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第52話

「えっ…、」


 栗原の驚きは声にならなかった。


 何故だか知らないがその瞬間から由紀子が手の届かない所に行ってしまったように感じ、それ以上何も言えなかった。


 しばらくして、

「捨てる…って、…どういうことだ?」ようやく言葉を(しぼ)り出すと、

「その木の…、上を…、見て…」由紀子の小さな声が震えていた。


 そう言われた栗原が聖卓の後ろにある太い(みき)を視線で辿(たど)ると、3メートルくらい上がった所で2つに枝分(えだわ)かれし、そこに(あわ)いピンク色のものがあった。


 由紀子が見せようとしている物かどうか判らなかったが、栗原は何かいけないものを見てしまった気がしてすぐに目を(そむ)ける。

 目を(つぶ)るとその(まぶた)の裏に今見た物の残像が映り、ドクッ、ドクッ、と自分の鼓動(こどう)がとてつもなく大きく耳に響き始めた。


 やがて頭がクラクラしてくると、徐々に身体中の感覚が遠のいていく。



 どのくらいそれが続いたのかわからないが、

「…いいの、…見なくてもいいのよ…。…私の事を忘れてくれるなら…」スクリーンの由紀子がその沈黙を破った。


 栗原は自分が今、目にしたものこそ由紀子が見せたかったものだと気付き、

「何故だ! なぜ、君を忘れなければならないんだ!!」そう叫ぶと棺台(かんだい)の1つに飛び乗り、背伸びしてピンク色の物体を間近で見る。


「これは何…」そう言おうとして背筋を冷たいものが走った。


 栗原は由紀子が告げた言葉のその意味を今、初めて理解したのだった。


 全身の力が抜けていくのを感じながら、

「由紀子…。なんで…、どうして…」力なく呟くと台の上で膝をつく。


 栗原の目からは涙が(あふ)れ始めた。

 膝をついたまま目の前の木に(ひたい)を押し当て、両方の(こぶし)でその(みき)を叩いて泣き続けた。


 由紀子との様々な思い出が映像となって栗原の頭の中に(よみがえ)り、その思い出ごとに大粒の涙が溢れた。

 どのくらい泣いていたのかわからなかったが、流した涙が少しずつ正気(しょうき)に戻してくれた。


 涙を拭いて立ち上がった栗原は決心したように再びその物体を見詰める。


 それは淡いピンク色をした、人間の脳そのものだった。


 下からは細い(くだ)のようなものが無数に出て、(えだ)分かれしながら太い幹の上を()うように降り、根の部分で木と同化(どうか)して見える。

 そうして由紀子の脳は1本の樹木と完全に一体化していた。


 由紀子が言った『身体(からだ)を捨てる』とはこのことだったのだ。


 両手で木の幹にしがみ付き、じっと見詰める栗原に、

「わかってくれるとは思わないけど…。私はこれで長く生きられるの。長い間、ジュシスの人達を守れるの…」と声を(ふる)わせながら、「私はこの木を通じて、島の植物や動物の声を聞くことが出来るの。そしてそれらを通じて辰則が何をしているのかを知り、何処(どこ)にいるのかを感じることが出来るの…」泣き声で由紀子が話す。


「どれだけ長く生きられるかわからないけど、シニアとスリムそして辰則を看取(みと)ってここに(ほうむ)り、この鎮魂(ちんこん)の曲と共に私がずっと守り続けるつもり…」


 その言葉を最後にスクリーンの由紀子は姿を消した。


 どこからかリコーダーの演奏が流れてくる。

 それはジュニアがおばあさんの鎮魂(ちんこん)の為に(かな)でた曲だった。


 栗原は黒くなったスクリーンを見詰めながら、もう2度とタブレットの画面で由紀子に会うことはないだろうと感じていた。


 肩を落としながら棺台のカプセルへ歩み寄ると地球のアトリエでジュニアが創った粘土のガーベラが置かれ、栗原の胸に古いアルバムの写真を見た時の懐かしくて空しいような感覚を(よみがえ)らせた。

 そしてカプセルの中には、送った時のままのジュニアが(あざ)やかなオレンジ色のガーベラと共にいた。



 生きる為のエネルギーを全て失ってしまった栗原は重い身体を引きずるように長い廊下を戻りながら、地球の島で由紀子と過ごした平和な日々を思い出していた。

 故郷(こきょう)の地球だけでなく、とうとう由紀子まで失ってしまった栗原はそれらが自分にとってどれだけ大切なものだったのか初めて知ると同時に、当たり前だと思っていることの(あやう)さは失ってみるまで決して気付かないものだと実感した。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 徐々に夢から覚めた栗原は背中の草の感触で一瞬、地球の広場にいるような錯覚(さっかく)(おちい)ったがオレンジがかった色の雲を見て、すぐにジュシスにいる現実に引き戻される。

 夢の中で地球にいた頃の由紀子と会いとても幸せな気分になっていた栗原は、もう1度その姿を見ようと目を閉じるが、すでに(まぶた)の裏からいなくなっていた。


 がっかりしながら起き上がると寝ぼけた頭で登山道を下り、自宅に着くと縁側から上がってリビングのソファに腰掛ける。

 栗原はテーブルに置かれたままずっと使われていない古いタブレットを見詰めて、23年前に探し出したあの施設のことを思い出す。



 地下の施設で由紀子に会ったことを話すと、シニアとスリムは全てを打ち明けてくれた。


 由紀子は地球の攻撃からジュシスを守るために可能な限り長く生きたいと望み、2人に相談する事なく実現してしまったのだと話した。

 それは脳以外の全てを(みずか)ら捨て、生命維持装置から純粋な栄養だけを()て生きるという方法で、身体の各部分が老化してその影響が脳に及ぶのを防ぐ為だった。


 あの洞窟(どうくつ)も由紀子が長く生き続けられるようにする為の施設で、生命活動(せいめいかつどう)によって脳から発生する活性酸素(かっせいさんそ)をマイナスイオンで中和(ちゅうわ)する空間なのだとスリムが説明してくれた。

 必要な数のイオンを発生させるのには大量の水が必要で海水を()み上げているらしく、森の中の排水管は使用後の処理水を海に戻す為のものだった。


 また、脳から無数に出ていた細い(くだ)は栄養を運ぶものと神経の代わりになる配線の(だば)で、由紀子があの木を通じて栄養を()ったり、動植物とコミュニケーションする為のものだった。

 推定(すいてい)ではあるが、そうやって脳だけになり細胞の酸化を抑制(よくせい)すれば、地球人でも300年以上の寿命が得られる筈だと話した。



 自分はあの時何をしたかったんだろうか、由紀子を探そうとしたり会いたいと思ったことは正しかったのかと、あれからずっと自分に()い続けてきた。

 会ってしまえば、話すことすら出来なくなるとわかっていても探し続けただろうか。

 そんなことをしなければ今でも毎日話すことが出来ただろうし由紀子を1人にさせずに済んだと思え、75歳になった今でもその時にどうするべきだったのか、答えは出ていなかった。


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