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第30話

 倒れた本は表紙に『夢日記』と手書きの文字がある単行本のような日記帳だった。


 教科書を脇に置いてその厚い表紙をめくってみると、おばあさんが寝ている間に見た夢を書き(つづ)った日記のようなものだった。


 最初のページには『7月25日に見た夢』という日付のタイトルがあり、次の行から夢の内容が詳しく書いてあるようだった。

 しかし、ずっと閉じられていたからか表紙の裏紙の青い色がページ全体に写り込んでいて、内容が読めなくなっている。

 解読するのを(あきら)めてページをめくると『7月26日に見た夢』と次の日のタイトルがあり、続く文章に由紀子は驚愕(きょうがく)した。


 そこには、『今日、山でカラス天狗に笛を教えてあげた…』と書いてある。


 カラス天狗に会ったのは中学生の頃だと聞いていたから、その大人(おとな)びた文字を見た由紀子は日記が何年か(あと)に書かれたものだと思った。

 ページの最後には、『…天狗は宇宙から来た人で名前がないと言うので、(ぼう)やと呼ぶことにした…』とも書いてある。


 おばあさんが笛を教えたのはあのジュニアだとわかっているので、日記の中の『坊や』は60年以上前の若い頃のジュニアということになる。


 ページを前に戻し、もう1度よく見てみると染み込んだ青い色の中に『…大きい目…、…短い前髪…、…黒い服…』の文字が(かす)かに読める。

 どうやら宇宙人の容姿が詳しく書かれているらしく、その日記帳はおばあさんが『坊や』と過ごした日々を後年(こうねん)、寝ている時に見た夢としてまとめたものだとわかった。


 全ての日付を確認してみるとその期間は3ヶ月に渡っており、どんな会話をしたのかということまで詳細に書かれていて、当時の状況が手に取るように分かった。

 そこに出てくるジュニアは今より大分幼い印象で、自分が知らない一面を垣間(かいま)見れるその日記に由紀子は夢中になった。


 そうしておばあさんの日記を勝手に読みながらも、由紀子に他人のプライバシーを(のぞ)き見しているという罪悪感はなかった。

 なぜなら、感情のないジュニアと最初から通じ合えたのは地球に2人しかおらず、おばあさんがいなくなった今、最後の1人として自分が日記を引き継ぐ定めにあるのだと感じていたからだった。


 日記の中の文章ごとに具体的な景色が頭の中に浮かび、古いアルバムにある少女とジュニアの写真を見ているようで、その時代を知らない由紀子に(なつ)かしさを感じさせると同時に心を(なご)ませた。


 数年以上()って書いたものだから全てが正確ではないだろうが、おばあさんはジュニアとの日々を特別な思い出として残しておきたかったのだと由紀子は思った。

 しかし、何かに書き残せば宇宙人が来ていた事実を後世(こうせい)に伝える事になり、将来どんな危険がジュニアに及ぶか分からないのだ。

 おばあさんは考えた挙句(あげく)それを『夢日記』と題し、夢だか現実だかわからない形にして残したのだと思った由紀子は日記の存在を誰にも明かさないことにした。


 細かい字でページ一杯に書かれた文章を読んでいると13歳だった頃のおばあさん、つまり田口博美という少女にジュニアが恋しているように思えてきて、日記を読み進めるとその思いは益々強くなっていった。

 そして、半分程を読み終えた頃にはおばあさんが初恋の相手だと確信し、ジュニアが小さい頃から愛情のようなものを持っていたことを由紀子は知った。

 初恋の人だからその死を悲しんで涙し、思い出の笛で鎮魂(ちんこん)の曲を(かな)でたのだと判って、ジュニアが多くを語りたがらなかったことも理解出来た。



 翌日の午後、売店での忙しい仕事が終わると昨日、栗原が迎えに来た為に中断した『夢日記』の続きを読み始めた。


 日記の内容によると、以前おばあさんが話したように笛の吹き方を教えただけでなく、学校でその日に習ったことも教えていたことがわかった。

 その上、算数や理科などの科目については論理的な思考のジュニアの方が得意だったようで、逆におばあさんが教わっていたこともわかってきた。


 2人は山のどこかにある、誰にも見つからず、誰にも聞かれない場所で勉強していたらしく、会わない日がない位頻繁(ひんぱん)に会っていたようだった。


 栗原と由紀子が3人と過ごした時のような、()しくはそれ以上濃厚な日々を送っていたが、その頃のジュニアは感情を学ぶ任務を負っていたわけでなく、環境保全の作業チームと共に地球へ遊びに来ていただけのようだった。


 日記の残りが数ページになると、作業チームの交代に伴ってジュニアは自分の星に帰る事になったと書かれていたが、その後に続く文章から由紀子は目が離せなくなった。


 そこには、ジュニアから自分の星で一緒に住もうと誘われたことが書かれている。

 おばあさんは学校へ通わねばならないから無理だと断ったようだが、1日だけでもとせがまれてその星を訪れることになったようだ。


 乗り込んだ宇宙船の中や途中で見た宇宙の様子が具体的に書かれていて、そのすばらしさや美しさが読んでいる由紀子にも良く理解出来た。

 続く文章にはジュニアが住む星で見た夕日のことや『坊や』の家の(つく)りがも詳しく書かれ、それらはシニアやスリムが説明してくれた内容と一致していた。


 地球より(はる)かに生物の多様性(たようせい)()んでいて、そこに住む人は合理的で決して自然を破壊することなく大切に守っていると(しる)され、その星の美しさは筆舌(ひつぜつ)()くしがたいほどだと締めくくられていた。


 それを読み終わった由紀子はその星、つまりジュシスを具体的に想像出来るようになり、ジュニアが住むどこかの知らない場所はそんなに遠くないと思えるようになっていた。


 そして、ジュニアが住むその美しい世界へ一日だけでも良いから行ってみたいと心から思った。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 数日掛けて日記以外の物品を種類別にまとめた由紀子は弁護士と共にやってきた区長の高橋に引き渡した。

 家族も親戚もなく殆どの物は処分されることになっていた為、由紀子がリコーダーと音楽の教科書を引き取りたいと伝えると、(ふた)返事(へんじ)で許可された。


 ことある毎におばあさんを手伝っていた横井夫妻や子供の頃によく叱られたというヨシ坊もやって来て、それぞれの思い出の品を引き取っていった。

 貯金については本人が言い残した通り、店の修繕費と自分が納まる共同墓地の永大供養料(えいだいくようりょう)として町が預かることになった。


 高橋は処分する品を引き取りに来た業者が全て積み終えたのを確認した後、売店は町が運営することになったと言い残して帰っていった。



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