言う事を聞くのをやめたら幸せが待ってました
どうしてこうなったの?
父の言うとおりに幼い時から必死で立派な淑女になろうと寝る間を惜しんで勉強した。
厳しい教師達にも我慢して必死で食らいついた。
母が言うように必死で自分を磨き、淑女として正しくあるよう、マナーを身に付け、感情を表に出すことなく、淑女の中の淑女と言われた。
一歩引いて控えめに、出しゃばらず、男性が望む通りの女性になって、王太子殿下の婚約者に選ばれた。
好きな本、ドレスや髪型、行きたい場所、憧れた乗馬や魔法、飼いたかった猫。
色んなものを諦めて望まれるままに生きてきた。
お前のために言っているの。
お前の幸せのためなのよ。
王太子の心を射止めなさい。
お前のため…
そうして努力したその先で私は目の前で婚約破棄を突き付けられている。
「お前は未来の国母に相応しくない。感情のないその人形の様な顔も、その血のような不吉な瞳も見るたび気持ちが悪かった。私は人に寄り添えるような優しい心を持つ者を妻にしたい。
それはお前ではない。淑女の中の淑女と言われ調子に乗ったようだが、その心根の醜さは隠せなかったようだな。」
両親が必死で売り込み、努力と評判から得られた王太子殿下の婚約者の立場は、今、失われようとしている。
「殿下…。どういうことでしょうか…?私たちの婚約は王命で決まったもの。陛下の許可なく解消は出来ない事と存じます。」
震えそうになる唇を…体を必死で押しとどめ、いつものように淑女の顔で冷静に言葉を紡ぎ出す。
「…そういうとこだよ。こんなことを言われても変わらぬその態度。お前には血が通っていないようだな。私の友人達に自分の知識をひけらかし、あまつさえこき下ろしているそうだな。
調べはついている。自分よりも下位の者達をバカにし、自分の優秀さを見せつけるがごとく城内の書類にまで口を出す始末。苦情が来ている。そのうえ、私の大切な友人であるエリアーナ嬢に、殿下に近付くなと言って、突き飛ばしたと聞いている。いくら婚約者とはいえ、私の交友関係にまで口を出すのはやり過ぎだろう。可哀想に、彼女は怪我をしたのだぞ。」
知識をひけらかし…って…婚約者なのだから私の書類仕事の補佐をしろと言われてやっていたあの雑務の事かしら…?殿下は適当にしか見ないですぐに判を押す為、提出される書類はわざと杜撰なものが多い。あまりにも杜撰な書類は突き返していたけどそのことをおっしゃっているのかしら?
下位の者をバカにし…?何のこと…?殿下が仲の良い友人と言っている、エリアーナ嬢含む男爵家、子爵家の令息令嬢達の、不敬への注意の事?
許可証が無いのに城内の王族の許可のいる区域に入ろうとして止めた騎士達に殿下の権力を笠に着て文句を言う彼らを、諫めたことをおっしゃっているのかしら?
突き飛ばした…?全く身に覚えがありませんが…。そもそもまともに会話をしたこともないわ…。
「それはいつのことでしょう…?私には覚えがないことでございます。」
「もういい!!裏はとれているのだ!婚約は破棄だ!!お前の家には既に手紙を送ったし、父上には私から伝えておくから二度と私に近付くな!!」
「…かしこまりました…。」
フンっと音がするほど睨みつけて、2年前から婚約者だった王太子殿下であるレイナルド様が後ろでクスクス笑っている友人達の元へ去っていく。
そもそも今いるこの城の西棟も、私の王太子妃教育が行われている場所であり、王妃陛下の許可がないと入れない場所なのだ。
王妃陛下は有能で常識的な方だから、殿下の友人を何の理由もなく入棟の許可を出すとは思えない。
自分の心に蓋をしてずっと努力してきた。
ようやく認められて両親が喜んだのも束の間、帰ったらまた二人の癇癪と怒声を聞くことになるのね…。
どうしてこうなったのかしら…。
私は何を間違えたの…?
