第38話
「病院が無いってどういうこと? ジュニアちゃんはどうなるの?」わからない顔で再び由紀子が訊く。
すると、
「ジュシスでは怪我の治療はしますが病気は自然の一部と考えられており、その為の医療は無いのです」シニアは信じられないことを言った。
「じゃあ、ジュニアを治療できないんですか?」栗原が驚いて何も言えない由紀子の代わりに訊ねると、
「はい。自己回復を待つしかありません。しかし、地球の環境汚染で生み出された、わたし達が耐性を持たない菌やウイルスの場合は難しいかも知れません」シニアが辛そうに告げ、「その為にこの防護服を着ているのですが…」と自分が着ているウエットスーツを示す。
「じゃ、地球の病院で治療すればいいわ。早く連れて行ってあげて!」由紀子がシニアの腕を取って急かしたが、
「ここの環境で治療すればさらに他の細菌やウイルスなどに侵されてしまい、命を失うのは確実です」本当のことを伝えるのが辛そうなシニアに変わってスリムが答えた。
「病院の手術室なら無菌だわ!」由紀子がそう反論すると、
「それはあくまで地球の人類にとっての無菌というだけです。この環境汚染によって生み出された細菌やウイルスで一杯の、ジュシス人にとって殺人的な環境である事に変わりありません…」スリムがきっぱりと答えた。
「何とかして! …何もしてあげられないなんて、ジュニアちゃんが可哀想だわ!」ついに由紀子は泣き出してしまった。
「消毒でも何でも、出来ることは無いのですか?」どうにかならないかと、栗原も思い付いたことを言ってみるが
「わたくし達は自然の一部である細菌やウイルスを薬で死滅させたりはしません。消毒などの行為も薬に耐性を持った手に負えない菌を生み出してしまう可能性があるのです。それにもし絶滅させてしまえば、宇宙の環境破壊に繋がる恐れがあるのです」スリムがそう答えた。
「だからといって、病気を治療しないなんて…」栗原が納得いかずに呟くと、
「わたくし達の祖先が地球を旅立った時、本来なら伝染病で絶滅するのが自然の摂理だったかもしれないんです。絶滅を受け入れてさえいればジュシスを創る必要もなく、あの星は宇宙にあるそのままの姿でいられました。わたくし達がジュシスに住むこと自体、環境破壊以外の何物でもないのです。そういった反省から病気を治療するという発想を捨てたのです」とスリムが話した。
「スリムもわたしも感情が芽生え、地球人に近い感覚を持っていますのでジュニアのことがとても心配ですが、ジュシスに住む人々はこういった状況も自然な事として受け入れます。たとえこのまま命が尽きたとしても、枯れ葉が散るのと同じように受け止めるだけです」と納得のいかない表情でいる由紀子にシニアが告げる。
それを聞いた由紀子は何か言おうとして口を開きかけたが、そのままベッドの横で祈るようにジュニアを見詰めた。
誰も何も言わなくなった沈黙の中、栗原は地球の環境が彼らにとって殺人的なものだと知らずに草取りや陶芸の粘土を触らせたこと、そして毎日夜遅くまで国際会議での演じ方を練習させたことを後悔した。
そして、彼らの寿命が200年と聞いた時に当然高度な医療に支えられているのだと思い込んでしまったことを今更ながら反省していた。
彼らが着ているウエットスーツも単に機能性を追求して作られたもので、地球の細菌やウイルスから生命を守ってくれる防護服だとは思っていなかった。
しかし良く見れば、ウエットスーツから出ている顔や手の部分も透明になっているだけで他の部分と繋がっており、防護服と言われれば納得できる。
そうやって様々なことに気付いていながら、見た目の違いに触れれば彼らとの間に壁を造ってしまうように思え、それらについて言及出来なかった。
栗原は本当の愛情を持っていたら何でも躊躇せずに訊けただろうし、そうしていれば肉体的に弱いことをきちんと理解してジュニアの体調にも気付けただろうと思い、優しさに欠けていた自分が情けなかった。
ジュニアの腕に着いているスマートウォッチのようなものからピーッという電子音が鳴ると、その画面に見たことのない文字が浮かび上がって点滅し始めた。
それを見たシニアがスリムと顔を見合わせた後、
「残念ですが、ジュニアはもう長くないでしょう…」栗原と由紀子の方を向いて静かに告げる。
「え、どういうこと?」驚いた由紀子がシニアに訊ねると、
「わたくしも、残念です…」今度はスリムが悲しそうに言った。
「ジュニアちゃん! どうして…」由紀子は言葉を絞り出すと大粒の涙を流し始めた。
「…どうして、具合が悪いと言ってくれなかったの? そんなに無理してまで…」泣きながらジュニアの腕を取って必死で撫でる。
ジュニアの腕のスマートウォッチから今度はひときわ高い音が、ピーッ!と鳴り響く。
その音に驚いた由紀子は泣くのを止めてシニアとスリムの顔を見る。
「ジュニアの命は尽きました…」シニアは言い終える前に下を向いた。
「うそ、うそよ! だめ! ジュニアちゃん行かないで!」、「ジュニアちゃんの家で、…粘土で何か作ろうと言ったじゃない!」、「…一緒に住もうと言ってくれたじゃない! なのにどうして…」由紀子はジュニアの身体をゆすりながら必死で叫び続ける。
全く反応がないのを見て、もうどうしたら良いか分からなくなった由紀子が涙でグシャグシャの顔をジュニアの胸にうずめた時、拳を握っていた右腕がだらんと滑り落ちた。
垂れ下がった腕の緩んだ拳の中に、オレンジ色のものがあることに気付いた由紀子はその手をそっと開く。
手の中には最終練習の日、由紀子がジュニアの胸に着けた手作りのガーベラがあった。
オレンジ色のガーベラを見た瞬間、
「…僕、由紀子さんの為に頑張るよ!…」そう言うジュニアの声が由紀子の耳に蘇った。
「…由紀子さんも一緒にジュシスに行こうよ!…」
「…僕の家に来て粘土で何かを作ろうよ!…」
ジュニアの声が木霊のように何度も頭の中で響き、その時の笑顔が瞼の裏に蘇る。
由紀子は命掛けで地球の滅亡を防ごうとしてくれたジュニアのことを心に深く刻み込み、今度は自分がジュシスの為に人生を捧げると亡骸に誓っていた。




