第53話(最終回)
栗原は重そうな腰を上げると、アトリエに向かう。
そのアトリエにはもうすぐ完成する改造中の軽トラがあった。
シニアとスリムの協力を得ながら20年間、コツコツ続けてきた改造をついに終わらせる日が来たが、心の中は複雑な思いに満たされていた。
荷台に酸素発生装置と純水のタンクが積まれ、屋根の上には荷物運搬用に使っていたカプセルが軽トラを吊り下げるような形の鉄のパイプと共に取り付けられている。
車内の内装は全て剥がされて外気が通じる穴や隙間は既にシール材で埋められ、残るはドアの部分だけだった。
運転席のドアは乗り降りで開閉してもしっかり塞がれるよう、宇宙船と同じ素材のパッキンが取り付けてあるので、助手席のドアさえシールすれば全ての作業が完了する。
狭い車内で身体を縮めながら必死で作業していると、そこへシニアとスリムがやってきた。
「いよいよ完成ですね!」スリムがドアの開いている窓から声を掛ける。
「ええ…、これさえ終われば…」栗原が荒い息遣いで答えると、
「身体が小さい私ならそこまで窮屈ではない筈です。代わりましょうか?」その辛そうな顔を見てスリムが気遣った。
栗原が息を整えながら、
「いえ…、スリムさんにはもう十分に手伝ってもらいましたから…酸素発生装置を作ってくれたり、カプセルの動力も大きくしてくれた。お陰で地球までたったの1年で行ける立派な軽トラになりました」と笑顔で答えると、
「寂しくなります。2年も親友に会えないなんて…」スリムが静かに言った。
「僕はもう75歳でこの通り髪も白くなった。ジュシスの人みたいに長くは生きられないので、今地球へ行っておかないと先に天国へ行ってしまうかも知れません」栗原が冗談めかして言い、笑顔を見せるとシニアとスリムも笑った。
「いつ出発するんです?」シニアが訊くと、
「今夜の予定です。2年の間、お別れという事になりますね」敢えて明るく言った栗原だったが、その後すぐに真面目な顔になって、「僕も親友の2人に会えなくなるのがとても辛いです…。沢山の友情を貰ったし、こうして見送りにも来てくれた…」2人を見ながら一筋の涙を流すと、
「どうしても行くんですね?…」スリムがその目に涙を溜めて言った。
栗原は何も言わずに頷いてそれに答える。
シニアとスリムはその頭の中で栗原と会うのはこれが最後になってしまうかも知れないと思い、心配でならなかった。
カプセルの自動操縦が栗原を地球へ導いてくれる事に疑いはなかったが宇宙では何が起こるかわからず、宇宙船でなく改造した軽トラでは論理的に可能というだけで実験で証明されたわけではないのだ。
23年前、タブレットを通じて由紀子と会えなくなった栗原は生きる目的を失い、家に籠ったまま誰にも会おうとしなくなってしまった。
そんな栗原を励まそうとシニアとスリムが度々自宅を訪れて地球の思い出話をしていると、自分が死ぬ前に島の広場がどうなったのか見てみたいと言い出した。
宇宙船で迂闊に近づけば、生き残った地球人や破壊されずに残った自動迎撃システムから攻撃を受ける可能性があり危険だと告げると、栗原は荷物運搬用のカプセルを取り付けた軽トラで地球に行こうと自ら改造を始めてしまった。
軽トラを改造したもので宇宙を旅するなんてあり得ないと説得を続けたが、それに取り組む栗原があまりに生き生きしているのを見て嬉しくなり、2人は親友として協力することになってしまったのだ。
「私とスリムだと思ってこれを持っていてください…。そして、必ず戻ってきてください。信じて待っています」地球のアトリエで創った粘土のジュシスと地球をシニアが差し出して、大粒の涙を1つこぼす。
栗原は2人と抱き合った後に握手を交わし、
「由紀子のこと、くれぐれもよろしくお願いします」と深く頭を下げた。
顔を見たら旅立てなくなると思い、今夜の見送りを断ると2人は栗原の顔を黙って見詰めた後、ゆっくり背中を向けて寂しそうに去っていった。
夕日が海に沈みかけ、辺りがジュシスの夕焼け色つまり、本当の赤に染まると栗原は軽トラをアトリエから庭の真ん中まで押していく。