家に帰るべく小さくため息をつく。
明日からはもう禁止区域には入れなくなるのだろうか。
それなら…と、禁書庫へ向かう。
許可がないと入れない禁書庫は、私の大好きな古代魔法の本が多いのだ。
いつも調べものついでにコッソリ読んで密かに楽しんでいた。
この世界には魔法があり、魔力の多い者は魔術師となる者もいる。
私は生まれつき魔力が多く、幼い時に一般知識の一環で魔法を習った時に、家庭教師にぜひ極めたら素晴らしい魔術師になるでしょうと言われたのだ。
女の幸せは結婚だと母が大反対し、その教師はすぐに辞めさせられたが、私は魔法が大好きだった。
それからは勉強の時間の合間に、こっそりと王都にある国立図書館で魔法の書を見つけては読み漁る日々。
侯爵家の令嬢として生まれたが、後継には弟がいて、私は少しでも家のためになる高位貴族へ嫁がねばならないと言い聞かされ育てられてきた。
母は元は子爵家の令嬢で、当時の王太子殿下にも目をかけられるほどの美しさで本人曰く、殿下を虜にしていたそうだ。でも、家格のつり合いで婚姻はならず、殿下の側近であった侯爵家子息の父と結婚した。
それだって子爵令嬢にしては破格の縁談だったはずなのに、母は王太子殿下と結婚できなかったことを心底根に持っている。
正妃となった公爵令嬢だったアマリリス王妃殿下の事を目の敵にしているくせに、その息子の婚約者の立場を娘に望むのだから…。
私を必ず王太子殿下の婚約者にすると息巻いていたのに、こんな結果になったのだ。この先の母の行動は目に見えている。
王太子殿下に婚約破棄された私の未来は、残された王族、奥様を早くに亡くされた王弟である大公の後妻か、子供のころから体が弱く表に出てこない第二王子殿下くらいしか、王族との婚姻に拘る母の理想に敵わないだろう。
第二王子殿下は成長と共に体調も良くなったそうだが、今も表には全く出てこない方だ。すでに王位継承権を放棄していると聞くし…。あとは第三王子殿下がいらっしゃるが、まだ7歳の幼い王子だ。私の年齢が17歳だから、さすがに10歳も年上の私は無理である。
主要な高位貴族には大体婚約者がいるし、いない者は色々噂のある方がほとんど。
私の未来は詰んだも同然である。
身についた淑女らしい楚々とした足取りを進めて禁書庫にたどり着くと、いつもの調べものをするための備え付けの机ではなく、奥にある古代魔法の本が並ぶかび臭い書棚へ真っすぐ向かう。
古代魔法…。
今この世界で使われている魔法は、古代魔法が元になってはいても全く違うものだ。古代魔法は魔力が多い者がいた時代に使われた古い魔法で、かなり複雑で読み解くことも難しいとされている。
結界魔法も古代魔法にあたる。
火や水、風や土といった基本の魔法以外に、創造、操作、変形といったものが古代魔法にあたる。
私は魔法の勉強を母に許されず、簡単な基本魔法しか使えないため、知識としてしか理解できていない。でも古代魔法は普通の人では使えない高度な知識と技術が必要で、この国を覆っている古代魔法で張られた結界は、この国の魔術棟に属する優秀な高位魔術師達が日々守っているのだ。
初めてそれを知った時、キラキラと目の前が輝くように想像力がかきたてられた。
私も出来るようになりたい。
でも、もちろんそんな自由は無くて…。
手に取って本を開くと、夢のような世界が広がっている。古代語で書かれたその本は、理解できる人間がほとんどいないと言われている。
でも、私は読める。
それは当時、基本の魔法を教えてくれた家庭教師の先生がくれた本がはじまりだった。昔友人からもらった本の中に解読できない物があると聞いて、見てみたいと我儘を言った。
私に魔術師の勉強を勧めてくれた人だ。
その本は古代語で書かれていて、読みとくにはコツがいるそうだ。
先生は読めなかったが、友人がスラスラと読み解いたのだと話していて、読める人間は古代魔法が使う素質がある者だそうだ。
試しに見てみるかい?と聞かれ、私は本を見せてもらったのだ。
不思議なことに私にはすぐに理解できた。
彼は驚いて、両親に私の事を魔術師の才能があると進言してくれたが、そのまま解雇となってしまった。
お別れの時に、その本は私には理解できないから君にあげると下さったのだ。
それは私の宝物になった。
「…君…、もう外は真っ暗だけど、帰らなくていいのかい?」
その時、低音の心地よい声が聞こえた。
ハッとして振り向くと、そこには魔術師のマントを羽織った髪の長い男性が立っている。
光の影になっていて顔が良く見えないが魔術棟の方…?この禁書庫は魔術棟から近く、王族とその許可を得た者、魔術師には解放された場所だ。
「あ…、申し訳ございません…。集中してしまい、時間を忘れておりました。」
慌てて本を閉じようとした時、その男性が私の手に持っている本に視線を移した。
「その本…、君は読めるのかい?」
「え…はい。古代魔法の本が好きで…ここに来るといつも見てしまうのです…。」
でも、もうそれは今日でおしまい。
「君…名前は…?」
「失礼致しました。リネット・エヴァンスと申します。」
「ああ…君が…兄の婚約者の才媛か。」
兄…?
