表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

第2話

 生活に必要なものは全て引っ越し業者の手で運ばれていたから、家の中はすでに一通(ひととお)りの家具が置かれ、荷物の段ボール箱があちこちに積まれていた。

 空気を入れ替えることにして各部屋の窓を開けて(まわ)り、最後に海側(うみがわ)の窓を開けると、そこから少しベタつく夏の潮風(しおかぜ)が一気に流れ込んで家中を渡り始める。


 その風がとても心地良く、万歳(ばんざい)するように伸びをした栗原はそのまま畳の上に寝転(ねころ)んで目を(つぶ)った。


「あぁ~、風が気持ちいいなあー」


 大の字で寝転んだまま目を開けると海側から差し込む西日が、暗くなり始めた天井をオレンジ色に明るく照らしている。

 静かな部屋で1人床に寝ていた栗原は東京に残してきた妻の事を思い出し今朝、別れたばかりだったが少し恋しくなった。


「一緒なら(さび)しくないんだけど、自分のわがままだから仕方ないか…」そう言うと(いきお)いをつけて床から起き上がり、食事の支度(したく)をする為に台所(だいどころ)へ向かう。


 今日、島に越して来たばかりでは台所に食材がある筈もなく、支度(したく)すると言っても引っ越しの段ボールから取り出した乾そばを茹でるのに鍋を火にかけるだけだった。


 そばを食べ終えて時計に目をやると、まだ6時を過ぎたばかりだ。


 先月の今頃なら会社で打ち合わせの真っ最中だがここはそんなこととは無縁に思え、栗原は自分が全く別の次元にいるような不思議な感覚に包まれていた。

 これまでのように仕事中心で生活すればプライベートもスケジュール化しないとこなせないのだろうが、当前のように遊ぶことや食べることまでスケジュール化してたことが不自然に思えた。


陶芸家(とうげいか)になりたかったのは、こんな時間が欲しかったからなのかも知れないな…」栗原は時計を見ながら(つぶや)き、「明日の事は明日考えればいい、というか今、やりたいと思う事をやればいいんだ」そう言って何をしようか考えてみるが思いつかない。


 やりたいことを探しながら家の中を歩き回ると、浴室を通り過ぎたところで最近、湯船(ゆぶね)()かっていないないことに気付き、風呂に入ることにして早速(さっそく)蛇口(じゃぐち)をひねる。

 湯船に浸かりながら好きな動画でも見ようと思って持ち込んだ、タブレット端末の時刻を見ると6時半を示していた。

 どうしても妻の声が聞きたかった栗原はまだ仕事中かも知れないと思ったが、残業してなければ家で食事の支度を始めている頃なので、とりあえずテレビ電話を繋いでみることにした。


 スマートフォンを呼び出すとすぐに(つな)がり、心配そうな表情の由紀子が画面に(うつ)し出される。


「ごめん、まだ仕事中だったかな?」栗原が少し申し訳なさげに話し出すと、

「ううん、大丈夫。ちょうど今、家に着いたところだけど何かあったの?!」トラブルが起きたと思ったのか、早口でそう訊いてくる。


「こっちは順調で何も問題はないんだけど、どうしてるかと思って…」歯切(はぎ)れ悪く話す栗原とは対照的に

「どうしてるかって…、今朝(けさ)別れたばかりなんだから何も変わってないわよ。で、そっちはどうなの?」由紀子はハッキリ答えた。


 仕事を終えたばかりの由紀子の声は忙しい都会の日々を感じさせ、田舎の島でのんびりしている罪悪感(ざいあくかん)を栗原に(いだ)かせた。

 明日の事は明日考えればいいとさっき思ったばかりなのに、いつの間にか東京にいた時の感覚に戻ってしまい、ゆったり過ごすことに何か罪の意識を持ち始めていた。


「この通り、今日は風呂に入ってのんびりしているけど、明日から忙しく(・・・)なるよ」栗原は自分だけ(ひま)なのが申し訳ない気がして無意識にそう答えたが、

「自然が豊かで静かなのよね? そんな所に住んでみたいと思うけど、東京で働いている限り私がそっちに行くのは難しいわね。いつまでこの仕事を続けるのかわからないけど…」由紀子はその複雑な心境(しんきょう)より2人の将来のことの方が気になっているようだった。


「僕が陶芸で食べていけるのか判らないし、じっくり考えてからでいいよ」自分のわがままに無理やり付き合わせてはいけない思い、そう応えると、

「そっちに住むかどうかは別にして、私が重要なプロジェクトを抱えてなければ一緒に荷物の片付けだって出来たのに…、何も手伝えなくてごめんね」由紀子が済まなそうにする。