運転席へ乗り込んで荷物の確認をした後、タブレットで酸素発生装置の動作をチェックしていく。
そのタブレット型コンピューターはダッシュボードに取り付けられ、目的地の座標を無線で屋根の上のカプセルへ送れるようになっていた。
カプセルの動力はスリムが大きいものへ交換してくれたが、それでも宇宙船と比べたらかなり小型なので地球までは1年間の長旅になる。
軽トラが小さいので食料は一切積み込まずに非常事態用の栄養サプリメントを少しだけ携帯し、冬眠薬を服用して行程の全てを仮死状態で移動するつもりだ。
全てのチェックを終えると栗原は車から出て自宅に戻り、由紀子が使っていた部屋のドアをそっと開けた。
地球の自宅と見た目が同じというだけで実際そこにいたことはなかったが、すぐに座っている由紀子の姿が蘇ってくる。
開かれたノートパソコンの前に座り、こちらを向いて笑う由紀子に
「地下の施設で会った時、僕が島の何処で何をしているか判ると教えてくれたね。だからここで話せば君に伝わる筈だ…」先ずそう言ってから、
「僕はずっと、自由に生きている君が好きだった。だから、身体を捨ててしまっても責めない…。君が僕にしてくれたように黙って見守るよ…」話し出すと栗原の目からは涙が溢れた。
「君がこの島を僕に与え、ここだけで暮らすように仕向けた理由も今は良くわかるんだ。シニアとスリム以外の人が感情を持てば、やがてジュシス全体に広がって地球のようになってしまうかも知れないからね…」
「君が言っていたようにジュシスの人達は宇宙における希望だ。今は僕もそう思う…」
由紀子の部屋をゆっくり見回し、
「君は僕が何をやろうとしているか、わかっていた筈なのに邪魔をしないでいてくれた…。いつか軽トラの改造が終われば地球へ旅立ってしまうと知っていて自由にさせてくれたんだね。陶芸をやると言ってあの島へ移住した時と同じように…」
「今日、僕は地球に帰るけど悲しまないで欲しい…。昔のように、また勝手なことをしていると呆れて笑って欲しい…。島と東京で暮らしたのがジュシスと地球になるだけなんだから…」
「僕は幸せだった。地球にいる時もジュシスでも…。ずっと君の近くにいられなくてごめん…」その言葉を最後に部屋を出るとそっとドアを閉め、「さようなら…」と静かな声で言って涙を拭いた。
すでに夕日が沈み、暗くなり始めた庭で再び軽トラに乗り込んだ栗原はハンドルの右側にあるレバーを捻ってスモールライトを点けた。
ダッシュボードのタブレットで地球の座標を入力してカプセルに送信すると、画面に『確認』の赤いボタンが浮かんで点滅を始める。
栗原はそのまま顔を横に向け、しばらく助手席の窓越しに見える自宅を見つめた後、決心したようにボタン押した。
小さなライトを点けた軽トラは何の音もたてずにゆっくり上昇していき、暗い夜空へ吸い込まれるように小さくなっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1年後、『横井農園』と荷台に文字がある軽トラの車内で栗原は目を覚ました。
米粒くらいの大きさで現れた地球に目を凝らしていると、島の船着き場で由紀子が乗るフェリーを待ちながら海を見つめていた時と同じ感覚になり、もうすぐ会えるような気がして嬉しくなった。
その小さな米粒がビー玉位の大さになると地球が緑と青の2色に見える。
「茶色…、じゃないのか?」栗原は驚いて呟く。
さらに大きくなると、それはまるで地球を脱出してジュシスに着いた時のようだった。
自分はジュシスに戻ってしまったのかと錯覚する程その姿が似ていたがスリムが付けてくれた放射能探知機が警報を鳴らし、座標を「地球」としか指定していなかった軽トラックはそこで動きを止めた。
それは新しい地球の姿だった。
破壊し尽くされ、全ての生命が絶滅したとばかり思っていた地球は生まれ変わっていたのだ。
何もせずにただ、その姿を眺めていた栗原の目からは涙が溢れ出す。
そこはジュシスにあるような豊かな森が広がり、鳥が飛んで動物が走り回る楽園に変わっていた。