ではこの方が…
「…ユリウス第二王子殿下…。」
慌てて淑女の礼をすると、そういうのはいいから、と制せられた。
「もう外は暗い。読みたいなら明日また来なさい。」
「…いえ…。その…実はレイナルド殿下に先ほど婚約破棄を申し渡されたのです。ですので、ここに来られるのも今日が最後です。遅い時間までお邪魔して申し訳ございません。帰ります。」
そう言ってリネットが本を書架に戻そうとした時、その手を掴まれた。
「兄が婚約を破棄…?まさか。君がいないと兄は全く王太子としての機能を果たさないだろう。あまり関わっていない私でも知っている。兄の仕事の大半は君が捌いているだろう?
君が婚約者になってから、かなりミスが減ったと宰相が褒めていた。二重も三重もチェックが必須だった兄の書類は一度の確認で済むようになったと喜んでいたからな。」
思わぬ誉め言葉にらしくもなくカァッと赤くなってしまう。
「あ…ありがとうございます。そう言って頂けると努力したことが報われます。」
気が抜けていたのだろう。思わず笑顔になってしまったリネットに、ユリウス殿下もフッと笑ってくれた。
綺麗な顔…。
レイナルド殿下は陛下に似て太陽の様な眩しい金色の緩やかな癖のある髪と、エメラルドの様な瞳の美しい方だ。
どこか高貴な自信とカリスマ性を感じるオーラのある方で、一緒にいるとどこか息が詰まるような気分になる方だ。
でもユリウス殿下はアマリリス王妃殿下に似たのかしら…。
美しいプラチナブロンドの真っ直ぐな髪を無造作に一つにくくっている。
長い前髪から覗く瞳はアマーリア王妃殿下と同じアメジストの様な深い紫だ。
赤や紫の瞳を持つ方は魔力が強いと言われている。リネットも魔力が強く、瞳の色はブドウに似た赤紫の様な色だ。
レイナルド殿下には瞳の色が気持ち悪いと初めての顔合わせで言われた。血のようだと…。
血の様な真っ赤な色ではないけれど、珍しい色合いの瞳ではあるため、出来るだけ真っ直ぐに目を見ないようにして気遣っていたけれど、結局婚約は破棄されてしまったわ。
「リネットは古代文字が読めるのか。今持っている本の内容は理解出来たのか?」
当たり前のように呼び捨てにされてドキッとする。
距離感が近くてなんだか王族らしからぬ方だわ。
「はい。理解できます。でも私は魔法を学んでこなかったので知識しかなく使うことはできません。」
「そうか…。魔法に興味があるのか?」
「は、はい!…でも私の家族は魔法を学ぶことを快く思わず、きっとこの先もそういった機会は訪れないと思います…。」
屋敷に戻ることを考えて暗い表情になったリネットに、ユリウス殿下が不思議そうな表情になる。
「リネットを動かすのはリネット自身だろう。なぜ、家族の考え方が出てくるのだ?」
その言葉に何かがストンと胸に刺さった気がした。
「…フ…フフ…。そう…。そうですね…。ありがとうございます。ユリウス殿下にお会い出来てよかったです。きっと婚約破棄された私は、この先、傷者扱いになるでしょうし、これからは自分のやりたいことを我慢せずにやってみようと思います。」
憑き物が落ちた様に嬉しそうに笑ったリネットにハッとしたようにユリウスが目を見開く。
「リネット。君が魔法に興味があるなら、僕が教えようか。こう見えて魔術棟の最高位魔術師をしている。
古代文字が読める人間は貴重だ。見たところかなりの魔力を持っているだろう。私の権限で近く魔術棟で学べるように手配しよう。」
最高位魔術師…?
それってこの国で一番の魔術師という事ではないの…!!
