第29話
「あら、シニアとスリムも表情が豊かになってきたわね」由紀子も2人の表情が変わったことに気付いていた。
その理由を知っていた栗原が
「昨日のジュニアの涙によって2人共大きく感情を揺さぶられたらしいよ」代わりに説明すると由紀子は納得したように頷く。
その後、ジュニアの頭を軽くポンッと叩いて、
「今日はおばあさんに笛を教わったこと、話して貰わないとね!」と言ったが腕の中に顔を埋めたまま何も話そうとはしなかった。
「ジュニアは幼いころから感情の片鱗を見せていた為、よく地球へ遊びに来ていたようです」何も言わないジュニアに代わりシニアが説明する。
すると、ジュニアが悲しそうな表情で由紀子を見上げて、
「66年前に僕と同じ歳の子と山で会ったんだ。奇麗な音が出る笛をくれて、吹き方を教えてくれたんだよ!」それだけ話すと再び腕の中に顔を埋めた。
「そうだったのね。ジュニアちゃん、あのおばあさんと気が合ったのね…」あまり語りたがらないジュニアを不思議に思いながら言うと、
「うん、そうだよ。由紀子さんも同じだよ」今度は顔を上げたまま由紀子のことをじっと見詰めた。
由紀子はそれがどういう意味なのか分からなかったが、再び顔を埋めたジュニアをそっと抱きしめる。
何も言わずにそれを見ていたシニアがおもむろに
「わたし達の帰還についてなんですが…」と口籠りながら切り出した。
栗原はそんな話し方が出来るシニアに驚きながらも、これから話そうとしていることは由紀子が受け入れ難いジュシスへの帰還のことだと気付き、続く言葉が心配になった。
隣のスリムを見ると悲しそうな複雑な表情をしているので、3人の帰還が早まったのだと益々心配になったが由紀子はそれに気付かず、
「口籠ったりして、話し方まで上手になっているわ。あのジュニアの涙で、シニアとスリムも感情が開花したのね」と嬉しそうにした。
シニアが決心したように小さく頷くと、
「わたし達は明日の夜、ジュシスに帰還することになりました」少し大きな声で告げる。
「……えっ、何を言ってるの?…。シニア、帰還ってどういうことなの?!」すぐに由紀子が反応して訊ねるが、
「汚染浄化チームはこれまで通り、地球で活動を続けます…」答え辛いのかシニアは別のことを言った。
「そんなことはどうでもイイの! 明日の夜に帰還するってどういうことか聞いているのよ!!」半分怒りながらシニアに迫る。
そのあまりの激しさに、見かねた栗原が割って入り、
「彼らの、地球での仕事が終わるって事さ。おばあさんや君のお陰で3人共感情を理解出来るようになったんだ」由紀子をなだめるように静かに言ったが
「まだまだ、教えたい事が沢山あるのに…。どうして…」由紀子は崩れるように膝をつき、涙を流し始める。
ジュニアがそれを見て、
「2人も一緒にジュシスへ来ればイイよ! 僕の家に住めばイイよ!」慰めるように言うと、由紀子は涙で濡れた顔を上げて微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日、由紀子は朝早くから船着き場の売店で横井夫妻と会っていた。
「まあ、気楽にやってください。あとで様子を見に来るんで何かわからん事があったら、その時にでも訊いてくれたらイイです」午前中にやらねばならない仕事の説明をした後、武史がそう付け加えると、
「私もおばあさんの荷物を整理しに来ますので、忙しければ遠慮なく言ってくださいね。これまで通り、留守番でも何でもしますから…」弘子は店主がいなくなった店内を見回して少し寂しそうに言った。
それを聞いた由紀子が
「私で良ければ、空いている時間に片づけましょうか?」気遣って言うと、
「貴重品は全部弁護士が持ってったので大事なものは残ってないんだ。整理といったって全部処分してイイのか確認するだけで急いでもおらんから、お願いしたらどうだろ?」武史は弘子を見ながらそう話し、「文句を言うもんはおらんし皆処分してしまうんだ。店で使えるもんがあれば由紀子さんが貰ったらイイさ」と笑った。
「じゃあ、よろしくお願いします。ここは由紀子さんが使いやすいように片づけてもらって構いませんから」弘子はそう言って素直に申し出を受け入れた。
昼食前に自宅へ戻った由紀子が
「宅配便や郵便が届かないと皆が困るので、明日から売店を開ける事になったわ!」笑顔で元気よく言ったがすぐに下を向き、「今夜で…3人とはお別れね…」と寂しそうに呟いた。
「いつかジュシスに行って、3人と再会しよう! そこがどんな星なのか僕も見てみたいしね」留守の間に考えたことを言うと、
「そうね、ジュニアはジュシスへ帰るだけなんだから…。一生会えないと言うわけではないわ…」由紀子はこの世に生まれて来なかった我が子を思い出して、そう自分に言い聞かせた。
そして、何かを振り切るように、
「さあ、おばあさんと約束した通り、明日から島の為に働くわよ! ここにいれば、3人がまた会いに来てくれるわ!」と大きな声で元気よく言った。
その夜、3人が望んだ通り栗原と由紀子は見送りには行かなかった。
無事にジュシスへ辿り着けるよう自宅から祈る事にして、縁側に電気釜で焼いた彼らの作品を並べて夜空を眺めていると、ひときわ明るい星が長い尾を引いて流れる。
それが旅立ちのように思えた2人は星が流れた空に旅の無事と再会を祈った。
売店の仕事にもようやく慣れてきた由紀子は午前中の忙しい時間が終わると、残されていた荷物の片付けを始めた。
亡くなったおばあさんの自宅でもある売店は三和土になっている店の部分と同じ空間に居間として小上がりの座敷が造られ、短い廊下で繋がる寝室の他にはトイレと風呂しかない小さな平屋だった。
おばあさんが望んでそうしていたのか、どの部屋も奇麗に整頓され整然としていたから、片付けといってもそこにある物を種類別に分けるだけだった。
由紀子はどこから始めるか考えて先ず、小物からまとめる事にした。
どこにあるのか捜しながら居間の押し入れを開けると小さな引出付きの棚が置かれ、そこにアルバムのようなものと数冊の本があった。
葬式の日、高橋がその引出しから預金通帳や印鑑を取り出し弁護士に渡していたのを思い出して、由紀子はそこから始める事にした。
棚の一番下に濃い緑色の布で出来た細長い袋があるのを見つけて手に取ると、中からリコーダーが出てきた。
それがカラス天狗に吹き方を教えた時のものなら70年近く経っている筈だが、そんな風に見えない程艶々して、まるで時を越えられる魔法でも掛けられているかのようだった。
そのリコーダーを見詰めながらジュニアに吹き方を教える少女の姿を想像した由紀子は、おばあさんと自分が最初から何処かで繋がっていた感じがして、売店を継いだのは運命だと思えた。
笛の横にある古びた音楽の教科書を取り出すと、それに寄りかかっていた単行本がパタンッと音をたてて倒れた。