放射能に汚染されてはいたが生物の逞しさはそれを克服し、新たな自然が瓦礫と化した人工物を覆い隠して美しい地球へと変えつつあった。
支配を続けた人間の絶滅が地球の自然に本来の繁栄をもたらしたその光景は栗原にとって嬉しくもあり辛くもある複雑なものだった。
ここに来るまでは何もかもが破壊され全ての生命が亡びた地球に降り立ち、放射能に侵されながら死ぬつもりだったが、誰も汚す者のないその美しい姿を目の当たりにして、人間がいかに自然の破壊者だったのかを改めて思い知った。
地球人だからと、ここを心の拠り所として1年間旅して来たが自分達人間がいかに自然を蔑ろにしてきたかを突き付けられ、そこに戻るべきではないと悟らされてしまったのだ。
帰る場所だけでなく死に場所まで失ってしまった栗原だったが、それでも地球が逞しくて美しい事に変わりはなく、そのことを心から喜んでいた。
そして、地球が持つ本当の美しさを目にして、ジュシスの人達が守ろうとした自然がどんなものかをようやく理解出来た気がしていた。
栗原は自分が死ぬ時に聞こうと思って用意した曲を絶滅した地球人の鎮魂の為に流すことにした。
その『夢で見た星』という曲を聴きながら目を閉じると、おばあさんの鎮魂の為に奏でるジュニアの姿が遠い記憶の中から瞼の裏に蘇って見えた。
そのまま膝を曲げて軽トラの狭いシートで横になると、地球での暮らしや景色が次々に思い出として蘇ってくる。
東京でウェブデザイナーとして働いていたことや妻と出会った大学のこと、陶芸家として島へ移住して再出発したことなどが幼い頃、ベッドの中で見た夢のように思えた。
そして、シニア、スリム、ジュニアの3人と出会ったこと、由紀子との島での暮らしや風景が遠い昔のものに感じられ、その全てが懐かしくて心が安らいだ。
栗原は瞼の裏に蘇る思い出が全て消え去ると目を開けた。
シートから身体を起こしてフロントウインドー越しの宇宙空間を見詰める。
これからどこに向かえば良いのだろうかと考えてみる。
どこまでも永遠と続く真っ黒い空間を見ているうちに、たとえ100年生きようがジュシス人のように200年の寿命を得ようが壮大な宇宙の営みからすれば瞬きをしただけで見逃してしまうくらいのものでしかなく、数百万年という人類の長い歴史ですら取るに足らないことのように思えてくる。
そしてその壮大な宇宙ですら、一度縮小に転じれば、あらゆる星や銀河など全てのものを巻き込みながら、強力な引力によって『アルティメット・ハイパーマテリアル』というとてつもない重量の固まりに戻ってしまうのだ。
たとえどんなに由紀子と離れていようとも、いつかはこの軽トラックもろ共、地球やジュシス、そして全ての物質と一体になる運命なら、1人の人間という砂粒にも満たない存在は宇宙のどこにいても同じだと思えた。
その後、新しい宇宙を創造する為のビッグバンが、一体となった固まりを原子より小さい形に引き裂けば、全ての出来事は跡形もない過去となって消え去ってしまうのだから、もう何かを悩んだり後悔する必要はないと思った。
栗原はタブレットで入力できる一番遠い星を探し、新たな目的地としてカプセルに送信する。
すると、今までに見たことのない『座標を確認してください!』という文字が現れて点滅を始め、到着日数を示す数字の『1』に続く『0』が画面一杯に並んだ。
その日数が1億年の1億倍なのか数えることも出来ず、その桁の呼び方すらわからなかったが栗原にはどうでも良く、とにかく宇宙の一番端まで行きたかった。
『確認』ボタンを押すと再び『座標を再確認してください!』という文字が点滅したが、それを3回繰り返したところで『送信完了』と表示され、軽トラが動き始めた。
栗原は軽トラが向きを変えて進み始めたのを確認すると、助手席のダッシュボードから何かを取り出し、再び膝を曲げてシートで仰向けになった。
その手の中にはジュシスを旅立つ日にシニアがくれた、粘土の地球とジュシスがあった。
右手の地球と左手のジュシスを胸の上で1つに合わせると、由紀子と地球で暮らした日々の、その夢の続きを見ようと静かに目を閉じた。
終わり。