早くから王位継承権を放棄していると聞いていたけど、体が弱かったからではなく、素晴らしい魔術師の才能があったからなのだわ。
「リネット…?」
「あ、いえ。驚いてしまって…。ユリウス殿下は優秀でいらっしゃるんですね。私は…ぜひ学びたいです。でも魔法の実践経験のほとんどない私が宜しいのでしょうか?」
「ああ。もちろんだ。古代文字を読める人間は魔術棟でも半分にも満たないんだ。とても貴重で…。
また連絡するから準備しておいてくれ。」
「はい!!ありがとうございます。本当に…ありがとうございます。」
フッと笑うとユリウス殿下はそのまま禁書庫から出て行く。
帰りの馬車は婚約破棄されたというのにとても清々しい気持ちで、自然と笑顔になる自分がいた。
きっと帰ったら怒りまくった父と母の相手をしないといけないだろうけど、それでもこの気持ちの軽さは…。
「お前は…!!一体なんてことをしてくれたんだ!!王太子殿下のお心を繋ぎ留めよと何度も言ったであろう!!」
花瓶と共に飛んできた罵声に閉口する。
「そうよ、レイナルド殿下からの手紙を読んで私は気を失うかと思ったわ。せっかく必死であなたが殿下の婚約者になれるよう根回ししたのに。お前が幸せになれるようにどれだけ私が頑張ったか…。」
ユリウス殿下の言葉で目が覚めた私には二人の言葉は白々しく聞こえる。
父も母も自分の子供を思い通りに出来るのが当然と思っている。
今迄も自分の思い通りに育てるため、自分の思う以外の行動をした時にはどれだけ私が酷い人間なのかとあらゆる言い方で私をこき下ろした。
皆がそう言っている
普通は…常識では…。
私はお前のために言っているのだ、と…。
本当に私の事を思って言っているなら、周りとか皆とかそんな卑怯な言葉を使うことなく自分がと言えばいい。
常識も正義も人の数だけあるのだから自分がこう思うから考えて欲しいと真っ直ぐに伝えたらいいい。
それを卑怯にもみんながお前はひどい人間だと言っていると言ってわざわざ私を加害者にして傷つけようとする人間のどこが私の為なのだろう。
すべて自分のためではないか。
王太子妃になりたかったのは母。
王家と縁戚になりたかったのは父。
両親の勝手な願いの為に、ずっとやりたいことも我慢して寝る間を惜しんで努力してきたけど、ユリウス殿下の言葉で目が覚めた。
”リネットを動かすのはリネット自身だろう”
そうだ。私を動かすのは私だ。
誰のせいにもせず、私のために努力しよう。このままだときっと両親を、生まれを恨んでしまう。
みんなが、自分の考え方や希望や理想を持っていて、それを叶える力があるのは自分自身だけなのに。
そもそもレイナルド殿下のことを好きになったことも尊敬したこともない。
なんだ、あの一方的な断罪は。
意味が解らない。だって私は間違ったことはしていない。確かに淑女として必死で表情を殺してきたけれど、それは私に自然な表情をさせてくれなかった殿下のせいでもある。
私を利用して仕事を押し付けて挙句の果てに気持ち悪かった?
私の努力はあんな人のためにあったのではない。
思い出して急にイライラして、イライラした自分に嬉しくなった。
私は自分のために他人に対して怒りを覚えることが出来るのだと。
「なんだ!?反省しているのか。これからの事を考えねばならぬ。お前はしばらく自室で謹慎だ。」
ペコリと頭を下げて部屋へ戻る最中、弟に会う。
「おかえり、姉上。婚約破棄されたというのになんだかさっぱりした顔をしているね。」
少し驚いた顔でこちらを見つめる弟のデイビットに、ニコリと笑う。
「そうね。なんだかホッとした気分。ごめんね、傷者の姉がいたらあなたの縁談に影響があるかもしれないわ。」
すると子供のころに見た以来の楽しそうな笑顔でデイビットが笑う。
「なんだ、そんなこと。気にしなくて大丈夫だよ。正直、あの王太子殿下に姉上はもったいないと思っていたから良かったよ。父上や母上はそうは言わないだろうけど、充分あの二人の言う事聞いて頑張ってきたんだし、ゆっくりしたらいいと思うよ。」
「…デイビットの笑顔を見るのは久しぶりな気がするわ。」
