています?」


「一時の借宿を提供するだけだと」


「それでいくら貰えるのですか」


ナガサがさっと視線を寄せてきた。「それを言う必要がありますか」


「失礼」目が泳いでいる。少なからぬ額で了承したに違いなかった。「ところで宿を提供するだけで、客の世話をする義務はないと思ったほうがいいですかね」


「え、いやできる限りお力になりたいと思っていますが」


こちらの質問の意図を理解できなかったようだ。


「リズベル様が放置されているように見えたのですが」


「待って下さいよ」やおら声を張り上げた。音の末尾には私憤。言いがかりをつけられたみたいな顔をして、彼が迷惑そうに口を歪めたのだった。「わたしだってリズベル様に温かいスープを与えたり、こちらに来て暖を取るように言ったのですよ。だけど怯えてしまって、手がつけられなかったんです」


「それで部屋に残していたと」


「見て下さいよ!」腕の裾を擦り上げた。「おもいっきし引っ掻かれたんです。あげくの果てに魔法で攻撃までされかかったんです」


「攻撃」つい呟いた。そんなことまで出来るのか。


「ええ、運良くというか、ちょうど魔力が切れていたみたいで、へなへなと崩れて気絶してしまったんですが。そりゃ悪いとは思いましたよ。でも下手に近寄って殺されちゃたまりません。だからあの部屋に置いておいたんです。近づかない分にはおとなしくしていましたし」


 魔力が切れるとは、直前までそれを使っていたということになるのだろうか。魔法の仕組みがわからないのではっきりと断言は出来ないのだが、そう考えるしかない。だとしたら何のために魔法を使用したか。時系列の流れから推測すると交戦、もしくは逃亡中の使用があげられる。イチジクを殺ったのは魔族だとナガサは言った。魔族とは限らないにしても敵と遭遇したのは間違いない。


「リズベル様が魔族に狙われているという話は知っていましたか」


「もちろんですよ」


「理由もご存じです?」


「魔力ですね」当たり前だという顔をしている。「寿命が延びるらしいじゃないですか」


「その通りです。では人間にも狙われているというのは聞いていましたか?」


「え?」首をかしげた。知らないという意思表示だが、すぐに納得して「ああ、狙われていると言っても、貴族連中が自分達の手で保護したいというだけでしょう」


「イチジクの死体はどうしました?」唐突に切り込んだ。不意を突いたのだ。


「昼のうちに森に埋めてきましたよ」


しかし彼はまったく動じなかった。想定していたのかもしれない。どうにせよ奇襲は失敗した。


「なぜ我々が来るまで保存しておかなかったんです」


「正門を通らずに入った女の死体が家にあっては色々と都合が悪かったんです。ここにだって客が来ることもある。仕方ないでしょう」


あのリンズという青年の顔が浮かんだが、彼は関係ないだろう。


「別に責めちゃいませんよ。ただイチジクから何か聞いていませんかね。あと持ち物は鞄と外套だけでしたか」


「ですから、彼女はもうほとんど言葉すら喋れない状態だったんですよ」


「少しは話せました?」


「助けてとか、死ぬとか、そんなことです」


「魔族に襲われた、とは」


「口にはしませんでした」まだ疑っているのかといわんばかりになって呟いた。


「荷物は?」


「それも鞄に入っていた物だけです。外套はまだ使えそうだったので頂戴しましたよ。勿体ないでしょう」悪びれもせずに言ってきた。しかし表情だけだ。悪いと思っているからこそ文句が荒くなっている。


「金が入っていたでしょうよ」


これが失敗だった。中途半端に尾を踏んでしまったのだ。彼が冷静になった。


「あなた護衛ですよね」


「そのようなものです」口惜しいが。


「ここに居て良いんですか。ランダルさんは先に行ってるんでしょう」


ここいらが限界だった。少々不審を持たれるぐらいなら構わないのだが、それをランダルに報告されると危険だ。


「ええ、もう行きますよ」


立ち上がると彼のほうから声をかけてきた。


「無事ですかね」


しかし俺に話しかけているふうではなかった。なんとなく焦点がぼんやりして虚空を彷徨っている。俺も投げやりになって答えた。「だと良いがね」


見送りは断ろうとしたが、外に出てからローソクの火を松明に移してもらわねばならなかった。火が点くと彼の隙だらけの顔が暗闇に浮かんできた。


「ではご無事を祈っています」リズベルにではなく俺に対して言ってきた。どうやら彼の中では対価を頂いた分の仕事は終わってるみたいだ。彼女の生死はまた別の話なのだろう。それによって更なる対価を見込めるとしても、自分の分をわきまえているだけ彼は老齢だった。墓までは金を持っていけないという潔さではなく、今の暮らしにちょっとした余得をあずかっただけで満足しているのだ。さしあたって服を新調するかどうかを悩んでいるぐらいか。

今更ですが、サブタイトルにシーンの特徴を書くことにしました。

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