 栗原は何か楽しいことを話題にしたくて、

「どこかで陶芸に使える粘土が()れると聞いているから、明日は山へ探検に出掛けてみるよ! で、午後からは焼き窯の修理だ!」と元気良く言ってみるが、何かに夢中になると周りが見えなくなるのを知っている由紀子は

「知らない場所ないんだから無理して危険な所へは行かなようにしてね。窯の修理だって怪我しないように気を付けてよ」と心配しながら告げた。



 その由紀子は新宿にある有名な建築家(けんちくか)が経営する設計事務所に6年前から勤めている。

 今年の始め、大きなプロジェクトの社内コンペで由紀子の案が採用されることになり、その実施設計(じっしせっけい)の責任者を任されて現在は多忙(たぼう)(きわ)めていた。


 栗原の方は大学卒業後、10年程ウェブデザイナーとして働いていたが中学の頃から持っていた陶芸家になる夢を諦められず、昨年の秋に会社を辞めて大学で指導してくれた陶芸家に1年間みっちり土作りを教わってからこの島への移住を決めたのだった。


 陶芸家を目指していた栗原は工芸科で学んでいたが、20歳の時に『異文化交流会いぶんかこうりゅうかい』と銘打(めいう)った様々な科の学生が(つど)うサークルで建築科の由紀子と出会い、5年前に結婚したばかりだった。



 普段は何気(なにげ)なく交わしている会話も、違う場所でしかも画面()しとなるといつものようにはいかず、内容を考えすぎてしまうせいで2人共、徐々に言葉が少なくなっていく。

 湯船(ゆぶね)()かりながら話をしていた栗原はのぼせるといけないからと言って、テレビ電話を終えることにした。



 のんびり浸かるつもりだったがそんな気分ではなくなり、手早(てばや)く身体を洗って風呂を出た。

 寝室でパジャマに着替えると1日が終わった気分だったが、まだ寝るには早いのでとりあえず新しいマットレスの寝心地(ねごこち)(ため)そうとベッドで横になってみる。

 そのまま深呼吸して目を(つぶ)ると何も音がしない家の中はとても静かだった。


 海側の窓からは波の音がそして、山へ続く小道がある家の裏手からは知っている鳴き声に混じって知らない虫の声もする。

 東京の自宅では常にインターネットラジオの音楽を流していたので、あまりの静けさで(さび)しくなった栗原は(あわ)てて起き上がると、引っ越し荷物で別の部屋に置きっぱなしだったテレビを寝室へ運んでくる。


 アンテナを(つな)いでスイッチを入れるとすぐに画面が明るくなり、帰宅後にいつも食事をしながら()ていた(にぎ)やかな番組が流れてきた。

 ホッとしてようやくいつもの自分に戻れた気がしたが、しばらく()ているとテレビの中の世界が昼も夜もない都会そのものに思えてきて、別次元(べつじげん)にある気がしてくる。

 時計に目をやると7時を回ったばかりでようやく夜が始まったところに思えたが、窓から外を見ると真っ暗な(やみ)が広がっていた。


 それを見た栗原はここで昼夜を分かつのは時計ではなく自然だと思い、7時という時間がこれまでのものとは全く違うように感じた。

 おそらく、明るくなれば朝で暗くなったら夜というふうに自然が昼夜を分つだけでなく春は種を()き、夏が来れば伸びた雑草を刈り、秋には(みの)りを収穫(しゅうかく)するという具合にやらなければならないことの期限まで示してくれるのかも知れない。


 さっきまでは明日の事は明日考えればいいと思っていたが実はそうではないのだと、ようやくわかった気がした。

 都会にいて自然とかけ離れた暮らしをしていると何でもやりたい時に出来ると勘違(かんちが)いしてしまうが、ここでは明るいうちに済ませなくてはならない事や天気が良い時にしか出来ない事もあって、自然に()()ってしか生きていかれないのだ。


 騒音などない方が良い筈なのに静か過ぎて落ち着かないなんて、自分がいかに都会の雑然(ざつぜん)とした環境に()らされてしまったのかを思い知らされ、その恵まれた環境を味わってみる事にしてテレビの電源を切った。


 栗原は再び静かになると縁側へ行き、()()し窓を大きく開けて空を見上げてみる。

 そこには東京で見ていたものより濃く、黒に近い群青色(ぐんじょういろ)の空があった。


 そして、いつも簡単に見つけられるオリオン座がどこにあるのかわからない程、沢山(たくさん)の星が(またた)いている。

 今まで見ていたものとは違う奥行のある空の色がすぐ向こう側に宇宙空間があることを想像させ、自分が地球と共に宇宙空間に浮いているのだという初めての感覚に包まれた。


 栗原はこれまで味わった事のない感覚と共にその空をいつまでも(なが)めていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