フワリと笑ったリネットに、嬉しそうにデイビットが笑い返す。
「それは僕もだよ。淑女の中の淑女より、そっちの方がいいよ。」
「そうね…。私もそう思う。」
それから数日して正式に陛下より婚約の解消の通達がきた。
婚約破棄ではなく解消ということで、王太子殿下の独断で、一方的な決定だったということがわかる。
既に下級貴族らで噂が拡がっていたため、取り消せないと判断になり、婚約の解消となった。
もちろんリネットには責任はなく、一方的だったレイナルド殿下の個人資産からの賠償金の支払いという事で決着した。
レイナルド殿下は最後まで解消ではなく破棄だと反対していたが、王妃殿下がそれを許さなかった。
まぁ、今まで散々リネットがレイナルド殿下の仕事を肩代わりしていたので、ただの言いがかりというのは周りもわかっていたのだろう。
そしてリネットは正式にユリウス殿下より”魔術棟での補佐”という特別な役職を与えられた。
婚約の解消のあと、第二王子殿下からの手紙が届いたので、両親は大いに期待したが、内容が内容だったためかなりガッカリしていた。
「年頃の令嬢が魔術棟へいくなど、婚姻がそれこそ遠のくわ。それならばなんとしても第二王子殿下か、魔術棟の責任者で、王弟である大公閣下の寵愛を得なさい」
と厳命されたが、速攻で断った。
「私は魔法を学びたいのです。今は結婚も興味がありません。」
キッパリと言い切ったリネットに両親は怒り狂っていたが、そのまま家を出てきた。
「リネット、そうだ。集中して。うん、素晴らしい。魔力も安定しているし、今後の結界の補強はリネットに任せようかな。」
あれから2年。
魔術棟の寮に入り、ユリウス殿下の元で魔法を学びながら、古代魔法の解読と研究をしている。
古代魔法を解読するだけでも大変なのに、それを実践することは更に難しいそうだが、ユリウス殿下は子供のころから簡単に出来たそうだ。
魔術棟の責任者である王弟の大公閣下が、ユリウス殿下の力を見抜き、幼少のころから自由に魔術棟に出入りさせたそうだ。
楽しそうに魔法を突き詰めるユリウス殿下に王妃殿下は王となるよりもこの国のために魔術師となる道を許したそうだ。この国を覆う古代魔法である結界は、代々魔術棟の優秀な魔術師達で年に数回補強をしながら魔力を注いで繋いできたのだ。そして学び始めてすぐにリネットが繊細な魔力操作が得意だと判明し、結界の補強を手伝うようになったのだ。
よく出来ましたと言わんばかりの優しい眼差しでリネットを見つめるユリウス殿下の距離感は相変わらずおかしい。
なぜならべったり真後ろに張り付いているから。
まるで後ろから抱きしめられているかのようだ。
「ユリウス殿下…。何度も言ってますが、少し近いです。」
「ん?なんて?」
そう言って覗き込むようにさらに顔を寄せるから、リネットはいつも心臓がもたない。
魔術棟には優秀な魔術師の女性も在籍している。
未婚の貴族令嬢も何人かいて、こんなユリウス殿下の距離感に勘違いしないのか心配になる。
相変わらず後ろから抱きしめるように手を回してリネットの魔法の手を支えるユリウス殿下に小さくため息をついて、意を決して進言する。
「ユリウス殿下。貴方は第二王子という立場で、とても美しい外見をなさっておられます。はっきり言ってこの距離間で傍にいると勘違いされる方や期待してしまう女性が多数出てきますよ。
もう少しだけ、その…ご自身を理解して距離を考えて頂かないと困ります。」
「…。」
「殿下…?」
「リネット…。もしかして、僕がリネット以外にもこんなことしてると思ってるの?」
更にギュッと力がこもったその腕にビクッと体が揺れる。
「心外だな~。この二年、ずっとアピールしてるのに、まさかただの距離感のバグだと思われていたなんて。あ、ほら、魔力が揺らいでる。集中。」
そう言いながらも一向に緩まない腕の力に身じろぐ。
そのまま結界を安定させながら魔力を少しづつ込めていくと結界の補強が完成する。
「ん、上手。いいね。もう魔力を流すの止めていいよ。」
「は、はい!…え…?」
この方…今、アピールって言った?
