第4話
2、3分で目を開けたつもりだったが、腕時計を見ると頂上に着いてから30分は経っていて、栗原は自分が眠ってしまった事に初めて気付いた。
焼き窯を修理する予定だった事を思い出して立ち上がると、再びデイパックを背負って山頂を後にする。
らせん状の登山道を下り終えて勾配が緩くなり先程、粘土を採取した広場の茂みに差し掛かった。
砂利が敷かれた獣道を見ながら通り過ぎようとした時、茂みの向こう側から早口で話す声が聞こえた気がして栗原は立ち止まる。
誰かいるのかとしばらく様子を伺ってみたが何も聞こえず、人の気配もないので空耳だと思い再び登山道を下り始めた。
家に戻るとちょうど12時になったので先に昼食を食べてから、焼き窯の修理をする為に作業小屋へ向かう。
事前に手配した補修用レンガが積まれている作業小屋の屋根の下には穴窯と呼ばれる本格的な焼き窯があり、その丁寧な造りのお陰で長い間使われていない割に傷んでいるところは少なかった。
修理自体は特別な技術が要されるものではなく、割れて抜け落ちたレンガを新しいものと交換し、土が剥げている部分を修復するだけだ。
栗原にとって初めての作業だったが積まれたレンガを半分使ったところで最初の工程を終えその後、水で練った土を剥げた部分に被せると穴窯は現役の頃の姿に戻った。
修理を終えた窯をしばらく眺めていた栗原は今日、山で採取してきた粘土をデイパックに入れたまま置きっぱなしだったのを思い出し、作業小屋の中へ取りに行く。
陶芸に使えるかどうかわからなかったが、粘土を乾かす為に適当にちぎって作業小屋の屋根の下に置いていき、それを終えるとすでに暗くなっていたのでその日はそこまでとした。
入浴と夕食を終えた栗原は縁側に座ってスケッチブックを開き、これから創る作品のデザインを思い付くままに描き始めた。
10点程描いた所で側に置かれたタブレット端末がテレビ電話の呼び出し音を響かせ、画面に由紀子の名を表示した。
画面の時計は19時30分を示し、帰宅した由紀子が掛けてきたと思って通話ボタンを押すと、
「聞いてよー! もう、頭にきちゃったわー!!」その顔が映るや否や怒った口調で愚痴をこぼし始めた。
「ど、どうしたんだい? 今のプロジェクトで何か問題でも起きたの?」こんな展開を想像していなかった栗原は驚きながら訊ねるが、
「より良いもの造り、とか言っておきながら…厳選した物を提案しても受け入れてくれないのよ。おかしいでしょ?!」と怒った表情を変えない。
由紀子は東京の下町にある、その規模が2000戸程の町を丸ごとエコロジーに対応したタウンハウスへ造り変えるという大掛かりな再開発プロジェクトを任されていた。
当初、プロジェクトは由紀子が務める事務所が受注することになっていたが具体的な案は作られておらず、社内で設計コンペ行って優秀なものを採用するという事だった。
これまで幾度も敗れた経験を活かし、画期的な設計と新しいプレゼン方法でコンペに挑んだ由紀子は、自分が何日も寝ずに作り上げた案をついに採用へ導くことに成功し、その努力を買われて実施設計の責任者を任されることになったのだった。
しかし、プロジェクトが地方自治体の発注だった為に公共工事として多くの利権が絡み合って指定した材料や設備機器の変更を多く強いられ、設計が目指したものからかけ離れてしまった。
予算削減などのきちんとした理由があるならまだしも、自治体が出資するメーカーだとか政治的な繋がりがあるということばかりでは、常に理想を追求してきた由紀子が受け入れられるものではなかったのだ。
怒るのも仕方がないと思いながらも、これまで仕事の不満など言わなかった由紀子が永遠と愚痴をこぼすのを聞いて栗原は少し心配になっていた。
「大丈夫? 大分疲れているようだけど…」話しが途切れたところで気遣ったが、それには答えずに
「何度も妥協させられた上、その度に設計変更までしなくちゃならないから部長と衝突するばかりなのよ…」とそのまま愚痴を続けた後、
「こんなことばかり言ってごめんね…。でも、愚痴を聞いて貰えたらスッキリしたわ」やっと気が済んだのか申し訳なさそうに告げた。
「こっちはストレスなんか無縁で、愚痴を聞く余裕くらいはあるから気にしなくていいよ。プロジェクトが終わったらこっちに来てガス抜きをしたらいい…」
栗原がそう明るく言うと、画面の向こうでスマートフォンの呼び出し音が鳴り始め、
「ごめん、仕事の電話が入っちゃったから切るわね。また、かけるから…」と由紀子にそう言われてこちらが何か話す前に電話を終わらせられてしまった。
栗原は少しむなしさを覚えたが画面に表示された通話終了の文字を見つめながら、自分だけストレスとは無縁の島で呑気に過ごしているのが何だか申し訳なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2週間後、栗原は本来なら1ヶ月位はそのまま乾かしておく筈の粘土をハンマーで細かく砕き、ふるいに掛けながら丁寧にゴミを取り除いてバケツの水に浸した。
もし、その粘土が陶芸に向いていなければ秘密の場所は他にあるということになり、再び山の中を探さねばならないから使えるかどうか早く知りたかったのだ。
身体中が土埃にまみれてしまった栗原は道具を片づけると浴室へ向かう。
シャワーの前で椅子に座り、鏡を見ると髪の毛が土埃で白髪のようになっていた。
最初は可笑しくて笑ってしまったがふと、白髪になる頃に自分は一体何をしているのだろうかと思って複雑な心境になってしまう。
何年後にそうなるのかわからないがもし、生きていたら自分はまだこの島にいるのだろうか、世界はどんな風に変わっているだろうかと想像し、由紀子とはどうなっているかと考えた。
もしかしたら先が見通せない今の自分を見限り、別の道を歩いているかも知れないと想像すると、それが現実になりそうな感じがして不安になってくる。
そんなことを考えてすっかり気持ちが落ち込んでしまった栗原は風呂から出ると、腹を一杯にして気分を変えようと夕食を作り始めた。
夕食はいつも沢山買い置きがある乾麺のうどんかそばのどちらかを食べているが、野菜が不足するといけないので庭の隅で見つけたシソの葉を先ずは天ぷらにする。
その後、うどんを茹でながら今頃、由紀子はどうしているだろうかと思った。
仕事が忙しいらしく、ここ数日はテレビ電話で呼び出しても応答せず、夜遅くなってから短いメッセージを送ってくるだけだ。
直接話したのは3日前のテレビ電話が最後で、その時に大きな設計変更があったと愚痴をこぼしていたから今頃は尋常じゃない忙しさに追われているに違いない。
夕食後、栗原は試作用に描いたデザインに納得のいかないものがあったこと思い出し、ひとたび修正を始めると夢中になっていった。
気が付くとすでに23時を過ぎていて、残業が多い由紀子でも帰宅しているだろうとテレビ電話を繋ごうとしたが、『時間がある時に私の方から電話する』というメッセージを貰っていたのを思い出してキャンセルボタンを押す。
今日は風呂で色々考えたせいですぐには眠れそうになかったので由紀子の顔を見たかったがそれは諦めることにして、星を眺めてリラックスしようと縁側に向かった。
いつものように部屋の電気を消して縁側の窓を開け放ち、星空を眺めていると1つの星がキラキラした長い尾を引いて裏山の方向へ流れた。