第7話
毎日、慣れない肉体労働ばかりして身体が疲れるので、昨夜は家中の明かりを点けていたにも関わらずすぐに寝付いてしまい、電話で起されることもなかったので朝までぐっすり眠った。
目が覚めると天井の点けたままの照明でなく、窓からの光が部屋の中を明るくしていた。
まだ4時半だったがもう眠れそうにないのでベッドの上で身体を起こし、いつものようにニュースを読もうとスマートフォンを手に取る。
すぐに昨日の録画を思い出したが後で観ることにしてニュースを読み、その後ベッドから出ると洗面所へ向かいながら通りかかる窓のカーテンを開けていく。
栗原はふと、毎朝見ているその景色に違和感を持った。
通り過ぎた窓に戻って確認すると作業小屋の前に茶色くて大きい、四角い形の何かがあった。
その大きなものはどう見ても土の塊のように見える。
「え…、なに?」思わず声に出すと、玄関から小走りで向かう。
どうやったらそんなことが出来るのか知らないが、その1.5メートルの立方体は地層をそのまま切り取って置いたとしか思えないものだった。
粘土を採取した山の斜面と同じ色の土を見て、
「粘土がどうして?…」、「なんで地層ごとここに?…」、「どこから…?」、「一体誰がこんなことを?…」そう呟きながら四角い土の周りを何度も回っていた。
そのうち、ウエットスーツを着た奇妙な人達が関係しているように思えてきた栗原は急いでポケットの中のスマートフォンを取り出す。
前の部分を早送りし、茂みへ到着した所から再生すると最後の10秒間に黒いウエットスーツを着た人の映像が残されていた。
3倍速再生のような話し声も録音されていて理解出来ない言葉がスピーカーから聞こえていたが、道の向こう側を3人目の人が横切ると画面が揺れ始め、落ち着きのない映像になって録画は終わった。
その映像を見れば恐怖が蘇ると思っていたが、不思議と怖さみたいなものは感じなかった。
録画された映像を見て作業小屋の前に置かれた地層がウエットスーツ姿の人達と関係しているかも知れないという思いは確信に変わり、栗原はすぐ広場へ行って確認したい衝動に駆られていた。
しかし、地層のまま切り取られたような不自然なものを誰かに見られたら面倒なことになると思い、作業小屋からスコップを取り出して四角い土の塊を崩し始めた。
それが終わると洗面所に行って歯を磨き、デイパックを背負って山の広場へ向かう。
5時半を過ぎていたから空はすでに昼間のように明るかったが敷地の裏から続く林の中はまだ少し暗い。
既に映像で見ているからか少し暗い林の小道で奇妙な人達の事を想像してもドキドキせず、直接会って切り取った地層について訊ねてみたい気持ちの方が遥かに強かった。
早く確認したいと思っていたせいか、かなりのスピードで登ったらしく30分程で茂みが見えてきた。
そこからはあまり音を立てないように静かに歩き、茂みの中へ続く砂利敷きの道の前まで行くと、そこからそっと覗いてみる。
見えるのは広場の一部分だけだがここで出遭った奇妙な人達と自宅で見た切り取られた地層が昨夜の夢かと思ってしまうくらい平和で静かな朝の景色がそこにあった。
しばらく入り口から覗いていると、どこからか昨日と同じ3倍速再生のような話し声が聞こえてきてその直後、栗原が見つめている道の広場側をあの黒いウエットスーツを着た人が歩いて通り過ぎる。
スマートフォンを取り出して録画を始めると、1度通り過ぎた人がそのまま後ろへ下がるようにして再び現れた。
こちらを見ずにまっすぐ前を向いたまま後退してきたその人は栗原が録画していた画面の中央で立ち止まる。
そのままじっとしていたがやがてゆっくり首を捻り、こちらにその顔を向けた。
画面の方ではなく直接その人を見ていた栗原は目が合って一瞬ギクッとしたがその表情には何の感情もなく、その目は何も語っていないように見える。
何の意志も読み取れないその目に見つめられ、栗原は声を出すことは勿論、瞬きすら出来なかったが不思議と怖さはなかった。
黙ったままじっと見つめ返していると、その人は大きな目で一度瞬きした後、再び前進して栗原の視界から消えた。
10秒程の短い出来事が実際より遥かに長く感じ、その間息を止めていたのか苦しくなって我に返った。
そのまま撮影を続けると左右からウエットスーツ姿の人が行き交い、3倍速再生の会話もあちこちから聞こえるようになったが栗原との出遭いは無かったかのようにただ、忙しそうにしているだけで緊張感みたいなものは微塵も感じられない。
ウエットスーツ姿の人に気付かれてしまった栗原は襲われずに済んでホッとしたが、まさかこちらのことを構っていられない程忙しいとは想像もしておらず、その状況に困惑していた。
その後もしばらくの間は左右から現れる人を録画していたが、やがて誰も通らなくなると早口の会話も聞こえなくなった。
栗原は砂利敷きの道を恐る恐る広場の方へ近づいていく。
近づくにつれ視界は広がっていくが見える範囲にずっと人影はなく、最後は顔だけ広場に出して確認しても誰もいなかった。
全く人気のない静かな広場へ出た栗原は夢でも見ていたかのように感じて思わずスマートフォンの録画を再生するが、そこにはウエットスーツの人が瞬きするのと、同じ姿の人が何度も通り過ぎるのがしっかりと映っていた。
生で見た時と同様で映像においても彼らの表情からは感情が伺えず、そこから判るのはこちらに興味がないということだけだった。
何が何だか分からないまま広場を見回す栗原は粘土の地層がどうなっているか、確認していない事に気付く。
早速、崖のような斜面へ行ってみると先日粘土を採取した辺りの地層が四角く切り取られて以前とは明らかに違って見えた。
「やっぱりここから運んだに違いない。でも、どうして?…」その窪んだ地面を見詰めながら呟くと、再び背中の方から早口の会話が聞こえてくる。