第26話
「地上だけでなく地中にある自然のことまで気遣うなんて、本当に素晴らしい考え方だわ。そんな建築規制が地球にもあったらイイのに…」と感心して由紀子は言ったが、
「今、お話したことは規制ではなく、皆が自然と共存するという基本発想を理解して実践しているに過ぎません。家の設計については環境への影響が最小限となるブロック配置を建築主が考えることになっていていますが、自然に対する負荷計算をした上で最善な配置を提案してくれる専門家に相談するのが普通です。皆、自分達の活動が環境に直結している事を理解しているので自然を壊すようなことは望みませんし、だから規制も必要ないんです」スリムがそう話して終えた。
「本当にすばらしい人達ね。そんな人々が理想の社会を築いているなんて…、ジュシスに行ってそこがどんな景色なのか見てみたいわ」由紀子が真剣な顔で言うと、
「由紀子さん、一緒にジュシスに行こうよ! 僕の家に来て、粘土で何か作ろうよ!」ジュニアが由紀子の手を引っ張った。
「あら、ジュニアちゃんの家に呼んでくれるなんて嬉しいわ。じゃあ、先にこれを仕上げちゃいましょう!」由紀子は嬉しそうにしながら作業に戻っていった。
しばらくして、
「できたー!」ジュニアが大きな声で言い、
「上手に出来たわねー!」と由紀子がそれに応える。
2人のやり取りを聞いた栗原が一体何が出来たのかと思いながら2人の元へ行くと、ろくろの上に見事な粘土の花が咲いていた。
「きれいでしょう。 ジュニアには特別な才能があるわね!」由紀子が自慢げに言う。
それは数日前、ジュニアが由紀子の目の前に差し出したのと同じ、一輪のガーベラだった。
「これも、由紀子さんにあげるよ!」粘土を示してジュニアが言うと、
「ありがとう」由紀子はそのジュニアを両腕で抱きしめた。
栗原はジュニアの感情がかなり地球人に近づいたこと確信し、由紀子に向けられた感情が愛情と呼べるようなものに変わったと感じていた。
由紀子はジュニアをじっと見詰めながら、
「これなら、ジュニアが帰ってしまった後も枯れることはない…、わね…」と呟やき、「…ずっと…」最後にそう言うと、悲しい表情になって下を向いた。
栗原は由紀子が何を思って悲しくなったのか、良く分かっていた。
そして、由紀子と同じように下を向くと、自分達2人に起きた悲しい過去の出来事が頭の中に蘇る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「辰則ジュニアはきっと、やんちゃな男の子になるわよ!」
由紀子は大きくなった自分のお腹を手の平でそっと叩きながら言った。
26歳の誕生日を間近に控えた由紀子は8ヶ月になる男の子を宿していたのだ。
「そろそろ名前を決めないとなあ…」栗原がそのお腹に手を添えながら呟くと、
「生まれた時に名無しじゃ困るけど、それまでは辰則ジュニアでイイわよ。初めての子の為にじっくり名前を考えましょう」少しふっくらした顔で由紀子は笑った。
数日後の会社帰り、栗原が誕生日のプレゼントを買う為にショッピングモールを歩いていると由紀子から「病院へ行く」という短いメッセージが入る。
栗原は慌てて大通りに出ると、タクシーを拾って病院に向かった。
突然のことで何か起こったのかわからず、いくらメッセージを送っても返事がない状況で、とにかく由紀子と子供が無事であることを祈り続けた。
30分程で病院に到着すると由紀子に緊急手術が行われていることを知らされるが、それ以上の事はわからないと言われてしまう。
待合室で1人不安な時を過ごしていると1時間位経った頃、執刀した男性医師に呼び出された。
「残念ですが、母体を優先しなければなりませんでした…」
執刀医は開口一番、栗原の目を見ずに告げた。
一瞬背筋が凍り付いて気が遠くなりかけたが、栗原はすぐに由紀子の容態が気になり、
「母体は? 由紀子はどうなんですか?」その医師の腕にすがりつくようにして訊ねる。
「集中治療室でしっかりケアしますし、まだ若いので持ちこたえられると思いますよ…」医師はそう言い、「後ほど別の担当がご案内しますので入院手続きをお願いします」と話し終えるやいなや頭を下げ、手術室の方へ足早に戻ってしまった。
その後、担当の人に連れられて受付で入院の手続きを済ませたが、集中治療室にいる間は面会謝絶だと告げられてしまい、沢山の機器に繋がれた由紀子をガラス越しに確認しただけで家に帰るしかなかった。
医師が告げた通り由紀子はなんとか持ちこたえ、3日後に集中治療室から一般病室に移された。
会社から休暇を貰っていた栗原はベッドごと個室病棟に運ばれたという連絡を受け、急いで病院へ向かった。
小さく2回ノックした後、静かに扉を開けて病室に入ると、由紀子が酸素マスクを着けて眠っている。
ベッドの近くへ行き、痩せてしまったその顔を覗くと閉じたままの目が震えていた。
やがて、その目に一粒の涙が浮かんでくる。
言葉が何も見つからずその場に立ちつくしていると、涙は徐々に大きくなってこぼれ落ち、酸素マスクの中の口が小さく動いた。
その声は栗原に届かず、
「ぇ…?」思わず小さな声を出すと、由紀子は涙を流しながら目を開けて、
「ごめんね…」と静かな個室内でもようやく聞き取れる位の弱々しい声で言った。
「とにかく君が無事で良かった…」栗原はそれ以上何も言えず、由紀子の少し冷たい手を握ってただ、涙を堪えていた。
1週間後、無事に退院した由紀子は1ヶ月の自宅療養を経てようやく元気になったが、術後の検診で子供が産めない身体になった事を医師から告げられてしまう。
さらに2ヶ月経った頃、由紀子は勤めていた設計事務所への復帰も果たしたが、それからは悲しみを忘れる為か同僚が驚く程、仕事に打ち込むようになった。
やがて設計事務所が規模を拡大し、大きなプロジェクトの社内コンペを始めると仕事に生きると決めた由紀子は毎回様々なアイデアと共に応募するなど、益々仕事熱心になっていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗くなり始めたスロープを勢いよく上ってくる軽トラがそのヘッドライトでアトリエの窓を明るく照らし、栗原を現実へ引き戻した。
我に返りながら宇宙人達の方へ振り返るが、3人の姿はもうそこになく驚いた表情の由紀子が栗原のことを見ているだけだった。
軽トラは急いで外に出た栗原の前でタイヤを滑らせながらザザァーッ!と急停車する。
運転席にいたのは区長の高橋だった。
栗原の顔を見るや否や、
「あ、栗原さん。何度も電話したんだけど出ないもんだから…」と慌てた様子で告げる。
「何かあったんですか?」困惑しながら訊ねると、
「ばあさんが、田口のばあさんが急に具合悪くなって、今しがた、ヘリコプターで運ばれたとこなんだ」再び早口で言った後に一息つくようにして、「…店で倒れているところを横井さん達が見つけてね、2人には付き添いで行って貰ったんだけど…」いつもの口調になって話し終えた。




