第23話
その姿を追って店に入った由紀子にアイスクリームを手渡し、
「そこに座って食べな。なにか口にすれば心が落ち着くんだから」そう言うとガラスケースの向こうに回って椅子に座り、再び笑顔を向けた。
由紀子にはアイスクリームから伝わる冷たさがまるでおばあさんの温かさのように思え、再び涙が溢れ出してくる。
それを見たおばあさんは、
「ほら、こうしてごらん」両手の人差し指を立てて笑顔を催促し、「アイスが溶けちゃうから早くお食べ」と気遣う。
腰を下ろした由紀子を見て、
「昔、あたしが女学生だった頃だけど…、カラス天狗にもこれを教えてやったんだ。全然笑わんかったからね…」静かに話し始めた。
おばあさんがカラス天狗に会ったと聞いて、
「会った事があるのですか、カラス天狗に?!」驚いた由紀子は思わず訊き返す。
「昔はカラス天狗を見ても他人に話しちゃいけないと言われてたんだ。今でも島の人同士じゃ話さんだろうけど、あんたここの人じゃないから、いいやね…」おばあさんは肩をすくめるような仕草をしながら少女のようにニコッと笑った。
「…夏休みが始まったばかりにしてはすごく暑かったのを覚えている…。いつものように朝から山へ行って1人で笛の練習をしてたら、やたらと喉が渇いちゃってね…。登山道の入口に水が湧いているのを知っていたから飲みに行ったんだけど、そこでカラス天狗に会ったんだ…」少し遠い目をしながら話し出した。
「いきなり古い諺を聞かせて意味がわかるかって訊くんだ。そんな難しいことは学校の先生に訊けと言ってやったら、それっきりカラス天狗が大人しくなっちまってね」、「何も言わずにただ、あたしのリコーダーを見ているもんだから、何か悪いことをしちゃったと思ってお詫びに短い曲を吹いてやったんだ」、「そしたら気に入っちまったんだね、今度は吹き方を教えろって言うんだからたまげたよ」そこで一息つくと、茶碗の冷めたお茶を飲む。
「次の日、誰にも見つからない場所で会って、姉さんの使わなくなったリコーダーをあげたんだ。もちろん吹き方だってその時に教えてあげたさ…」山の方を指差して言うと、何かに気付いて入口の方へ顔を向けた。
1台の軽トラが店の前で止まり、
「こんにちは、先日は色々ありがとうございました」そう言いながら栗原が入ってくる。
「お陰でヨシ坊さんとも知り合いになれました」おばあさんに小さく頭を下げた後、「やっぱりここだったんだね。迷うような道じゃないけど、なかなか戻ってこないから様子を見にきたんだ」椅子に座っている由紀子を見て言った。
椅子から立ち上がった由紀子は、
「寄り道しながらだったから、時間が掛かってしまったの…」栗原を見て言った後、「アイスクリーム、おいくらですか?」今度はおばあさんの方を向いて訊ねるが
「あたしが無理に食べさせたんだから、お代は要らんよ。…また、いつでも食べにおいで…」おばあさんはそう言って目を細めた。
帰路についた由紀子は軽トラックの助手席でおばさんがカラス天狗と会っていたことを話すべきかどうか迷っていた。
由紀子は最初、おばあさんが話すカラス天狗と栗原が横井夫妻から聞いたカラス天狗を重ね合わせて聞いていたが次第にそれらは別のもののように思えてきた。
栗原が以前、天狗と宇宙人は同じだと言ったがそれだって何か証拠があるわけではないし、それよりも何よりも、島の人同士でも話すことのない特別な出来事をおばあさんと2人だけの秘密にしておきたかったのだ。
「仕事のこと…、整理できたかい?」自宅に着くと、助手席で押し黙る由紀子を気遣って静かに言った。
「うん。…おばあさんに慰めて貰ったお陰で吹っ切れたわ」運転席に座る栗原の方へ向き直り、「人はいくら悲しくても、こうすれば笑った顔になるんだって」と人差し指で口の両端を押し上げ、「そうして時が過ぎればいつか必ず良い日がやって来て、心から笑えるようになると言ってくれたの。私達があの3人に笑顔を教えているのと同じ、このやり方でね」と顔に添えた指を外して本当の笑顔を見せた。
その日、2人が昼食をとっているところへ宇宙人達がやって来た。
ジュニアは縁側から上がり込むと由紀子が座る椅子の横に小走りでやって来てゆっくり目を細め、口の両端を上げて笑顔を作る。
「あら、いきなり笑顔をくれるのね。嬉しいわ」由紀子はその頭を優しく撫でながら言った。
シニアとスリムの2人は食事の邪魔になると思っているのか、少し離れた所からまだ笑顔とは言えない表情を作っている。
2人に背中を見せていた栗原が振り返り、
「こんにちは!」と言ってみるが相変わらず誰も挨拶には応えない。
由紀子はそんなことを気にする素振りも見せずに、
「2人も私に笑顔をくれるのね。でもその前に、挨拶を勉強しないといけないわ」シニアとスリムを見て言い、「そうそう、お昼まだ食べてないならこっちに来て一緒に食べない?」と思い出したように訊く。
すると、笑顔をいつもの顔に戻したスリムが
「地球のものは完全に殺菌しないと我々が食べることは出来ないのです」すぐにそう応えるので、
「じゃあ、いつも何を食べているの?」由紀子は少しがっかりしながら再び訊ねる。
「栄養バランスのとれたサプリメントを1日2回摂取するだけで食事には時間を掛けません」事務的な口調で答え、「それ以外に顎の骨と歯の成長を促す為に毎日1時間、硬いガムを噛むことになっています」と答えた。
それを聞いた由紀子は隣に立っているジュニアを見詰めて、
「そうなの…、みんなで食事が出来たら良かったのに…」と残念そうに呟いたが、栗原はその2人の間に何か心の繋がりみたいなものが出来たと感じて、
「何だかジュニアには少し感情が芽生えてきたように思えるな」少し嬉しそうに言った。
残念そうにしていた由紀子も
「そうね、私もそう思うわ…。何かを伝えたいのにどうすれば良いかわからない…、そんなじれったい感じをお互いに抱えている気がするの」不思議そうな顔になって答えた。
その日は由紀子が言った通りに挨拶の仕方を教えることになったが、時間や状況によって言葉を変えるだけなので論理的に理解しやすいらしく、3人はあっという間に会得してしまう。
お陰でその日の別れは正しく自然なものになったが、挨拶が無いことに慣れていた栗原と由紀子には違和感しかなかった。
「では、さようなら」シニアが言い、
「おやすみなさい」と、スリム。
「それでは、また明日」最後にジュニアが続く。
ジュニアの挨拶で、我慢していた由紀子がプッ、と吹き出してしまうと3人が振り返って、
「挨拶の仕方を間違えましたか」とシニアが真面目な顔で言った。
由紀子は顔の前で手を横に振りながら、
「いいのよ、間違ってなんかないの。じゃあ、また明日ね」と笑いながら3人が藪の中に消えるのを見送った。
その後、ジュニアの感情がない口調を真似て、
「それではまた明日、…だってよ」横にいた栗原にそう言うと、「あの可愛い顔でこれはないわ。話し方も教えないとダメね!」と肩をすくめた。
栗原も3人の口調にはかなりの違和感を持ったので、
「そうだね。スリムは女性だし、見た目に合った話し方をすればもっと早く感情を理解出来るようになるかも知れないね」そう応えた。