ゆっくり振り向くとアメジストの瞳がこちらを真っ直ぐに見つめていた。
その近さと真剣さにドキッと胸が鳴る。
「リネットが魔法以外に興味がないことはわかっていたけど、こんなにわかりやすくアピールしてるのに気づかれていなかったとは。まぁ、仕方ないか。あのバカ兄上の相手してたんなら、そういうの考えるのも嫌になるよね。」
「…ユリウス殿下…?」
「わかった。これからはもっとガンガン行くことにする。」
は…?ガンガン行くとは…。
そのままクルリとリネットの体を回して真正面から見つめられる。
それにしても距離が近い。
「リネット。僕は君が好きだよ。多分初めて会って君の笑顔を見た時から。会う度、君の一生懸命で頑張り屋なとこも、気の抜けたフニャっとした可愛い笑顔も、君の何気ない仕草や表情を見るたび、もっと好きになっていったよ。」
畳みかけるように伝えられる告白に頭が真っ白になる。
「嘘…。」
思わず零れた言葉に、心外とばかりに目を細める。
「本当。君以外みんな気付いているし、他の奴らには思いっきり牽制してるし、牽制を込めてこうして堂々と抱きしめている。あと、リネットが嫌だと言っても君を離すつもりもない。そういえば、リネットは婚約者がいなかったね。偶然だな。僕もずっといないんだ。最初は興味がなかったから。今は君以外いらないから。で、どうかな。僕の婚約者になるのは。」
なんだか色気もへったくれもない、淡々とした物言いに、言葉を失う。
あまりにもユリウス殿下らしいなと思ったからだ。
「フフ…。」
思わず笑いがこみあげて零れる。
「リネット?」
少し困ったような表情になったユリウス殿下の頬がほんの少し赤くて、愛おしいなと思った。
婚約破棄を告げられた後、ユリウス殿下に会ってから、私は自分の気持ちに嘘はつかないと決めたのだ。
この二年、色々あった。
婚約が白紙になり、両親が激怒し、弟と幼少期みたいに仲良くなって、ユリウス殿下の魔術師の補佐に任命された。
魔術棟に居を移し、魔法を学び、古代魔法を習得するために勉強した。
その間に友人達との遊びに夢中で、仕事がまともに出来なかったレイナルド殿下は王太子ではなくなり、なぜか怒ったレイナルド殿下の八つ当たりの来襲を受けて、ユリウス殿下に庇われて。
結局王太子にはまだ幼い第三王子殿下の名前が上がり、成人するまでは様子見という事になったが、レイナルド殿下は学び直しが決まり、外国へ強制的に送られた。もちろんレイナルド殿下の堕落と婚約解消に一役買った友人達は王妃殿下の怒りをかい、家門ごと消えた家もあったそうだ。
リネットはこの二年、人生で一番充実していた。
魔術棟にはなぜか住み着いてる猫が数匹いて、猫を飼う夢も半分叶ったし、休みの日にはユリウス殿下がずっとやってみたかった乗馬に連れて行ってくれた。
幼少期は体が弱かったと聞いたが、病気ではなく魔力が強すぎて、体調を崩しがちだったそうだ。
それでもやりたいことに対して貪欲だったユリウス殿下はあらゆる知識欲や体験欲を満たすべく色んな事を極めたようだ。
「ユリウス殿下。私、ここに来れて良かったです。親の言うままレイナルド殿下の婚約者に決まったことも、今となっては感謝してます。あの日々があったから、婚約破棄されて、ユリウス殿下に会えた。貴方に会えた時からずっと、私は幸せです。」
嬉しそうに笑ったリネットの笑顔を眩しそうに見つめると、ユリウス殿下がリネットの頬をそっと撫でる。
「それは、僕の婚約者になってくれるという事…?」
「はい。ずっと…ユリウス殿下の傍にいたいです。」
頬に添えられた手に擦り寄るように、顔を寄せたリネットを見つめたまま、途端に真っ赤になったユリウス殿下が可愛くて愛おしい。
「破壊力が半端ない…。」
とか何かわからない事を呟いている。
淡々としていたり、急に照れたり可愛い人だ。
そう思ってうっとりしたように見つめていたら、急に怖いくらい真剣な顔で、深いアメジストの瞳にリネットを映した。
「…本当、絶対に離すつもりないからね。一生傍にいて僕に愛されてて…。」
そういうと美しいユリウス殿下の顔が近付く。
思わず目を瞑った瞬間、唇に柔らかい感触と甘い吐息を感じる。
ゆっくり目を見開くと、すぐ近くに熱のこもったユリウス殿下の瞳がリネットを見つめていて、どうしようもないほど恥ずかしくなった。
恥ずかしさに距離を取ろうとするが、ガッチリと腰に回ったその手は全く外れなくて更にギュッと抱き寄せられた。
「ん…。」
それから何度も角度を変えて口付けられ、ようやく解放されたときには、リネットの顔は真っ赤に茹っていた。
「もう…少し…お手柔らかに…お願いします…。」
息も絶え絶えに伝えると、ユリウス殿下が美しい顔に色気たっぷりの顔で笑った。




